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『天安門は見ていた』第1部④ 鄧小平の復活→華国鋒との戦い 

2024年06月19日 02時12分51秒 | 文学・小説・戯曲・エッセイなど

第4幕・・・鄧小平の復活→華国鋒との戦い 

第1場 <1976年の10月下旬、北京市・東城区にある鄧小平の居宅。鄧小平のほかに胡耀邦、趙刻明、卓琳夫人がいる>

趙刻明 「四人組が逮捕されたのを、多くの国民は歓迎していますよ。いたる所に壁新聞が貼られ、喜びのメッセージが寄せられています」
胡耀邦 「なにか世の中が大きく変わる感じがしますね。毛主席と四人組がいなくなって、これからどうなるのか。 
華国鋒氏が党主席の地位に就きましたが、彼は以前、湖南省で私の部下だった人物です。大変な“出世”だな」
趙刻明 「そうだったのですね、あなたは華国鋒氏に大きく水を開けられた感じだ(笑)」
胡耀邦 「参ったな~、ハッハッハッハ」

鄧小平 「うむ、私も四人組が逮捕されたあと、彼にすぐ書簡を送っておいた。新体制を全面的に支持すると言っておいたよ」
趙刻明 「でも、華国鋒氏の周りにいる連中は、相変わらず毛沢東主義絶対の信奉者が多いですね。文革路線も基本的に変わりません。その点は四人組と同じようなものです。
だから、天安門事件をどう評価するのかで、われわれと大きな差がありますね。彼らはあの事件を、相変わらず“反革命”と捉えているのです」
鄧小平 「そうだね、その点がわれわれとずいぶん違う。毛沢東思想についても、これから“是々非々”で考えていかなければならない。
そうでないと、時代の変化や要望に取り残される恐れがある。まあ、そうした点は、これからじっくりと取り組んでいくさ」

胡耀邦 「それだからこそ、あなたの一日も早い復活、復権が望まれていますよ。党や政府、軍の要人のほとんどが“鄧小平待望論者”です。
それに応えていくのがあなたの使命でしょう。ごめんなさい、つい出すぎたことを言ってしまって」
鄧小平 「いや、ありがたい。先日も葉剣英元帥らが内々にやって来て、早く職務に復帰して欲しいと言ってくれた。本当にありがたいことだ。
だが、それは党中央で決めること、事態の推移を慎重に見ていかなければならない。私の復帰に反対する勢力もまだかなりいると思う。なにしろ、四人組や文革派の支持者は大勢いたからね」

趙刻明 「しかし、党や政府の要人があの文化大革命で、どれほど酷い仕打ちを受けたか・・・ それを思うと、あなたの復活は時間の問題でしょう。
ほとんどの国民、大衆はあなたの再起を望んでいるのです。これはいい加減な話ではないですよ」
鄧小平 「ありがとう。そう言ってもらうと“年寄り”も元気が出るね(笑)」
卓琳 「お話し中ですが、そろそろ食事にしましょうか。よろしいですね」
胡耀邦 「それはありがたい、頼みます」
趙刻明 「どうぞよろしく」
(卓琳が席を外す) 

 

第2場 <12月上旬、北京市・豊台区にある李慶之の自宅。彼と妹の李美瑛がいるところに、宋哲元が現われる>

宋哲元 「やあ、こんにちは!」
李慶之 「おお、久しぶりだね。自転車に乗ってきたの?」
宋哲元 「うん、寒かったよ、やはり12月だ。途中で唐山大地震で避難してきた人を数十人見かけたよ。彼らも大変だね」
(そう言って宋哲元が座り込み、李美瑛に軽く会釈する)
李慶之 「あの大地震で、少なくとも25万人が亡くなったというが、実際はもっと被害が大きいのではないか。20世紀最大の地震被害だよ」
宋哲元 「僕らも義援金などに協力したが、党中央は天安門広場に“毛沢東紀念堂”を建設すると言って、躍起になっているね。少しおかしいよ」

李慶之 「華国鋒は自分が毛主席の正当な後継者だということを、重ねて内外に示したいのだろう。権力者の考えることだ」
李美瑛 「北京にも難民が大勢 来ているというのに、政府は国民の生活や救済を第一に考えないのかしら。なにか変だわ」
宋哲元 「そうだね、僕もそう思う」
李慶之 「それにしても、鄧小平氏の復活を願う声が大きくなるばかりだね。壁新聞だけでなく、嘆願書まで出ているそうだ」
李美瑛 「国民の大多数が願っていることで、当然だわ」
宋哲元 「うむ、華国鋒主席もこれは無視できないね。年が明ければ、なにか動きが出てくるさ」

