親心、子心

教育に関わる様々な悩み、問題を親、子ども、両方の気持ちから寄り添って考えていきます。お悩み相談募集中。

救援物資

2011年03月17日 23時22分42秒 | 過去~徒然から~
勤務先に行くために車でなければまともにいけない青森では、ガソリンがないと、非常に不安になる。
やっているスタンドを探し、朝6時から並んでいる人々がいるのだが、その危機感はものすごくわかる。
寒さで灯油は必要になるし、知り合いの話では漁船にいれるガソリンの給油にも制限がかかった。
石油不足はすでに青森の生活を圧迫している。

私自身、仕事がらなかなか朝・昼の時間を使えず、目の前で給油のを待つ車の列が伸び、やがてスタンドに『売り切れ』の文字がかけられるのを見るのは、正直絶望を感じる。車のメーターは、まだ半分を切っていないのに、だ。

今は乗合通勤をして、なんとかしのいでいるが、緊急の際に対応しきれない今の状態態はできるだけ避けたい。そう思ってうちに帰ってきた。


すると妻が『車検のサービスでもらったティッシュ5箱を見も知らぬ困っている人にあげた。』という。
彼女はここ数日、ストーブもつけず過ごしていた。
朝は氷点下、昼でも5度程度の青森でだ。

ティッシュをあげた話を聞いたとき、一瞬、『なんで!?』と思った。

…まだまだ私には修行が足りない。

先ほどローソンに行った。
がらんとした棚。
文房具、生活用品、雑誌。そんなものがひしめいているのに、口を通るものがほとんど何もない。
弁当、カップ麺はおろか、日持ちしないデザートやジュースもない。あるのは少量の菓子、ガム、ドレッシングと、缶ジュース、酒だ。

レジを待つ間、『流通は大丈夫ですか?』と質問したくなった。不安をかき消したかったから。
でもやめた。答えはわかりきっていたし、何よりその店員さんが努めて明るく声をかけていたから。
やっぱりまだまだ、私には修行が足りない。


帰宅すると関西を中心に、東北へむかって、様々な救援物資が発送されている。そんなニュースが聞けた。

一両日中には、届けられるというニュースをきき、とても大きな安堵を感じた。
まだまだ危険もあるなか、陸路を海路を通って送られてくるという。

日本中、どの地方でも買い占めなどでものがないという。そんな中でも送ってくれることが、本当に心があったかくなる。
送ってくれる人にはもちろんだが、全ての人に感謝したくなった。
ありがとう。

東北、日本、それだけでなく、全ての人と、助け合っていく輪を、作っていきたい。

自然の功罪

2011年03月17日 22時28分44秒 | 過去~徒然から~
…なんて、えらそうなことは言えないが、あるときこんな話を聞いた。
『津波によって被災したが、海水によって原発が冷やされた』

…結局、人間は自然を御することなんてできないってことなんだと思う。


昨日から冬型の気圧配置が強まり、被災地に厳しい寒さをもたらしている。
死者さえ出ている。
しかし…。

この気圧配置がゆるまれば、今度は南風が吹き始める。
関東地方の春一番はすでに吹いて久しいが、北西の高気圧が弱まれば、風は南寄り、太平洋から日本へ吹いてくる。
放射性物質が、日本中にばらまかれる。

秤にかけることはできない。

しかし、自然とはこういうものなのだとわかる。

この災害を機会に、『いかに自然と付き合うか』を考え、その上で復興していければいいのではないかと、考えさせられている…。

被災

2011年03月17日 22時02分11秒 | 過去~徒然から~
妻が限界に近づいている。
多分、ニュースや今の現状から、悲観的になっているからだと思う。

でも、それが普通なんだと思う。

確かに、大量に電気を使い続ける店やテレビが納得いかないんだけど、それでも。
人はパンのみにて生きること能わず。
気をはりすぎてはいけないと思う。少しの娯楽は誰にでも必要なんだと思う。
ちょうど、水を飲むように。



きっと被災地の方々の方が『生きる』ということにシンプルに過ごしていて、心のバランスはとれているんじゃないだろうか。

もちろん現地の方々が肉体的にも精神的にも辛いのはわかっているんだけど、無事で過ごしている我々には、『無事で過ごしている』負い目がある。
子どもの命が失われたのに、『生きてしまっている』負い目がある。

