小さな旅を愉しむための情報PLUS

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諏訪大社下社春宮 社殿(神楽殿 筒粥殿 など)🙂😐😐主祭神「八坂刀賣神」に「八重事代主神」が合祀される神社

2020-08-30 15:00:00 | 神社仏閣

「諏訪大社下社秋宮(すわたいしゃ しもしゃ あきみや)」から徒歩約20分、西に「砥川(とがわ)」が流れる「下諏訪町大門」で、「下社」最初の遷座地とされる地に鎮まるのが「諏訪大社下社春宮(すわたいしゃ しもしゃ はるみや)」だ
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社殿は、地元宮大工の大隅流「柴宮/伊藤長左衛門矩重(のりしげ)」(1747/延享4年~1800/寛政12年)が「春宮」を、立川流初代「立川和四郎(たてかわわしろう)富棟(とみむね)」(1744/延享元年~1807/文化4年)が「秋宮」を、同じ図面で請け負って、技を競ったといわれる。
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「杉の木」を御神木とする「春宮」の主祭神は、神話「国譲り」で「建御雷神(たけみかづちのかみ)/建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)」に敗れて、「州羽の海」に逃げたとされる「大国主神(おおくにぬしのかみ)」次子「建御名方神(たけみなかたのかみ)」の妃神「八坂刀賣神(やさかとめのかみ)」だが、「大国主神」長子で出雲系の神でありながら、娘が「神武天皇」皇后となって大和朝廷との縁が深い神「八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)」が合祀されている。
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その「下社」の祭神は、2月から7月まで「春宮」に鎮まり、8月1日の「御舟祭(おふねまつり)」で「秋宮」に遷座して、翌年2月1日「遷座祭」で再び「春宮」に帰座するという半年ごとに遷座する神
 ❖ 大鳥居  御影石の大鳥居(高さ8.2m 柱回り2.1m)は、近隣「万治の石仏(まんじのせきぶつ)」の言い伝えをもとに、同じ石工による1659(万治2)年の建立と推定される一方で、1675(延宝3)年に大坂の石工により完成したとの記録もあるという。いづれにしても、約350年の時間がつくり出した気韻を湛える御影石の大鳥居だ。

 ❖ 神楽殿  「諏訪大社下社春宮」入口の御影石「大鳥居」から、先ず目に入る社殿が「神楽殿」だ。その名称のとおり雅楽や舞を奉納するほか、祈願も行う建物で、天和年間(1681~1684)の造営といわれるが、その後修改築が繰り返され、1936(昭和11)年に大改修されて現在に至っているという。同一の図面で建築されたという「秋宮」よりは小ぶりの建物で、施されている彫刻も異なっている。はじめ「出雲大社奉賛会」の指導で作られ、「御柱祭」毎に新しく奉納されているという重量約1トンになる「下社秋宮」の大注連縄と同じ様式の注連縄も、比較するとかなり小さいものになっている。
 ❖ 筒粥殿  「神楽殿」左脇に特殊神事「筒粥神事(つつがゆしんじ)」の行われる「筒粥殿」がある。「筒粥神事」は、各地の神社で祭礼として行われる「粥占(かゆうら/よねうら)」のひとつと言われるが、起源は中国から伝えられたものだという。
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毎年、1月14日夜から15日早朝にかけ、「筒粥殿」において、神職が江戸初期のものという土間中央の囲炉裏を囲んで、米と小豆と葦の筒を入れた大釜を一晩中炊く神事だ。44本の筒の中で43本は農作物43種の豊凶を、残りの1本は世の中を、できた粥の状態で占うという。
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なお、「筒粥神事」はかつて「上社本宮」でも行われていたというが、現在は「筒粥殿」遺構が境内に残るだけだ。
 ❖ 御柱  正式には「式年造営御柱大祭」といい、日本三大奇祭のひとつとされる「御柱祭」は、寅と申の年に樅の大木を「御柱」として伐り出し、氏子が各地区分担して二社四宮(「上社本宮」「上社前宮」「下社秋宮」「下社春宮」)へそれぞれ4本ずつ曳行し、社殿の四隅に建てる「諏訪大社」最大の行事だ。
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起源については諸説あるが、平安時代の桓武天皇の時代(781/天応元年~806/延暦25年)の「御柱祭」の記録が残されているという。縄文時代の日本海が、大陸と列島の文化交流に大きな役割を果たして生まれた山陰から北陸にかけての「日本海文化圏」で、核をなした「出雲」の神々との系譜から、「日本海文化圏」の巨木信仰が、「諏訪大社」に繋がったという説があるという。
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「下社」の「御柱祭」は、3年前から御用材選定が始まり、「八島高原」近くの「東俣」から曳き出す4月10日前後の「山出し」に次いで、5月10日前後に「里曳き」が行われるが、見ごたえは何と言っても「男見るなら 七年に一度 諏訪の木落し」と言われる最大斜度約45度、長さ約100mの急坂「木落し坂」を、男たちが「御柱」に跨ったまま下る圧巻の「木落し」だろう。「平成二十八丙申年」の次回は「令和四壬寅年」の開催になる。
 ❖ 結びの杉  「神楽殿」手前右に、縁結びのパワースポットと言われる「結びの杉」がある。幹の末で二股に分かれているが、根元でひとつになっていることから「結びの杉」と呼ばれるという。

