こんばんわ。本日(20230428)は、午前中に1本書き、写真を探していたら、13時を過ぎていた。昨日プリンターのインク(不足分)買ったので色々プリントできた。
本日は「屈辱の日」です。1952年4月28日。米日両国が共謀して、沖縄を切り離し、施政権を米国の手に切り離した。戦後日本の出発の恥部です。沖縄を基地の島とし、朝鮮半島を分割し、アジアの不安定を招来させたのは、明らかに米日政府。それから71年経って益々混迷が深まり、琉球諸島を戦場にすることをいとわない政権があり、幾つもの政党があるのだ。
私はこうしたことをスポイルしたまま、「国家・国民」と考えることはできないと考えている。そこを一緒くたに考えていたのでは、新たな展望を生み出せない。あの2014年の安倍政権による「解釈改憲」論は、柄にもなく日本国憲法第13条「個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重」を持ち出したものだった。国民の幸福追求の権利が脅かされるとき、「集団的自衛権」を行使できるのだと。他方で市民の幸福追求権を侵害しながら、武力行使と武力行使による威嚇を正当化していた。
今、彼らが進めている入管法の改悪などは正に個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利を剥奪するものであり、外国人の人権に180度相反した姿勢が露骨すぎる。「国民」という枠組みを超えて、グローバルに考えれば、決していきつかない問題意識だろう。
こうなると一個多重な論点をたぐり寄せない限り、軍事化を進める国家に対して、私たちの生活の芯からつかみ直さない限り、各論では太刀打ちできまい。私たちの命の営みを前に出し、軍事化と真正面から闘い抜きたい。本論を再構築しなければならないのだ。
ということで、伊良部島・池間島の続きを書いていこう。