ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

【拡散願います】【訂正】「代執行判決」―歴史を振り返り、「負担軽減」論の欺瞞を考える(上)(240123)

2024年01月23日 | 他紙執筆原稿

◎本稿は「「沖縄の怒りと共に」(うちなんちゅの怒りと共に!三多摩市民の会発行)第123号(23年1月20日刊)に掲載されたものです。

なお、上とありますが、多分、上中下の3回二分けることになろうかとお思います。

◎以下の記事に誤記が2カ所読者から指摘されました。訂正させていただきます(24年1月24日)。

①「安保再定義」は、97年4月17日ー96年4月17日の間違いです。(凡ミスです)

➁ラストにある名護市が出していた条件は、10年限定ー15年限定の誤記でした。併せて補注的に正しました。(確認不十分でした)


(1)代執行判決を受けて
①代執行判決(2023年12月20日)
 2023年12月20日福岡高裁那覇支部(三浦隆志裁判長)は、国が沖縄県を訴えた裁判で、「承認」を命じた。不当判決だ。私は法学の専門家ではない。これまでの過去を振り返り、「負担軽減」論の欺瞞を考えたい。
 まず判決概要を把握しておこう。この裁判は国が県を訴えた裁判だ。「地方自治法第245条の8の3項の規定に基づく埋め立て地用途変更・設計概要変更承認命令事件」と長たらしい。地方自治法第245条の8が「代執行」であり、その「3項」は各大臣が都道府県知事に対して当該事項を行なうことを命ずる裁判を請求できるとあり、それでも従わないとき、「8項:各大臣は、都道府県知事が第6項の裁判に従い、同項の期限までに、なお当該事項を行なわないときは、当該都道府県知事に代わって当該事項を行なうことができる」。
 こうした流れは1990年代の地方分権改革の中で論議され、1999年に地方自治法などの大幅改訂がされたのだ。「機関委任事務」をなくしたが、「国の関与」を定めるなど地方自治へ大きな制約を果たしていたのだ。あれから24年の歳月の中で、こうした代執行が行なわれるのは、初めての事案となる。当時の私(「派兵チェック編集委員会」)が予想していた通り、国は沖縄をターゲットにし、代執行をかけてきた。
 今次判決の争点は3つだという。「争点1」は、以前争われた「是正の指示」(同法第245条の7)の評価を巡るものだ。「争点2」は、国は「是正の指示」の判決を得たのに県が従わず、「対話の場を設けよ」ということは「補充性の要件」に当たるか否か。「争点3」は「公益侵害の要件」に該当するか否か。何が「公益」であるかが争われた。
 判決は、「争点1」最高裁が「是正の指示」を巡る裁判で確定しているのだからと、被告(沖縄県知事)の主張を退けている。「争点2」被告は「本件承認申請を承認しないという意思は明確かつ強固」だとし、対話を求めているが承認しないタメにする「対話」だと切り捨てた。
「争点3」普天間基地の危険性除去を「公益」だとして、新基地における新たな危険性を度外視し、それに従わないことは「著しく公益を害する」と断じている。被告沖縄県知事が主張した住民の「民意を公益」とする主張を全面否定した。
 なお、付言されている「(今後も「再変更」申請が予想される中で)沖縄県民の心情に寄り添った政策実現が求められている。(中略)国と沖縄県とが相互理解に向けて対話を重ねることを通じて抜本的解決が図られることが強く望まれている」と本件判決を結んでいる。こうした評価は、判決の本旨と著しく異なる内容であり、沖縄県民の反感を懐柔しようとする欺瞞だと私は考える。
 玉城デニー知事は、12月25日、この判決を承諾せず、28日に上告した。国交相は、28日に「代執行」なる暴挙に踏み切った。いよいよ、代執行という嵐が沖縄に押し寄せてくる。私たちは、闘いの陣形を心して整備し直すべき段階に入ったのだ。新たな思想が特にヤマト側に求められている。

