ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

【拡散のほどお願い申し上げます】2023-24年取材費等のカンパを心から訴えますー山本英夫(20231127)

2023年11月27日 | ヤマヒデ企画

「ヤマヒデの沖縄便り Ⅳ」の継続・情報を共有するために

【2023年の現状から】
2023年末を迎える中で、皆様におかれましては、いかがお過ごしでしょうか? コロナ禍は収まりつつも経済不況は悪化し、皆様も大変厳しいだろうと察します。
 当方は、2023年6月東京に出向き、2回の講演会、10月撮影の旅の途上での広島講演を行ないました。また、県内外での取材を一歩深めて参りました。
 しかし経済の立て直しにはほど遠く、去る10月の米日共同統合演習(R・D23)の取材も沖縄島、やっと石垣島にしか行けませんでした。また、6月末から肺炎に罹り、約2ヶ月間、私は動けないという状態に陥り、大きな制約を受けてしまいました。
一方で、昨年末の「安保3文書」後、沖縄島に於いては、「沖縄を戦場にさせない」を大きな課題に浮上させる努力が重ねられています。11月23日の「県民平和大集会~対話による信頼こそ平和への道~」(主催「沖縄を再び戦場にさせない県民の会」)の参加者は1万人を超えました。私は名護住まいですが、これからも併走しながら撮影を続けて参ります。

【今後に向けて】
 こうした現状の中で、沖縄県内外での撮影をもっとやらなければと考えています。それは「台湾有事は沖縄有事」という無責任な悪宣伝が強化され、「抑止力」なる言葉で「武力による平和」を確保するという事実無根の動きが強まっているからです。敵基地攻撃能力の発動は、一瞬でも速い先制攻撃に至ることは必然です。また、一旦戦禍が始まってしまえば、沖縄・琉球諸島に留まる話しではありません。
 私は「安保3文書」に至る道を2010年の防衛計画大綱以来見てきました。2011年からこの問題を取り上げ、辺野古テント村でも2013年から2021年7月まで、私がここに居る間、毎日毎日語り続けてきました。しかし大きな反響を売ることは、かないませんでした。
 2021年8月からこうした動きに見合う撮影を沖縄島内外で始めましたが、十分にアウトプットできずに推移してきました。もっと大きな協力を頂き、情報を共有化したいと考えるに至りました。私は引き続き沖縄という現場から「辺野古が唯一」「普天間代替施設」なる大ウソを暴露し、新基地建設が新たな対中戦争に備える「島嶼防衛」拠点の一角となり、琉球諸島の島々(沖縄島を含む)が戦場になりかねないことを明らかにしていきます。このままでは普天間基地は返還されようもありません。また、辺野古に「プチ・オスプレイ等飛行場」ができてしまうだろうと深く危惧しています。
 私たちは、沖縄島・琉球諸島を新たな戦場にすることを、なんとしても止めなければなりません。これは沖縄のエゴではありません。そうなれば、日本中が、アジアが、戦乱に巻き込まれてしまいます。私は、米国の『国益』=日本の「国益」なのかを問い質したいと思います。このままでは、再び沖縄を破壊し尽くしかねません。断じて許すわけには参りません。
 私は今後も可能な限り、琉球諸島・琉球弧から九州・四国・中国・首都圏まで「島嶼防衛」=対中戦争への動きと、各地で取り組まれている抵抗運動の現場取材を重ねたいのです。

 私はこれからも約10年前に制作した「辺野古」と「与那国島」の絵はがきの販売に力を注ぎます。写真の販売や寄稿、「平和をつくる基地ガイド」などをボチボチ始めており、財政を立て直す所存です。またヤマヒデのホームページを制作します。

 私個人に対するカンパ要請で大変恐縮ですが、当ブログ(「ヤマヒデの沖縄便り Ⅳ」)の継続・情報の共有をはじめ、今後の活動に活用させていただきます。ご協力いただければ、誠に幸いです。

【お願いに当たって】
 私の家計費を2021年2月1日から、①生活費と、②取材・行動費に分けました。皆様にお願いするカンパは後者の②に充当します。制作物の売上金や講演謝礼、その他原稿料・著作権料はこちらに充当します。
②の取材・行動費は、カメラ・レンズ等の機材の購入・修理代、パソコンの修理代、プリンターの維持・管理代、取材の交通費・宿泊代・資料代。販売物の制作費です。

【カンパ振込先】お手数をおかけしますが、こちらにお願い申し上げます。金額は1000円以上でお願いします。受領した際は、領収書をお送りします。
◎郵便振替口座:00150-0-610793 口座名:「フォトプラザ・ヤマモト」(郵便局の預金機で支払い可)
お問い合わせは、メールでお願い申し上げます。pzyamahide(アットマーク)lemon.plala.or.jp 山本英夫 (2023年11月27日)

【ヤマヒデのプロフィール】
 1951年東京生まれ、松林と原っぱと畑に囲まれていた世田谷育ち。1964年の東京オリンピックを前に激変していく様に仰天。1965年より野鳥観察を始め、1967年東京湾江戸川河口の干潟・野鳥を守る運動に参画。1989年5月初めて沖縄を訪れ、「基地の島」に衝撃を受けた。以降、沖縄通いを始める。1997年、辺野古・大浦湾の新基地建設の動きを知り、2004年から撮影の定点とした。その成果をもって、東京で写真展を繰り返してきた。2010年末の防衛計画大綱に掲げられた「島嶼防衛」に衝撃を受け、2011年以後、与那国島・石垣島・宮古島に通い出す。
 2013年10月、名護市に居を移し、同時に辺野古テント村(運営:ヘリ基地反対協議会)のボランティアスタッフとなる。2021年夏、主宰団体との信頼関係が崩壊し、離脱した。
2022年4月、私は、「写真を撮る人」としての足下を固め、あらためて出直す。2023年より「平和のための軍事研究」を始めている。

 



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