小さな旅を愉しむための情報PLUS

生活圏での小さな旅を愉しむために、暮らしの歴史に目を向けた情報発信を目指します。

霧ヶ峰湿原植物群落(七島八島)🙂😐😐心地よい風の渡る夏がはじまっている

2022-07-17 18:00:00 | 国内旅行

史上最短での「梅雨明け」で、夏の水不足は心配されるが、ここ標高約1600mの高層湿原では、「シシウド/猪独活」「ヤナギラン/柳蘭」が開花しはじめるなど、夏の「八島湿原」がはじまっている。


 ❖ 八島湿原 
「八島湿原」(諏訪郡下諏訪町東俣)は、標高約1,600メートルに位置する高層湿原で、国内高層湿原の南限にあたる。
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約12,000年前に誕生したという同湿原は、1939(昭和14)年に国の「天然記念物」に指定されているが、面積は約3,000ヘクタールで、寒冷地のため植物の腐敗と分解がしにくく、約8メートルの厚さとなった泥炭層が堆積しているという。
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周辺の森林化や降雨量減少による乾燥化、水生植物繁茂や土砂の流入などによって、湖沼は面積の後退が続いているが、一帯は繊細な花を咲かせる湿原植物や亜高山植物、過酷な環境の中でいのちを繋ぐ昆虫などに接することが出来る癒しの環境が広がっている。
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周辺からは「富士山」「八ヶ岳」「中央アルプス」「南アルプス」などへの眺望が開けている。
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高原中央部の「御射山遺跡(みさやまいせき)」は、鎌倉幕府が全国の武将を「諏訪大社下社」の「御射山祭」に参加させて祭事を執行し、一帯で武芸を競わせたりした場所で、階段状の地形は桟敷だったと考えられるという。


 ❖ 霧ヶ峰   再掲(写真は更新)
「八ヶ岳中信高原国定公園」に指定されている火山で、主峰「車山」から噴出したという溶岩により広がった大規模な高原をいう。火山活動は「八ヶ岳連峰」とほぼ同時期の約140万年前からで、現在のような地形になったのは約30万年前と言われている。
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「亜高山帯針葉樹林」境界付近の存在で、例年5月下旬「コバイケイソウ/小梅蕙草」、6月中旬「レンゲツツジ/蓮華躑躅」、7月中旬「ニッコウキスゲ/日光黄菅」(ゼンテイカ/禅庭花)、8月には「マツムシソウ/松虫草」などが見ごろを迎える。


 ❖ シシウド/猪独活 
本州や九州などの高地の草原に生えるセリ科の多年草で、茎は高さ1~2メートルになる。根は「ドッカツ/独活」と呼ばれ、掘り起こした根を洗浄し陰干して、頭痛薬や薬酒として用いるが、「シシウド属」は、古くからヨーロッパを中心に薬用・食用のハーブとして用いられているという。

 ❖ コバイケイソウ/小梅蕙草 
本州中部地方以北から北海道の亜高山帯の湿地などに分布し、ユリ科シュロソウ属に属する多年草で、高さは1mほどになる。和名は、花が「ウメ/梅」葉が「ケイラン/恵蘭」に似ていることに由来するという。
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アルカロイド系の有毒成分を持ち、誤食すると嘔吐や痙攣を起こし、血管拡張・血圧降下から重篤な場合死に至るという。

 ❖ ヤナギラン/柳蘭 
本州中部以北の亜高山帯などの草地や礫地に広く分布し、7~9月に4弁の赤桃色の花を開花する多年草で、田中澄江は著書「花の百名山」で霧ヶ峰を代表する花のひとつとしている。和名は葉が「ヤナギ/柳」に似ていて、花を「ラン/蘭」にたとえたことに由来するというが、海外種も含めて山野草として、流通している。

 ❖ ノアザミ/野薊 
本州から九州の山野や河川敷などの日当たりのよいところに自生するキク科アザミ属の多年草で、5~8月に赤紫色や淡紅色などの花を咲かせる。若い茎は山菜として食用になり、油炒めや煮物に調理して食べられるという。

