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諏訪大社上社本宮 社殿(御柱 入口御門 など)🙂😐😐社殿の多くが「国重要文化財」の指定を受けている神社

2020-08-15 12:00:00 | 神社仏閣
軍神・農耕神・狩猟神「お諏訪さま/諏訪大明神」として信仰される「諏訪大社」は、全国に一万社を超えるという「諏訪神社」の総本社で、ここ「上社本宮」(諏訪市)の他に「上社前宮」(茅野市)、「下社秋宮」(下諏訪町)、「下社春宮」(下諏訪町)の「諏訪湖」周辺三ヶ所にも境内をもち、「建御名方神(たけみなかたのかみ)」と「八坂刀売神(やさかとめのかみ)」を主祭神とする旧社格「官幣大社」、神社本庁の「別表神社」だ。
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「諏訪大社」の由緒については、「古事記」説話における「国津神」の主宰神「大国主神(おおくにぬしのかみ)」次子「建御名方神」が、「建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)」との「力競べ」に敗れて、「州羽の海(すわのうみ)」に逃れたことに始まるとされる。
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出雲系稲作民族を率いる「建御名方神」は、「諏訪」進出による土着の狩猟系先住民族との争いに勝利し、子孫「諏訪氏」が「諏訪大明神」「依代(よりしろ)」の現人神の地位「大祝(おおほうり)」に就いて、諏訪地方に君臨したといわれる。
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土着の「洩矢神(もりやのかみ)」子孫「守矢氏」は、共棲を選択し世襲の「神長官(じんちょうかん)」として仕え、縄文時代から諏訪地方に根付いていた信仰における精霊と言われる「ミシャグジ(御左口神/御社宮司)神」の祭祀を取り仕切ったといわれる。それぞれの世襲は1871(明治4)年の「太政官布告」による神職の世襲制度が廃止されるまで続いたという。
 ❖ 御柱  正式には「式年造営御柱大祭」といい、日本三大奇祭のひとつとされる「御柱祭」は、寅と申の年に樅の大木を、「御柱」として伐り出し、氏子が各地区で分担して、「上社本宮」「上社前宮」「下社秋宮」「下社春宮」の四ヶ所へそれぞれ4本ずつ曳航し、社殿の四隅に建てる「諏訪大社」の最大行事だ。
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起源については諸説あるが、平安初期「桓武天皇」の時代(781/天応元年~806/延暦25年)の「御柱祭」の記録が残されているという。縄文時代の日本海が、大陸と列島の文化交流に大きな役割を果たし、生まれた山陰から北陸にかけての「日本海文化圏」で、核をなした「出雲」の神々との系譜から、「日本海文化圏」の巨木信仰が、「諏訪大社」に繋がったという説もあるという。
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実際の「御柱祭」にあたって、「下社」の担当御柱の地区割りは、取り決めで固定されていて毎回同じだが、「上社」は担当御柱の地区割りを、「抽籤」で決定するので、一番大きな「本宮一之御柱」担当の光栄を目指して、悲喜交交「哀歓劇」が毎回生まれているという。
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「上社」の「御柱」の前後には、V字形の梃子棒「針孔挺子(めどてこ)」がつき、これに氏子が乗り「御幣(おんべ)」を振りながら指揮を執るが、氏子が一体となり「御柱」を曳行する様子を見るのはまさに壮観だ。
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なお、七年に一度建て替えられる「御柱」4本にすべて触れることができるのは、「諏訪大社」の中で「上社前宮」だけになる。「平成二十八丙申年」の次回は「令和四壬寅年」の開催になる。
 ❖ 入口御門  上社宮大工棟梁「原五左衛門親貞」と弟子「藤森廣八」が、1829(文政12)年に上棟した「入口御門」は、2016(平成28)年に国の「重要文化財指定」を受けた建造物だ。近年は駐車場が整備され土産物店が連なる「北参道」を使う参詣者が増えているが、「上社前宮」方面からの「東参道」が本来の参詣順路という案内がある。
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その順路は、「東参道」の鳥居に続いて「入口御門」があり、その先の庇のある廊下「布橋」が、系列39社が鎮まり坐す「摂末社遙拝所」などを左手に、「神楽殿」などを右手に見ながら「塀重門」まで続く。境内にひろがる社殿の一つひとつを拝観できる「東参道」から「拝所」まで進む順路での参詣をしたい。
 ❖ 布橋  「東参道」は、1812(文化9)年に建築され、2016(平成28)年に国の「重要文化財指定」を受けた「布橋」が、「入口御門」から続く。桁行37間の切妻造り板敷の通路「布橋」は、かつて「千度大内」と呼ばれ、千度参りをする道であったことが古資料に残されているというが、現在は神宝と神輿の遷座にあたって、新旧の「東宝殿」「西宝殿」間に白布「布単(ふたん)/毯代(たんだい)」が敷かれるという通路だ。
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参詣者は「入口御門」からこの「布橋」を進むことで、左手に「額堂(絵馬堂)」「遥拝所」「大國主社」「東宝殿」「四脚門」「硯石」「西宝殿」「塀重門」を、右手に「勅使殿」「五間廊」「神楽殿」「天流水舎」「本宮一之御柱」を拝観しながら「拝所」へと至ることができる。ぜひ体験したい参拝順路だ。
 ❖ 額堂  「入口御門」を抜けると、左手に1896(明治29)年の建築で、2016(平成28)年に国の「重要文化財附指定」を受けた「額堂(がくどう)/絵馬堂」がある。
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かつては願い事にあたって、神が乗るための馬・木馬を奉納したというが、時代とともに馬の絵を描いた額を、後には馬以外の画題も扱った額を奉納するようになり、その明治期に奉納された絵馬や額を中心に納めているという古色の濃い建造物だ。