2019年10月15日~18日、今年2回目の宮古島を旅してきた。詳報については全て当ブログに上げた。この島を米日政府は『島嶼防衛』の要にする計画のようだが、全貌はまだまだ闇の中におかれたままだ。また宮古島市当局も住民よりも政府を向いて、政府の「闇の中計画」を支えているようだ。
私の宮古島の旅も2011年から数えれば8年が経過し、10数回の時を刻んできた。この中で、私は野原(空自の第53警戒隊)、千代田(陸自警備隊)、保良(弾薬庫と射撃演習場)を追いかけつつ、毎回、平良港、宮古空港に着目し、下地島空港や長山港を探ってきた。その中で、対艦ミサイル、対空ミサイルの司令部はどこになるのかを考えれば、もはや野原の丘の斜面(地下要塞)しかないと推察していることも明らかにしてきた。まだ分からないことは警備隊の演習場をどうするのか、対艦ミサイル、対空ミサイルの部隊の展開場をどう考えているのかなどが不明なのだ。
政府が公表しない以上、私たちが検討し、少しでも明らかにしなければ、危なくてしかたがない。今後の課題である。
この補足は18日バスで伊良部大橋を通り、伊良部島、下地島を見ながら考えた事をまとめておく。この伊良部大橋を渡れば、宮古島と伊良部島・下地島と10分で渡れる。下地島空港から保良まで45分あれば行けるのだ。野原からでも千代田からでも伊良部島・下地島に30分だ。
宮古島は最北端の池間島から最東端の東平安名崎まで33キロ、東西は来間島まで23.5キロだ。概ね平坦な島であり、そこに地下壕が掘られていけば、住民の水瓶が破壊されかねない。命の水が平時から脅かされる段階に入ってしまっているのだ。また空港や港の防護態勢、野戦病院の確保、戦時資材の確保など未知のままに置かれている。こうした課題は、陸自野外令を参照しつつ、具体的な地形や地誌、交通関係、などを参照しながら検討を加えていきたい。
住民が市民が生きていける条件を確保していかなければ、戦場になってからうろたえても遅いのだ。私は微力ながら現地の人々との繋がりを大切にしながら、検討を重ね、警鐘を鳴らしていきたい。