親心、子心

教育に関わる様々な悩み、問題を親、子ども、両方の気持ちから寄り添って考えていきます。お悩み相談募集中。

青森市議選の公職選挙法違反発見!!(つけたし編)

2006年10月29日 01時14分52秒 | 過去~徒然から~
急いでこれだけ書いておきます。
先ほどの記事が、私の妄想とか、でっちあげだと思われると嫌なので、写真を付け足しました。
この写真にあるように、「本日28日の街頭演説」を宣伝しているビラなんです。

…ちなみにまだ警察には連絡していません。

なぜなら、この記事を書くに当たって、ちょっと話を聞いてもらった知人にこんなことを言われたからです。

「たぶん行ってもムダだよ。間違えて投函しました、で済まされちゃうから」

その知人は、以前ちょっとした縁で選挙活動を手伝ったことがある人で、たまに政治の話しとかすると、選挙の裏話とかをしてくれる人だったんです。

なぜ、↑のようなことを言ったのかというと、写真のビラの下に「後援会内部資料」と小さく書かれていたからなんです。

「後援会員に呼びかけただけのものを間違えて投函してしまっただけなんです」

といえば、それで済まされてしまうことがほとんどなんだそうです。
そしてそれに真実味を帯びさせるために、マンションとかなら全ての家に配布するんじゃなくて、一部だけに入れておくんだそうです。

それを聞いたあと気になったので郵便受けを見にいったら、確かにうちと、うちの上のへやの郵便受けにだけ入ってました。(私はアパートに住んでいるので、その簡易集合郵便受けにささっていたのを確認しました。もちろん開けたりしていないので、他のところにも入っていたのかもしれませんが…。)

公職選挙法って何なんでしょうか?

正直私、この奈良よしたかさんのパンフとか、ビラとか、最初に封筒開けてみた時、「効果でかいな」って思いました。
だって、前日にいきなり名前を見るんですもの。

選挙カーとか街頭演説って、見かけても聞かないし、下手したらうるさいなってだけでおわりでしょ?

でも、読みものとして封筒が送られてくるんだと、ちょっと関心のある有権者だったら、そこに書いてあるものだけを見て、次の日投票しに行くと思いますよ。

…それだけ効果のあるものなのに、「間違いでした」の一言で許されてしまう公職選挙法…。
なんなのそれ?

かなり腹が立っています。

おそらくですが、後援会員なんてそうそういるもんじゃないですから、うちのアパートに一人でもこの人の後援会員がいなければ、間違えようもないはずなんです。

もっと言えば、「法に抵触するはずのもの」をこんなに簡単に「間違えた」で済ませること自体が許せないんです。

スピード違反を「間違えました」で許してくれる警察官がどこにいますか?
強盗を「間違えました」で許してくれる警察官がどこにいますか?

確かに自転車の二人乗りくらいなら許されることもあるでしょうが、政治ってものをなめすぎていませんかね、これ。
選挙ってもっと厳粛なものだと思っていたのに…。

かいててもっと腹立ってきた。やっぱり警察に言いに行こうかな…。

しかもこういう手段は、多くの候補が使っているんだそうです。
それでも動かない警察…。

だから、本当に少しの人にでもこういう問題があることを知ってほしくてこの記事を書きました。

有権者をなめている。許せん…。

青森市議選の公職選挙法違反発見!!

2006年10月28日 21時25分18秒 | 過去~徒然から~
明日青森市議選があります。
仕事があって今日帰ってきたら、ポストに一つの封筒。

中を開けると、上記のビラ。
ついでに顔入りの紹介パンフに名刺が二枚。

公職選挙法ってたしか氏名入りのビラなどを戸別訪問して配布しちゃいけないんですよね?

