ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

【補正】私は不調ながら、重大な懸念を考える(20240124)

2024年01月24日 | 沖縄暮らし

 今日(2024年1月24日 曇 寒い)も、ぐだぐだしていた。全然ダメやねんということはないのだが、ブログへの画像の獲得に至らず。挙げられないと思うと、撮影の意欲も出ない。天気悪く、残照もありえない。脚・腰の痛みもまだよくならない。

 しかし本日は1件、文章化にまだ至らないが、骨子を検討した。そして「原発と核抑止の犯罪性ー国際法・憲法・刑事法を読み解く」(浦田賢治著 日本評論社刊 2012年12月刊)をもうすぐ読み終わる。この本、著者から献本頂いた本なのだ。10年余り前のことだろう。浦田賢治さんは憲法学者で、私は「派兵チェック」(1992年ー2007年月刊紙)編集委員時代にお世話になった方だ。私の拙文をしばしば読んで頂き、好意的な感想をくださっていた。今はどうしていらっしゃるのだろう。

 同書は浦田さんも書いているが、フランシス・A・ボイル(米国イリノイ州立大教授 国際法)氏らの訳文も多い。一見、固い本(読んでも固い本)なので、私は敬遠していたのだが、え!と思うことがあり、一気に引きずり込まれた。対テロ戦争の時代の読みと、核戦略/核抑止論のスライドが特に興味深い。詳細については、是非お手に取って頂きたい。もう一点、国際法で読めば、核兵器などオールダメダメだと。如何なる形で核兵器を行使しようが、核で威嚇しようが、国際法違反だと警鐘をならしている。

 私は国政法を殆ど学んできていないが、原理原則として国際法で戦争を違法化してきた歴史を顧みれば、核兵器・核戦略違法の判断は当然だろうと思う。だが、にもかかわらず、23年広島サミットのように敢えて広島でやりながら「核抑止論」に立脚する声明を岸田文雄首相が先頭に立ち、公表したのだ。被爆地広島をウリにしながらやる無遠慮・非常識ブリに驚きを禁じ得なかった。「お前は、新たな生け贄を差し出すつもりなのか?!」と言いたくなる。

 2012年当時と今では大いに変わってしまったが、核戦争すら懸念しなければならない時代の今、国際法から読み込む批判も積極的にやるべきだろう。同時に、こうした基礎があったからこそ、核兵器禁止条約が生まれてきたのだろう。だからこそ、永久的に使えないかのような核兵器を使い覇権を維持したい連中と、それをなんとか抑え込み、核廃絶に持ち込みたい中小国のつばぜり合いが激化しているのだ。同時に中国を敵と考えるのか、中国側に着くのかという二分法の中で、2つの覇権国に追従しない生き方ができる国々が成長して欲しいと、私は願っている。

 このままいけば、米国等大国の独善の中で、世界は取り返しのつかない方向に引き込まれていきかねない。私たちは、破滅か、それとも核廃絶・平和への道か、生き抜く力が試されている。奴らの利権と利害によって、私たちが生きる世界を踏みにじられたくない。沖縄はこのことも、もっともっと学び、沖縄の自治の彼方にあるべき姿を作りださねければなるまいと、私は考える。

 しかしだ。米国も核大国。中国もロシアも核武装国家。朝鮮民主主義人民共和国もだ。日本の周囲は、核に包囲されている。最悪のシナリオは1962年に生じたキューバ危機のような事態だろう。あの時は、ソ連がキューバに中距離ミサイルを持ち込み、米国を恫喝したが、今度は日本列島と沖縄に米国が核ミサイルをもちこむかもしれない。もっとも当時とは輸送手段(長距離ミサイルへ)が大きく変わっているが、だからこそ近場にもおいて喉元を刺すようなゲリラ戦法を採らない保障はないのだ。距離を取ることから、時間との勝負になり、それこそ先制攻撃に及ぶのだろうか。彼ら核兵器国は、こういうだろう。「国際法など、ずっと無視してきたのだ」としらっと開き直るだろう。

 映画の話しならば、ともかく、現実に起きたらとんでもないことになる。私は何処の国の核兵器も全否定する。如何なる口実も認められない。「核抑止」と言うが、抑止力とは武力による脅しだ。より強い武力が準備されれば、お互いに牽制しあい、より強大な武力に至る。非核兵器から核兵器に至るのはある種必然だろう。そうなってから、焦っても遅すぎる。

 私たちが前を見て生きることは、辛いことが多すぎる。核大国の開き直りを許さない地道で明確な取り組みが、私たちに求められているだろう。

 私がこの話しに俄然本気度をあげたのは、辺野古弾薬庫に核貯蔵庫が造られたかという話しからだ。ここには以前も核弾頭が置かれていたようだが、弾薬庫再編の中で核の弾薬庫が新造されているのではないかと、山本眞直さんの「辺野古弾薬庫『再編』の狙い今、明らかに」(あけぼの出版 2023年11月刊)に指摘されている。この話を聞いたとき私は、「今更ね」と思っていた。しかし冷静に考えれば、対中(対ロ・対朝)に構える米国は遠距離からの攻撃のみならず、近距離からの攻撃も構えるだろうと、私は判断を変えたのだ。距離の問題と同時に、時間の問題が重要になってきたから、こう思い直したのだ。反撃の余地を与えずに攻撃する。

 それも日本から、日本国に前面に立たせることもできるかもしれない。上手くすれば日本に「核共有」と言うことで、核攻撃をやらせようと米国は考えるかもしれないのだ。もしもそう迫られら、日本の政権は、ノーを貫けるだろうか。今の自民党を中心とした政権では不可能だ。政権を変えなければ、私たちの世も末がやってくるだろう。しかし政権を変える展望は極めて限られている。そもそも困難だが、諦めてはいられない。

 どうか共に考え、行動していきましょう。

 



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