ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

【拡散願います】深まる軍事緊張の中での沖縄リポート(2022年11月)

2022年12月14日 | 他紙執筆原稿

◎本稿は「沖縄の怒りと共に」第119号(「うちなんちゅの怒りと共に!三多摩市民の会」20221207発行)に寄稿したものです。

《Ⅰ:はじめに》
 フォトグラファーである私は、現場が第一だと考えている。問題はどこを「現場」に据え、何を明らかにするかだ。私が追っかけたい軍事は、機密の闇の中。世界・「視野」を地球大にトータルに360度掴まなければ、見えてこない。現場を見る目と世界を想像する頭が求められる。
 また、いかなる視座から見るかが問われている。沖縄に住む以上、住民として、かたや人類として、見ていきたい。住民と人類の間には、相当な距離がある。そこに国家・ナショナリズムという大山が聳え立っているからだ。私はこの壁を超えたい。また、人間は多様な生態系を奪い、破壊する一方の存在でありながら、ヒトという生き物でもあるからだ。

《Ⅱ:嘉手納・道の駅で》
 私は嘉手納基地を見る場所にも時々出かけている。その代表的な場所は嘉手納・道の駅。この夏以降、沖縄にも観光客が増えてきた。嘉手納道の駅にも人出が増えた。修学旅行生も。私は、彼ら、彼女らは何を見に来たのだろうかと思う事が度々ある。軍事基地・軍用機が観光になるのか?! 私は、しばしば聞かれる。「次にいつ飛ぶのですか?」と。確かにこのデカイ飛行場から飛行機が飛ばなければ、閑散としている。しかし閑散としているのも、轟音に包まれているのも、ここが軍事飛行場だからだ。常に戦闘態勢を整えていることを忘れてほしくない。この軍と民の違いに気づいていただきたい。

①22年10月10日 嘉手納道の駅 彼らは嘉手納基地を前に何を思っているのだろうか?


 民間飛行場は、公開されたルートと時間で人や物を運ぶ交通拠点だ。軍事飛行場は非公開。殺戮のための軍事拠点となる。平時から極力秘密裏に運航されている。軍事とは一方的なのだ。軍事飛行場の中に第3者は立ち入ることができない。何故か? 私は聞かれる度に答えている。「軍事飛行場には秘密のバリヤが張られている」からねと。これは明瞭な事実だが、なかなかわからないようだ。大概は怪訝な顔をしたまま諦めて帰って行く。
 ここで見落としてほしくないことは、軍民共用空港のことだ。沖縄の那覇飛行場。沖縄の玄関口だ。那覇飛行場を見ていれば、時々轟音を響かせて戦闘機等が飛んでいる。こちらのタイムスケジュールは明らかにされていない。そもそも出入り口はまったく別だ。共用されている滑走路は軍事優先であり、民間機の遅れの原因のひとつになっている。
 ただ軍民共用空港を利用している大多数は、素通りするばかりだ。ここに大きな問題が孕まれている。