李慶之 「ところで、哲元、今日はなんの用で来たの?」
宋哲元 「いや、美瑛さんと約束をしていたんだ、ごめん」
李慶之 「そうか、早く言ってよ~(笑)」
李美瑛 「兄さん、ごめんなさい、私が呼んだのよ」
李慶之 「ちょうどいい、僕は本を買いにいこうと思っていたんだ。大学の本はいろいろあるからね」
宋哲元 「いま行かなくても・・・」
李慶之 「気にするな。それじゃ、ゆっくりしていけよ」
(そう言って、李慶之が立ち去る)
宋哲元 「彼も気を遣っているね」
(残った2人が顔を見合わせて笑う) 

 

第3場 <翌1977年の8月初旬、北京・天安門広場の片隅。 瘋癲(ふうてん)老人と徘徊(はいかい)老人の2人が雑談をしている>

瘋癲老人 「早いものだ、唐山の大地震からちょうど1年が過ぎたぞ」
徘徊老人 「そうだな、しかし、大地震からの復旧は大変だとか・・・ なにしろ、ほとんどの建物が崩壊したというからな。北京にも難民が大勢来ている」
瘋癲老人 「あの時の余震もひどかったな。ここでも、しょっちゅう揺れていたぞ」
徘徊老人 「うん、いま思うとゾッとするね。子供がシャオピン(小瓶)が倒れたのを、鄧小平(トン・シャオピン)が倒れたのに引っかけてはしゃいでいたのを思い出すよ」
瘋癲老人 「ところが、その鄧小平(トン・シャオピン)がつい最近 復活したぜ。党副主席や副首相などに復帰したからな」

徘徊老人 「この1年、世の中は大きく変わったな。毛沢東が死んで四人組が消えてしまった。失脚して今度こそ終わりかと思われた鄧小平が、とうとう復帰したからね。地震じゃないが、世の中、なにが起きるか分からないよ」
瘋癲老人 「うん、まったくそうだ。今度は華国鋒たちと鄧小平グループの戦いが始まるというぞ。いや、もう始まっているかもしれない。表にはまだ出てこないが、鄧小平の復活がそれを意味しているようだ」
徘徊老人 「お前は妙に政治に興味があるね。そんなに面白いのか?」
瘋癲老人 「いや、多くの人がそう噂(うわさ)しているんだよ。どうなるか、面白いじゃないか」

徘徊老人 「ふん、やじ馬だな。俺はそんなことより、毎日 何が食えるか心配しているんだ。お前は家族がいるから、食う方は心配ないだろう。うらやましい奴だ」
瘋癲老人 「いい加減に、家族のもとに帰ったらどうだ。残飯整理や“物もらい”はみっともないぞ」
徘徊老人 「俺は家族と喧嘩をして家を飛び出したんだ。今さら、どの面(つら)下げて帰れるか! 俺にも意地がある。それに、なんと言っても“自由”なのさ。いつどこで倒れようとも、面倒見のいい人は必ずいるもんだ。だから、徘徊しているんだよ、ハッハッハッハ」
瘋癲老人 「ふん、勝手な奴だ。しかし、俺も家族に追い出されたらそうするしかないな。俺もいつお前のようになるかもしれない。その時は助けてくれ」

徘徊老人 「ハッハッハッハ、お前の方が勝手だよ。しかし、年寄りとはこういうもんだね。まあ、最後は安らかに死にたいものだ。七転八倒してあの世に行きたくない。どうなるか分からないけどね」
瘋癲老人 「今日はお前に負けた感じだ。しかし、明日は分からないぞ」
徘徊老人 「まあ、政治のことでも聞いといてくれ。お前の話はけっこう参考になるぞ」
瘋癲老人 「うむ、華国鋒と鄧小平の戦いはどうなるか、中国の将来はどうなるのか、社会制度や市民の生活はどう変わっていくのか・・・考え出したら切りがない。なかなか死ねないぞ、ハッハッハッハ」
徘徊老人 「相変わらずだな」 

 