何を馬鹿な、とも思う。
でも、多くの方が祈る心には、そんな負い目がどこかにあるんじゃないだろうか。
それは煌々と明かりをつける店や買い占め、政府やテレビなんかに怒る心へつながるのかもしれない。はやる気持ちや心配する気持ち。あるいは怒り、嘆き。そんなものが引き金なのかなと、おもう。
そんなバランスでは、体や心が折れてしまう。


そしていま思うのは、ちょっとでもこの事態が落ち着くように、良くなるように、いがみ合うのはやめようってことだ。誰かを貶めて、非難するのはやめようって話しだ。そんなことにエネルギーをつかうより、生きることに使った方が絶対いい。生かすためでも、もちろんいい。

人をけなしていいことなんて一つもない。

ただシンプルに、いまみんなが生きるために時間を使おう、頭を体を、使おう。それが一番の支援、そして復興策なんじゃないだろうか。
自分のためだけでなく、みんなが生きるために。


被災したのは東北の人だけでない。
日本人だ。
もしかしたら、世界中の人なのかもしれない。
みんなで、みんなを支えあって、この事態を乗り越えよう。

犯罪はやめよう

2011年03月16日 21時16分16秒 | 過去~徒然から~
こんなとき、辛くて少しでも逃げたくなるのはわかる。
少ないパイを独り占めしたいのもわかる。
でも…、


防げるものなら、防ごう。

心一つで防げるものなら、防げるんだから。

辛いなら誰かに会いに行こう。被災地なら避難所でもいいかもしれない。きっとあなたが生きていたことを喜び、互いに助けあおうと手を差し伸べる人がいるから。

罪を犯したくて、進んでする人間なんていない。

こんなときだからこそ、誰にでも手を差し伸べよう。

犯罪という、人災を、いまこの時、この場から、なくしてみせよう。

原子力発電 完結

2011年03月16日 00時25分14秒 | 過去~徒然から~
最後に炉心溶融にふれたい。
これはいわゆるメルトダウンだ。

しかし、直ちに爆発が起こるわけでは決してない。

ウランは確かに、純度が高く、ある程度の量の固まりがあれば、核爆発を起こしえるだろう。

…だからこそ原子炉のウラン燃料は十分に小分けにされている。(直径1センチ、長さ1センチの燃料ペレットと呼ばれるものを集めていくらしい)

炉心溶融=メルトダウンは、この燃料が溶けてしまった状態だ。

ちょうどハンダゴテでハンダが溶けるように落ちていくわけである。

このあと、大量に炉底にウランがたまれば核爆発となるかもしれないが、そこは今のところ水の中である。しかもたまったからといって必ず爆発するわけではないのでよっぽど大量でなければ核爆発まではいかない。

核爆発の手前の臨界であれば、東海村のさいのデータがある。20%程の濃縮度の硝酸ウラニル水溶液を15キロほど運んでいる際に臨界に達したそうだ。

しかし無防備でずさんな東海村JCOの臨界事故でさえ、死者は3人。その後何事もなかったかのように生活してきた。
今回はその臨界をふせぐために、燃料自体は幾重にも覆われ、小分けにされ、水やホウ酸で中性子線を吸収させている。
東海村とは比較にならないほど適切な状態ではないだろうか?

もちろん規模は違う。
しかしそれでも、必要以上に恐れる必要はないのではないだろうか。

いま私たちができるのは、情報にしっかりと耳を傾け、恐慌におちいることなく、自分の日々をしっかりと過ごすことだと思う。

一理科教師としての、願いである。

原子力発電その2

2011年03月15日 23時52分45秒 | 過去~徒然から~
問題は、放射線の被害ではなく何なのか。

それが内部被曝である。
ようは放射性物質を飲んでしまって、体内から放射線にやられることである。
この場合、体内から排出されるまで、放射線を浴び続ける。

原発から弁の開放のため放出されたヨウ素やセシウムが体内に入れば厄介だ。
(だからこそマスクをしてほしいし、厚着をして肌を露出させないでほしい。危険な地域を歩いたならその服は捨てるつもりで。またヨウ素対策でうがい薬を飲むといいと言っている人があるが、ヨウ素のうがい薬は内服薬ではない。決して飲まないでほしい。)

