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諏訪大社上社本宮 社殿(四脚門 勅願殿 など)🙂😐😐土着の「洩矢神」子孫「守矢氏」が「ミシャグジ神」の祭祀を取り仕切った神社

2020-08-17 05:40:00 | 神社仏閣
軍神・農耕神・狩猟神「お諏訪さま/諏訪大明神」として信仰される「諏訪大社」は、全国に一万社を超えるという「諏訪神社」の総本社で、ここ「上社本宮」(諏訪市)の他に「上社前宮」(茅野市)、「下社秋宮」(下諏訪町)、「下社春宮」(下諏訪町)の「諏訪湖」周辺三ヶ所にも境内をもち、「建御名方神(たけみなかたのかみ)」と「八坂刀売神(やさかとめのかみ)」を主祭神とする旧社格「官幣大社」、神社本庁の「別表神社」だ。
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「諏訪大社」の由緒については、「古事記」説話における「国津神」の主宰神「大国主神(おおくにぬしのかみ)」次子「建御名方神」が、「建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)」との「力競べ」に敗れて、「州羽の海(すわのうみ)」に逃れたことに始まるとされる。出雲系稲作民族を率いる「建御名方神」は、「諏訪」進出による土着の狩猟系先住民族との争いに勝利し、子孫「諏訪氏」が「諏訪大明神」「依代(よりしろ)」としての現人神の地位「大祝(おおほうり)」に就いて、諏訪地方に君臨したといわれる。
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土着の「洩矢神(もりやのかみ)」子孫「守矢氏」は、共棲を選択し世襲の「神長官(じんちょうかん)」として仕え、縄文時代から諏訪地方に根付いていた信仰における精霊と言われる「ミシャグジ(御左口神/御社宮司)神」の祭祀を取り仕切ったといわれる。それぞれの世襲は1871(明治4)年の「太政官布告」による神職の世襲制度が廃止されるまで続いたという。
 ❖ 清水多嘉示作 獅子と狛犬の像  神霊が降臨し意志を伝えるために依りつくもの「依代(よりしろ)」とされた神職「大祝(おおほうり)」の参拝路で、「四脚門(よつあしもん)」から「硯石(すずりいし)」に通じる石段の上り口になる「天流水舎(てんりゅうすいしゃ)」左手に、「獅子と狛犬の像」が従っている。
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台座の銘文によれば、「神裔 大祝 諏方頼宣」による建立で、「原村出身 日本芸術院会員 清水多嘉示 作」だという。文化功労者「清水多嘉示(しみずたかし)」(1897/明治30年~1981/昭和56年)は、ロダンの助手をつとめ後継者と目されたフランスの彫刻家「ブールデル(1861年~1929年)」に師事し、戦後の具象彫刻をリードした一人とされている彫刻家だが、同氏による「獅子と狛犬の像」は、「諏訪大社下社秋宮」(諏訪郡下諏訪町)の「神楽殿」正面両脇に、青銅製では日本一の高さと言われ、生命の躍動感あふれて気迫みなぎる別次元の「獅子と狛犬」が建立されている。
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神聖な場所を邪気から守る役割をもつという空想上の守護獣像は、向かって右の角がなく開口するのが「阿(あ)像」の「獅子」、左の角があって(簡略化され角がないものも多い)口を結ぶのが「吽(うん)像」の「狛犬(こまいぬ)」だ。現在は「獅子と狛犬」という呼称が、魔除けのために置かれる像「拒魔犬(こまいぬ)」から、「狛犬」という言い方で定着して来ているという。
 ❖ 四脚門  「布橋」を進むと、「東宝殿」「西宝殿」を両側にして、2本の本柱の前後に2本ずつ4本の柱がある「四脚門(よつあしもん)」がある。1582(天正10)年「織田信長」による兵火で焼失したが、1608(慶長13)年「徳川家康」が勘定奉行「大久保長安」に命じて建立させたという現在の門は、1983(昭和58)年に国の「重要文化財」に指定されている。
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かつては、神霊が降臨し意志を伝えるために依りつくもの「依代(よりしろ)」とされた祭神裔の神職「大祝(おおほうり)」だけが、「脇片拝殿」屋根に見える最上段の「硯石(すずりいし)と呼ばれる「磐座(いわくら)」(神が降臨し宿る場所を称える語)へ登るために使った門だったというが、現在は重要祭事にのみ開かれる門だ。
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なお、「硯石」については、石の凹面が常に水を湛えていることからその名が来ているというが、現地には「明神の天降り給う場所であり神降しをする古代宗教の最高至極の位置」との案内がある。

 ❖ 勅願殿  「参拝所」に向かって手前右に、昭和39年8月「長野県天然記念物」指定を受けた「諏訪大社上社社叢」(面積約11.5ヘクタール)を後ろに控え、御神体「守屋山」に向かって建てられた「勅願殿(ちょくがんでん)」がある。1690(元禄3)年の建立とも、1847(弘化4)年の再建ともいわれるが、2016(平成28)年に国の「重要文化財指定」を受けた社殿だ。
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「勅願」とは「勅命による祈願」「天皇の祈願」が本来の意味だが、ここ「諏訪大社上社本宮」では、古く「祈祷所」と記された祈祷をおこなう場所で、「幣拝殿」が「諏訪大社」の恒例祭典や重要神事を斎いおこなう場所であるのに対し、「勅願殿」は個人私事の祈祷をおこなう場所だという。
 ❖ 文庫  「幣拝殿」に向かって右手の「勅願殿」と「神饌所」の間に、大きさ一間の小さな、そして古色蒼然たる佇まいを見せる建物がある。1778(安永7)年に建築された記録があって、2016(平成28)年に国の「重要文化財指定」を受けているという社殿だ。
 ❖ 神饌所  「拝所」から「幣拝殿」に向かって右手「硯石」手前に、神前に供える供物「神饌(しんせん)/御饌(みけ)/御贄(みにえ)」を調理し格納する所をいう語を名に負う社殿がある。「摂末社遥拝所」の「中十三所」に「御飯殿」があり、江戸初期の史料には「硯石」隣に「御飯殿」が記録されているという。