親心、子心

教育に関わる様々な悩み、問題を親、子ども、両方の気持ちから寄り添って考えていきます。お悩み相談募集中。

いいこと

2006年01月31日 21時59分11秒 | 過去~徒然から~
昨日の話なんですが、ちょっとというか、かなり嬉しい出来事がありました。
正直現時点では不安もあるので、手放しで嬉しいといえないのが残念ではありますが、ぼ~っと歩いていると顔がにやけていたりするんで、『喜んでいるんだな』って思うと同時に、
『キモい』

…と、自分にツッコミ入れていたりします。(笑)

その内みなさんにも報告できればと思っていますので、またその時に…。

…ということで、上記の理由により、『更新する』と言っていた記事を流すほど、昨日の夜から友人と話していたわけですが、その中でなんだか恋愛のTV番組ばかり見かけました。

『はっきり』言いますが、経験値はドラクエのスライム並に低いので、偉そうな事は言えないんですが…、

『浮気ってそんなにいいの?』

…いや、そんなのばっかり見たもんで…。(汗)

正直、同時に二人の人と付き合えるなんてもの凄い器用だと思うんです。
不器用な私にゃ無理な話。

…あるいは誰かと付き合っている間にもっと好きな人が出てくるとしても、既に付き合っている人と別れないでいるのは上記理由で無理だし、何より、

『一番好きだから付き合ったんじゃないの?』

とか、思ったりするわけです。
…そう簡単に割りきれないのが男女の仲だろうし、自分も文を書く時にはその辺を気にしたりするは、するんですが、そういうのって、『現実でない』から納得いくわけで、目の前で起こってたら無理だろうな~と思うんです。

それに、やっぱり付き合っている人がいるなら、その人に一番自分をわかってほしいし、その人を一番わかっていたいし。
同時に一番一緒に居たいでしょうからね。

付き合い始めに別の人が現れるならまだわかるけど、あ、いや、私の場合はそれも無理かな。
伝えた時点で既に一番になっているから。(というか曖昧では勇気がでなくて言えない訳です)

…こんな考え方、青いですかねぇ…。

P.S.
この記事書いてたら高校時代友人に、
『据膳食わずに突っ返すタイプだよね』
と、言われていたのを思い出しました。

…青いのかなぁ…。

根性

2006年01月30日 12時37分40秒 | 過去~徒然から~
今日も仕事が早く終わったので、こんな時間に更新です。

この前、電車に乗り遅れそうで地元を疾走(それほどではないと思いますが…。)したんですが、その時、気づいた事があったんです。

…根性を忘れたな、と…。

何故かというと、以前、同じように駅まで走ろうとしたんですよ。

…しかしできなかった。
何故か。
…体力が衰えているのが一番の原因ですが、ほとんど体力変わってないのに今回は走れた訳です。
そこにある理由。
それこそが…、

根性

なんです。

じゃあなんで根性が多少ついたのか。少し前に、2・3キロほど、走ったんですよ。
まあそれはけして早くもなく、大した事ではないんですが、その距離を走り切ろうと、多少なりと気合いを入れていたわけです。
そして走り切った…。

今回はその名残があったんでしょうね…。
んで辛くても走り切った自分を省みて、『ああ、根性がなくなったもんだ…』と思ったわけです。

精神的な根性はついたと思うんですが、肉体的にはなくなってたみたいです。

…心にぜい肉はつけたくないものです…。

宗教の歴史!!その4

2006年01月29日 23時30分08秒 | 過去~徒然から~
前回までで、いかにして、神道の中に仏教が取り込まれたか、という話をしましたが、今度はそれに関する考察を交えて行きたいと思います。

まず、この仏教の取り込みには政治的な意図が感じられるんです。
以前、寺を守るために神社が呼ばれるようになったという話をしましたが、このはしりが、八幡神の事で、同時に当時の「国」によって行なわれた話なのです。
神様の一部を別の場所に移す事を『勧進』といいますが、これを東大寺の大仏を作る際にやっているのです。

そして、八幡神の仏化。
この八幡神による仏化は、八幡神が言い出したことになっています。
しかし、もしこれが、当時の『国』による政治的思惑の表れだったとしたら…。

そんな事を考えてみたんです。
以下、考証になります。

まず、神道の神の中には、古事記・日本書紀(これらをまとめて記紀といいます)に書かれている神が色々と入っています。先述の大国主命などもそうですが、天皇の先祖である天照大神もこの中に入ります。
なぜ、天照などが出てきたのか。詳しい事は後日古代史のカテゴリの中でやって行きたいと思いますが、私はこれを、天皇家の国家統一を裏付けるためと考えています。
なぜなら、記紀神話の中には、皇祖神とともに、様々な朝廷の家来の先祖神も入っているからです。皇祖神である天照は「日の神」であり、日本という土地にその子孫を送り込み(天孫降臨といいます。)、日本に古来よりいた神たち(国津神、大国主命など)を平らげて、日本を統一した。このときに天孫に従った神が、朝廷の家来達の先祖であると。