しかしこの放射性物質も飛散している量は大した量でないだろう。確かに内部被曝した方はいる。そしてその方々が浴びた放射線量は報道されていない。(はず)

勘ぐれば、『もう致死量浴びてるから隠しているんだ』と思えなくない。
現に東海村の事故では、被害者隠しが行われた。

…しかし、だからこそ、いまそんなことをしても後で露見するのだからと、素直に公表しているのではなかろうか、健康被害が出るほどではないと。


今後注意すべきは、更なる放射性物質の放出だ。しかしそれは抑えられつつある(と言っていいだろう)。

いま炉内の水位が上がらないのは、熱い燃料に水をかけているため、蒸発してしまうからであり、その蒸気で頑丈な炉内がいっぱいになってしまうからこそ水が入りきらないわけである。

炉から蒸気をだせなくなる、あるいは水を入れるポンプが動かなくならない限りは大丈夫だろう。
そのうち、水位上昇の報告があるのではないだろうか。

水素爆発は確かに危険だろう。しかしそれは、放射能という意味の危険性より、もっと直接的なものだろう。
上手に水素を逃がしてくれればと、祈るばかりだ。

もちろん炉内の蒸気を逃がしたのだから、放射性物質はもれだした。しかしそれは、原爆などの比にならない量だ。確かに直ちに健康被害がでるわけではない。

リスクはある。しかしそれを恐れるあまりストレスを抱えては、それの方が健康を害するのではないか?

更に言えば、技術者たちの緊急作業の際には100000マイクロシーベルトまで放射線を浴びていいことになっている。これは言い換えれば、そこまで浴びてもしばらくすれば致命傷にはなるまいよ、としている一つの区切りだ。

マスコミなどで、通常の○○倍などと言っているが、この値で、通常の30000倍だ。先ほどかいた、5%が死ぬ量なら、600000倍だ。
桁違いである。
数字は、大きければ不安になるが、逆にどうとでもごまかせるものなのかもしれない。


あとは、水温が上がった五、六号炉の冷却水も循環させて冷やすなりしたいところだ。
おそらく電気がなくて、循環させられないとか、手が回らない状態なんだと思うが、後手に回る前に手を打ってほしい。



もちろん予断は許さない。しかし技術者たちを信じエールをおくりたい。そして冷静に行動したい。
恐慌状態では他の健康被害や致命的事態を引き起こしかねない。

原子力発電

2011年03月15日 22時57分30秒 | 過去~徒然から~
福島第一原子力発電の一号炉から六号炉まで危険な状態を迎えている。

地震、津波の影響であることは間違いない。

いまの時点での、私の考えをメモしておきたい。

まず一号炉。
これは水素爆発を起こしたが、冷却に成功した。(と考えられている)
要は焼けた鉄に水をかけるような状態を数日続けた結果だ。

三号炉も水素爆発。二号炉もで、こちらに関しては、炉の一部に穴があいた。

四号炉も爆発。炉心溶融いわゆるメルトダウンを起こしている状態なのは、この4つ。
そして五、六号炉は水温が上昇している状態だ。

…まず率直に問題点だと感じることをあげると、バックアップの設備が不十分だったことがある。
地震に建物が耐えても、津波まで考慮しきれず、しかも冷却設備を二重三重に準備できなかったのは大きなミスだと思う。

次に、廃炉の判断が遅いと感じる。この遅れが、今の連鎖的な非常事態を引き起こしていると感じる。悪く言えば、人災だ。

人が作ったものだから、絶対はない。リターンはあっても、こういうリスクがあるから、私は原発反対だ。
そして、企業べったりないまの(そして前の)政府が大嫌いだ。

…しかし。
技術者たちには、本当に頭が下がる思いだ。そして、慎重な政府にもある程度評価している。
もちろん避難している方々の心中を察するにあまりある。その周囲で暮らす日本人の不安もよくわかる。

