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藤森照信氏建築作品😐😐😐神長官守矢史料館 高過庵 空飛ぶ泥舟 低過庵

2020-08-09 10:00:00 | 国内旅行
「路上観察学会」で「赤瀬川原平」と交流があり、細川護煕元首相の茶室などを設計した建築史家で建築家の東京大学名誉教授「藤森照信」(1946/昭和21年~ )氏作品は、奇想天外な外観、環境との調和、自然素材を取り入れる手法で、注目されて来た
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「茅野市神長官守矢資料館」(1991年)のほか、茶室の「高過庵(たかすぎあん)」(2004年)、「空飛ぶ泥船(そらとぶどろぶね)」(2010年)、「低過庵(ひくすぎあん)」(2017年)が建つ一帯は、「諏訪郡宮川村」(現在の「茅野市宮川」)に生まれた氏の生家周辺でもあるという。
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3つの「フジモリ茶室」の内部について、通常は非公開となっているが、「ちの旅アクティビティ フジモリ茶室プレミアムガイド」に参加することで、茶室内部に入ることが出来る。4月~11月(雨天中止)に1組2名~8名、料金は1名15,000円(3名以上の場合は1名10,000円)、10日前までの申し込みで催行されるというが、当面の間受付停止になっている。
 ❖ 神長官守矢史料館  「神長官(じんちょうかん)守矢家」敷地内に建ち、「諏訪大社上社」の重要な祭礼で、4月15日に「上社前宮」の「十間廊」で行われる「御頭祭(「酉の祭」とも)」を、ロビーに復元展示する「神長官守矢史料館」は、鎌倉時代から守矢家が伝えてきた県宝155点を含む1618点の古文書「守矢文書」を保管・公開するが、その「守矢家」の由緒については、「古事記」説話「国譲り(くにゆずり)」まで遡るという。
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「大国主神(おおくにぬしのかみ)」次子「建御名方神(たけみなかたのかみ)」が率いる出雲系稲作民族の諏訪への進出は、生じた土着の狩猟系先住民族との抗争を経て、「建御名方神」子孫「諏訪氏」が現人神の地位「大祝(おおほうり)」に就いて君臨したことに「諏訪大社」は始まったと伝えられる。一方、共棲を選択した土着「洩矢神(もりやのかみ/もりやしん)」子孫「守矢氏」は、世襲「神長官(筆頭神官の位)」として「諏訪氏」に仕え、縄文時代から諏訪地方に根付いていた信仰における精霊「ミシャクジ(御左口神/御社宮司)神」を中心とした祭祀を取り仕切って、1871(明治4)年「太政官布告」による神職の世襲制度が廃止されるまで、世襲を続けたといわれる。
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その「神長官守矢史料館」は、第78代当主「守矢早苗」氏が幼馴染という縁で、茅野市が「藤森照信」氏に設計依頼して、同氏は1991(平成3)年に建築家としてデビューすることになったという。同館は、屋根に「鉄平石」、外壁に「椹の割板」、内壁に「藁入りのモルタル」など、自然素材を大胆に使った作品として注目を集めたという。
 ❖ 高過庵  2004(平成16)年、「藤森照信」氏が実家の畑に建てた「高過庵」は、2本の木で支えられた空中茶室で、米誌「TIME」が2010年6月に発表した「世界でもっとも危険な建物トップ10」に、イタリアの「ピサの斜塔」とともにランクインさせた建物だ。
 ❖ 空飛ぶ泥舟  2011(平成23)年に「茅野市美術館」での「藤森照信展」にあわせて設計・製作された舟のような形をした茶室で、展示後に現在地に移設され、中空に吊られて背景となる緑の山肌や青空に映えるみごとな存在感を示している
 ❖ 低過庵  2017(平成29)年7月から8月に8日間をかけて、「縄文アートプロジェクト2017」としてワークショップ形式により制作・公開された「竪穴式茶室」だ。「高過庵」敷地の中の「地面の下の茶室」で、屋根がスライドして開くようになっている。