ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

時間について(20221015)

2022年10月15日 | 沖縄暮らし

 おはようございます。2022年10月15日(土)。名護市西海岸は晴れています。昨日から、また、蒸し暑くなっています。

 何をするのも、時間との闘いです。日々のスケジュールを組むのは、自分。今月は、今週は、明日は、と。一昨日、那覇市古島で、バス待ちの時間にサシバ3羽が舞っているのを見て、「明日は名護城にサシバを撮りに行こう」と思いながらも、当日朝、体が動かない(やる気にならない)。結果的に名護湾の残照を撮りに行った。予定は未定というか、混迷の中に。

 しかし予定を組むのは、重要。もっとも残照であれば、予定では計れない。瞬間、瞬間の変貌が焦点だから。予定が立ち入る隙がない。結果はそうした瞬間、瞬間についてくる。ただこうしたことは例外的で、予定のない行動は、その日、そのときの判断の軸をつくれない。予定を立てていてこその瞬間だ。予定外のものも、どんどん入ってくる。それをどう入れるのか、外すのかは予定の中で、考える。無論、予定をぶっ飛ばさざるをえないような事件がおきることもある。

 今日から新聞週間だという。「無関心 やめると決めた 今日の記事」。「5・7・5」だな。無関心のことを私が関連付けることは難しい。無関心とは頭に入っていないということだ。ないしは敢えて頭に入れないことだ。スルー。言葉や、写真で何故を引き出す努力。

 難しいことだけど、時間に流されずに生きることはできる。予定をたてて生きるということだ。意識して生きることだ。意識していなければ、花も、鳥も、森も海も目に入らない。人も。ぼやーとしてしまう。時間は不可逆的に流れている。「意識下の時間」は空転しているのだ。

 八重山の小浜島沖でサップしていた人が、流されて14時間後に救出されたという。昨日のことだ。ご本人にとって、その14時間はどれだけ長かったことだろう。波照間島の近くまで流されたという。助かって良かったけれど、自分では如何ともしがたい時間は、凍り付くようなものだ。運を天に任せるようなこと。この場合、「118」通報で、海上保安庁のヘリが見つけて引き上げてくれた。海上保安庁という公的存在が命を救ってくれたのだ。「119」の消防や救急はもっと身近だろう。誰しも一度や2度、119番通報したことがあるだろう。公的な存在の大きさ。同時に自分が生きていると思っているから、他人にも目を向けられるのだ。

 時間を自分の管理下で過ごしたいものだが、それだけ自分の責任が大きくなる。会社などで働いていれば、そこに規定されてしまう。会社の論理で動かされる。政治も一人一人の時間を規定してくる。独裁国家は究極的に一人一人の生殺与奪の権限を握ってくる。

 油断してたらダメだ。私たちは、時間を大切に生きることを諦めてはならない。権力は暴走するものだ。人間はどれだけ苦杯をなめさせられてきたことか。民主主義はこうした暴走を止める手段である。一人一人が自分の時間を持ち、広げていくことが、権力の暴走をとめることに繋がっていくだろう。なお、社会的存在としての自己に気づかなければならない。社会を見つめる目を養っていかなければならない。

 時間には「24時間、365日」では計れないものがあると自覚して生きたいものだ。様々な問題が色々と絡み合い、つながっているようだ。もっともっと意識していたい。



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