Wikiで調べたらありました。公職選挙法138条。

第百三十八条  何人も、選挙に関し、投票を得若しくは得しめ又は得しめない目的をもつて戸別訪問をすることができない。
2  いかなる方法をもつてするを問わず、選挙運動のため、戸別に、演説会の開催若しくは演説を行うことについて告知をする行為又は特定の候補者の氏名若しくは政党その他の政治団体の名称を言いあるく行為は、前項に規定する禁止行為に該当するものとみなす。

選挙運動というのは、告示後の行為なわけで、私の家にパンフやらが入っていたのは、あきらかに法に抵触しています。

気になったんで選管にも連絡してみましたら、明らかに法に触れているとのこと。

でも、詳細は後日書きますが、「警察に言ってください」ってだけで終わってしまいました。

いまここで書いていることが法にふれるかどうかも調べてみましたが、立候補者がページを開設してはいけないというだけだったので、事実のみを書くのなら大丈夫かなと考え記事にしました。

名前かいてもいいのかなぁ。
でも上の写真にゃあでかでかと出てるしな…。

仕事をしている間に

2006年10月26日 23時48分02秒 | 過去~徒然から~
出てきた、出てきた。
こんなニュース。

~文科相の諮問機関、中央教育審議会は昨年10月の答申で、教委の機能強化や首長との連携強化を打ち出した。閣僚の中でも佐田玄一郎規制改革担当相が「教育委員長をトップに子どもの教育に専念する体制が必要」と教委の機能強化を訴え、政府の規制改革・民間開放推進会議の「市町村教委撤廃」路線を見直す考えを示している。
 これに対し、再生会議の義家弘介担当室長は「教委事務局と委員会、組合がつながって改革が遅れる」と組織見直しの必要性を強調。民主党も学校運営を現場に任せる観点から教委廃止を唱えており、改革の方向性は定まっていない~

どういう形での教育委員会の機能強化につながるかわからないが、東京都みたいな例もあることを忘れてはいけない。また、学校選択性も私は否定するべき重要な点が多々あると思っている。(教育には金を使わないのだ、どこでも。)

もちろん、地方裁量の教員枠増など、本来国がやるべき責任を丸投げするために使われる場合もある。(小さな政府だの、中核都市だのは、少なくとも現時点の教育において体のいい厄介払い、責任の押し付けに過ぎない。)

同時に、特色ある教育は、やはりその地域に根ざしたものでなければならず、教育過程の決定権べきはその学校なのだ。
教育委員会の目の色ばかり伺う学校に未来はない。

かといって、民主党のような、学校の裁量権のみを強める教育委廃止論も危険だ。
学校は教育を行う組織であって、法律を点検する機関ではない。
そして何よりも教育委員会以外の組織にその裁量権の多くが委譲されることを考えれば、教育に対する権力の介入の危険性だって出てくる。


用は現状維持で、そのそれぞれの役割が本当の意味で果たされるように制度を改善していくべきなのだ。

どんな役割か。

それはこのようなことではないかと思う。
文科省=国として必要な教育内容を全ての国民から意見を軽重なく取って決定していく機関。
教育委員会=国が決定した内容を、地域にあった形に解釈を加え、学校が行う教育に対して適切な指導・援助を行う機関。
学校=その学校に来た生徒たちに、できうる最高の教育を提供する機関。

それ以上でも以下でもない、それぞれの役割を果たすべきだと私は思う。

P.S.
先ほどの文に教育委員会の概念が抜けていたことを謹んでお詫びします。
教育委員会が、学校の組織編成、教育課程、学習指導、生徒指導及び職業指導に関することを点検し、それを国が確認していくわけでした。

学校に対する点検・指導・援助等の管理不行き届きという責任は、先ほど述べた国の責任と同様に教育委員会にも存在すると考えています。

責任は誰の手に~高校卒業必修単位未修得問題~(長文)

2006年10月26日 22時34分03秒 | 過去~徒然から~
つけてくれたコメントをスルーしてこっちに書くのはわけがあります。なんとなく、誤解されている気がするので。(時間がないのが主理由だけど←言い訳)

