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霞ヶ城(手塚城)跡😐😐😐「平家物語」で語られる手塚別当金刺光盛の居城跡

2020-08-28 03:00:00 | 神社仏閣


「諏訪湖」を見下ろす眺望優れた「ホテル山王閣」(2017/平成29年3月31日営業終了)跡地は、当面ということで「下社秋宮」参詣者用無料駐車場になっているが、平安時代末期の武将で「源義仲」の挙兵に参加し、最後まで義仲に従った四騎のうちの一人「手塚別当金刺光盛(てづか べっとう かなさし みつもり)」(不詳~1184/寿永3年)の居城跡とも伝えられる。
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現地で「城主光盛は、木曽義仲に従い、寿永二年(1183年)義仲の火牛の奇襲戦法で有名な倶利伽羅峠の合戦に源氏方で参戦。つづく加賀篠原の戦では、敗走する平家群の中にあって、ただ一騎ふみとどまって奮戦する武将斉藤別当実盛と一騎打ちに及んだ。 この古式に則った見事な一騎打ちは、武士道の鑑とされ、能『実盛』の題材となって今に伝えられている。」と案内される。
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〈参考「平家物語」木曾最期〉 巴、その中へ駆け入り、御田八郎に押し並べ、むずと取つて引き落とし、我乗つたる鞍の前輪に押し付けてちつとも動かさず、首捻ぢ切つて捨ててんげり。その後物の具脱ぎ捨て、東国の方へ落ちぞ行く。手塚太郎討死す。手塚別当落ちにけり。
 ❖ 諏訪大明神大祝 金刺盛澄像  平安時代後期の武将「金刺盛澄(かなさしもりずみ)」(生没年不詳)は、また「諏訪大社下社」の最高位の神職「大祝(おおほうり)」で、「平家物語」や能・歌舞伎などで武士道の鑑と語られる「手塚光盛」が弟だ。
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自身も平家の家人でもあったことから、「源頼朝(みなもと の よりとも)」(1147/久安3年~1199/建久10年)に捕えられ処刑されようとしたが、城南寺流の流鏑馬の達人で、その優れた技量によって赦免され、後に「源頼朝」側近の御家人となり、護身の役を勤めたり流鏑馬や的始などの儀式で活躍したと伝えられる。

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2 コメント

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Unknown (mrsaraie)
2020-09-12 17:51:29
手塚光盛は、漫画家の手塚治虫の祖先ですよね。
石川県の多太神社にその系図の説明版がありましたよ。
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Unknown (yamakiya)
2020-09-13 18:21:27
「手塚別当金刺光盛」は、漫画家「手塚治虫」の9代前の先祖と聞いていますが、白髪の頭を黒く染めて戦いに臨み、「手塚別当金刺光盛」に討ち取られたと伝えられる「斎藤実盛」の兜鎧の大袖などの奉納があって、「多太神社」での案内があるのでしょうか。
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