第4場 <1977年の8月中旬、北京・中南海にある華国鋒の執務室。 華国鋒のほかに汪東興、紀登奎(きとうけい)政治局委員、陳永貴(ちんえいき)副総理ら“華国鋒派”のメンバーが集まっている>

華国鋒 「われわれは先の党大会で文化大革命の終結を宣言したが、これは文革が勝利のうちに終わったということです。毛主席の“決定と指示”は、今後も断固として守らなければならない。つまり、毛沢東主義は永遠に生き続けるということです」
汪東興 「これに批判的な連中は、われわれのことを“二つのすべて派”などと呼んでいるようだが、そんな連中に負けてはならない。要するに、これまでの既定方針どおりにやっていくということだ」
紀登奎 「むずかしい理屈はさておいて、江青らの四人組を排除したあとは、華国鋒主席を中心に一致結束して進んでいかねばなりません。その覚悟はできていますよ」
陳永貴 「まったくそのとおりです。ただ、問題なのは復活した鄧小平グループですね。いろいろ動きが出ているようだが・・・」

汪東興 「彼らは天安門事件を革命的な行為として評価しろと言っているが、そんなことは問題外だ。そうした意見があったが、しりぞけてやったよ。四人組が打倒されたので、いい気になっているだけだ」
紀登奎 「同感です。天安門事件は反革命的な暴挙であり、決して許されるものではありません。病床にあった毛主席も、これを厳しく批判していたそうですね」
汪東興 「そのとおりだ。私は最後まで毛主席の側にいたので、そのことはよく知っている。 ところで華国鋒同志、毛沢東紀念堂の建設は順調に進んでいますね」
華国鋒 「ええ、みんなが一所懸命にやってくれるので、来月の竣工は間違いありません。無事、落成式を迎えるでしょう」

陳永貴 「楽しみだな、来月9日の“一周忌”は盛大な式典になりますね。紀念堂の金文字はあなたの揮毫(きごう)になるとか、素晴らしいですね」
華国鋒 「ありがとう。みなさんのお薦めで決まったことに感謝しています」
紀登奎 「これで、華国鋒体制は盤石になりますよ。中国全土から紀念堂への参拝が始まるでしょう。しかも、毛主席のご遺体を直接 拝めるわけですからね」
汪東興 「一部には、唐山大地震の被害救済が第一だという声があるが、地震の被害救済は、もちろん全力でやっているのだ。 
それよりも今は、わが党の新体制を固めるのが急務ではないか。華国鋒体制を強固にしていこう」
華国鋒 「ありがたいご支援の言葉、恐縮です。私は党の先頭に立って、全力で職務を全うする覚悟です」 

 

第5場 <1978年の初めごろか。 北京市・東城区にある鄧小平の居宅。鄧小平と胡耀邦が話し合っているところに、趙刻明が現われる>

趙刻明 「おや、お二人で“密談”ですか」
鄧小平 「そう、密談だ。帰ってくれ」
趙刻明 「これは困った、せっかく来たのに」
鄧小平 「君ほど図々しい奴はいないね(笑)。少しは礼儀を心得たらどうなのだ」
胡耀邦 「まあまあ、いいではないですか」
鄧小平 「ふん、冗談だよ、ハッハッハッハ、趙刻明君ならいいだろう?」
胡耀邦 「もちろんですとも(笑)」
趙刻明 「すいません、一緒にさせてもらいます」

(少しの間。鄧小平が胡耀邦に向かって言う)
鄧小平 「さっきの話だが、君は中央組織部長になって、えん罪被害者の救済に全力を挙げるというのだな?」
胡耀邦 「そうです。四人組や紅衛兵に迫害された被害者から、党中央に救済を求める陳情が殺到しています。その数は日に日に増えていますよ」
鄧小平 「うむ、それは結構だ。文化大革命で理不尽に弾圧された人は数知れない。家族を含めると、何千万人もいるそうだな。君も僕もえらい目に遭ったね。
それらの人の名誉を回復するのは当然であり、同時に“文革派”の連中を追い詰めることになる。華国鋒たちは困ると思うよ」
胡耀邦 「そのとおりです。党内外で、被害者の名誉回復に賛同する人が急激に増えています。これは『人民日報』などの報道のお陰ですね。四人組が得意としていた広報・宣伝活動をわが物にしましたよ」