ことここに来て(現在33の都道県の194校に広がっていることが判明)PTA連合とかが文科省に「格別の処置を」と言い出した。

責任は誰の手にあるか。
.comさんは、高校生にそんなに罪は無いとコメントしてくれたが、私の考えは違う。
高校にも、生徒にも、親にも、文科省にも、同様の責任があり、そして違った形での罪があると考えている。

少なくとも、文科省が策定している「学習指導要領」には法的拘束力がある。(それが良いか悪いかは別にして)

…高校の責任は、学習指導要領などに対する解釈を誤り、受けさせるべき授業を受けさせなかったこと。文科省の責任は、そういう高校をそのままにしていた、管理不行き届き。
では、生徒にはどんな責任があるのか?
もしこれが小・中の段階であれば、仮に単位を未履修(授業を受けてないということ。おそらくわかってらっしゃると思うが…。)であっても、義務教育なので生徒に責任は無い。
小・中の生徒にあるのは、授業を受ける権利を剥奪されたと、親や、学校や、国に対してその慰謝を求める権利である。

では高校生はどうか。

彼らは、義務で授業を受けているのではない。

自分から望んで学びに来ているのだ。

確かに現状、高校で学ぶということは、「与えられたものをこなす」ことでしかありえないかもしれない。
しかし少なくとも彼らは義務で通っているわけではなく、自分から学ぼうとする義務を果たさないと、それなりの代償を払わなくてはならなくなるわけである。

例えば自らの怠学(怠けて授業を受けない、例えばサボるとか…)の場合にはどういう結果が待っているのか。

…単位の未修得。つまり留年である。(数年続けば退学もありえるかも知れない、学校によっては)

そしてこれは、おそらくどの高校生に関しても知っていることであるはずだ。

小・中には留年や退学はなくても、高校にはある、その一例として…。

とすれば、少なくとも自分が、「必要な科目は絶対に履修しなくてはならない」ということを知っているはずだ。
そしてこれはどこの高校でも言われることだ。
なぜなら、これだけ不登校などが蔓延している世の中において、必要単位が未履修になる生徒など沢山いるから、高校は説明しておかないと、後で留年などの措置をとるときに説明責任を問われるかも知れないからだ。(もちろん教えられなかった場合は学校にその責任のほぼ全てがあるといわれても仕方ないのだろうが…。)

生徒になされていなくても、親にされていれば十分だろうし、そう考えれば単位履修について何らかの説明がなされていておかしくないと考える方が妥当だと思う。(もちろん全ての高校に聞いたわけではないのでわからない。もしそういう説明をされたことがないという人がいたら、ぜひ教えてほしい。その高校に指導するチャンスだと思うから。)

どんなに生徒が熱望しても、学校側はその科目を用意しなかったのだろうか?
問題がないと生徒たちは学校に言いくるめられていたのだろうか?
この行為が何も問題ないと頭から信じきっていたのだろうか?
親はこの行為を問題ないと考えていたのだろうか…?

冒頭に言ったように、学校や文科省に責任がある。
そして中途に言ったように、現在の高校生は「与えられたものをこなす」ことに終始している感はある。それが仕方ないのかも知れないとも思う。

それでも、自分がしたことに対する、「責任は取らなくてはならない」のだ。

そして、前回私が伝えたかったことは、「学校の責任のみがクローズアップされすぎている」ということなのだ。

そして、その流れでいくと、「学校教育を変えるべきだ」、「教育基本法を変えるべきだ」、と「教育のマイナスイメージの喧伝を手伝っているようにしか思えなかった」ということなのだ。


この事件の責任はこの事件に関与した全ての人に責任があるのだ。
学校だけが悪いわけではない。



…しかし…。

これ以上に、「本当に」伝えたかったことがある。

それは、この事件の原因が「受験制度にある」ということなのだ。

生徒(あるいは卒業生)のコメントの中にはこういうものが多々あった。
いわく、
「受験科目に関係ない授業は受けたくない」
「今さら受けると受験に影響がある」
「いけないことも知っていたが、受験の為に仕方がない」