だから、記紀神話の神が神道の神に入っているのは、天皇を中心とした国家統一の裏づけとするためだと考えているんです。この辺りは中国の皇帝の考え方と近いものがあって、中国の皇帝は「天の神(天帝)に選ばれた。だから国を興すんだ。」という考え方を取っています。

天皇が国家を統一する前、すでに民に広まっていた神道(あるいは原始的な宗教)に、皇祖神などを混ぜて、天皇は神孫であるとした。そうして、国家統一の裏づけとした。

…しかし、仏教の方がその力においても、哲学においても強い宗教だった。

天皇=神であるから、仏教が広まることで、神は仏に劣ることが広まってしまう。
しかし、仏の優位は動かないし、それにすがりたい気持ちもある。

…ならば神=仏にしてしまえばよい。

そこで利用されたのが本地垂迹説と宇佐八幡神(=応神天皇)。
宇佐八幡神という、天皇の先祖を仏にすればよいではないか、と。
何せ全国的に広がっていた神なので、影響力も大きいし、過去の天皇でもあるから、現在の天皇自身も仏であると広めることもできる。

…勿論推論なんですけどね。
ただ、こんな感じであれば、神仏習合というのが広まっていったのがなんとなくわかる気がするし、それをせずにはいられなかった、天皇や、公家達の気持ちも、わかる気がするんですよ。

さあ、このようにして、仏が神を取り込んだ。
この後、平安・鎌倉と、仏教は武士や民衆にも広まっていきます。
戦国時代においても、一向宗(浄土真宗)など、信仰は広まって行きます。
そして江戸時代、特に末期。ここにおいて神道、仏教は大きな転機を迎えることになります。
それではまた、次回お会いしたいと思います。次回もまたよろしくお願いいたします…。
(ただ、少し更新できないかも知れません。火曜日にはできるようにしたいと思いますので、よろしくお願いします。)

宗教の歴史!!その3

2006年01月28日 17時14分28秒 | 過去~徒然から~
昨日は休暇をいただいてすいません。
続きです。
本地垂迹説を利用した「仏と神の融合」の事を神仏習合といいます。

とは言え、なぜこんなことが可能だったのか…。
やっぱり異様ですよね、別のものなのに実は同じだったなんて…。

実はそこに仏教のからくりがあります。
仏教は基本的に、『色々な形で現れた仏』を祀るものなんです。
ではなぜそんな形になったのかというと、ヒンドゥー教から派生した仏教は、その過程において、ヒンドゥーの神々を取り込んでいったんです。
例えば、○○天とつく神がいますよね?
七福神の大黒天とか。
あれはヒンドゥーの神様が変わって行ったものなんです。
基本的には、「仏を守る守護神」になります。

また、前回菩薩なんて言葉を使いましたが、あれは仏の或る現れ方の事。
仏自体は○○如来、○×菩薩、××明王なんて名前でかたられます。
以下がその性質です。
如来=本質的な仏。全ての仏の基。仏の様々な部分をあらわしている。
菩薩=修行中の釈迦(=仏が悟りを開く前の呼び方)を模したもの。現世的な願いをかなえる。
明王=如来や菩薩の力を与えた上で、それでも仏を信じないもののために現れた仏。憤怒の形相をしている。

こんな形になります。

だから、日本においても、『神様の取り込み』が行なえたと考えられます。

日本に仏教が広まっていく過程で、宇佐八幡(=応神天皇といわれる)が、実は菩薩だったと言う事を広めていきます。
宇佐八幡というのは、いわゆる八幡様の元締めみたいなものです。で、日本中に広まっている。
そんな神様が『わたしは仏なんです』なんていってしまえば、神道内のほかの神も非常に簡単に仏になれたわけです。

例えば先述の大黒天なんて、大国主命(オオクニヌシノミコト)なんていう、古事記ではものすごい英雄の事を指してますし、恵比寿も大国主命の息子である、事代主命(コトシロヌシノミコト)を指していたりします。