趙刻明 「そうすると、われわれの味方が急速に増えていますね。改革派の力が強くなるということか・・・」
鄧小平 「うむ、そのとおりだ。君が言うように、われわれは“改革派”なのだ。文化大革命で傷ついた党や国を、これで立て直す切っ掛けになる。
改革と開放、これこそがわれわれの掲げる旗印なのだ。そうして進んでいけば文革派は追い詰められ、われわれが勝つことは間違いない」
胡耀邦 「幸いなことに、党内外で私たちを支持する人が大勢います。気を強く持っていきましょう」
鄧小平 「中国は経済や産業、科学技術の面で、アメリカや日本などから大きく立ち遅れている。それらの国に学びながら、国力を豊かに大きくしていかなければならない。
私が前から言っているように、“白猫でも黒猫でもネズミを捕るのが良いネコ”なのだよ。何事も結果を、成果を出さなければならない。そうしてこそ初めて、中国は近代化に成功したと言えるのだ」
(胡耀邦、趙刻明がうなずく) 

 

第6場 <1978年の初夏のある日。 北京市・豊台区にある李慶之の自宅に、妹の李美瑛とボーイフレンドの宋哲元、李慶之と恋人である摂栄花がいる。4人は楽しく団らん中>

李慶之 「美瑛はもうすぐ、哲元君と旅行に行くんだって?」
李美瑛 「ええ、そうよ、行き先はまだ決まっていないけど・・・どこがいいかしら」
李慶之 「いいなあ~、僕はけっこう忙しいから、栄花さんとはいま行けないんだ」
宋哲元 「だけど、君たちはもう2~3回、旅行に行ったことがあるんだろ? 僕らは初めてさ」
李美瑛 「そうね、兄さんと栄花さんが連れ立って行くのを見たわ。父も母も黙認していたの(笑)」
宋哲元 「じゃあ、僕らのことをとやかく言えないね」

李慶之 「うん、わかった。 それはともかく、栄花さんと僕はまもなく“婚約”することになったのだ。彼女のご両親も承諾してくれたよ」
李美瑛 「えつ、本当なの? 初耳だわ!」
宋哲元 「それはおめでとう! そうなると思っていたよ」
李美瑛 「でも、お二人ともまだ学生じゃないの・・・」
宋哲元 「かまわないさ、善いことは早い方がいい。うらやましいな~」
李慶之 「ハッハッハッハ、驚かせてごめん。でも、お互いの両親が認めてくれたし、問題はないということだ。就職が決まれば、来年にも結婚するかもしれない」

李美瑛 「まあ、びっくりした、栄花さんもそれで良いということですか?」
摂栄花 「ええ、2人で話し合って決めたことです。異存はありません」
李慶之 「そういうことだよ、美瑛。 ところで、君たちはどうなんだ? 仲がいいし交際は順調に進んでいると思うが・・・」
宋哲元 「すべては美瑛さん次第です。僕は交際に満足しているけど」
李美瑛 「哲元さんは素晴らしい人だし、尊敬もしています。でも、まだ学生ですから、もっと交際を続けながら考えていきたいです」
李慶之 「そうか、2人の前途に期待しているよ。きっと上手くいくな」
宋哲元 「ありがとう。慶之君と栄花さんの赤ちゃんを早く見たいよ(笑)」
李慶之 「そんなに急がないさ。これから“一人っ子”の世の中になるもの」 

 

第7場 <1978年の8月初旬、北京・中南海にある鄧小平の執務室。鄧小平のいるところに黄華(こうか)外交部長が入ってくる>

黄華 「日本との平和友好条約が、ようやく調印される運びとなりました」
鄧小平 「それは良かった、ご苦労さん。しかし、ずいぶん時間がかかったね、大変だったろう」
黄華 「はい。でも、園田外務大臣らの代表団がまもなく到着しますのでホッとしています(笑)」
鄧小平 「覇権主義反対の条項や第3国との関係でだいぶ手間取ったようだね」
黄華 「ええ、しかし、なんとか妥協への道筋ができました」
鄧小平 「“小異を捨てて大同につく”ということだな。尖閣諸島や台湾の問題は棚上げでいい。
それをやり出したら、切りがないからね。外交交渉はむずかしいものだ」  