➁本稿の趣旨
 この時点で考え直すべき事は数多い。たとえば、(ア)国が言う「辺野古が唯一」という「ロジック」、(イ)「再編統合計画」のからくり、(ウ)「危険性除去」のまやかし、(エ)新基地建設反対と、沖縄を戦場にするなは、ひとつながりであることについて、(オ)安全保障・軍事VS自治・人権についてなど。
 当裁判は、何が「公益」なのかを、明確な判断をしないまま代執行に至る判決を出したが、明らかに失当だ。地方自治法が定める肝心な「公益」とは何かが、スルーされているのだ。
 この国の政府は1996年以降、ガムシャラに事を進めてきた。2012年の安倍晋三政権は、尚更だった。こうした流れと構造を読み解かなければ、日米政府の「本性」に迫れないだろう。本稿ではその入り口を押さえ直し、米日政府の目論見を明らかにしたい。時の流れは1996年から数えると27年も経っている。

(2)「普天間基地返還」論の経緯
 私たちが歩まされてきた過去を振り返る。
①沖縄の基地の整理・縮小の要求と「安保再定義」
「普天間基地返還」が、何故、沖縄から上がったのだろうか。累積してきた問題は多々あるが、1995年9月4日に米兵3名が犯した少女レイプ事件への怒りと、相前後した米軍基地の土地収用を巡る反戦地主による契約拒否から発展した沖縄県知事の代理署名拒否という大闘争(裁判を含む)に発展していく。この中で大田昌秀知事が裁判の証言に立ち(1996年3月11日)、基地の整理・縮小を訴え、「基地返還アクションプログラム」を提起し、その第一の課題に普天間基地返還を訴えた。こうした流れは沖縄県の行政課題に押し上げられていったのだ。
 しかし、この日本国総理大臣(橋本龍太郎)が起こした軍用地強制使用に関する職務執行命令訴訟(代理署名裁判)は被告大田知事の訴えを退け、最高裁でも同様な結論が出され(1996年8月30日)、代理署名に応諾させられた。この裁判も安保VS自治を巡る裁判であったことを私たちは改めて思い起こしたい。なお、当時、定められていた市町村長、知事による代理署名制度は、「地方分権改革」と謳われた制度・法改悪の中で、「国の執行事務」とされ、仕組みそのものが奪われていったのだ(2000年)。
 日米政府の反応は早かった。96年4月12日、橋本龍太郎首相とモンデール駐日大使の会談で、「普天間基地返還合意」との「朗報」を大々的に打ち出した。しかし、まやかしの毒饅頭だった。それから5日後の日米首脳の合意「安保再定義」は、それを如実に示している。

➁「安保再定義」の問題点
 1996年4月17日米日のトップ会談で、「日米安全保障共同宣言―21世紀に向けての同盟」(仮訳)(「安保再定義」)が合意された。両国首脳が「日米同盟」と称して「米日同盟」を繰返し確認していく。彼らは、冒頭で安保態勢を「冷戦の期間中、アジア太平洋地域の平和と安全の確保に役立った」と述べ、「21世紀においてもこのパートナーシップが引き続き極めて重要」だと確認している。
 「地域情勢」では「朝鮮半島における緊張」を打ち出し、「日米同盟関係と相互協力及び安全保障条約」の項で、両首脳は「日本防衛」そして「アジア太平洋地域の平和と安定」に2国間の軍事協力が重要だと確認し、「この地域に於いて約10万人の前方展開軍事要員からなる兵力を維持することが必要」だと再確認した。総理大臣は「米国の決意を歓迎」し、「米軍の維持のために、日本が日米安保条約に基づく施設及ぶ区域の提供並びに接受国支援等を通じ適切な寄与を継続することを再確認」。米国大統領は、兵力の駐留と日本政府の財政支援を歓迎し、「同盟関係を支えている人々、地域社会を歓迎」した。
 「日米間の安全保障面の関係に基づく2国間協力」で、さらなる協力を約している。緊密な協議の継続、日米ガイドライン(軍事指針)の改定、ACSA(日米両軍の相互提供協定―後方支援、物品、役務の相互提供)の締結(96年4月15日)と運用の促進、装備等の相互研究、相互交流、弾道ミサイル防衛の研究など。また、「2国間協力」の項の6に「円滑な日本駐留にとり、広範な日本国民の支持と理解が不可欠」とご丁寧にも明記し、沖縄に言及している。「SACO合意の作業を成功裏に結実させる」としたのだ。