 ❖ ノリウツギ/糊空木 
北海道から九州の山野に自生する樹高2~3メートルのアジサイ科の落葉広葉樹で、和紙を漉く際の糊に樹液を利用したことからこの和名がついたという。7~8月に開花するが、多くの人が花と思う白または淡紅色の花弁4枚は装飾花の萼片で、枝先に白色の小さな両性花が円錐状に多数つく。
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「ノリウツギ/糊空木」の園芸種として流通する「ミナヅキ/水無月」「ライムライト/ピラミッド紫陽花 」はほとんどの部分が装飾花で、原種の「ノリウツギ」が「ガクアジサイ/額紫陽花」に似て素朴な雰囲気であるのに対して、園芸種の「ノリウツギ」は華やかに見える。

霧ヶ峰高原車山肩🙂😐😐例年より約一週間早く見ごろになったニッコウキスゲが斜面の群生地を彩っている

2022-07-13 22:00:00 | 国内旅行

「霧ヶ峰高原」(諏訪市)の斜面に広がる群生地で、例年より約一週間早いというが、「ニッコウキスゲ/日光黄菅」(ゼンテイカ/禅庭花)が見ごろになっている。地元ボランティアが外来植物を駆除したり、電気防護柵を張って「ニホンジカ」の食害から守り、群生地を復活させたという。かつて自分が、黄昏の中で風に揺れる群生に感動したその風景が甦っている。


 ❖ ニッコウキスゲ 
一般には「ニッコウキスゲ/日光黄菅」の名前で呼ばれるキスゲ亜科の多年草「ゼンテイカ/禅庭花」は、本州中部以北の山地などの湿潤な草原に群生することが多く、霧ヶ峰や尾瀬ヶ原などの群落が知られているが、園芸植物としても植栽されている。
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5月上旬から8月上旬に、ラッパ状で10cmぐらいの山吹色の花を開く。見た目は花弁6枚だが、うち3枚はガクが変化したもので、実際は3枚花弁の一日花だ。


 ❖ 霧ヶ峰   再掲(写真は更新)
「八ヶ岳中信高原国定公園」に指定されている火山で、主峰「車山」から噴出したという溶岩により広がった大規模な高原をいう。火山活動は「八ヶ岳連峰」とほぼ同時期の約140万年前からで、現在のような地形になったのは約30万年前と言われている。
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「亜高山帯針葉樹林」境界付近の存在で、例年5月下旬「コバイケイソウ(小梅蕙草)」、6月中旬「レンゲツツジ(蓮華躑躅)」、7月中旬「ニッコウキスゲ(日光黄菅)」(ゼンテイカ/禅庭花)、8月には「マツムシソウ(松虫草)」などが見ごろを迎える。

旧山本中学校杵原校舎😐😐😐昭和20~30年代の懐かしい姿をとどめるという国の登録有形文化財

2022-04-07 09:00:00 | 国内旅行
杵原学校 正面玄関

杵原学校 昇降口

「長野県飯田市竹佐」にあって、昭和20~30年代の懐かしい姿をとどめるという「旧山本中学校杵原校舎(きゅう やまもとちゅうがっこう きねはらこうしゃ)管理教室棟」は、1949(昭和24)年に建築された木造校舎で、1985(昭和60)年「伊賀良中学校(現 旭ヶ丘中学校)」との統合による閉校後も、地元住民によって整備が続けられてきたという国の登録有形文化財(2005/平成17年12月登録)だ。


2007(平成19)年には、「吉永小百合」「檀れい」「小林稔侍」などをキャストに、「山田洋次」監督による映画「母べぇ」(2008/平成20年1月26日公開)が撮影されたという。その校舎前で、樹齢約80年という「枝垂れ桜」が、今年も見事に咲き誇っている。


みずべ公園(長野県下諏訪町)🙂😐😐約100キロ先にある「富士山」を望む絶景ポイント

2022-02-27 12:00:00 | 国内旅行
葛飾北斎「冨嶽三十六景 」の「信州諏訪湖」
歌川広重「冨二三十六景」の「信州諏訪之湖」

葛飾北斎「冨嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)」の15「信州諏訪湖」や、歌川広重「冨二三十六景(ふじさんじゅうろっけい)」の28「信州諏訪之湖」に描かれ、2021(令和3)年8月21日にはNHK「ブラタモリ」の「諏訪 なぜ人々は諏訪を目指すのか?」で紹介された「諏訪湖」から一直線に伸びる谷の約100キロ先にある「富士山」を眺めようと、下諏訪町の諏訪湖畔「みずべ公園」を訪ねた。


