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井上井月句碑 駒ヶ根市内(蔵沢寺 光前寺 桃源院 長春寺)😐😐😐井月を追悼する寺院の句碑

2020-10-17 22:00:00 | 文学 美術 音楽
「井上井月(いのうえ せいげつ)」は、「柳の家井月」「北越漁人」などとも号し、近世の俳諧沈滞期「月並俳句の時代」にあって、芭蕉の再評価を目指した俳人だ。
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1822(文政5)年に「越後長岡藩」で生まれたとされるが、生い立ちや俳人になった経緯は知られていない。「北越」から「江戸」へ、「東海道」で「京」から「大坂」、そして「須磨」に至り、引き返して「伊賀」を経て、「美濃」から「北信濃」を行脚し、1858(安政5)年、忽然と「伊那谷」に姿を現したと言われる。
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同地では放浪の生活を続け、酒を好み漂泊を主題に俳句を詠んでいたという。いたるところで、昼寝もすれば野宿もする浮浪の生活で、俳諧趣味人の家や旧家から、酒食のもてなしを受けて日を暮したが、晩年には乞食の風体極まり、その風体から女性や子どもたちには、「乞食井月」と忌み嫌われていたと伝えられる。
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趣味人の男性たちの中には、師事する者もいたといい、影響を受けた後の時代の文人に「芥川龍之介(あくたがわ りゅうのすけ)」(1892/明治25年~1927/昭和2年)「種田山頭火(たねだ さんとうか)」(1882/明治15年~1940/昭和15年)「つげ義春(つげ よしはる)」(1937/昭和12年~ )などの名前もあがる。
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1884(明治17)年、井月の健康不安を心配する「塩原折治(梅関)」の配慮により、「上伊那郡美篶村末広太田窪」(現在の「長野県伊那市」)の「塩原家」厄介人として付籍し、「塩原清助」を名乗った井月だが、1886(明治19)年12月に路傍で行き倒れているところを発見され、塩原家で看病を受けるも、1887(明治20)年2月16日に66歳で没したという。「伊那谷」で句や書の理解者を得て、同地の土になった俳人だ。

 ❖ 蔵沢寺  「国道153号伊南バイパス」信号交差点「古田切」から車約10分、「駒ヶ根市中沢中割」の「広善山 蔵澤寺(こうぜんざん ぞうたくじ)」は、1394(応永元)年、高見城(駒ヶ根市中沢中割)主の「倉沢但馬守重清」により開基され、はじめ「香華院」と呼ばれたが、1489(延徳元)年に「蔵沢寺」と改称された本尊「廬舎那仏」の曹洞宗寺院だ。
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武田氏により寺門衰頽に追い込まれたが、1599(慶長4)年に「白鳥山 金龍寺(きんりゅうじ)」(愛知県北設楽郡)5世「来円宋擦大和尚」によって再興されたという。1797(寛政9)年建立の「三門」は、表が入り口の反対側という裏向きの建て方になっている。庶民の菩提寺は武家の菩提寺と同じ格式の「三門」を持つことを許されなかったという当時の建築で、心はあくまでも服従せず「鐘楼堂」と称して、「三門」を建てたと伝えられる。
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境内に樹齢300年を超えるという枝垂桜を持つ同寺の境内に、句碑「駒ヶ根に日和定めて稲の花 井月」(こまがねにひよりさだめていねのはな)が、1987(昭和62)年5月に建立された。

 ❖ 桃源院  「国道153号伊南バイパス」信号交差点「古田切」から車約10分、「広善山 蔵澤寺」とは車約5分の「駒ヶ根市中沢本曾倉」にある「白華山桃源院」は、「池康山 泉龍院」(下伊那郡豊丘村)を本山とする本尊「観世音菩薩」の曹洞宗の寺院だ。
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「白華山大通寺」開創の武田信玄の姉が、「桃源院」壇越(だんおつ/開基)となって、1552(天文21)年「久岩存昌大和尚」により開山、その後の武田氏没落による衰頽で両寺は慶長年間(1596~1615)に統合、「白華山桃源院」として現在地に建立されたという。
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境内は里山の中腹で、同寺関係者の生活の営みを感じさせながら佇むが、桜の花が訪れる時期は一層情趣深い。その同寺境内に、句碑「暇乞立ちそこね帰り後れて行乙鳥 柳の家」(いとまごいたちそこねかえりおくれていくつばめ)が、1988(昭和63)年11月に建立された。

 ❖ 光前寺  中央自動車道「駒ヶ根インターチェンジ 」から右折して1.3Km、車約2分の中央アルプス山麓にひろがる本尊「不動明王」の「宝積山 光前寺(ほうしゃくざん こうぜんじ)」(院号「無動院」)は、大伴氏没落と藤原氏の摂関政治確立へとつながった事件で、四大絵巻物と称される国宝「伴大納言絵詞」の題材となった866(貞観8)年「応天門の変」と同時代の860(貞観2)年に、比叡山延暦寺末として開基された天台宗の寺院だ。
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これは、905(延喜5)年奏上の「古今和歌集」や935(承平5)年ごろの成立と考えられている「土佐日記」、あるいは10世紀半ばまでの成立と考えられている「竹取物語」などから遡ること半世紀から1世紀前のことだ。
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遠州府中(現在の静岡県磐田市)における怪物退治を語り継ぐ「早太郎伝説」の古刹でもある同寺に、句碑「降るとまで人には見せて花曇 井月」(ふるとまでひとにはみせてはなぐもり)が、「宝積山光前寺」鐘楼の左手奥に1988(昭和63)年4月に建立された。

 ❖ 長春寺  「国道153号伊南バイパス」信号交差点「琴平町」から車約5分、「駒ヶ根市下平」の「東光山 長春寺(ちょうしゅんじ)」は、本山「比叡山 延暦寺」(京都府)で、本尊「阿弥陀如来」の天台宗の寺院だ。
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鎌倉時代中期に、当時の「赤須城(東光城)」城主「赤須孫三郎為成」が比叡山「横川正覚院学頭俊淵(しゅんえん)僧都」に帰依して開山し、「赤須氏」祖先の名前から寺名にしたとされる。
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1582(天正10)年、織田の兵火で城とともに焼失し、1593(文禄2)年に現在地で再建されたというが、その記念樹として植えられたと伝わる樹齢400年を超える「高野槙」は、幹回り約4m高さ約25m で、2001(平成13)年に市の景観保存樹に指定された見事な姿を見せている。同寺では享保年間(1716~1736)建立の「三門」が最古の建物だが、2012(平成24)年11月に改築工事が完成した。
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住職不在の数十年を経て現在に至っているというが、地方の鄙なる情趣を感じさせる寺院の「三門」脇に、句碑「ほととぎす旅なれ衣脱日かな 井月」(ほととぎすたびなれころもぬぐひかな)が、2006(平成18)年9月に建立された。

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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2024-07-02 00:16:59
文化歴史
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