親心、子心

教育に関わる様々な悩み、問題を親、子ども、両方の気持ちから寄り添って考えていきます。お悩み相談募集中。

無題

2015年09月13日 21時47分46秒 | 世の中
誰と戦うというのだろう。

誰から守るというのだろう。

自国の平和が、もはや自国のみで守れないというのなら、その自国の平和を脅かしてくるのはどの国なんだ?

憲法の前文にあるように、国民の不断の努力によって守ろうとする主権は、平和は、あなただけのものなのか?

今目の前にいるあなたの敵ですら、助けよう、救おう、そういう思いが大切なんじゃないか?

平和って、誰かを攻撃して、つぶして、ひねって、殺して、できあがるものなのか?

不断の闘争なんて誰も言っていない。不断の“努力”じゃないのか?

努力すべきことは、国際社会『全て』を平和たらしめんとすることであって、我が国とその親しい国だけじゃないんじゃないのか?


歴史をひもとけば、過去に正しかったことが、現在間違っていると捉えられていることなんてごまんとある。

ならば今自分がしていることを、正しくないかもと、謙虚に思えなければ、子々孫々に申し訳が立たなくないか?


…ただ、今まで学んできた歴史の中で『自分の敵すらも救おうとする』姿を見せてきた国や指導者は記憶にない。

…ナイチンゲールくらいだろうか。仏陀は全てをあきらめてしまったように感じるし、イエスキリスト“個人”は、本気で考えていたのかもしれない…。


…もうそろそる、人類皆でナイチンゲールに、イエスキリスト(and so on)に、なったって良いんじゃないか?



世界平和は、そういう、敵も味方も関係なく、全ての人を救おうとする思いから始まるはずだ。

自分が良ければいいという気持ち、誰もがいだいているだろうけど、その居心地の悪さを知っているんじゃないのか?

その居心地の悪さを、『他に手段がないから』と目をつぶってしまっているだけじゃないか。


全人類が本気で考えればできないことなんてない。

全人類の平和だって、幸せだって、追究できるはずだ。

そのための一歩を、踏みだそう。



そんな一歩を、今日自分の『家族』に対してから踏み出した記念に…。

復興へ ~1

2015年03月11日 14時46分18秒 | 世の中
東日本大震災から4年。
あのとき私は、確か体調不良で横になっていた。

幸い家族全員の無事をすぐに確認できたし、その後一定の物資確保も行えた。

次に考えたのは、生徒たちのことだった。

明くる12日、車を飛ばして各家々を回った。

信号も止まって、ガソリンも心許なかったが、それでもあの日、目の前にいられなかった罪の意識もあって、全家庭を回って、最後に学校にたどりついた。

14時46分。この時間をさして止まっていた時計。原爆投下で止まったあの時計の写真がフラッシュバックした。

しかし、原爆とは違うのは、時計がまた動き出せたってことだ。

少なくとも、いまの住処で、震災の影響を感じることは少ない。また動き出すということは、こういうことなんだとも思う。


…多くの方々が亡くなった。未だ苦しい生活を余儀なくされている方も大勢いる。
そんな方々にできることは、目の前のことを精一杯することでしかないのだと、申し訳なくも感じつつやっている。

それでも今やっていることが、多くの人の手助けになればと、必死にやっていこうと思う。

被災された方々の不安や苦しさが少しでも減らせるよう努力することを改めて誓うとともに、亡くなられた方々のご冥福をお祈りする。