おはようございます。名護市西海岸は雨です。お陰で密かにでかけようとしていた取材は中止。やむおえない。
今朝は、偶然「安全保障関連法に反対する学者の会」が去る6月にやった「ストップ・ザ・ウォーー戦争をしない日本と世界」を見ている。朝から3時間これか。また、「来年はどんな年になるか?」と聞かれたタモリは「新たな戦前になる」と応えたことが話題になっている。
暗い年末。私たちの希望はどこへ? 来年は沖縄から、こうした緊張を解きあかす努力を始めなければならない。沖縄の可能性は、沖縄は「日本」ではないからあるのだ。こんなことを「日本人」(ヤマトンチュ)である私がいうべきことではないかもしれないが、大日本帝国の末裔が今の「日本」であり、(超簡単に言えば)負けた末裔だから米国の属国なのだ。
米日政府から見たら沖縄は最前線だ。一番初めにドンパチ起きることが想定されているのだ。それだけではない。「戦後日本国」が新生なったのは、沖縄の米国への占領であり、軍事基地化があった。「平和な日本国」は、こうして生まれたのだ。この幻想ががらがらと破壊されてきたのがこの10年だ。
私たち「日本人」は、この沖縄の痛みを知る努力なく、日本を、世界を見ていては、ダメだ。この国は中国を「敵対国」と断言しながら軍拡を進めようとしている。「抑止力」と称しながら、軍事力強化を図ると言っている。中国に向けた軍事力を強化しながら、反撃されることを何も考えていないようだ。不思議だ。軍拡と原発の強化という矛盾を平気でやる頭のおかしな連中。
囲碁も将棋も、攻めることも、守ることも、同時に先を読みながら考える。サッカーも、ラグビーもそうだ。しかしこの国は、戦争はそうではないと。攻撃したときに、反撃したときに、どうするかの対策を全く考えていない。軍隊だけが身勝手に動くが、国民がどうなるかなどおかまいなしだ。唯一の対処は米国の強力な支援があると信じ込んでいるのだ。あたかも米国が魔法を掛ければ、日本は無傷で生き残れると考えているのだろうか。アホらしい。
そんな政権に私たちは、命を託することは不可能だ。来年私たちがやるべきことは、もっと自由に、もっと自立して沖縄を、日本を、世界を考えることだ。ここから全てが始まる。