諏訪大社下社春宮 社殿(幣拝殿 東宝殿 西宝殿)🙂😐😐祭神が「春宮」「秋宮」を半年毎に遷座する神社

2020-08-29 16:00:00 | 神社仏閣


「諏訪大社下社秋宮(すわたいしゃ しもしゃ あきみや)」から徒歩約20分、西に「砥川(とがわ)」が流れる「下諏訪町大門」で、「下社」最初の遷座地とされる地に鎮まるのが「諏訪大社下社春宮(すわたいしゃ しもしゃ はるみや)」だ。
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国道20号線信号交差点「春宮大門」から「大鳥居」に至る道路は、かつて「下社春宮」の専用道路であり「流鏑馬(やぶさめ)」の馬場で、「御手洗川」に架かる鎌倉時代の様式による「下馬橋(げばばし)」は、「諏訪大社下社」で最も古い室町時代の建物だという。
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社殿は、地元宮大工の大隅流「柴宮/伊藤長左衛門矩重(のりしげ)」(1747/延享4年~1800/寛政12年)が「春宮」を、立川流初代「立川和四郎(たてかわわしろう)富棟(とみむね)」(1744/延享元年~1807/文化4年)が「秋宮」を、同じ図面で請け負って、技を競ったといわれる。「上社前宮」以外の「諏訪大社」に本殿はなく、原始信仰の姿を伝えるとも言われるが、「春宮」「秋宮」に大きさの違いはあっても、同格の両者は基本的に同じ構造だ。
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「杉の木」を御神木とする「春宮」の主祭神は、神話「国譲り」で「建御雷神(たけみかづちのかみ)/建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)」に敗れて、「州羽の海」に逃げたとされる「大国主神(おおくにぬしのかみ)」次子で、「八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)」弟「建御名方神(たけみなかたのかみ)」の妃神「八坂刀賣神(やさかとめのかみ)」だが、「大国主神」長子で出雲系の神でありながら、娘が「神武天皇」皇后となっている大和朝廷との縁が深い神「八重事代主神」が合祀されている。
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その「下社」の祭神は、2月から7月までは「春宮」に鎮まり、8月1日の「御舟祭(おふねまつり)」で「秋宮」に遷座して、翌年2月1日「遷座祭」で再び「春宮」に帰座するという半年ごとに遷座する神だ。
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「諏訪明神」の「吾に体無し、汝を以て体と為す」なる宣布が、「神体は大祝(おおほうり)」としたというが、「上社」の「諏訪(すわ)氏」は室町期に祭政分離があり、惣領家は「上原城」で政治を、大祝家は「前宮神殿(ごうどの)」で祭祀を掌握したが、後に両者間で起きた争いに乗じて、「下社」大祝「金刺(かなさし)氏」が惣領家に攻め入るも、逆襲されて滅亡したという。以来「金刺氏」に代わって「武居(たけい)氏」から大祝が出ていたが、明治以降は氏族の世襲が廃止され祭祀には関わることがなくなって現在に至っているという。
 ❖ 幣拝殿  祭祀・拝礼を行うための中央の二重楼門づくりの社殿を「幣拝殿」、左右を「片拝殿」という。1578(天正6)年に「下馬橋」とともに造営された記録があるというが、1780(安永9)年に造られた現在の建物は、1983(昭和58)年に国の重要文化財に指定されている
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完成への顛末については、諏訪郡桑原村(現在の諏訪市)生まれの立川流(たてかわりゅう)初代「立川和四郎富棟」が、「下社秋宮」社殿を請け負うことを知り、諏訪郡普門寺村(現在の諏訪市)生まれの大隅(おおすみ)流「柴宮/伊藤長左衛門矩重」は、不足分は自分で建立のための寄付を募る「勧化(かんげ)」するとして、「下社秋宮」と同じ図面により、採算を度外視して請け負ったという。地元を代表する大工の面目をかけた競い合いのなかで、華麗な彫刻の施された社殿が完成したと、今に語り継がれる。
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「幣拝殿(へいはいでん)」と「左右片拝殿」の形式は、「諏訪大社上社本宮」の配置と類似するが、参詣者が神前に奉献する「幣帛(へいはく)」を捧げる社殿「幣殿」と、拝礼を行うための社殿「拝殿」が、一棟の楼門形式になっているのは「下社」独自の形式という。「左右片拝殿」は「片流招屋造(かたながれまねきやづくり)」で、屋根が正面側に長く裏面側は短くなっていて三面は吹き放ちだ。「幣拝殿」正面下から上層に向かって水と空と地の構成で、牡丹・獅子・麒麟・龍・鶴と様々な彫刻が配置される。内側の桁には守護龍、両脇羽目に雌雄鶏、欄干には獅子の彫刻があって、これもまた必見といえる
 ❖ 東宝殿 西宝殿  「諏訪大社下社春宮」「幣拝殿」奥に、並列して「東宝殿」「西宝殿」の2棟がある。「御宝殿」は申寅年6年毎の式年造営で交互に建て替えられるので、それぞれ12年毎に建て替えられていることになるが、御造営は前年11月頃から解体作業を始め、「御柱」里曳き前夜に神霊を移す「還座(せんざ)」の儀を行っているという。ただ、現在は新築ではなく、一部の改築にとどまることが多いという。
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新「御宝殿」に還る神事「宝殿遷座祭」は、かつては深夜に行われたという闇の中の神事だが、現在は20時頃から明かりを消して行われるという。なお、「本殿」をもたない「諏訪大社下社春宮」で、御神木の杉を近接して戴いている「御宝殿」に、参詣者が直接接する機会を得ることはできない。