黄華 「ところで、華国鋒主席の方へはなんと伝えましょうか。政治局会議で報告すれば良いのでしょうか?」
鄧小平 「うむ、それは私に任せといてくれ。一任されているからね」
黄華 「4月に“武装漁船”が百何十隻も尖閣諸島に押しかけた時はびっくりしましたよ。あれで、日本との交渉は決裂するかと思いました」 
鄧小平 「いや、決断を迫ったのだよ、相手はのろのろしているからな。日本だって今回の交渉には前向きだった。あれはもう過去の出来事だから忘れよう。 
それより、平和友好条約が調印されたら、批准書の交換の時に私が日本を訪問しようと思っている。それでいいだろう?」
黄華 「えっ、あなたが訪日するのですか」

鄧小平 「うむ、そうしようと思っている。中日友好のためにはそれが良い。 
また、この目でしかと“先進国”の産業や科学技術を見てみたいのだ。わが国はその分野でずいぶん遅れている。きっと、参考になると思うのだ」
黄華 「なるほど、それは良いですね。さっそく、下準備に入りましょう」
鄧小平 「日本だけではない。国交正常化を控えたアメリカにも、来年早く訪問しようと思う。よろしく頼むよ」
黄華 「分かりました。いろいろ忙しくなりますが、中国の“国際化”にとっては大変 良いことだと思います。
外交部もやりがいのあることが増えました。いっそう奮励努力するつもりです。では、失礼します」(黄華が退席)

 

注・ 鄧小平は1978年10月22日~29日まで、日中(中日)平和友好条約の批准書交換式に出席するため日本を訪れた。中国の首脳が訪日したのは、戦後初めてのことである。>

 

第8場 <10月末、北京市・東城区にある鄧小平の居宅。鄧小平と胡耀邦、趙刻明が話し合っている>

趙刻明 「ずいぶんいろいろな所へ行ったり、重要な人物にお会いしたそうですね」
鄧小平 「福田首相はもとより、天皇・皇后両陛下にもお会いしたよ」
胡耀邦 「日本の進んだ産業や科学技術に感銘を受けたとか・・・」
鄧小平 「うむ。いや、新幹線の速いこと、速いことと言ったらない。後ろからムチで打たれているような速さだったよ(笑)。 それに、新日鉄や日産、松下などの企業も素晴らしかったな」
趙刻明 「それが近代化の証しということですか」
鄧小平 「そのとおり、日本は工業化や科学技術の面で中国よりはるかに進んでいるね。見習わなければならない」

胡耀邦 「遅れた中国を再生させるためには、周恩来総理も言っていましたが、4つの近代化が喫緊の課題ですね」
鄧小平 「うむ、私は今度の三中全会(注・党中央委員会の会議)で、GNP・国民総生産の倍増と工業や農業、国防、科学技術の近代化を強く訴えたいと思う。 
それなくして、中国の再生はあり得ない。今は経済が第一だ」
趙刻明 「力強い決意ですね。きっと党内外から歓迎されるでしょう。しかし、華国鋒グループの反応はどうなるのでしょうか」
胡耀邦 「華国鋒たちは黙って聞くしかないと思うよ。彼らには明確な指針、具体的な方策といったものが欠如しているのだ。 党内の大勢はわれわれを支持するに決まっている」
鄧小平 「その点は心配ないと思う。党内の支持は間違いない。 それより、文化大革命で失脚したり被害を受けた人たちの名誉回復、復活はどうなっているのだ?」

胡耀邦 「大丈夫です、順調に進んでいます」
鄧小平 「それから、一昨年の天安門事件の見直しだな。あれは“革命的”な行動だと再評価しなければならない。私も三中全会で訴えるつもりだ」
趙刻明 「それも大丈夫でしょう。北京の街中では、天安門事件の名誉回復を唱える壁新聞が続々と張り出されていますよ。
中には政治の民主化を求めるものもあり、そこは“民主の壁”とも呼ばれていますよ。時代が大きく変わりそうですね」
鄧小平 「うむ、しかし、政治の民主化はまだ早い。今は経済の回復、改革・開放が第一なのだ。そうすれば中国は必ずよみがえる。それに全力を挙げようではないか」
(胡耀邦、趙刻明がうなずく) 

 

