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相沢祐一の『北信越(北陸・信州・越後)』乗り撮り鉄道記

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一旦、最終回シリーズその4(最終回)「幼い頃ここで列車を見た石塚踏切」

2010-10-31 12:28:10 | 鉄道・自己中ウンチク記

前回は、「新井駅」の話でした。


自分の実家は、旧国道18号線近くにあります。近くにJAえちご上越「虹のホール頸南」があります。
昔は実家からでも信越本線を走る列車を見る事ができましたが、現在はいろんな建物が出来て見れません。(なお、音だけは聞こえています)


幼い頃は、それだけでは不満だったので、少し歩いて線路沿いまで来た事がしょっちゅうあります。
近くに「ダイセル化学新井工場」がありますが・・・
今回は、ラストと言う事で列車を観察した場所の「石塚踏切」です。



石塚集落側から撮影しました。奥にあるのが石塚踏切です。手前が、かつてのダイセル専用線でした↓
イメージ 1
イメージ 2
逆側から撮影。ここ周辺で見ていました。幼い頃を思い出しますね。


いろんな列車が行き交いしていました。ダントツだったのが貨物列車です。
(・・・と言うか、貨物列車の印象が強かったので・・・)


直江津側です↓
イメージ 3
イメージ 4
長野側です。どちらも「ダイセル化学新井工場」が見えます。(笑)



小学生の頃はよく行っていました。中学生になると勉強や受験・部活で忙しく、徐々に見に行く回数も減ってきました。高校生以降はほとんど行く機会がなくて・・・


約10年ぶりに通りました。じっくりみたのはそれ以上の久しぶりです。



昔に比べて、列車の種類もだいぶ減りました。第3セクター移管後にはどうなるのでしょう?
その不安あを抱きつつ、このシリーズを終了します。どうもありがとうございました。ではでは!!











        Written by 相沢 祐一(管理人)




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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
三つ子の魂百まで、の原点ですか。 (ホーシュ)
2010-10-31 19:55:00
僕の鉄道原風景「頚城鉄道」は既に夢の跡となってしまいました。
しかし不思議なほど40年前の記憶が鮮明に残っています。
やはり出発・終着・通過、出会い・別れの場所だったからでしょうね。
新幹線開通により、鉄道や駅が味気ないノッペラボウな場所になるのが残念です。
一旦最終回シリーズのコメントが僕のような鉄道素人で申し訳ありませんでした。
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頚城鉄道はなくなりましたが、30日にイベントでコッペル号を動かしたそうです。いずれかは復活を信じて・・・ (相沢 祐一)
2010-10-31 21:15:00
ですから、しばらく休業しますが復活を信じてください。
なお、11月からは皆さんのブログにコメントを入れたいと思いますので、よろしくお願いします。
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コッペル号は熱いですね。 (ホーシュ)
2010-10-31 21:52:00
このブログのデータも熱いッス。
復活をお待ちしております。
まあ近所なんで、いずれ飲みましょう(笑)。
返信する
そうですね。今度街中であったらって・・・ (相沢 祐一)
2010-10-31 21:54:00
お互い顔を知らないのに・・・(笑)
いつか、一緒に飲みましょう。土橋の「ほうとく」でも・・・(笑)
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