山口建設

社長の独り言

おなじみのサラーリーマンのインタービュウで有名な

2013年06月27日 06時04分05秒 | 日記
           

           新橋駅。


          


          其の前の駅前広場


  有名なのは其の一角にある、黒光りの機関車。


           



            



             

   確か、 新橋と、横浜を始めて機関車が走ったと覚えてます。   


    早速 調べました



1872年 10月14日(明治5年9月12日)、当駅 - 横浜駅(現・桜木町駅)間に日本初の鉄道が正式開業する際に起点駅として開設された(日本の鉄道開業を参照)。なお、1872年6月12日(明治5年5月7日)に品川駅 - 横浜駅間は仮開業していた[1]。

その後、1889年(明治22年)7月1日には東海道本線が神戸駅まで全通し、国土の重要幹線に於ける東京側のターミナル駅として、東京駅の開業まで重要な役目を担うこととなった。1900年(明治33年)に大和田建樹が作詞した「鉄道唱歌」では、「汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり 愛宕の山に入りのこる 月を旅路の友として」と歌われた。


大正時代撮影の新橋駅舎現在の駅は2代目で、1914年の東京駅完成により東海道本線の起点が変更され、それまでの烏森駅を新橋駅に改称して現在に至るとともに元の新橋駅は汐留駅に改称され、荷物列車と貨物列車の専用駅となった(その後は汐留駅を参照)。烏森駅は1909年に開業した現在の山手線に相当する電車専用駅であった。開業に遅れて竣工した初代の駅本屋は、辰野葛西建築事務所が設計した万世橋駅を参考に鉄道院が設計したルネサンス様式煉瓦造りであった。その後関東大震災で内部を焼失する被害にあったものの、構体そのものの被害は軽微であったことから屋根部分の改修で戦後まで使用されたが、東海道線と横須賀線の分離運転に伴う同線の地下ホームの建設に支障をきたすことから、1970年(昭和45年)に撤去された。


   確かにレンガ作りの駅は見かけません。
   歴史があります。


其の前のビルの看板には SL広場?

飲み屋の看板。



         



このお店で、機関車を見ながら一杯。。。。


銀座の隣にありながら、なんとなく安心するサラリーマンの駅です。





最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。