今どきで有ればコミュニケーションといえばいいのかな。それをあえてお話、会話と題名をつけました。同じじゃないの?どこに違いがあるの?
辞書を調べれば少しは違いが解りますが、なんでこんなことを言うといえばむかしの言葉が当然のように英語その他外国語になりいつの間にか当然のように巷に流れてます。
お話、会話 それぞれの場所での言葉の選択が相手へのおもいやりと思います。それをすべてコミニュケーションでまとめることに異議があります。外国語ひとつに対して日本語ではたくさんの言葉があります。場所 相手との関係で言葉を使い分けて来ました。その言葉によりお互いより理解ができ、正しい関係が保たれました。
それぞれの場所、内容での正しい日本語の使い方ができれば相手との距離が近くなります。訳の分からない言葉があらゆるところから流れていき、いつの間にか訳の分からない日本語になってる時代に、どうすればいいでしょうか
小生にとってはまず本を読む。それぞれの作家が心血注いで作り上げた作品です。当然言葉への選択が大事です。それも時代劇小説。当然中では会話の流れにはいまどきの日本語になった言葉は出てきません。こんな時にはこんな言葉が合ったんだと思わず背筋がまっすぐになり、新しい発見ができます。失われてゆく日本語、会話 言葉を使うためにはいまどきの流行作家の書物より昔の有名作家の書物を読むほうが胸にひびきます。