親や世間のコメントもこうである。
いわく、
「今から補習するのでは、受験に影響が出るのでかわいそうだ」
「受験に関係ない科目を受けてなくたって仕方ない」
「今さら教養などと言われても、これだけ受験科目が減っている時代にあっていない」

そして学校も、
「受験勉強を効果的に行うために行った」
「生徒や保護者に選択させたが、それの方がより受験に向けていいということで行った」

…諸悪の根源は受験である。

そこまで言わなくてもいいのかも知れない。
しかし間違いなく、現在の受験制度がこの事件の引き金であり、遠因、原因だということは明確である。

私自身以前言ったことだが、
「良い高校に入って、良い大学に入らないと良い生活はできない」
そういって尻をたたく親、あるいは学校。

それを不満に思いながらも、それしか生き方を知らない高校生。(そしてこれが多くの教育の問題につながっているとも考えている)

本来学ぶことというのは、生活の手段を得ることではなく、ものすごい大きな喜びであるはずなのだ。

…なのに、受験という非常に簡単な、非常(あるいは非情にかもしれない)に一面的な制度が、世の中の仕組みを変え、受験に勝てば普通に生活できるのだという幻想を抱かせてしまったのだ。

過去はそうだったかもしれない。
しかし今はそうでは決してない。

大事なのは意思の力である。

受験を通してその意志の力を養える子ももちろんいる。

だが、受験がなくてもこういう意思の力は絶対に養える。(でなければ人類は進歩などしない。空を飛びたい人がいたから、人類は空を飛ぶ方法を考えたのだ。そこに受験など関係ない。)

そしてそういう意思の力を養うために、また教育や学びたいという純粋な意思を、あらゆる権力から守るために「教育基本法」がある。

なのに今回の事件で起こりうる流れが、「やはり現在の学校教育には問題があるのだ」という流れになっていく。
そして最終的には、現在その本来の機能を果たさないように利用されてきた「教育基本法」の変更へとつながっていくと考えられるのだ。

先ほども言ったように、教育基本法は教育や学びたいという意思を守るために存在している。

その機能が本質的に果たされれば、少なくともいくつかの問題は解決されると思っている。
(一例にとどめるが、格差社会の問題。低賃金の生活者がなぜ低賃金にならなければならないのかといえば、教育の機会均等がその生活者の経済的地位の違いによって守られていないと言うことが一つ、同時に教育の機会均等が守られないことで、「学歴社会」というものがまかり通るということが一つあると考えられる。(その生活者の才能は、どんな形で、いつ開花されるかは、最後になるまでわからないのだ。))
(まとまってない文を書いてすいません。これについては後に詳しく書きたいと思います)

受験制度も教育基本法の本質的な機能を果たさせないことに一役買っている。
なぜなら学校「教育」というものを「受験のため」にすりかえたからだ。

…そして、本来受験制度が問題の原因だったにも関らず、与党のいいように教育基本法を変えるそのエクスキューズにすりかえられていくのだ。

改めて言う。

この問題を解決したいなら、教育基本法に手を出さず、

「受験制度」

…を改正せよ。

同時に多くの問題を解決するためにも。

久しぶりに

2006年10月25日 00時26分27秒 | 過去~徒然から~
携帯で投稿。
内容は硬派。

なに書くのかって言うと、富山の高校で起こった、必修単位未履修指導事件に関してです。

いや、まあ確かに馬鹿な高校だと思うんですが、明らかにかよっている高校生にも責任があると思うんです。

だって高校って『自分が行きたいから行く』所なんですよ?

そしてなんのために通うかって言ったら、『勉強するため』なんですよ。(それは受験のためではないはずですが…。)

高校には必ず『自分で選ぶ授業』があります。
受験や卒業単位を考えて『自分で』授業を選ぶわけです。
例えば同じように単位を選ぶ大学で、『この単位をこれこれこうとりなさい』なんて、懇切丁寧に指導してくれますか?

