ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

自分に閉じこもらず、自己本位に陥らず、自戒したい(20220414)

2022年04月14日 | 考え直すために

 おはようございます。昨日はホワイトビーチに行ってきました。11:00-16:00まで。思っていたものはおらず、別のものがいた。分からないことだらけだ。今日は別のところに行くつもりだったが、目が、痛く、よく見えないので、眼科に行くことにする。よく晴れており、残念だが。

 ようやく自分の指針を既報の通りまとめることができた。特段新しいことを織り込んだわけではないが、この32年を振り返り、これからを考えれば、こんなとこだと思う。

私は、「写真を撮る人」でやっていく(20220412) - ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

 どんなに自分一人でもがいてもかなわない。淡々とやるしかない。結果はついてくると考えるしかない。自分に閉じこもらず、自己本位に陥らず、自戒したい。

 ある映画監督が女優さん等にセクハラ事件をくり返していたことが問題になっている。監督という立場は明らかに権力的であり、ありがちなことだろう。事務仕事とか、工場ならば、大概マニュアルがあるから、教えるー教えていただくは、個人的な感情の埒外でできるはずだ。映画や芝居は、制作物そのものが、監督の頭(心)の中にあり、こう演じろということは、脚本があっても、細部は監督の主観の下に置かれている。余計にそうした傲慢さがでてしまうのだろう。俳優業(多くのスタッフも)は自由業であり、フリーランスといえばきこえはいいが、無権利状態におかれている。人権を守る団結が必要だ。

 もし男と女の立場を入れ替えたとしても十分に克服できないだろう。倫理で変わるとも思えない。手間が掛かるが、複数で、場面場面の展開を共有しながら作っていくルール化をしなければなるまい。

 同様なことは画家とモデル、写真家とモデルなどでも、もっとひどい状態がありそうだ。そこにお互いに愛情が成立していれば、いい結果がでるかもしれないが、ちょっとずれたら、密室なだけに、とんでもないことがおきかねない。ルール化が必要だろうし、モデルの団結権がなおさら必要だ。

 私は他人にこうしたポーズを取ってとか、言わないことにしている。ポートレートとか撮っているわけではないので不要だし、言うとすれば、「そこだと影になるからこっち」ぐらい。先日の記念写真(4月9日)は、9人を撮ったが、全員、「楽しかったねえ」という顔に充ちていて、言うことなし。

 作為的にポーズを取らせても(できるのが「プロのモデル」といわれている)、心の中から満足できるものになるか。ならないからこそ、衣装や化粧などのアクセントを過度につけてごまかしているのかもしれない。

 男は、おごっちゃ、いけない。しかしアイデンティティと自己満足と奢りは全部重なっている。だからこそ、この問題に無関係な男は、ありえない。自戒も倫理も仕組みも必要だ。

 私が何でこんなことを言うかと言えば、フォトグラファーとして距離がやや近い問題だと言うこともあるが、沖縄との付き合いにも、通じていると思うからだ。

 繰り返しになるが、「どんなに自分一人でもがいてもかなわない。淡々とやるしかない。結果はついてくると考えるしかない。自分に閉じこもらず、自己本位に陥らず、自戒したい」からだ。

 男ってダメだね、ほんとうに!

 



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