ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

南風原文化センターを訪ねて(20201127)

2020年11月29日 | 沖縄島中南部
 2020年11月27日(金)晴 今日は、YさんTさんとの3人で南風原文化センターを見学してきた。私が黄金森公園の脇を通ったのは3年ぶりのことだが、見学は久しく来ていなかった。ここには沖縄戦当時、陸軍病院が黄金森の斜面の中の壕の中にあったのだ。
 
11:30頃到着。いそいそと館内に入る。
 中は基本的に撮影禁止なので、私が記憶した範囲で簡単に紹介する。地下壕の中の病院。当時の装いの一部がマネキンやベッドなどの模造品・実物が並ぶ。 
 軍事病院は命を救うものではあらず。連合軍に追い込まれた日本軍は兵隊として再起不能な人々を殺していった。殺すための医療は悲しすぎる。医薬品や食料すら欠乏すれば、どうなるのか。人の命を顧みれなくなるのが戦争というものだ。
 奉安殿、忠魂碑、学童疎開などの展示が続く。ただそうしたものが当時の人々に何をもたらしたのか、突っ込みが浅い。人の命よりも奉安殿(天皇の顔写真)を尊ぶ時代の中で、「集団自決」にまで追い込まれた歴史を忘れてはならない。
 ここの展示はそんな誤魔化しはしていないが、そんなことがあったのかで終りそうだ。75年間の忘却の積み重ねは、ここ沖縄ですら容易ではない段階に入っている。実物展示をもっと強化すべきだろう。まして思想統制について証拠だてする実物展示は困難であり、聞き取りをペーパー化するか、音声にするしかない。
 実物という意味では、戦車の砲塔(砲はなし)があった。錆加減が半端じゃなかった。「穴の開いた砲弾の塀」もあったが、あちこちでみている私には恐怖を覚えるものではなかった。例えば砲弾(破片)の貫通力を知らしめるには、その重さを知ることが重要だろう。ひもじさに追い込まれた暮らしももっとリアルにやらないと、ぞっとするような経験化をイメージできないだろう。それに比べると戦後編は分かりやすかった。
 また、「移民」に関する展示は貧しさが移民を海外に送り出すことや、侵略が移民を正当化していくことにも触れており、比較的説得的だった。移民史はどうしても正当化の価値が入り込んでしまうから、要注意だ。
 1時間余りしっかりと私たちは見た。声にならない(できない)ものを感じた。丁度アイヌの衣装の展示が別室で行われており、そちらは実技が行われていた。
 
センターの外に展示されている壁画(一部)。13:22
13:23 同。
実際の病院壕を見ようと足を運んだが、コロナ禍のため予約制となっており、入れなかった。残念。
20号入り口前で佇む。13:46
平和の鐘。13:48 二人のうちどちらかが鐘をついたら、何やら衝撃的な音が鳴り響いた。
憲法9条の碑。ここにもあるのか。13:49
先ほどの展示を見てきた私は、改めて憲法9条に納得感を覚えた。
第9条「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない」
 戦後の沖縄には、この9条はなかったし、いまだにない。だからこそ、この思想を求めてきたのだろう。しかし戦後日本という国は、解釈改憲を進めながら、沖縄をも貶めているのだ。
 私たち「日本人・民族」の責任は重い。
平和の鐘。音を聞いたので、イメージが湧いた。13:49
希望の鐘を鳴らしたいものだ。
石碑を読む二人。13:50
軍医が書いたものだと。どれどれ。
生と死を読む。13:53
何人がこうだったのだろうか。アンカウンタブルだっただろう。軍医でも辛かっただろう。13:53
20号壕。今日は入れないがまた来よう。13:59
駐車場に戻る途中で。今は運動場がある。運動も自由にできる文化を守りたい。14:03
帰路、お世話になっているパン屋さんによってお買い物。感謝を伝えた。パン美味しかった。
暑かったし、辛いモノを見たし、帰路にクリームぜんざいで決まりだ。3人ともこれを食べた。



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