ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

【補足】沖縄軽便鉄道を偲び、未来の交通を思う(20201007)

2020年10月07日 | 沖縄島中南部
 2020年10月7日(水)曇り、強風(吹かれまくった)
今日の予定は、那覇軍港から浦添新軍港予定地だった。しかし途中で天候が悪化しそうになり、肝心の浦添新港は、3度目の正直にもちこし。課題を据え置く。そのまえに。
 県庁前から那覇バスターミナルの背面に回った。

デカイビルの前にドドンと立つガジュマルと歌碑。11:35
まっすぐ国道58号方面に歩くと。
角にこんなものがあった。11:40
沖縄軽便鉄道の路線図など。1914年にできたと。-1945年だから、31年間だったのか。沖縄県営鉄道。那覇ー糸満、那覇ー与那原、那覇-嘉手納の3路線が走っていたのだ。沖縄戦で壊滅。1950年から53年の朝鮮戦争で、廃線による鉄軌道などの鋼材も新たな戦争に使われたらしい。
ここにターンテーブルがあったようだ。小さい。直径6.5m? 11:40
機関車をこの上で回し、方向を変える。線路幅は762ミリ。日本の殆どの鉄道の線路幅は1067ミリ。新幹線は1435ミリ。
 敗戦後、米軍が沖縄を占領し、あちこちを基地化していった。鉄道の再建は不可能となる。米軍の占領政策によって壊滅させられた。鉄道よりも自動車が選択された。
あぁ。11:42
今走っているのは沖縄都市モノレールだけだ。11:46 ゆいレール。2003年開業。「那覇空港駅」から「てだこ浦西駅」。
11:46
旭橋の上から。壺屋駅を出たモノレール。11:53
今の那波の街。交通3本柱? 沖縄は今でも自動車(道路)社会なのだ。 モノレールも頑張っているのだ。11:54
沖縄島に鉄道を走らせる動きもあるのだが。基地を撤廃し、面的に使う中から、鉄道は生きてくるはずだ。自称、バス党の私だが、内心は鉄道ファン。





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