ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

ミニ講演会・「軍事VS市民自治を解き明かすために」(20210202)

2021年02月04日 | ヤマヒデ企画

 去る2月2日、多忙の中でしたが、ミニ講演会を開いて頂きました。うるま市の市長選も始まろうとしており(4月)、考えるべきことが多数あります。うるま市政について、私は全然詳しくないので、今後の課題とさせて頂きました。名護市の市長選も来年にあり、他市の経験から考える事が問われています(お互いに)。

 2日の議論の中でも、共感の声を戴きました。今私たちは【何を如何に】超えるべきなのか考え(共に超えるための相互批判)実行に移したいものです。沖縄においては、軍事VS市民自治をさけてはなりません。今日的な問題から原理的な問題まで、以下のレジュメが参考になれば幸いです。

◎以下レジュメ(当日のものをやや補足)

2021年の沖縄で、軍事VS市民自治を構想するために(試論)-2021年02月02日
山本英夫(フォトグラファー/名護市在住)
 
(Ⅰ)プロフィール
①私は何者なのか?―ただの1市民。学者でも評論家でもジャーナリストでもない。活動的な市民。歩きながら撮り、考えてきた。
②そもそもは?―1964年の東京オリンピックを前に、地元東京都世田谷付近も一気に開発が進み、このままいけば、「人は生きていけなくなる」と直感した事から始まる(1962年頃)。因に1951年生まれ。1965年から野鳥観察に夢中となり、1967年に「新浜を守る会」(干潟・生物を守る運動)を始めた。まだ開発・経済成長が圧倒的に善とされていた時代の中で。
③軍隊を初めて見たのは?―1955・6年の神奈川県横須賀(米海軍基地)で。米海軍兵がうじゃうじゃいた時代。私は夏休み・春休みなどに横須賀のおじさん宅で過ごしていた。因に自衛隊を意識したのは1970年夏、奥日光国立公園でレインジャーのアルバイト中。最大のゴミ捨て集団は林間学校と自衛隊の夜間行軍だった。
④反戦闘争に参加したのは?―1970年6月から。
⑤沖縄に係わり始めたのは?-1989年5月から。「沖縄に行けば安保が見えるよ」と誘われて以来32年間。
⑥そこの問題は?―反戦闘争に関わり、71-72年の沖縄返還協定粉砕闘争に係わりながらこのブランクはなんだ? ヤマトンチュだから、60年代末~70年代の闘いの質が決定的に沖縄を捉えていなかった。
⑦沖縄に係わる主な節目はー1993年4月の天皇の沖縄植樹祭、95年9月の少女レイプ事件、2004年4月の辺野古での座りこみが始まり、2010年1月の名護市長選勝利、2010年4月、友人が「集団自決」の生き残りだと知ったこと、2011年6月与那国島・石垣島・宮古島に通い始め、2012-13年オスプレイ強行配備阻止の闘い、2013年4月の安倍政権による「独立記念日祝賀」抗議の闘い、2013年10月沖縄に居を移す。そして今。
⑧最大の関心事は?―軍事VS市民自治かな。

(Ⅱ)今という時代の中で (基本的な問題意識)
①新基地建設を巡る「変更承認申請」に断を!―どうやって?
②2010年以来進められてきた「島嶼防衛」なる対中戦略に嵌められている時代の中でー「新冷戦」のゆくえ?-覇権争い、軍事化=経済発展とする愚図どもが世界を牛耳っている世界で。
③コロナ禍を含む難問を抱えている中でー軍事力は桎梏であるばかりで、役に立たない。
④小さなシマでどうすれば(大きくなることに憧れない)、希望をもてるのか?―皆で考えたい。

(Ⅲ)沖縄・「日本」で暮してきて
◎人間を、暮らしを縛るものが2重3重にある。
◎①米日安保体制、②国政、③見えにくい故に無関心が拡がっている。
◎これは沖縄ばかりでない。「戦後日本国家」は沖縄を米国に売り渡すことで(半)「独立」。米国の意向に振り回される国(半国家)=属国になりさがった。
◎過去の歩み(歴史)を総括しない国(天皇制が歴史を歪めている)。
◎過去を直視せず美化し、さらに不確かになってきたから、ヘイトが蔓延る。
◎事実を、現実を知り、知らしめよう。

(Ⅳ)沖縄の市民自治は?
①ひとり一人が、今生きていることに敏感になり、市町村政・沖縄県政・国政・米日安保体制を下からひっくり返していく、息の長い闘いへ。

②例えば、那覇軍港を浦添に移設の是非。松本哲治VS伊礼ゆうきー典型的な3つの重圧の中での争点
松本:沖縄県と那覇市と調整してきたので、反対から容認になった。根は2006年米日同意「再編の実施のための日米ロードマップ」(2006年5月) 
◎「那覇港湾施設:全面返還(浦添に建設される新たな施設(追加的な集積場を含む)に移設。
●返還対象となる施設に所在する機能及び能力で、沖縄に残る部隊が必要とするすべてのものは、沖縄の中で移設される。これらの移設は対象施設の返還前に実施される。」とたが嵌めされている。
 