《Ⅲ:「キーン・ソード23共同統合演習」を見る中で気づいたこと》
 2022年10月21日、防衛省統合幕僚監部は「Keen Sword23」を公表した。今年の10・21は金曜日であり、問い合わせ等も少ないだろうと判断したのかも知れないが、「国際反戦デー」を意識したかも知れない。Keen Swordと書かれてもピンとこないが、訳せば「激しい戦争」のことだ。日米両軍等36000名余りが参加した。共同とは多国間演習のことであり、統合とは、軍隊(陸海空等)の担任を超え、一つの指揮命令下でやる演習だ。宇宙戦、電子戦・サイバー戦を含む「多次元統合演習」と言われるものだ。
 今回、私にこの全貌に迫る時間がない。いくつかのことを書き留めておく。米日指揮調整所を第15旅団の那覇駐屯地内(土地約2700㎡、建物6棟)に設置した。また与那国島の与那国駐屯地(土地約1700㎡、2棟など)にも現場指揮調整所を設置。共同統合作戦の演習だから、この指揮調整所の運営は重要だ。誰が指揮を執ったのか。まったく明らかにされていない。先のプレスリリースにも全く触れられていない。
 マスコミが報じたのは、戦闘機動車を与那国島の公道を走らせた程度のことだ。16式戦闘機動車はタイヤで走る戦車のような戦闘車だ。この国と自衛隊(軍隊)がこの戦闘機動車の与那国島への持ち込みに拘ったのは、「台湾有事」に際して持ち込む武力を誇示したいからだ。万が一「台湾有事」が起きてしまえば、与那国島の沿岸監視隊(レーダー群)は壊滅し、住民も相当な打撃を被るだろう。そんなときにこの戦闘機動車を持ち込むリスクと「抑止力」という軍事的効果を勘案してみれば、殆ど意味がない。小さな島でこんなものを使われたら、住民をどうなるのだろう。冗談じゃない!
 「機動演習」の要は、共同統合軍の要である指揮系統の確立と、兵隊と武器弾薬等の軍事物資を迅速に運べるかだ。プレスリリースに、自衛隊の艦艇約20隻、航空機約250機、米軍の艦艇約10隻、航空機約120機とある。このうち部隊を運べるのは何隻、何機か不明だが、自衛隊は大型輸送機(C-2)を15機、輸送艦3隻、民間輸送船2隻しかもちあわせていない。まだまだこんな作戦計画を実行できる段階に至っていないのだ。尚、C-2輸送機でも戦闘機動車を1機しか積載できない。

➁22年11月20日 中城湾港西埠頭で、キーンソード23に参加した岐阜の航空自衛隊高射隊に抗議する。

 
 防衛省は焦っているだろう。武器・弾薬の増強ばかりか、軍事インフラが整わない限り、利用は制限されてしまう。民間港や民間空港の利用、大型船が利用できる岸壁(浚渫)や軍事物資を運び込むヤードの建設。一般道路との接続部の整備など。与那国島で戦闘機動車を走らせたのは、対艦ミサイルや対空ミサイルを空港からしかるべき所(陣地)に運ぶ公道整備の検分でもあっただろう。

《Ⅳ:軍事演習と県政・市政》
 「平和と多様性」を掲げ当選した玉城デニー県政だが、課題は山積みだ。例えば、国が自衛隊を運びこむ輸送船の中城湾港を使う使用届を許可(沖縄県港湾管理条例)し、与那国空港の使用届けと制限重量超過航空機使用許可(沖縄県空港の設置及び管理に関する条例)を出してしまったことなど。これらのことは確かに行政レベルのことであり、対応は難しいだろう。しかし沖縄県政として、沖縄県内を戦場とする戦争を想定した軍事演習に反対の姿勢を明確に打ち出すべきだった。無論、県議会の決議などやれることはあったし、あるはずだ。
 特に私が問題だと思うのは、沖縄県政は、米軍に対しては比較的明瞭な態度をとるが、自衛隊に対しては甘すぎる。不発弾処理、災害救援、急患の搬送などで自衛隊の助けに依存してきたからだ。
 ここでは詳しく論じないが、自衛隊は2015年(「米日軍事ガイドライン」制定)以降、明確に米日共同統合軍に組み込まれている。この事実を私たちは甘く見てはならない。今回の演習は米軍の対中戦争への突破口を切り開く部隊に日本国・自衛隊(日本軍)がなることであり、このままでは、私たち沖縄島・琉球諸島の住民たちは、とんでもない被害を被りかねない。
 また10月に行われた那覇市長選の経過と結果に私は注目している。候補者は知念覚氏(59)と翁長雄治氏(35)だった。知念氏は翁長雄志元那覇市長・県知事の秘書などを歴任し、また城間幹子元那覇市長の副市長を務めてきた。翁長雄治氏は翁長雄志元県知事の息子だ。城間幹子元那覇市長は、6月段階でこう語っていた。「翁長雄志前知事の遺志を継承する玉城デニー知事を応援し、普天間飛行場の辺野古移設反対を堅持する立場と信念は変わっていない」と述べながら、「次期市長には市民福祉の向上や地域の発展に全力をあげてほしいという一点につきる。私が市長選を支援するなら、その思いの有無にある。(次期市長候補に)ことさら政治姿勢を問わない」と答えていたのだ。この怪訝な対応にオール沖縄会議の側は、確たる対応を取らないまま、選挙戦直前の10月12日に城間氏は、自公が押した知念氏支持を明確にしたのだ。
 「即戦力」の知念氏に対して、翁長氏は政治姿勢を強調し、辺野古も争点だと力説したが、至らなかった。私たちは、城間氏の8年間の那覇市長としての役割は何だったのかを問うべきだ。一方で城間氏を攻めるだけでは、生産的な議論は生まれまい。ここに至ったのは、翁長雄志前知事がつくりあげた「オール沖縄」の積極性を消化しきれなかったオール沖縄会議の硬直した対応にもあったのではないか。沖縄アイデンティティーを新基地建設反対とオスプレイ反対の両軸から押すばかりではない仕掛けが求められている。