霞ヶ城(手塚城)跡😐😐😐「平家物語」で語られる手塚別当金刺光盛の居城跡

2020-08-28 03:00:00 | 神社仏閣


「諏訪湖」を見下ろす眺望優れた「ホテル山王閣」(2017/平成29年3月31日営業終了)跡地は、当面ということで「下社秋宮」参詣者用無料駐車場になっているが、平安時代末期の武将で「源義仲」の挙兵に参加し、最後まで義仲に従った四騎のうちの一人「手塚別当金刺光盛(てづか べっとう かなさし みつもり)」(不詳~1184/寿永3年)の居城跡とも伝えられる。
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現地で「城主光盛は、木曽義仲に従い、寿永二年(1183年)義仲の火牛の奇襲戦法で有名な倶利伽羅峠の合戦に源氏方で参戦。つづく加賀篠原の戦では、敗走する平家群の中にあって、ただ一騎ふみとどまって奮戦する武将斉藤別当実盛と一騎打ちに及んだ。 この古式に則った見事な一騎打ちは、武士道の鑑とされ、能『実盛』の題材となって今に伝えられている。」と案内される。
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〈参考「平家物語」木曾最期〉 巴、その中へ駆け入り、御田八郎に押し並べ、むずと取つて引き落とし、我乗つたる鞍の前輪に押し付けてちつとも動かさず、首捻ぢ切つて捨ててんげり。その後物の具脱ぎ捨て、東国の方へ落ちぞ行く。手塚太郎討死す。手塚別当落ちにけり。
 ❖ 諏訪大明神大祝 金刺盛澄像  平安時代後期の武将「金刺盛澄(かなさしもりずみ)」(生没年不詳)は、また「諏訪大社下社」の最高位の神職「大祝(おおほうり)」で、「平家物語」や能・歌舞伎などで武士道の鑑と語られる「手塚光盛」が弟だ。
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自身も平家の家人でもあったことから、「源頼朝(みなもと の よりとも)」(1147/久安3年~1199/建久10年)に捕えられ処刑されようとしたが、城南寺流の流鏑馬の達人で、その優れた技量によって赦免され、後に「源頼朝」側近の御家人となり、護身の役を勤めたり流鏑馬や的始などの儀式で活躍したと伝えられる。