第9場 <11月上旬、北京・中南海にある華国鋒の執務室。華国鋒と汪東興、紀登奎(きとうけい)、陳永貴(ちんえいき)の4人が話し合っている>

華国鋒 「中央工作会議と三中全会がもうすぐ開かれるが、われわれへの批判が日増しに強まっている。 これでは会議を開いても、孤立化するばかりだ。どうしたらいいのだろうか・・・」
汪東興 「仕方がない、こんな状態になるとは予想もしていなかった。われわれの見方が甘かったのだ」
紀登奎 「党の広報・宣伝部門まで“二つのすべて派”を攻撃し、過去の事例を挙げて被害者の名誉回復を訴えています。
これでは毛主席が下した決定が覆(くつがえ)されることになるでしょう。異例の事態になったのでは」
陳永貴 「やむを得ません。こうした動きに逆らっては、われわれはかえって追い詰められるだけです。 いさぎよく、非は非で認めましょう。その方が会議を無難に乗り越えられると思います」

華国鋒 「うむ、仕方がない。私は農業など経済建設に重点を置いた演説をして、名誉回復の問題には触れないようにしよう。その方が安全だ」
汪東興 「それにしても、鄧小平は余裕があるな。シンガポールなど東南アジア3カ国を歴訪するのだから」
紀登奎 「彼はわれわれとあえて論争しようとはしないでしょう。問題は鄧小平を支持するグループが、何を仕掛けてくるか分からないということです。
特に要注意なのは、党の長老たちです。彼らは文化大革命の“恨み”を根に持っているため、何を言い出すかもしれません。それが厄介ですね」
汪東興 「ふむ、その点はたしかに要注意だな。会議が始まるまでに、できるだけ事前工作をしておこう。長老たちを回ってみるよ」

陳永貴 「万全の対策は無理でしょうが、私もできるだけ長老たちに会ってきます」
華国鋒 「こういう情勢になるとは思いも及ばなかった。われわれはたしかに甘かったのだろうが、とにかく一連の会議を乗り切るしかない。
しかし、会議自体がいつまで続くのか、それも予想できない。とにかく、毛沢東主義を前面に掲げて、中央突破を図るしかないだろう。よろしく頼みますよ」 

 

第10場 <11月中旬、北京の京西賓館で、中央工作会議の分科会が開かれている。壇上には陳雲(ちんうん・全人代副委員長)が立ち、熱弁を振るっている。彼は党長老の1人で鄧小平の支持者だ。 聴き入る分科会のメンバーたち>

陳雲 「この工作会議の冒頭で、華国鋒主席は農業など経済問題の討議を強く呼びかけられたが、それはもっともなことである。 しかし、私はこの席で、なんとしても歴史の“遺留問題”を取り上げたい。
遺留問題とはなにか。それは端的に言えば、過去のえん罪事件の清算、つまり“名誉回復”のことを指しているのだ。これにご異議はないか?」
メンバーA 「異議なーしっ!」
メンバーB 「その方が今や大きな問題になってます!」(ほかに数人のメンバーも賛意を表明)

陳雲 「ご異議ないものと拝察する。それでは始めよう。
あの文化大革命の最中に、どれほど多くの人が不当な弾圧、迫害を受けたことか・・・ 数え上げれば切りがない。不肖・私も党の要職を解任され、鄧小平氏ともども江西省の南昌(なんしょう)に追放された。
そこで工場の一労働者として働いていたが、そんなことは大した問題ではない。鄧小平氏だって劣悪な環境のもと、トラクター工場などで強制労働をさせられ何度も倒れたのである。
しかし、私らよりはるかに大きな迫害を受け、名誉を傷つけられた人々がいる。例えば、党中央宣伝部長として活躍した陶鋳(とうちゅう)氏である。 
あの人は寛大で優しい方だったのでみんなから慕われたが、江青たちから猛烈な侮辱を受け、最後は紅衛兵に痛めつけられて亡くなったのである。
こうした不幸な人々は枚挙にいとまがない。ほかにも初代の国防部長だった彭徳懐(ほうとくかい)氏ら大勢いる。そのほとんどの人が無実でなんの罪もないのだ。
これらの人の名誉を回復することこそ、今や最も重要な党の責務ではないのか。そうでなければ、中国もわれわれも救われない!」
(「異議なーしっ!」「賛成!」などの声が沸き上がる)

「諸君、ありがとう。みなさんの賛同を得て、私は心強く思う。これらの“名誉回復”を華国鋒主席に求めていきたい。
中には、故毛沢東主席が関わった事例もあるだろう。しかし、中国は新しくよみがえるのだ。文化大革命が終わり四人組が滅亡して、中国は生まれ変わるのだ!
今こそ、過去のえん罪事件を清算し、清々しい気持で前進していこう! 諸君の賛同に心から感謝の意をささげたい」
(会場から万雷の拍手と歓声) 

