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南信州の一本桜🙂😐😐比較的温暖な南信州でエドヒガンやシダレザクラなどの開花が始まった

2021-03-27 22:00:00 | 四季

春の遅い信州だが、その南端で比較的温暖な飯田下伊那地域「南信州」から、桜の開花が始まった。
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「南信州」は樹齢300年を超える古桜など「一本桜」の宝庫として知られているが、1617年(元和3)年に、「伊予大洲藩」より「信濃飯田藩」の初代藩主となった「脇坂安元(わきざか やすもと)」(1584/天正12年~1654/承応2年)、後を継いだ「脇坂安政(わきざか やすまさ)」(1633/寛永10年~1694/元禄7年)がともに桜好きで、桜の植樹を勧めたことに始まるという。



 ❖ 安冨桜 
JR飯田線「飯田駅」から徒歩約20分、中央自動車道「飯田IC」から車約15分の「飯田市美術博物館(いいだしびじゅつはくぶつかん)」(長野県飯田市追手町)庭の「安富桜(やすとみざくら)」は、信州飯田藩主「堀親昌(ほり ちかまさ)」(1606/慶長11年~1673/寛文13年)が、下野国烏山藩2万5,000石(現在の栃木県那須烏山市)から、2万石に転封となった1672(寛文12)年に植樹されたと伝えられる。
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家老「安富氏」邸址近くにあったことで「安富桜」と呼ばれる「エドヒガン」は、目通り周(人の目の位置に当たる樹幹の周囲)6.7メートル、樹高約20メートルで、推定樹齢400年という地域では最も古い一本のひとつだが、支柱を必要とせず見事な樹形を見せる「長野県天然記念物」指定の巨木だ。



 ❖ 麻績の里 舞台桜 
JR飯田線「元善光寺駅」から徒歩約10分の「飯田市座光寺」で、1984(昭和59)年まで小学校として使用されて来たという長野県宝「旧座光寺麻績(おみ)学校校舎」(県内最大の歌舞伎舞台を併設した1874/明治7年竣工の県内最古の木造校舎)校庭に咲き誇る「シダレザクラ」は半八重(はんやえ)で、2005(平成17)年「ハンヤエシダレベニヒガンザクラ (半八重枝垂れ紅彼岸桜)」として新品種に判定されたという。
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植えられた年代については諸説あるというが、目通り周約4メートル、樹高約12メートルで、推定樹齢約350年の古木は、花弁の枚数が年により変動があるものの、「5弁花」約15% 「6弁花」約30% 「7弁花」約25% 「8花弁」約20% 「9弁花」約10% 「10弁花」1%未満 という花ごとに花弁の数が違う珍しい桜だという。2011(平成23)年には「飯田市天然記念物」に指定されている。


 ❖ 麻績の里 石塚桜 
「麻績の里 舞台桜」近隣で飯田市内や「塩見岳」など南アルプスへの眺望が開ける中、6世紀後半の築造と推定される横穴式石室を持つ直径約22メートルの円墳「石塚(いしづか)一号古墳」があるが、その上に立つ樹高約15メートル、推定樹齢250年の「シダレザクラ」は、ピンク系の「舞台桜」に対してホワイト系で咲き誇る桜だ。


 ❖ 愛宕稲荷神社 清秀桜 
JR飯田線「飯田駅」から徒歩約15分、中央自動車道「飯田IC」から車約10分の「愛宕稲荷神社(あたごいなりじんじゃ)」(飯田市愛宕町)は、文治年間(1185年~1190年)に飯坂城主「坂西由政(ばんざい よしまさ)」が、崇敬する伏見稲荷大神を勧請し奉祀して「由政稲荷」と称えられたのを始まりとするという。
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1911(明治44)年に愛宕社を合祀し、「保食命(うけもちのみこと)」「大宮能賣命(おおみやのめのみこと)」「猿田彦命(さるたひこのみこと)」「火産霊命(ほむすひのみこと)」を祭神とする神社だが、桜の名所としても知られている
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中でも御神木で、仁治年間(1240年~1242年)に「清秀法印(せいしゅうほういん)」が手植えしたものと伝えられる「清秀桜(せいしゅうざくら)」は、「飯田市天然記念物」に指定されている「エドヒガン」だ。落雷によって幹が割れ、中心からの木質部は腐食して、わずかに残った内皮で命脈を繋いでいるという。枯死した部分は除去されているというが、目通り周約6メートル、樹高約8メートル推定樹齢約750年で、市内最古の桜と言われている。

 ❖ 愛宕稲荷神社 千代蔵桜 
「千代蔵桜(ちよぞうざくら)」は、飯田藩家老「安富氏」が「愛宕稲荷神社」に奉納した「安富桜」の子桜とも伝えられる「エドヒガン」で、知久町「黒田屋千代蔵」によって、「飯田城/長姫城」を臨む境内の東方に植樹されたと由来が伝えられる。目通り周約4.3メートル、樹高約16メートル、推定樹齢約200年の桜だ。

旧馬島家住宅😐😐😐江戸時代中期から昭和に至る「ひな人形」を公開する住宅遺構

2021-03-25 15:00:00 | 史跡
「月遅れ」で行われるご当地の「ひな祭り」にあわせて、伊那市高遠町「旧馬島家住宅(県宝 高遠藩藩医馬島(まじま)家旧住宅)」座敷で、「ひな人形展」が開かれている。
 ❖ 旧馬島家住宅 
馬島家は、はじめ「松本藩水野家」に仕える眼科医だったが、水野家の改易にともなう浪人を経て、1727(享保12)年から5代にわたり眼科医として「高遠藩内藤家」に抱えられ、廃藩後も3代にわたってこの地で眼科医を継いでいたという。
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江戸時代の武士の住宅らしさを感じさせる簡素な外観の屋敷は、1836(天保7)年前後に建てられたとするが、玄関は診療室として使われていたという。藩医の住宅遺構として貴重で、2003(平成15)年に長野県宝として指定を受けている。
 ❖ ひな人形展 
八代将軍「徳川吉宗」の時代「享保年間」(1716~1736)に京都で生まれ各地に広まったという「享保雛(きょうほうびな)」、安永年間(1772~1781)に江戸の人形師「原舟月」が創始し、目に玉眼を用いたのが特徴といわれる「古今雛(こきんびな)」、小さな御所風の御殿「屋形」をしつらえ飾った「屋形雛(やかたびな)」、平安時代から始まった決め事「有職故実(ゆうそくこじつ)」に基づいて公家の装束を忠実に模して作られたという「有職雛(ゆうそくびな)」、高価な雛人形を購入できない一般家庭で、近所の人たちが小さな人形をつくり持ち寄って始めたという庶民の「つるし雛(つるしびな)」などが展示されている。




宝積山 無動院 光前寺🙂😐😐春の鼓動がようやく始まった信州の山寺

2021-03-21 16:31:01 | 神社仏閣


春遅く、未だ梅の開花のない信州の山寺「宝積山(ほうしゃくざん)無動院 光前寺」に、ようやく春の鼓動が始まった。

森々として聳立する杉の古木に囲まれ、高遠石工「守屋貞治(1765/明和2年~1832/天保3年)」が文化年間(1804~1818)に制作したという坐高1.38mの親地蔵と、その周辺に並ぶ三十余体の子地蔵、そして積み上げられた小石によって、現世のなお果てぬパトスが治まる空間となって存在する「賽の河原」にも、まもなく春がやってくる。