ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

前途多難だが、諦めることなく(20220913)

2022年09月13日 | 沖縄暮らし

おはようございます。2022年9月13日(火)晴れ 

 体の疲れもやっととれました。知事選勝てて、ほっとしています。県議補選も。オール沖縄の態勢を刷新して、前に向かってほしい。

 今度の選挙は玉城デニー氏主導で、前に進めたと思います。翁長雄志元知事の誕生の過程で生まれた「オール沖縄」は、保革を超えて、新基地建設阻止とオスプレイの撤去に向けて頑張るが一致点でした。沖縄戦へのこだわりが効いています。翁長知事だったから、かりゆしグループも金秀グループも加わっていましたが、玉城県政になって、この2社が抜けた。今回の知事選では、この2つのグループは明確に佐喜真陣営に着いた。経済界だから致し方ないのかも知れませんが、一つの結果です。

 こうした中で、積極的に態勢を立て直す動きが県政与党からみえず、私は心配していました。玉城候補は、この選挙を通して「平和」が沖縄で生きるための基本だと打ち出したのだと思います。翁長知事が唱えていた「基地が沖縄経済にとって、最大の阻害要因」を含めて捉えることが重要です。まして台湾海峡を巡る緊張が高まり、沖縄の島々が攻撃拠点になろうとしている今、そんなことになったら沖縄は「アジアのダイナミズム」もへちまもなくなります。米中の利害対立が日中の利害対立に下請けされている現実に、私はあきれかえります。

 米国の下請けとしての沖縄が「基地の島」から抜け出すことはエゴでもなんでもありません。沖縄戦の経験の延長から考えても、当然のことです。「非武の島」だったということには無理があると私は考えていますが、貧しい島だったからこそ、お互いを尊重し合う、互恵の精神は重要だと思っています。多様性を認め合うことは、争いを避けることなしにありえません。「俺が絶対」では紛争の種が膨らむばかりです。

 愚かな権力欲に振り回されない、押さえていける沖縄でありたいものです。小さな島だから何を言っても無理ではなく、小さな島だからこそ言えることに拘りましょう。この意味で琉球の歴史から学ぶことがたくさんあるはずです。

 私が対馬(対馬藩)を知ったのは、与那国島に自衛隊基地ができる動きの中でした。そこに「警備隊」があり、行ったのです。そしたら日露戦争の「日本海海戦」とはこのへんのできごとだったとか、撃沈された船員(兵隊)を敵味方なく助けたとか。時代は遡りますが、対馬藩は貧しかったからこそ、多国間外交に注力したと知り、驚かされました。豊臣秀吉の朝鮮侵略(1592-1598)に兵を出していません。さすがに全面的につっぱねきれず、後方支援をやったようですが、その後、改めて朝鮮半島との仲をとりもつことに尽力しています。琉球王国は秀吉の要求を突っぱねています。

 財力があると奢るのです。権力は、財力を求めて戦争するのです。権力に面の顔を厚くして戦争への道を邁進したのが安倍晋三でした。安倍・管・岸田と続く「安倍自民党」。

 今度の沖縄県知事選は、沖縄が、権力に頭を垂れて面の顔をあつくするのか、沖縄が生きる道を選ぶのかが問われた選挙でした。簡単に変わることはできない以上、前途多難ですが、私は前を向くことができると思っています。新たな取り組みが見えてきた中で、オール沖縄も新たな枠組みに再編していく時でしょう。過去から学ぶことは今を生きるためです。その今がどうなっているのかが曇っていてはどうにもなりません。今を生き、過去から学び、今を見定めることなしに、転がり出している滅びへの道を止めることはできません。

 微力ではあっても無力でないをよりどころに、前途多難に確実に穴を開けてく努力がますます重要だと思います。がんばりましょう。諦めずに。



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