 

第11場 <12月初旬、北京・西単の“民主の壁”の前。瘋癲(ふうてん)老人と徘徊(はいかい)老人がいるところに、趙刻明が現われる>

趙刻明 「お二人とも久しぶりに会いましたね、お元気ですか」
瘋癲老人 「ああ、まあ、なんとかやっているけど」
趙刻明 「こういうところでお会いするとは・・・」
徘徊老人 「ああ、こいつはこんな所が好きなのさ、政治に興味があるからな」
趙刻明 「なるほど、民主の壁に関心があるのですね」
瘋癲老人 「うむ、世の中の動きがよく分かるようだよ。壁新聞がいっぱい貼ってあるから」
趙刻明 「そうですね、これをみんな“北京の春”と呼んでいますよ。中国の新たな『四つの近代化』が分かるようですね。私も大いに関心があります」

瘋癲老人 「そうか、あんたは新聞記者だったね。それじゃ聞くが、鄧小平の改革・開放路線が定着したというじゃないか。鄧小平一派が華国鋒グループに勝ったいう噂だが・・・」
趙刻明 「ええ、そう言われています。いま、党の中央工作会議が開かれていますが、関係者に当たってみるとそのようですね。まあ、いずれはっきりするでしょう」
瘋癲老人 「それは結構だ、私もそう望んでいたよ、中国は新しい時代を迎えるのだ。 でも、経済面ではたしかに良いが、政治面では“民主化”はどうなるのだろうか。
壁新聞にも、民主化を望む声がちらほらと出ているよ」
趙刻明 「それは分かりません。経済の改革・開放が第一ですが、政治の民主化や近代化はどうなるか分かりません。それはこれからの問題、課題だと言えるでしょう」
徘徊老人 「よく分からないけど、俺も聞いてるよ。政治の民主化も必要だって」

瘋癲老人 「おい、お前が口をはさむのか、なにも分からないくせに」
徘徊老人 「なんだって、いいじゃないか!」
趙刻明 「まあまあ、口喧嘩はやめましょう(笑)。 政治の民主化を云々する前に、毛沢東主席が出した決定や指示が見直されるということです。 
毛沢東主義は“絶対”だという、これまでの政治姿勢が見直されるということですね」
瘋癲老人 「そうか、価値観が変わるね。もっと現実的になって、経済にも政治にも“多様性”が生かされることになるのかな・・・ 将来が楽しみだよ」
徘徊老人 「なにを言ってるのか分からん、お前は理屈っぽいな。要するに、生活が良くなればいいんだろ?」
瘋癲老人 「そうだ、これ以上 言ったってお前には分かるはずがない」
徘徊老人 「なにっ!」
趙刻明 「ハッハッハッハ、お二人とも仲良くやってください。それでは、私は失礼します。どうぞお元気で」(趙刻明が立ち去る)

 

第12場 <12月中旬、北京・中南海にある華国鋒の執務室。 華国鋒と汪東興、紀登奎、陳永貴の4人が話し合っている>

汪東興 「参ったな~、あの陳雲氏の演説があってから、わが方は日増しに追い込まれてしまったようだ。まるで“四面楚歌”だよ、これ以上の抵抗は無理か・・・」
紀登奎 「やむを得ませんね、工作会議の無難な収拾策を考えるしかないでしょう。われわれはもはや“袋のネズミ”同然です」
陳永貴 「過去のえん罪事件の名誉回復を図るとともに、先の天安門事件の評価も変えるしかないですね」
華国鋒 「うむ、そうしよう、そうするしかない。非常に残念だが、毛沢東主席の決定と指示は“すべて”正しいという考えは、放棄せざるを得ない。これ以上 頑張っても、党内をいたずらに混乱に陥れるばかりだ。
いや、頑張れば頑張るほど、われわれの立場はますます危うくなる。下手をすると、今度の三中全会で今の役職を“罷免”されるかもしれないね」

