山口建設

社長の独り言

ふるさとの思い出ーーー4

2010年03月20日 18時55分31秒 | 日記
北国の子供達の冬。
遊びはスキ、スケート、鎌倉など限られてます。
ついつい、家の中に入ると、怖い父の一声、「子供は、外で遊んで来い」
家の中のストーブのそばに猫のようにまーるくなってる姿を父に見られたら、大きな声が
家の中に響きます。
当時はもちろんTV、ラジオも有りませんでした。家の中の暖かい場所はたった一箇所。
それが石炭ストーブです。
ストーブの口から燃え盛る石炭が真紅色に変身する様子を黙って眺めてるだけで幸せな
気持ちになりました。
本当に真っ黒な石炭が真っ赤に燃えるなんて子供心にも感心しました。

当時は、子供は外で遊ぶことが当たり前でした。
学校から帰えると、かばんを投げ捨て、友達のまつ公園へと急いでいきました。
当然 近所のグループです。そこには、がき大将が仲間を集め、子分の面倒を
親身になって見てくれました。
そんな、グループがあちこちに自然発生致します。そうすれば縄張り意識での
ケンカが起こりました。自分の面倒見ている子分がいじめれれたら大将が体を張って
仕返しに行きます。
まさに親に代わって自分達を守ってくれました。
そこから、大人のルール、知恵などを教わりましたね。

皆さん 雪合戦は見たことはあると思いますが、力いっぱい相手に対して握った雪球を
投げつける遊びです。
当時は、グループごとの遊びの中で雪合戦をしましたが、死に物狂いでした。
なぜなら、固めた雪球を水で凍らしておまけにその中に小石を入れて相手てめがけて
投げつけます。
顔などに当れば血が滲む事は度々です。
そんな恐ろしい雪合戦を当時は当たり前のようにしていました。
血を滲ませて家に帰っても、親から問いだされても転んで怪我をしたとうそをいってました。子供同士の遊び、ケンカには親が立ち入る事は出来ないルールでした。
今の時代とは天と地ぐらいの差がありました。


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