…が、しかし、あまり心配しすぎないでもほしいと思う。

今回の事故で、大規模な、それこそチェルノブイリのような爆発は起こらないと思う。
仮におきても、日本の大部分は大きな被害が出ないとも考えている。

だから過剰な反応をするのでなく、冷静に状況を判断してほしい。(もちろんこれからの状況次第でどう転ぶかわからないが、その考えは作業中の方々に失礼だろう、外野の私は最大限エールをおくるしかない)

以下がその理由だ。

まず原子力に関して危険なのは放射線なのだが、その放射線は、放射性物質からでる。
人が死ぬ、あるいは重大な被害を受けるのは、この放射線一瞬に大量に浴びるか、ある程度の量を継続的に浴びるか、した時である。

いま原発付近で観測される放射線量は高くて400000マイクロシーベルト程度。この量を一度に浴びれば、白血球やリンパ球が減少するらしい。

しかし、この五倍の2000000マイクロシーベルトの放射線を受けても、5%の人間しか死なないようだ。(そういう意味で政府が『直ちに健康被害がでるわけではない』と言い続けていたのは正しい。今は言い方を『健康被害がでる可能性がある』と変えているが、これも誠実な情報提供だと思う。提供のスピードに不満は大きいが…)

避難中の方々はいま原子炉を中心に、ほぼすべての方が三十キロ以上く離れている。
ということは、放射線の発生源の原発から離れれば離れるほど、放射線が拡散し、薄まっていくので、避難さえできていれば、ほとんど問題ないと考えられる。

その根拠の一つはチェルノブイリだ。
かの地は、周囲三十キロ立ち入り禁止と福島と同じ。
いくら事故後25年たったとはいえ、広島型原爆の数百倍の放射性物質をまきちらしたチェルノブイリと同じ対処をしているわけだ。
これをそれほど危険、と感じるか、それほど慎重に、と感じるか、少なくとも私は後者だと感じている。
では何が問題か、それを書くには長くなったので次に続けたいと思う。

枝野官房長官

2011年03月15日 21時54分49秒 | 過去~徒然から~
ネット上で、彼を応援する声が多々聞こえる。
菅首相や民主党をこきおろしている人でも、だ。

私自身は民主党支持者ではないが、そこまで彼だけを誉める必要があるのだろうか、それなら民主党を誉めるべきではないのか、と考えている。

…原子力発電に基本、反対姿勢の私の妻は、度々政府に対し批判的な発言をしてくる。
それを聞くたびに民主党不支持者のはずの私は、イラっとくる。

いま政府、東電がやっていることは正しいと感じている。(その理由は後に書く。情報提供が遅いかもしれないが…)

であれば、枝野氏が官房長官をやるよう選んだのは、菅首相で、適材適所に人を配置したのだから、その任命手腕を誉めねばなるまい。ひいてはそういう人物を党に招いた(育てた?)民主党を誉めねばなるまい。

国一つが動いているのだから、たった一人で、すべてができるわけがない。

首相の役割、官房長官の役割、東電社長の役割、技術者の役割…、さまざまだ。

間違えてはならないと思うのは、首相の仕事は、決断することと、責任をとることだということ。

実務を任されている官房長官が前に出てきてれば頼れそうに見えるのは当たり前だと思う。たぶんいま、東電の技術者がテレビにでれば、誰よりもヒーローに見えるだろう。

決断すべきことはたくさんだろうが、その決断を『いつ』すべきかギリギリまで考えるべきなのが首相の仕事だと思う。決めてから、やっぱりやめました。はできないのだから。
もちろん、決断せずに多大な被害を出すことも許されない。

私のような一国民は、首相の決断が正しいかどうかを判断するのに、いままで得た知識と、いまの情報で検討するしかないし、それで下した判断が正しいかなどわからない。

強い意見は耳に良く聞こえるが、それに流されてはいけない。
しっかりと見る目、聞く耳、考える頭をもたないといけない。

分水嶺はどこか。

この未曽有の大災害がこの先、どんな方向に流れていくのか、首相やさまざまな人の判断はどうなのか、人々の反応は…。

見極めるべきことはいくつでもある。間違っても一時の感情に流されてはならない。