おはようございます。2023年12月25日(月)今朝の名護市西海岸は晴れ。
起きて朝食後、23日の嘉手納基地を巡る記事の末尾の訂正と補足を行ないました。失礼しました。
さて、私は2021年8月から辺野古浜テントのボランティアスタッフから離れて、「写真を撮る人」として再出発しました。色々あってまだよちよち歩きですが、あちこちの基地ウォチングを重ねてきました。そして「生きる、繋がる為の平和ガイド」の準備を行なっています。こちらについては、概要発表を2024年年始に行えるようほぼ準備中です。
【参考】2021年9月に書いたまとめ
また、今、「名護にこだわり直す為に」(仮題)を書き始めています。私が1989年に沖縄に来たのは、ある種、偶然でした。それからたまたま1995年まで来ることが続きました。具体的継続的な接点となったのが、名護市東海岸であり、新基地建設を巡る反対運動を通してでした。2004年からです。2013年から今も名護市に住んでいますが、2021年8月からは、なりゆきのようなものでした。
この国は、埋め立て設計変更申請に対して沖縄県の「不承認」処分に従わず、12月28日「代執行」処分を出してきます。という流れの中で、私は何故名護にこだわるのかをまとめています。まだ雑ぱく過ぎて、公表の段階ではありません。
2024年から、この2本、名護暮らし再考と、「生きる、繋がる為の平和ガイド」を両軸に努力を重ねていきます。これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。