 この安保再定義から、1997年9月、「米日ガイドライン(軍事指針)」が改訂され、朝鮮民主主義人民共和国をターゲットとした米日安保体制・軍事作戦態勢を造りあげていく。そして1999年、周辺事態法などの戦時立法が制定された。日米安保条約は、「極東安保」から「アジア太平洋安保」へ拡大され、「専守防衛」体制が破棄されていく道筋が造られた。こうして、今では米日共同作戦の演習が大々的に行なわれていることは周知の事実だ(前号の拙文「リゾリュート・ドラゴン演習」を参照)。

③SACO合意を振り返る
 こうした流れの上に立てられたSACO合意とは、一体何だったのだろうか?! 沖縄に関する特別行動委員会(SACO)は95年11月に日米政府が設置した。曰く「両国政府は、沖縄県民の負担を軽減し、それにより日米同盟関係を強化するためにSACOのプロセスに着手した」、「日米双方は、日米安全保障条約及び関連取り決めの下におけるそれぞれの義務との両立を図りつつ、沖縄県における米軍の施設及び区域を整理、統合、縮小し、また、沖縄県における米軍の運用の方法を調整する」とある。
 1996年12月2日、最終報告が出された。その結果が土地の返還、訓練及び運用の方法の調整、騒音軽減イニシアティブの実施、地位協定の運用の改善、普天間飛行場に関するSACO最終報告だ。ここで逐一評価を下す紙幅はないが、住民の立場から考えれば地位協定の改善など殆ど改善されないままだ。検疫についても取り上げられていたが、コロナ禍の実態を鑑みれば、何が改定されたのか。
 普天間飛行場の件は以下。「普天間飛行場の重要な軍事的機能、及び能力を維持しつつ、同飛行場の返還及び同飛行場に所在する部隊・装備等の沖縄県における他の米軍施設及び区域への移転」について検討してきたと言う。ご覧の通り、沖縄への移転が大前提だ。その上で、沖縄島東海岸沖の海上に建設し、方策を今後検討するとしている。さらに注目すべき事は、同施設では対応できない運用上の能力、緊急事態対処計画の柔軟性(戦略空輸、兵站、緊急代替飛行場機能、緊急時中継機能等)は、他の施設によって十分に支援されなければならないとしている。
 これらの留保事項は、有事に至る際の問題だ。滑走路2800mの普天間基地を代替できる場所はどこにあるのか。あるとすれば、那覇飛行場(拡張)であり、有事に米軍が使えば、那覇飛行場は、尚更危険にさらされる(那覇飛行場は自衛隊との軍民共用空港)。沖縄県民は初発から、内密裏に危険と隣り合わせを強いられてきたのだ。然らずんば返還しないと。
 「沖縄の負担軽減」が、いつの間にか有事即応体制を甘んじろと言うことだ。冗談では済まされないことだ。普天間基地は「返還」されるのか、そのためには、米日共同軍の有事即応体制を甘んじなければならないのか! 日米政府は沖縄をなめてはならない。

