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ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き、琉球諸島を巡る基地・戦争への道を問いかけ、自然を語る。●無断転載、お断り。
 

東京から帰宅しました(20250709)

2025年07月09日 | 沖縄暮らし

 2025年7月8日夜(22時頃)、帰宅。雨が上がり、リュウキュウコノハズクが間近で啼いており、私の帰宅を歓迎してくれているようでした。結果的に私は雨に当たらず、帰ってきたのです。

 私は7月3日午後、羽田空港に降り立ちました。何故か、政府専用機(ボーイング777-300ER)を見ました。私がこの本物をみたのは初めてでした。日本国の政府専用機は、航空自衛隊の特別航空輸送隊(千歳基地)に籍を置き、千歳基地を拠点にしています。だから、なかなか見ることはできません。何故羽田に来ていたかと言えば、7月6日~13日、天皇・皇后のモンゴル訪問のためのようですね。

 私の4日は横田基地と入間基地へ。今回一日だけのお仕事でした。4日夜は、人と待ち合わせの直前の15分間で、本2冊を買った。「ルポ 軍事優先社会ー暮らしの中の『戦争準備』」吉田敏浩著:岩波書店刊と「虚構の日米安保 憲法9条を棚に上げた共犯関係」古関彰一著 筑摩書房刊です。2冊とも必読文献でしょう。

 5日は今回のメインの中学時代のクラス会。卒後58年だから、大いに変わったクラスメート。なんと私が開会挨拶をしろと、3日羽田に着いた頃連絡が入りました。私のような非主流派だった者が開会挨拶だと。何故かと言えば一番遠くから来たからだと。確かにそうか。否、一番貧乏だろうと自認しています。また一番陽に焼けていると思いますが、私がやるの? 

 ともかく話した。何故沖縄に住んでるのと問われることは必至。5月17日に「だからあきらめない/沖縄戦から80年の今/私たちの辺野古・大浦湾」の二人展をやりましたとも話しました。手短に話さないとブーイングが来るだろうし、何も言わないでは、わざわざ来た意味がない。観光で沖縄にきているとかの人が多い中で、「基地の島沖縄」について普段考えたこともないだろう人が多数派だろうが、一言話しました。

 この断絶を如何にしたら突破できるのか、ここを正面から超えない限り、分断が再び戦争を招き入れていくだろう。重たい課題です。話の中にこの正月に小豆島に行き、帰路、姫路城も見たことも話しました。中学の修学旅行で行った先だからです。クラスメイトだなと思うひとつの回路でしょ。会の終わりに記念写真を私が撮りました。

 非主流派だった私ですが、少しは貢献できたかなと思っています。ただ、私が一番会いたかった人たちは来ていなかった。彼等はクラスの和から外れていると思っているから、来なかったのでしょうか。連絡がとれなくなっているようで、誠に残念です。

 6日、7日は、小田原・箱根へ。東京在住のつれあいと。箱根登山鉄道などの写真も撮りたかったけれど、ダメダメでした。普段、鉄道ないから、しょうがない。下手だなぁと。

 8日は帰る日。羽田空港で読書に励みました。意外と充実した6日間になりました。

帰宅したら、PCのインターネットの繋ぎが破損しており、いよいよ買い換えないとならない。



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