「中央構造線」と「糸魚川-静岡構造線」の交差点「諏訪」の地形がつくり出した奇蹟の眺望だ。「富士山」の真下には、かつて湖水と湿地に囲まれて「諏訪の浮城(すわのうきしろ)」と呼ばれていたという「高島城」が見える。



葛飾北斎「冨嶽三十六景 」の「神奈川沖浪裏」

 ❖ 葛飾北斎「冨嶽三十六景」 
1831~34(天保2~5)年に完結したとされる富士山を題材とする風景版画の連作「冨嶽三十六景」(全46図)は、江戸時代後期の「化政文化(かせいぶんか)」を代表する浮世絵師「葛飾北斎(かつしか ほくさい)」(1760/宝暦10年~1849/嘉永2年)の代表作で、当初「三十六景」の予定だったが、同時期の歌川広重「東海道五十三次」とともに評判好調のために、十点が追加になったという。
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大胆な構図や自由な発想の描写、そして鮮やかな色彩の葛飾北斎の作品は、フランスの印象派に影響を与えたと言われている。
歌川広重「東海道五拾三次」の「箱根」
 ❖ 歌川広重「冨二三十六景」 
「葛飾北斎」の作品に着想を得たとの指摘もあるが、富士山を主題とした浮世絵風景画「冨二三十六景(ふじさんじゅうろっけい)」(全36図)は、代表作に「東海道五拾三次」(全55図)「名所江戸百景」などがあげられる江戸後期の浮世絵師「歌川広重(うたがわ ひろしげ)/安藤重右衛門(あんどう じゅうえもん)」(1797/寛政9年~1858/安政5年)没後の1859(安政6)年に「蔦屋吉蔵(つたや きちぞう)」を版元にして出版が開始されたという。
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歌川広重の作品は大胆な構図などとともに、青色や藍色の美しさで欧米での評価が高く、フランスの印象派や、アール・ヌーヴォーの芸術家らに影響を与えたと言われている。
 ❖ 高島城 
「信濃諏訪藩/高島藩」初代藩主「日根野高吉(ひねの たかよし)」(1539/天文8年~1600/慶長5年)が、1592(文禄元)年から1598(慶長3)年にかけて、現在地の諏訪湖畔「高島村」に築いた連郭式平城で、はじめ諏訪湖に突き出した水城だったという。
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1601(慶長6)年に「日根野氏」は「下野国(しもつけのくに)壬生藩(みぶはん)」へ転封となり、譜代大名「諏訪頼水(すわ よりみず)」(1571/元亀元年~1641/寛永18年)が入封、再び諏訪氏が領主となって明治維新まで続いたという。
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現在、二の丸と三の丸は宅地となり、1970(昭和45)年に「本丸」に「天守」「櫓」などが復元され、高島公園として整備された。
 ❖ 中央構造線 
「諏訪湖」南の「杖突峠」から「赤石山脈」西縁、「紀伊半島」北部、さらに「四国」北部から「九州」西岸へと約 800kmにわたって続く日本一大規模な大断層線で、「中生代」を三分した最後の地質時代で約1億4500万年前から6600万年前までの「白亜紀」中期にその形成が始まり、約258万年前から現在に至る「第四紀」まで、いくつかの異なる時期に異なる断層運動を繰り返して来たとされる。
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これによって西南日本は、日本海側の内帯(北側)と太平洋側の外帯(南側)に分けられるという。
 ❖ 糸魚川-静岡構造線 
「新潟県糸魚川市」付近から「松本盆地」「諏訪盆地」「甲府盆地」を経て「静岡市駿河区」付近に至る大断層線で、「フォッサマグナ」の西縁をなし、本州の中央部を地質構造上「東北日本」と「西南日本」とに二分する。
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これを境に、西南側には約5億4100万年前から約 2億5217万年前までの「古生代」に形成された地層や、約2億5217万年から約6600万年までの「中生代」に形成された地層の「中・古生層」や「変成岩」「花崗岩」類などの「基盤岩」が広く分布し、東北側には約 2303万年前から約 258万年前までの「新生代新第三紀」以降の地層が厚く堆積しているという。

諏訪湖😐😐😐氷結したが待望の四年ぶり「御神渡り」出現はまだまだ

2022-01-17 18:00:00 | 国内旅行


寒気に包まれて「諏訪湖」が氷結した。しかし、待望の四年ぶり「御神渡り」出現はまだまだ…か。
宮坂清「八劔(やつるぎ)神社」宮司の曰く「この冷え込みが、あと4~5日続くと、氷の厚さが10cmくらいになってきます。氷脈が出来てくれるのでは…という期待を、大きく持っています」と。