諏訪大社下社秋宮 境内社(摂社 末社)😐😐😐底の抜けた柄杓を奉納しての安産祈願で信仰を集める境内末社の「子安社」など

2020-08-25 20:00:00 | 神社仏閣
「長野県下諏訪町」の旧「中山道」旧「甲州街道」分岐に鎮まり坐す「諏訪大社下社秋宮(すわたいしゃ しもしゃ あきみや)」は、「下社春宮(しもしゃ はるみや)」(諏訪郡下諏訪町)、「上社本宮(かみしゃ ほんみや)」(諏訪市)、「上社前宮(かみしゃ まえみや)」(茅野市)とともに、「建御名方神(たけみなかたのかみ)」とその妃神「八坂刀売神(やさかとめのかみ)」を主祭神とする「諏訪大社」の四箇所の境内地のひとつで、全国で一万社を超えると言われる「諏訪神社」の総本社だ。
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「下社秋宮」の境内社には、本社の祭神に縁故深い神を祀り、本社と末社の中間に位する枝宮「摂社」と、本社に付属し摂社に次ぐ社格を持つ枝宮「末社」が設けられている。


 ❖ 若宮社 皇大神宮社 稲荷社  「右片拝殿」脇に秋宮境内社3社が並ぶが、中央のやや大きい社が摂社「若宮社(わかみやしゃ)」だ。祭神は「建御名方彦神別命(たけみなかたひこがみわけのみこと)」「伊豆早雄命(いづはやをのみこと)」「妻科比賣命(つましなひめのみこと)」「池生神(いけのおのかみ)」「須波若彦神(すわわかひこのかみ)」「片倉辺命(かたくらべのみこと)」「蓼科神(たてしなのかみ)」「八杵命(やきねのみこと)」「内縣神(うちあがたのかみ)」「外縣神(そとあがたのかみ)」「大縣神(おほあがたのかみ)」「意岐萩命(おきはぎのみこと)」「妻岐萩命(つまぎはぎのみこと)」で、「お諏訪さま(建御名方神)」の御子神十三柱を祀り、例祭日が1月1日と毎月1日だという。
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また、向かって右は末社「皇大神宮社(こうたいじんぐうしゃ)」で、「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)」の娘で太陽神・皇祖神として伊勢神宮内宮に祀られている日本神話の最高神「天照大神(あまてらすおほみかみ)」と、「伊弉諾尊」の孫で五穀をつかさどる女神「豊受大神(とようけのおほかみ)」を祀り、例祭日が10月17日だという。
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向かって左は末社「稲荷社(いなりしゃ)」で、日本神話に登場する穀物神「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)/倉稲魂命(うかのみたまのみこと)」宮中の平安を守る神「大宮売神(おおみやのめのかみ)」と、日本神話に登場する国津神「佐田彦神(さたひこのかみ)」を祀り、例祭日は4月9日だという。