…確かに今まで与えられていたものをやっていただけの高校生に、いきなり全て自分でやれというのも無理な話なので、高校の方である程度指導する必要は絶対ありますが、それにしても『三年生197人全て』が気付かなかったっていうのは、あまりにお粗末。
名門高校が聞いてあきれます。

何より聞いてて腹立ったのが、『受験に関係ない科目はやりたくない』という言葉。

…をい。
日本中どの高校生も必ず同じ科目をうけてるんですけど?

仮に君達だけ受けずに過ごすってことは、それだけ他の高校生より有利(あるいは不利)だってことだぜ?

他人の事考えてんのかねぇ?

…そして本当に考えるべきは、『高校でなにを学んだの?』って事。

高校だって教養を高める場、自分の可能性を探す場でもあるわけで、『学んでむだ』なんてものはないんですけどね。

この高校生たち(少なくともテレビで質問を受けコメントしていた子たち)は、高校で学ぶって事を勘違いしちゃったんでしょうね。

その辺の原因は親にもありそうだと思ったんですが、同じくコメントしていた親が『子どもがかわいそう』とか言ってるんですよ。

…なら一度くらい習得単位と履修単位と卒業必須単位くらい見てやれって。
三十分かからないでわかるから。

そしてそんなことをかわいそうと思うなら、『受験の事しか考えられない我が子の貧弱さ』を哀れんでやってくれ。


…ついでに言う。
新しい総理よ、規範意識を取り戻すなら、まずこの辺の親子の意識を正常に正すため、『受験制度改革』から取り組んでくれ。

ニュースの報道も、親も子も、学校の連中すらも、『学校はこんなに腐敗しているんです』って宣伝するように、学校の責任ばかり取り上げていた事が、最近の教育に対する嵐とあいまって、本当に怖い…。
(そんな中、報道ステーションで尾木直樹が他には触れず、受験制度を批判していた事が微かな救いで、やっぱりさすがだと思った…。)

青森県って…

2006年10月20日 22時35分19秒 | 過去~徒然から~
東京と違う。

…いや、当たり前なんですが。

今日、七時ごろに、千円の床屋さん(美容院?)に行ってきたんですよ。
東京とか大阪にもチェーンがあるお店。

んで、東京で生活していた時も、仕事の関係上よく閉店間際に行っていたんです。
すると、たいてい混みっぱなし。
だから、「こりゃ閉店だな」と思って、入らないこともしばしば。

んで、今日行った青森の床屋は…。

“すっからかん”でした。
やっぱり普通の青森県民は、夜が早いのね…。
子どもと早く会って過ごしていられるって言うのは、幸せですよね。

…まあ、私の職種にゃ関係ない話ですが…。


ひざびさの更新ですが、やっぱり忙しいので、この程度しかかけない…。(涙)


…あ、今、気がついた。

結構ブラインドタッチができてる。
しかも、こっちの方が、キーボード見て打つより楽かも知れない…。

普段仕事でキーボード打ってる甲斐があったかな…。
(ちなみに「ー」とか、「数字」とか、「句読点」と「お」が今のところの弱点みたいです…。)

北朝鮮の大馬鹿野郎

2006年10月04日 00時12分12秒 | 過去~徒然から~
とにかくこればかりは言わないわけにいかない。

北朝鮮が核実験をやるといいはったらしい。

まだ期日を区切ってないのが救いだが、確実に世界の平和は遠のいた。
おそらく今の首相になりそこねたやつ辺りがなにか言い出す事だろう。そしてその飼い主も、自分を省みず何ごとか言うはずだ。

いい加減、唯一の被爆国である日本の面目躍如といきたいのに、そんなことはこれっぽっちも考えちゃいない政治屋が強弁を語るのだろう。

…忙しいと元気も力もでない。


…ただ、いまは。

新しく生まれた命が、その命を健やかにすごせるよう、あらゆる火種を平和的な手段で解決するためにできる限りの事をするという誓いを新たにするばかりである…。