 ❖ 諏訪湖 
「糸魚川静岡構造線」と「中央構造線」が交差する長野県中央部「諏訪盆地」にある断層湖で、「天竜川」の源流となっているが、「八ヶ岳(やつがたけ)」などの火山地から流入する「上川(かみがわ)」「宮川(みやがわ)」「砥川(とがわ)」などによる土砂の堆積が激しく、埋め立て工事もあって面積は縮小しているという。
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面積約12.8平方キロメートル、周囲約16キロメートル、湖面標高 759メートルで、平均水深約4.7メートル、最大水深部でも 6.3メートルにすぎないが、湖岸には温泉が多く,湖底にも湧出口があるという。
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周辺の岡谷市、下諏訪町、諏訪市には、「諏訪大社」や「高島城」などのほか美術館や博物館が点在するなど観光スポットが数多く存在する。また、毎年8月には打ち上げ数4万発という日本有数の規模をもつ「諏訪湖祭湖上花火大会」が開催されるほか、9月には「全国新作花火競技大会」も開催されている。

 ❖ 御神渡り 
全面氷結した湖や沼の氷が堤状にせり上がる自然現象で、「諏訪湖」のものが知られている。伝説では、「諏訪大社上社」の男神「建御名方神(たけみなかたのかみ)」が「諏訪大社下社」の女神「八坂刀賣神(やさかとめのかみ)」へ会いに通った道とされている。
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「御神渡り」が現れた年の冬には、特殊神事「御渡り神事(みわたりしんじ)」が、「八剱(やつるぎ)神社」の神官により行われる。これは「御渡り」を拝観して、氷への亀裂の入り方などを「御渡帳(みわたりちょう)」などと照らし、その年の気候農作物の作柄、世の中の吉凶などを占いまとめた「御渡注進状」を、「諏訪大社上社」の神前に捧げるという神事だ。その年の天候によって「御神渡り」の観測されないこともあるが、「明けの海(あけのうみ)」と呼び、「注進式」は行われる。
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平安時代末期の歌人「西行(さいぎょう)」(1190/建久元年~1118/元永元年)の私家集「山家集(さんかしゅう)」(成立年未詳 3巻 1569首)に「春を待つ諏訪のわたりもあるものをいつを限にすべきつららぞ」とあることから、古く平安時代末期には呼称があったと考えられているという。
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「御神渡り」の記録は、1443(嘉吉3)年から1681(延宝9/天和元)年の「当社神幸記(とうしゃしんこうき)」、1682(天和2)年からの「御渡帳(みわたりちょう)」があり、現在まで毎年記録され続けているという。

 ❖ 八劔神社 
全国に鎮座する「八劔(やつるぎ/はっけん)神社」だが、ここ「諏訪市小和田」の「八劔神社」は、JR中央本線「上諏訪駅」から徒歩約12分、中央自動車道「諏訪インターチェンジ」から車約10分にある旧社格「県社」で、「諏訪大社上社」の「摂社(せっしゃ)」(本社の祭神と縁故深い神を祀る本社と末社の中間に位する神社)だ。社は始め当時の「高島の里」で現在の「高島城址」の場所にあったというが、築城にあたって1590(天正18)年に現在地へ遷座したという。
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「諏訪大社」祭神「建御名方神(たけみなかたのかみ)」の父神「大国主神(おおくにぬしのかみ)」の異称「八千矛神(やちほこのかみ)」を主祭神に、第12代「景行天皇」の皇子で記紀伝説上の英雄「日本武尊(やまとたけるのみこと)」と、第15代「応神天皇」の諱である「誉田別尊(ほむたわけのみこと)」を祀っている
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初代高島藩主「諏訪頼水(すわよりみず)」(1571/元亀元年~1641/寛永18年)が城の鎮護神社として以来、歴代藩主が生まれた土地の守り神「産土神(うぶすながみ)」として、崇敬の念を寄せて来たという。
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現在は「小和田地区」の氏神として信仰を集めるというが、同神社が守り伝えて来た1682(天和2)年以降の「御渡り」拝観を記録した「御渡り帳」は、現在も書き継がれているという。