松本は、だから寝返ったのだ。
 伊礼はどうか? 「市民の民意として、市民と共に貫く」といっている。市民自治と団体自治。しかし繰返すが3重4重の圧力が加わる。県・国・米日安保体制との闘いになる。これを打破するためには、市民が繋がり、市町村が繋がらなければかなわない。無論、県政をも変えなければならない。さらに「国民」の意識を変えなければならない。どうしたらできるのか?(ウームぅ)

③宮古島市の場合(2021年1月17日の選挙結果)
3期目に挑戦した現職下地敏彦を「市政刷新」を掲げた座喜味一幸が制した。これは自衛隊基地反対をおろしたから成立した共闘であり、同時に「オール沖縄」の限界
◎座喜味一幸:15757、下地敏彦:12975、市議補選。2議席に5人が立候補―下地茜:10057,狩俣勝紀:5854で与野党1対1となった。下地茜は、弾薬庫建設の保良から立候補したバリバリの反対派。ここに宮古島の可能性を私は見ている。
◎註:座喜味氏は県政野党の県議だった。20年6月の県議選で落選。彼をひっぱりだしてきた。

●米中戦争の代理戦争の旗頭に日本が立ち、戦場とされる琉球諸島を許して良いのか?!! 基地容認では、そうならないまでも世界の軍事化を促進しかねない。
●なぜこうなったのか?―シマは保守的でまともにやっても勝ち目がない?

◎市民自治を貫くー情報公開の徹底。そのうえで市民の議論を喚起する。
◎「島嶼防衛」をリアルに語る。沖縄戦をリアルに振り返る。現代の自衛隊の実像を考える。
◎自治体外交を促進する。市政でできることをやっていく。

③うるま市の場合は(皆さんと今後検討したい)
【参考:うるま市内と周辺部の米軍基地の現状】
①キャンプ・コートニー(昆布・天願・宇堅)周辺海域 133、9㌶ 海兵隊キャンプバトラー基地司令部(第3海兵遠征軍司令部、第31海兵遠征部隊、第3海兵師団司令部など)
②キャンプ・マクトリアス(川崎・西原)37.9㌶ キャンプバトラー基地司令部:第18航空団第⑱任務支援群(ほぼ住宅地区)
③津堅島訓練場(勝連津堅)周辺海域 1.6㌶ 海兵隊・空軍の演習場
④浮原島訓練場(勝連比嘉)周辺海域 25.4㌶ 海兵隊・自衛隊
⑤カデナ弾薬庫(栄野比・石川山城・石川楚南)2658㌶(全体で) 第18航空団第18整備群など
⑥天願桟橋(昆布)周辺海域 3.1㌶  国防兵站局エネルギー部門、海軍、海兵隊、空軍
⑦ホワイトビーチ 周辺海域 156.8㌶ 在沖米海軍艦隊司令部ホワイトビーチ事務所、米海軍港湾事務所、第7艦隊第76任務部隊、第1水陸両用部隊司令部、国防兵站局エネルギー部門ホワイトビーチ事務所
⑧陸軍貯油施設(栄野比・昆布・天願・川崎)127.7㌶(全体) 国防兵站局エネルギー部門など

⑨海上自衛隊沖縄基地隊(ホワイトビーチ)
⑩海上自衛隊具志川送信所
⑪陸上自衛隊勝連高射教育訓練場
⑫陸上自衛隊浮原島訓練場

◎嘉手納飛行場の飛行区域に組込まれている。
◎普天間飛行場の飛行区域に組込まれている。
◎那覇基地の自衛隊機も飛行区域にしている。

●注目:ホワイトビーチから辺野古まで海上を通れば、30キロ。艦船でも1時間あれば移動できる。その間にブルービーチ、レッドビーチ、浮原島訓練場、津堅島訓練場がある。
●中城湾で土砂運搬船への給油が行われている。注目を。
●今後、中城湾への自衛艦隊の利用が増えないか心配している。要注目であり、反対の声を挙げる準備をしておいてほしい。

(Ⅴ)「勝つ方法は諦めないこと」とか「人は微力だが無力ではない」と言われるが
①「勝つ方法は諦めないこと」と言われるが、如何したら諦めないでいられるかが問われている。―常に展望を見据えること、随時、再検討すること。ひとり一人が表現活動をもち持続することが自信に繋がってくる。

②「人は微力だが、無力じゃない」もこのままでは慰みでしかない。ひとり一人が問題と向き合い考えること、行動することでこういえるのだ。そしてひとり一人が連携する手立てを多様に組んでいくことだろう。考える姿勢・習性を身につけたい。因に、考える事と学ぶことは違います。学ぶこととはテキストや講演会などを通して知ること。考える事とは自分が問題に向き合い、解き明かしていく。

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。