さあ、こんな具合で仏教が日本に広まっていくわけですが、わたしはここに物凄く政治のにおいを感じます。
次回はそんな考察も交えて書いていきたいと思います。
それではまた次回にお会いしましょう…。

教育基本法

2006年01月28日 16時52分48秒 | 過去~徒然から~
わたしがよく行かせていただいているかぜさんのところで、教育基本法の改定と愛国心教育に関する記事があったので、いつも「教育学部出身」とか書いているくせに、これ書いてなかったな~と、反省してちょっと(いま書いている連載が終われば本腰入れてやってみます。多分)だけ書きます。

今、教育基本法という法律が変えられようとしています。
んじゃ、教育基本法って何かというと、公教育、私教育、生涯教育など、あらゆる教育に関する基本的な事項を書いた法律になっています。(条文はこちら)
それがどう変えようとされているかというと、例えば宗教教育(現行では公教育においては宗教教育をしてはならないとなっています。勿論私学ではOKです)をどうするか。
あるいは愛国心教育(現行にはこのようなものはありません)等があります。

…いまさら国を愛せっていわれてもねぇ…。
愛せないことばっかりだしね…。
フューザーやらほりえもんやら、つながっているのはどこの政権与党さんでしたっけ…。

はっきり言いますが、愛国心なんて教えるの無理です。
『国を愛せ』って言って、あなたは愛しますか?
勿論日本にはたくさんのいい点があります。
しかし、ただそれだけを伝えるのでは片手落ちですよね、だって、

『他国のすばらしい点』

が抜けてますもん。
単純に『日本はすばらしい』って言い続けていたら、この国だけがすばらしいんだって、どっかの国の人たちみたいになっちゃう可能性もありますしね。

つまり、その子の住む町のいい点。県のいい点、地方のいい点。
それらを教え、同時に他の地方のいい点も伝えていく。そうすることでより良い郷土をつくろうって意思がでてくるんじゃないでしょうか?
この町(県、地方)をよりよくするためにって…。

それと同じように、日本を愛し、よくして行こうと考えさせたいなら、『他国のいい点』を見て、日本のいい点を見て、そしてよりよい国にして行こう、なんて話をした方がより建設的だと思うんですよね…。

…そして一つだけ加えると、三浦朱門という人物の言葉に

『できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養ってもらえばいいのです。(略)それが〝ゆとり〟教育の本当の目的。エリート教育とは言いにくい時代だから、回りくどく言っただけの話だ』

…なんてのがあります。
この人、ゆとり教育をさせていた人なんですよね…。

これと愛国心教育。
さらに宗教教育。

まあ、三浦さんの話だけだと、企業家と労働者って感じですが、戦前にものすごく似てきましたね。
時間がないのでこの程度にしますが、非常に深く突っ込んで行きたい部分ですね、これも。

あと、この話について詳しく書かれていたサイトがあったのでリンクをはっておきます。「教育基本法」改正・私の見方

非常に乱文で申し訳ないですが、また今度をご期待ください…。

宗教の歴史!!その2

2006年01月26日 20時50分41秒 | 過去~徒然から~
昨日は『日本人は神道・仏教両方を信仰』していて、それには『本地垂迹説』というのが関係しているという話をしました。

本地垂迹説とは何か。

それにはまず権現という言葉の話が必要です。
権現とは仏が「権」(かり)に神の姿で「現」れたもの。
つまり、仏の化身=神という事です。

では神とは何か。
神道の神とは、自然や人や土地など、ありとあらゆるものを指します。
例えば雷も神で、雷が落ちた時「あ、雷神がいらっしゃった」という事になり、その雷を治めるため社を建て、祀ります。
神は、『うまく祀れば』恩恵をもたらし、一度『怒れば』災難をもたらす。そんな二面性を持っていたわけです。

日本人は飛鳥時代(便宜的にこうします)に仏教やそれに付随する思想を知りました。神道は多神教(=神様がいっぱいいる宗教)なので、当時『新しい神様が増えた』位の柔軟性があったと思います。

しかし日本に伝わってきた仏教は、すでに中国などで熟成し、『天災』を鎮め、『災難』を防ぐ。つまり、神の怒りを仏の力だけで抑え、恩恵をもたらすという、それだけのパワーがありました。

力になるものはやはり必ず『国』が独占します。
奈良時代に国分寺などが建てられますが、これは『国家鎮護』のためです。

…しかし、中には『民のため』に仏教という力を使う僧も出てきます。
国は彼らを処罰しますが、それでも民を救おうとする僧により仏教は広まる…。

今まであった神社に、神だけでは民は救われないからと菩薩像などが置かれるようになり、あるいは逆にその仏を守るために、寺内に神社が作られるようになります。
そうして神<仏となり、「神として祀っていたもの(=天災)も全て仏の力の一部がこの世に現れた(権現した)んだ」という考えが出たわけです。