紀登奎 「それだけは、なんとしても防ぎましょう!」
陳永貴 「鄧小平一派から、解任などの緊急動議が出されたらおしまいです。そうなったら、すべて終わりです!」
汪東興 「困ったな、どうしよう・・・」
紀登奎 「一つ名案があります。罷免を防ぐには、こちらから“自己批判”をするしかないでしょう。そうすれば、われわれの地位や立場はなんとか保たれると思いますが」
汪東興 「なにっ、自己批判だって!?」
紀登奎 「そうです、それしかありません」
汪東興 「冗談じゃない! 自己批判は敗北を天下に認めるということではないか!」

陳永貴 「私も紀登奎同志の考えに賛成です。この危機を乗り越えるには、それしかないと思います」
汪東興 「いやだ! 自己批判なんてまっぴらだ! そこまでしなければならないのか・・・」 (しばらく沈黙が続く)
華国鋒 「汪東興同志、私も考えていたが、今やそれしかないのではないか・・・ ここでわれわれの非を認めれば、彼らもこれ以上は追及してこないと思う。
汪同志、ここは百歩譲って、自己批判するしかないでしょう」 (しばらくの沈黙)
汪東興 「あなたがそう言われるなら、仕方がない。われわれの地位や立場を守るためなら・・・」
華国鋒 「ありがとう。私だって断腸の思いです。 
工作会議の最終日に、私と汪同志が自己批判をしましょう。そうすれば、三中全会(中央委員会総会)は現体制で乗り切れるはずです。鄧小平一派もこれ以上は追及してこないでしょう。
やむを得ませんが、それしか道はありません」
(ほかの3人も同意する) 

 

第13場 <1978年12月末、北京市・東城区にある鄧小平の居宅。鄧小平と胡耀邦、趙刻明の3人が歓談中>

胡耀邦 「三中全会も無事に終わり、中国と党は新しい改革・開放の道を進み始めましたね。本当に喜ぶべきことです」
鄧小平 「うむ、君も政治局委員や中央宣伝部長に抜てきされるなど、これからますます忙しくなるね。大いに期待しているよ」
胡耀邦 「はい、ありがとうございます」
趙刻明 「お二人ともご苦労さまでした。それにしても、中央工作会議で華国鋒主席たちが自己批判したのには驚きましたね。 彼らは“敗北”を認めたということですよ」
鄧小平 「そのとおりだ。彼らは保身のために、われわれに妥協してきたのだ。そうしないと、三中全会でどんな仕打ちを受けるかと恐れたのさ。 
われわれは完全に勝った。もうなんの心配もなく、改革・開放の道を突き進めばいい。中国はこれから大きく変わっていくぞ」

胡耀邦 「素晴らしいことです。過去のえん罪事件の名誉回復ができたし、あの天安門事件も“革命的行動”と評価し直されました。こんなに事態が変わるとは、まったく異例の出来事です」
趙刻明 「しかし、民主の壁には、政治の民主化を求める壁新聞も貼り出されましたね。あれはどうなんですか」
鄧小平 「政治の民主化などはまだ早い。中国の“再建”が急務だよ。そのためには、わが共産党が先頭に立って指導していくのが当然だ。 
壁新聞の中には私を批判するものもあったそうだが、とんでもないことだ。それは断じて許されない!」
趙刻明 「そうですか、もうこの話はやめましょう。
それにしても胡耀邦さん、あなたが提唱した『実践こそ真理を検証する唯一の基準だ』という説は素晴らしいですね。これこそ、今後の中国が歩む上で根本的な指針になるものと確信します」

胡耀邦 「ありがとう。あれは南京大学の胡福明教授の論文を参考にしたものだが、多くの人の賛同を得たものと思っています」
鄧小平 「そのとおり、“実践”こそすべてだ。空虚な理論を振りかざすだけでは、なんの成果も果実も得られない。 毛沢東主義は偉大な思想だが、理想を追いかけるあまり現実を軽視するきらいがあった。
毛主席だって、やったことの7割は正しかったが、残りの3割は疑問な点や間違っていたところがあったと思う。毛主席の遺産を大切にしながら、われわれは新しい中国の建設に向かって進まなければならない」
趙刻明 「そうだと思いますね。中国の前途が楽しみです」
鄧小平 「これから“先進国”に学び、わが国も先進国の仲間入りを果たさなければならない。
日本に続いて、アメリカとも国交正常化を実現することができた。来年早々には訪米してカーター大統領とも会うつもりだが、いろいろな成果を持ってこれると思っている。まあ、楽しみにしてよ(笑)」
胡耀邦 「ええ、力強いお言葉ですね。期待しています」 <続く>


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