(3)「米軍再編」後のステージの中で
①1999年の政府方針を振り返る
 以下経緯。99年12月27日、岸本建男名護市長が条件付き受け入れを表明、12月28日「普天間飛行場の移設に係わる政府方針」閣議決定、2002年7月「普天間飛行場代替施設基本計画」策定、2004年4月環境影響評価手続き開始、同年9月ボーリング調査の海上作業を開始。2005年10月「2+2」(国務大臣と国防大臣、外相と防衛庁長官)の共同文書で新たな案で合意。2006年4月名護市、宜野座市と基本合意―V字型滑走路を決める。2006年5月「再編実施のための日米ロードマップ」とりまとめ。同月、防衛庁と沖縄県で基本確認書を締結。そして「在日米軍の兵力構成見直しに関する政府の取り組み」を閣議決定。
 この1999年から2006年が実は大きな転換点になったのだ。99年閣議決定に何が書かれていたか。冒頭に「移設・返還」とある。知事が「キャンプ・シュワブ水域内名護市辺野古沿岸域」と表明し、名護市長も代替施設を受け入れると表明したとある。国が県と名護市を抱き込んだのだ。
「記」に「軍民共用空港を念頭に整備を図る」とあり、「10年要求」に「使用期限」に「国際情勢があり厳しい問題(中略)在沖米軍の兵力構成等の軍事態勢につき、米国政府と協議していく」とうやむやにしている。「安全・環境対策」に「地域の住民生活及び自然環境に著しい影響をおよぼすことのないよう意見が反映したものになるよう、政府は誠意をもって米国政府と協議を行ない、政府関係当局と名護市との間で協定を締結し、沖縄県が立ち会うものとする」とした。また、「地位協定の運用改善について、誠意をもって取り組み、必要な改善に努める」とも。そして地域振興についても忘れていない。国はよくも適当なことを約束したものだ。この国の自治を否定する考え方は、現在に一貫している。
 今思えば、そもそも米軍基地の整理・統合・縮小は形だけだった。嘉手納以南の基地は都市化の波を受け使いづらくなり、北部にシフトさせつつ、軍事使用に効果的に整理し直すのが、SACOが言う「整理・統合・縮小」だった。

➁2005年「米軍再編」の中で
 そして時は流れ、2005年10月「米軍再編」、2006年5月「再編実施のための日米のロードマップ」-グアム再編を合意。06年5月30日、日本政府は「在日米軍の兵力構成見直し等に関する政府の取り組みについて」を閣議決定。この「米軍再編」と「ロードマップ」-グアム再編は一連のものだ。日米安保を「地域および世界の安全保障環境」と世界安保を目指している。そして「在日米軍の兵力構成の見直し」を前面に掲げた。
「米軍再編」は、幾つもの再確認、新たな合意をしている。「地域及び世界における共通の戦略目標を達成するため、国際的な安全保障環境を改善する上での2国間協力は、同盟の重要な要素となった」と、地味な表現だが、格段に「2国間協力」―日本政府・自衛隊を持ち上げている。イラク派兵の実績や武力攻撃事態法の制定などが米国に評価されたのだろう。多国間協力や民間の空港・港湾の軍事利用を打ち出し、米日相互の指揮権に踏み込む検討を示唆。情報共有、情報協力、相互運用性、両軍の訓練(グアム・アラスカ・ハワイ・米国本土)機会の強化、両軍による施設の共同使用の強化など。米国は日本を抱き込み、一体運用(作戦態勢)に踏み出した。
 そして「兵力態勢の再編」を打ち出したのだ。◎共同統合運用調整の強化 ◎米陸軍司令部能力の改善◎航空司令部の併置など。米国・米軍は日本国・自衛隊を共同統合作戦態勢に組み込むための横田基地の共同使用、キャンプ座間の共同使用を意図していたのだ。
 こうした流れの中で「海兵隊の緊急事態への対応能力の強化や、それらの能力のハワイ、グアム及び沖縄への再分配が含まれる」としている。ヤマトにおける両国の統合軍、陸軍・海軍・空軍の緊密な相互調整は、在日米軍全体、陸海空自衛隊全体に波及していくのだ。何よりも自衛隊が実戦対応能力を持つ陸海空統合軍に再編・強化されていくのであり、米日共同・統合軍による軍事力は極めて重大だ。

 私はここで立ち止る。これ以前の「負担軽減」とは基地面積の縮小で表されてきた。例えば、埋め立て手続きとして行なわれた環境影響評価において、海兵隊がオスプレイを導入することも隠された。そもそも如何なる航空機が離発着するのかも明らかにされなかった。しかしこうした「米軍再編」は、緊急事態への対応として、米日軍を束ねて動員する態勢を見据えていたわけであり、戦時になれば、一挙に危険性が基地周辺内外に高まっていく。日米政府は、「負担軽減論」を唱えてきたが、平時において、より頑なになり、戦時において危険が爆発するものだと、私たちは知らなければならなかったのだ。
 
