ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

1970年夏の思い出ーヤナギラン(20220816)

2022年08月16日 | ヤマヒデの歩み

2022年8月16日(火)晴れ

 ある人がヤナギランの写真を挙げていたのを今朝見た。夏の高原に咲く鮮やか(ピンク)で大ぶりの花だ。何度も見ているが、私がファンになったのは、1970年夏の思い出。奥日光国立公園(厚生省)のレインジャーのアルバイトをした時の話だ。52年前の夏。1970年7月下旬。

 日光湯元に管理事務所があり、私は1週間ここにいた。湯本、戦場ヶ原、切込湖・刈込湖でゴミ拾い、ゴミ拾い。ふっと涼しい風が吹くと、ヤナギランがマツムシソウが揺れていた。夕方になり、ハイカーがいなくなると、切込湖・刈込湖にマガモの親・子(雛)がいた。仲間だけの空間が開けると、素晴らしかった。夜になれば、キャンプ・ファイヤーがあちこちに燃え上がり、夏の思い出をつくっていた。

 レインジャーと言えば聞こえはいいが、ゴミ拾い。背中に籠を担ぎ、拾い上げていく。大口のゴミ捨ての犯人は学校の林間学校(ハイキング)と、自衛隊の夜間訓練。私はこれで自衛隊なるものを知りました。あれから52年が経ち、学校のハイキングでゴミを捨てることはなくなったであろうが、自衛隊はもっとひどくなっているだろうか。さすがに国立公園ではやっていないだろうな。目立たないところでやっている可能性が高い。

 ともかく、仕事がゴミ拾いだったから、余計にヤナギランとマツムシソウは目立った。励みになりました。でもこんな美しい高原に平気でゴミを捨てる人間がいることに、私は少なからぬショックを覚えた。

 バイトを終えて、私は一人で金精峠ー日光白根山ー金精峠ー温泉ヶ岳ー加仁の湯へ。無人小屋に一人で泊った。奥鬼怒の加仁の湯では、雷鳴に追われて大急ぎで降りた。誰にも会わない山旅に、一人満足していた。

 ヤナギランは、その後北八ヶ岳の麦草峠あたりでも見たし、晩夏にも咲いている印象が強かった。もう会えないのだろう。

 ただ沖縄にも、これといった花は少なくない。高原にまで出かけなくとも、視界が広い場所はいくらでもある。今の自分流の楽しみを身につけ覚えればいいだけのことだ。高い山に登るアルバイト(労働)はないのだから、暑さに耐えればいいだけだ。気の持ちようだ。

 ただ沖縄の軍隊はもっとはるかに密度が濃いし、24時間どこでもニアミスしてくる。これは異常だ。なお奥日光の自衛隊の話は、ほぼ毎日何カ所かでどんとすてられていた。容器に書いてあるから見ればわかる。どこの陸自が来ていたのだろうか。そこは未確認だ。自衛隊は自然を破壊することだけは承知した夏だった。



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