 ❖ 鹿島社 子安社 賀茂上下社 など  「秋宮二之御柱」手前に、秋宮境内社の末社4社が並んでいる。向かって左端の独立した社は、祭神が国津神「大国主神(おおくにぬしのかみ)」に国譲りをさせた雷神・剣神・武神「建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)/武甕槌命(たけみかづちのみこと)」末社「鹿島社(かしましゃ)」で、例祭日は9月1日だ。
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その右の末社「子安社(こやすしゃ)」は、祭神が「建御名方神」(諏訪大神)の母神「高志沼河姫命(こしのぬなかわひめのみこと)」で、例祭日は12月22日になる。同社は、妊娠5か月目の戌の日に、水が軽く抜けるようにお産も楽にという願いで、底の抜けた柄杓を安産祈願の柄杓として奉納し、安産と健康な子どもの誕生を祈る社だ。古くから縁結び・安産・子育ての守護神「お子安さま」と親しまれて来たという。もとより「建御名方神(諏訪大神)」は十三柱(言い伝えによっては最大二十三柱)の御子神を儲けたとされ、古くから子授けの信仰がある神社で、「下社秋宮」「上社本宮」において、午前9時から午後4時まで、祈祷を受け付けているという。
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次いで右の末社「賀茂上下社(かもかみしもしゃ)」の祭神は、「上賀茂」が雷を別けるほどの力を持つという賀茂一族の神「賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)」、「下鴨」が「賀茂別雷神」の母神「玉依媛命(たまよりひめのみこと)」と「賀茂別雷神」の外祖父で、神武東征の際に「八咫烏(やたがらす/やたのからす)」へと姿を変えて、その先導をつとめたという「建角身命(たけつぬみのみこと)」で、例祭日は5月15日だ。
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右端の末社「八坂社(やさかしゃ)」の祭神は、出雲神話の祖神「素戔鳴尊(すさのをのみこと)」と、素戔鳴尊の8人の子「八柱御子神(やはしらのみこがみ)」、「八岐大蛇(やまたのおろち)」の生贄になるところを「素戔鳴尊」に助けられその妻となった「奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)」で、例祭日が6月15日だ。
 ❖ 八幡社  「下社秋宮」の鳥居に向かって右手、参詣者用無料駐車場に囲まれた小高い土地に末社「八幡社(はちまんしゃ)」がある。武神「第15代 応神天皇(おうじんてんのう)/諱 誉田別尊(ほむたわけのみこと)」とその母「息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)」および「比賣大神(ひめおおみかみ)」を、「八幡三神」として祀っているという。学問の神として親しまれる「菅原道真」を祭神とする「天満宮(てんまんぐう)」、さらに水の神「高龗神(たかおかみのかみ)」を祀る「貴船社(きふねしゃ)」と「御室社(みむろしゃ)」が、明治期に合祀されたという。
 ❖ 秋宮恵比寿社  「下社秋宮」の鳥居に向かって右手、参詣者用無料駐車場に囲まれた小高い土地に末社「秋宮恵比寿社」がある。祭神は、諏訪大神「建御名方神(たけみなかたのかみ)」の父神「大国主神(おおくにぬしのかみ)」兄神「事代主神(ことしろぬしのかみ)」で、民間では農漁業や商工業の発展に神徳あらたかな福の神「大黒さま」「えびす様」として信仰篤いが、「建御名方神(諏訪大神)」とも縁故深いとして、「大国主神(だいこく様)」を主祭神として祀る「出雲大社」(島根県出雲市)と、「えびす様」の総本社「美保神社」(島根県松江市)から分霊を受け、1948(昭和23)年11月20日に鎮座祭が行われたという。春季例大祭は4月20日、秋季例大祭は11月20日に行われる。

諏訪大社下社秋宮 社殿(神楽殿 獅子と狛犬 神饌所 など)🙂😐😐清水多嘉示「獅子と狛犬の像」を従える神楽殿が際立つ神社

2020-08-23 15:00:00 | 神社仏閣
「長野県下諏訪町」の旧「中山道」と旧「甲州街道」分岐に位置する「諏訪大社(すわたいしゃ)下社(しもしゃ)秋宮(あきみや)」は、「下社(しもしゃ)春宮(はるみや)」(諏訪郡下諏訪町)、「上社(かみしゃ)本宮(ほんみや)」(諏訪市)、「上社(かみしゃ)前宮(まえみや)」(茅野市)とともに、四ヶ所に鎮まり坐す「諏訪大社」のひとつで、全国で一万社を超えると言われる「諏訪神社」の総本社だ。
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「お諏訪さま/諏訪大明神」とも呼ばれる「諏訪大社」は、「国津神(くにつかみ)」の「大国主神(おおくにぬしのかみ)」次子「建御名方神(たけみなかたのかみ)」と、その妃神「八坂刀賣神(やさかとめのかみ)」が主祭神で、「下社」は「八坂刀賣神」を祀り、後に「大国主神」長子「八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)」が配祀されたという。
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ここ「下社秋宮」の祭神は、徒歩約20分にある「下社春宮」との間で半年毎に遷座され、「秋宮」から「春宮」へ遷座する「遷座祭(せんざさい)」は2月1日に、「春宮」から「秋宮」へ遷座する「御舟祭(おふねまつり)」は8月1日に行われる
 ❖ 神楽殿  「幣拝殿(へいはいでん)」前に建つ三方切妻造りの「神楽殿(かぐらでん)」は、宮大工「立川和四郎二代目富昌(たてかわわしろう とみまさ)」(1744/延亨元年~1807/文化4年)によって、1835(天保6)年に上棟され、1983(昭和58)年に国の「重要文化財」指定を受けた社殿だ。
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その両袖に従えた高さ1.7メートルという青銅製「阿像(獅子)」「吽像(狛犬)」と、寅と申の年に行われる「御柱祭」毎に、新しく奉納されるという大注連縄によって、「神楽殿」は存在感をより際立たせていると言えるが、大注連縄は初め「出雲大社奉賛会」の指導で作られたもので、重量約1トンにもなるという。
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「神楽殿」とは、その名前のとおり神前に神楽を奉納するための建物だが、少ない彫刻と用いられた太い材は、規模の大きさと質実で荘重な印象をよんで、瀟洒な印象をよぶ「幣拝殿」と好対照で存在し、互いを引き立て合っている。