③22年2月9日 那覇軍港に着陸したMV-22オスプレイから戦闘態勢を取る海兵隊。


 米日政府は、琉球諸島を巻き込んだ戦争を準備している。今こそ人々が生き抜く為の「命どぅ宝」の再生が求められている。この問題を曖昧にした共闘では破綻する。この意味で雄治氏が奮闘したことの意義は大きかったと私は考えている。
 自民党に押された知念氏は、選挙期間中に渡具知武豊名護市長の政治姿勢に倣い、「国と県との間の対立を静観する」と述べ、「これが地方自治だ」と言い放っていた。彼は、県都那覇市政の自治を放棄し、中央志向にすり寄ったのだ。
 ここで私が特に強調したいことは、中央政府による「辺野古が唯一」は、重要な条件が付せられていることだ。普天間基地が有している2800m滑走路の代替地を米軍が求めているのだ。もしも嘉手納基地の改修工事や、有事となった際に、嘉手納基地を補完できる飛行場を確保しない限り、普天間基地を返還しないと言っている。その代替飛行場はあるとしたら那覇飛行場しかないはずだ。軍民共用空港として日米軍が使うことになる。
 万が一こうなれば、沖縄の玄関口はとんでもない脅威に晒されるだろう。ここを塞がれたら、沖縄の住民は逃げ場を失う。島々への援助も塞がれる。ただでさえ、那覇飛行場と陸海空の自衛隊基地は隣接しているのだ。今は平時だから、殆どの人は脅威に感じていないが、もしも有事になれば、どうなるのだろう。翁長雄治氏もこの問題に一言も触れていなかったのは誠に残念だった。
 そして知念覚氏は那覇市長に就任した11月16日、那覇軍港の運用を「全て白紙」と従来の那覇市政の見直しに言及した。沖縄の日本復帰時に、日米が合意した「5・15メモ」では那覇軍港の使用目的を「港湾施設及び貯油所」と定められている。昨年来、米軍はMV-22オスプレイをここから搬入し、普天間基地まで(逆も)飛ばしていたのだ。玉城県政と城間市政は米軍が那覇軍港を離発着場として使うことに反対してきたのだ。米軍は戦時に備えて沖縄の、日本国中の「自由使用」を拡大してくるだろう。

④22年11月9日輸送船から那覇軍港にオスプレイ3隻が陸上げされた。偶然私が目にし、撮影。沖縄タイムスも現場を見つけ、翌日報道。12日に普天間基地に飛び去った。那覇軍港を使う既成事実化が進んでいるのだ。


 私たちは、平時に進む戦争準備の拡大を逐一見極め反対していかねばならない。この課題は沖縄だけの問題ではないことを、私は最後に強調したい。

⑤22年11月22日 本部町塩川港 沖縄県港湾管理者(港湾課・北部土木事務所)はこう掲げているが、「重要な産業」と称して、軍事・基地建設でいいのか?! 玉城県政の基本姿勢が問われていないか。



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