③「米軍再編」の中の普天間基地移設計画(*私のコメント)
◎「普天間飛行場の移設の加速」と称しながら、「代替施設は(中略)回転翼機が、日常的に活動を共にする他の組織の近くに位置するよう、沖縄県内に設けられなければならないと結論」と明記している。
*これこそタライ回しというものだ。
◎そして辺野古崎沖から大浦湾に至るL字型滑走路が計画された。
◎KC-130空中給油機の移転は、岩国基地(山口県:当時、海兵隊と海上自衛隊が使用)あるいは鹿屋基地(鹿児島県:海上自衛隊の航空基地)へ検討する。
◎緊急時の条件として、航空自衛隊築城基地(福岡県)と同新田原基地(宮崎県)を使えるように整備する。
◎「長い滑走路を用いた活動のため米軍による民間施設の使用を改善する」。
*このうち、KC-130は、岩国基地へ移転され、築城と新田原の改築されてきた。

④グアムへの移転
 そしてグアムへの移転が打ち出される。第3海兵機動展開部隊司令部はグアム等に移転され(約7000名)、残りの在沖海兵部隊は、海兵機動展開旅団に縮小される。
 この意味は限りなく大きい。彼らが言うように部隊面積の縮小においてではない。いよいよ対中緊張を意識して、過半の部隊を中国から遠ざけるための再配置だからだ。軍隊は動けるが、住民は事前に動けない。戦争準備は住民を無視してすすめられていくものだ。
 さらに米国は土地面積を縮小するのだからとグアム移転費を日本政府に求めている。

(4)「ロードマップ」・グアム再編(2006年5月)の中で
  これは「米軍再編」に係わる最終とりまとめとされた。個別の再編案は統一的なパッケージとなっている。関連した機能を一体として動かす。その機能の全部が再編されない限り再編は完了できない。また、建設費等の移転費用は基本的に日本政府が負担する。
 米軍の移転費用を何故日本政府が負担するのか、訳が分からない。

①「普天間飛行場代替施設」
 まず「移設」から「代替施設」へと変わっている。パッケージであると印象づけるためだろう。米軍からより釘をさされたのだろうか。
◎V字型2本の1600m滑走路にオーバーランを各100m=1800m。
◎代替施設の建設は2014年までに完成が目標。*10年も遅れている。まだまだ遅れるだろう。
◎移設は同施設が完全に運用上の能力を備えたときに実施。*全部が移設あるいは要件を満たさない限り普天間基地は継続運用されるということだ。
◎緊急時の築城と新田原基地の使用のための施設整備。
◎「民間施設の緊急時における使用を改善するための所要が、2国間の計画検討作業の文脈で検討され、普天間飛行場の返還を実現するために適切な措置がとられる。*これは那覇飛行場となるだろう。如何なる条件が付されるのか分からない。
◎工法は原則として埋め立て。*大浦湾の埋め立て工事が代執行によって差し迫ってきた。
◎米軍は戦闘機の使用を考えていない。*緊急時等の使用は十分に想定できる。また自衛隊の航空機(空母艦載機など)の利用もあり得る。

②グアム再編
◎約8000名の海兵隊員、約9000名の家族がグアムに移転する。
◎移転するグループは第3海兵機動展開部隊の指揮部隊、第3海兵師団司令部、第3海兵兵站群、司令部、第1海兵航空団司令部、第12海兵連隊司令部を含む。沖縄に残るのは司令部、陸上戦闘部隊・航空戦闘部隊・兵站戦闘部隊で構成される海兵空地任務部隊。規模の詳細は不明。現行の配置が切り分けられ再編されるのだろう。
◎対象となる部隊は、キャンプコートニー(うるま市)、キャンプハンセン(金武町等)、普天間飛行場(宜野湾市)、キャンプ瑞慶覧(北谷町・北中城村・宜野湾市等)、牧港補給地区(浦添市)など。
◎費用負担:102,7億ドル(2008年度米会計年度の価格)の内60.9億ドルが日本政府負担。*どれだけ値上がりしているのか、いくのか、分からない。天井知らずの軍事費から支出されていくのか!
◎再編統合によって、嘉手納以南の土地の相当規模が返還される。*要確認。
◎その他、略。