 ❖ 阿像(獅子) 吽像(狛犬)  「神楽殿」正面両脇に従う「獅子と狛犬の像」は、諏訪郡原村出身で「日本芸術院会員」「文化功労者」の「清水多嘉示(しみず たかし)氏」(1897/明治30年7月27日~1981/昭和56年5月5日)による1960(昭和35)年制作の作品だという。
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同氏は、近代彫刻の父といわれる「François-Auguste-René Rodin(フランソワ オーギュスト ルネ ロダン)」(1840年11月12日~1917年11月17日)の助手をつとめ、後継者と目されたフランスの彫刻家「Antoine Bourdelle(アントワーヌ ブールデル)」(1861年10月30日~1929年10月1日)に師事し、戦後の具象彫刻をリードした一人といわれている彫刻家で、「諏訪大社下社秋宮」の「獅子と狛犬の像」を、皮相で形式を追うに過ぎない「獅子と狛犬」が多く溢れる中で、生命の躍動感あふれ気迫みなぎる別次元の作品に仕上げ奉献している。
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「空想上の守護獣像」は、神聖な場所を邪気から守る魔除けの役割をもつが、向かって右の角がなく口を開いているのが「阿(あ)像」の「獅子(しし)」、左の角があって(角がないものも多い)口を閉じているのが「吽(うん)像」の「狛犬(こまいぬ)」だ。現在は「獅子と狛犬」という呼称が消えて、両者合わせて魔除けのために置かれる像「拒魔犬(こまいぬ)」から、単に「狛犬」という言い方が定着して来ているが、「狛犬」とはあくまでも空想上の動物で「犬」ではない。
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起源は古代オリエントの「スフィンクス」まで遡るといわれるが、ガンダーラを経由して中国に入り、遣唐使が我国に持ち帰って、対の獅子像が寺院山門の仁王像の影響を受け、平安時代までに「獅子と狛犬」という独自の「阿吽」形式に変わったのではないかと言われている。ちなみに沖縄の「シーサー」は、「獅子」を沖縄語で発音した伝説の獣で、災厄をもたらす悪霊を追い払う魔除けとされている。
 ❖ 神饌所  「神楽殿」右手にある「授与所」左隣の建物が「神饌(しんせん)所」で、神前に供える供物のことで「御饌(みけ)」「御贄(みにえ)」ともいわれる「神饌」を調理し格納する所をいう語だ。
 ❖ さざれ石  本来の意味は「小石」だが、「石灰質角礫岩(せっかいしつかくれきがん)」についても「さざれ石」と呼ばれて、「君が代」に歌われる。炭酸塩鉱物が雨水などに溶け出し、コンクリート状に固まることで、角礫同士が結合した石灰岩角礫の堆積岩だ。
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巌状になった「石灰質角礫岩」は、「北野天満宮」(京都市上京区)など、各地社寺に注連縄飾りなどを施し飾られているが、ここ「下社秋宮」の「さざれ石」もそのひとつだ。
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「君が代」の中では、小さな石が大きな石になり、さらに苔むすという長い歳月の比喩的な表現に使われているが、主な産出地「伊吹山」(岐阜県・滋賀県の県境)の登山口の「さざれ石公園」(岐阜県揖斐川町)には、歌詞由来の岐阜県天然記念物「さざれ石」がある。