この考えがより理論化するために仏教の中にもともとあった『本地』(=この世の真理)と『垂迹』(=この世に現れた真理の一部)という、より哲学的な考えが利用され、『仏』はこの世の真理であり、『神』は日本でその仏が現れていたものとなっていくわけです。

だから、民も今までの神を捨てることなく素直に仏を信じることができるようになっていったようです。

それでは次回、この仏がどのように神として現れたか等をまとめて行きたいと思います。お楽しみに!!(願)

宗教の歴史!!

2006年01月25日 18時27分00秒 | 過去~徒然から~
…この前宗教に関する本を買ったんです。
それが結構おもしろくて、今までの知識と併せて、少し記事にしようかなと…。(歴史とか進んでないし…。汗)
広げると大変なので、日本の宗教について書こうと思います。(←これでも十分ですが)

まず、日本人の宗教ってなんでしょう?
仏教?
神道?
…勿論、キリスト教とかとはいえないし、なかなか言い当てにくいですよね。

実際の所はどうかというと、『両方』というのが正解なようです。
人口の内、神道信者が約85%、仏教信者が約75%…。
併せると、人口の倍近くなりますが(笑)、これが真実なようです。
やっぱり、『正月に神社』にいって、『葬式は仏教』ですよね。
クリスマスも祝ったり…。

両方信じているからといって、日本人は無宗教とはいえません。しかし、『文化に対して寛容』というか、『何でも受け入れてカスタマイズする国民性』が表れた例だと思います。
では、何で日本では『神道・仏教ダブル信者』が多いのか。
そこには『本地垂迹説』というキーワードが関わってきます。

…という所で今日はお開き、また次回のお楽しみ…。(願)

ちなみに…

2006年01月24日 22時29分55秒 | 過去~徒然から~
月曜日の朝に人身事故。そして今も人身事故で、ルート変更。

はっきり言って早く帰らなきゃいけないので、『なんだよっ!』て感じでしたが、少し落ち着いて今考えると、

…やっぱりこの国ヤバいんじゃないかな…、って思います。

たまたま近くに居た人が『最近酔っ払い多いからな』っていってましたが、

もう新年会の時期じゃないですよね?(違うかなぁ)
…なのに酔っ払いが多い。
それってどうなの?

確かに景気がいいから飲んでるのも有り得るんだろうけど、前に人身事故2レンチャンにぶつかった時も、月曜日で、今回も月、火。
ブルーマンデー一直線?
ああ、そういえば、さっきの講演でも、『月曜日に暴れちゃう子ども』のはなしがあったな…。

とりとめもなく考えた事なので、いい加減ではありますが、やっぱりかなり心配になりますよね…。(汗)

先生の話

2006年01月24日 22時18分58秒 | 過去~徒然から~
今日、小学校の先生の講演を聞きました。
定年間際のその先生は、どうやら色々な子と接し、色々な指導法をもっているようでした。
必要に応じて更に学んできたって感じかな。

子どもだけでなく、親への話も含めて話をされ、親子で読み合わせしたり、学級通信毎日出したり、子どもたち同士について詩や文をかかせたり…。
ただ、手段の問題よりやっぱり基本的な事が一番大事で、そこがしっかりしている先生でした。

親には保護者会とかで『親同士のつながり』を目指し、正直に真剣に話し、話せる雰囲気を作る。
子どもには、例えばボールで電灯わっても、授業中暴れだしても、『まずその子をうけとめて』その後一緒にルールを作っていく。

そういう事を大事にされているようでした。

…私的には、ものすごく納得。

昨日私は、信頼が大切だと言いましたが、子どもにとっては、このおかげで『受け止めてもらえる』信頼を持つようになるわけです。
そして、少しずつだけど、ルールとかを築いて落ち着いていく…。

やっぱり『アイツはああだから』じゃ、改善する事は無いんですよね。

…色々質問とかもしたかったんですが、司会さんが時間を45分ほどオーバーさせてたので、話が終わった時点で退出。
まあその先生のせいもあるので、もうちょっと工夫(話しと質問を組み合わせるとか…)をしてくれると嬉しかったですね。

…なんて、失敗を受け止めない事を書いている私は、まだまだ修行がたりませんね。(反省)