 2006年時点で、私はこれほどの部隊がグアムに行くのならば、その隙間に新基地に自衛隊が入ってくるだろうと考えてきた。2004年3月陸上自衛隊は長崎県相浦駐屯地に西部方面普通科連隊を新編。これが海兵隊の強襲揚陸部隊と同じような訓練を始めていたのだ。当時は、まだ「島嶼防衛」ミサイル部隊などの配備を予測できていなかった。2010年末の防衛計画大綱を読んで、この国の考えを知り、愕然とさせられた。改めて総合的な把握と予測をしなければなるまい。

(5)総括に変えてー「在日米軍の兵力構成見直し等に関する政府の取り組みついて」(06年5月30日)
  2006年5月30日、日本政府は、「米軍再編」を巡る上記の閣議決定を行なった。
①「在日米軍の駐留は日米安保体制の中核であり、米軍の使用する施設・区域の安定的な使用を確保する必要がある」。「(同)施設・区域が沖縄県に集中し、また本土においても施設・区域の周辺で市街化が進み、住民の生活環境や地域振興に大きな影響を及ぼしている。(中略)幅広い国民の理解と協力を得て今後とも施設・区域の安定的な使用を確保し、日米安保体制を維持・発展させるためには、抑止力を維持しつつ地元の負担を軽減することが重要である」。
 さらっとしており、よくよく注意して読まないと分からないが、米軍の駐留を確保し、抑止力を維持するために、幅広い国民の理解と地域振興によって、負担を受容している人たちに甘んじてもらうのだと言っている。この厚顔無恥な背後に、差別と分断、弾圧も控えているのだ。
②最終とりまとめによって、相当規模の土地の返還、米日司令部間の連携強化、航空自衛隊車力駐屯地(青森県)への米軍Xバンドレーダー基地の新設、などなどを着実に実施していくと言う。こうした姿勢は、アジア・太平洋安保から世界安保へ米日共同の軍事同盟を強化し、日本政府は米国の軍事力を支えていくということだ。
③政府が責任をもって米軍の駐留、再編を進めていくと言うが、「負担を担う地元公共団体の要望に配慮し、我が国の平和と安全への大きな貢献にこたえるよう、地域振興等の措置を実施する」としている。ひとりひとりの住民の苦痛・苦悩、危険・被害を「安全保障」と「地域振興」という名目で、集団への買収で、買い取るつもりだ。沖縄の声を、住民の声を無視する姿勢が際立っている。
④グアム移転は沖縄の負担軽減にとって、極めて重要であり、我が国として所要の経費を分担するという。「沖縄の負担軽減」を名目として、日本側が経費を負担するなど、もってのほかだ。沖縄からの声に向き合うのが先だ。個人の人権と地方自治を端から無視していると断じざるを得ない。
 一方、沖縄の米軍のプレゼンスの低下を危惧し、自衛隊の強化と米軍との共同運用を強め、この国は益々米軍の受け身になっている。日米地位協定の改定などに頬被りする姿勢と一致している。
⑤普天間飛行場の移設について、「危険性の除去、周辺住民の生活の安全、自然環境の保全及び事業の実行可能性に留意して進める」としている。しかし危険性の除去は、航空機が飛び交う以上、基地周辺に限定されない。普天間基地周辺について言及するだけで、新基地建設周辺の状況について、目と耳を塞いでいる。まして工事期間がいつまでかかるのか、見通せないまま、オスプレイ等の危険を放置し、軟弱地盤のことを顧みず、自然環境の保全や危険性の除去すら無視しているのだ。
⑥そして99年12月の閣議決定を廃止すると決めている。軍民共同の飛行場とか、15年限りの使用に限定などの名護市(岸本建男市長)・沖縄県(稲嶺恵一知事)が出していた条件を一方的に反故にした。

 以上、96年から2006年までの日米政府の動きを中心に概観してきた。今日までさらに17年経っている。頭がクラクラするが私はこの作業を続けていく。私はこうした欺瞞と危険を認めない。(続く)

 



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