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村爺のなんでもいいべ

南相馬市の馬事公苑を中心に活動しているディスクゴルフの話題や南相馬の出来事や思いついたことを書いていきます。

建国記念の日

2012年02月11日 10時40分38秒 | 日記

今日で東日本大震災発生から11回目の11日を迎えました。

そして、今日は建国記念の日で祝祭日ですが土曜日に当たっているのでありがたみがないな?

建国記念の日は「神社暦」を見てみると、

わがく国の建国は、神武天皇が大和の橿原(かしはら)宮で即位された、辛酉(西暦紀元前660年)正月1日を紀元とし、新暦にあたる2月11日を紀元節と定めました。紀元節は、戦後一時廃止されましたが、昭和41年に建国記念の日と名を改め制定されました。この日は、神武天皇をまつる橿原神宮の例祭日となっていますが、各地の神社でも建国を祝い、神武天皇の偉業を偲び、日本国民としての自覚を深め、皇室の弥栄と国の隆昌を祈る紀元祭を行っています。

と書いてあり、神武天皇が初代の天皇となられた日を記念して「建国の日」と決められたんですね。

日本神話時代の話なので物語として聞いたような気がしますが、ぜんぜん記憶に残っていませんでした。ただ単に国ができた日で休みになることしか考えていませんでしたが、日本の祝祭日を決めた理由は古来からの日本の伝統や文化・歴史に由来した日を設定しているんですね。連休にするのに祝日の日を変更したものもありましたが、変更できない意味や由来のある祝祭日もあるんだと勉強させられました。


北泉海岸

2012年02月10日 18時30分00秒 | 震災・放射能

明日で震災と大津波被害から11か月を迎えます。

久しぶりに北泉海岸に行ってみました。

北泉海岸は、一年中サーフィンに適した波が自慢でした。
日本でも有数のサーフスポットとして知られ、年間通して県内外のサーファーが訪れていました。
世界サーフィン大会もここで行われ、世界からもサーファー達が波に乗りに来ていました。

夏になれば、海の家でおいしそうな香りが漂い、きれいな砂浜ではたくさんの子供たちが歓声を上げ、思う存分遊んでいました。

たくさんの人々が親しんできた、北泉海水浴場・シーサイドパーク。それをちょっと思い出してみました。

過去の写真は北泉シーサイドパークの案内写真を使わせていただきました。

 

夏になれば南相馬市民は北泉海岸に海水浴に行きました。そういえば、毎年夏にイベントが開かれ花火大会も開催されていましたよね。

オートキャンプ場は松林の中にきれいに整備され、冬を除きいつもにぎわっていました。シーズン中は予約を取ることも難しいくらいだったと思います。

高台にはわんぱく広場やアスレチック施設もあり子供たちも多く集まり楽しんでいました。

コミュニティハウスでは日帰り入浴もあり、四季を通じて楽しめる施設でした。

3.11の大震災と大津波でその状況は一変し壊滅的な被害を受けてしまいました。現在では、がれきが撤去されきれいに整地されています。高台のわんぱく広場やアスレチックには被害がありませんが、使用出来ない状況になっています。

震災後と現在の様子を比較してみたいと思います。

上が4月上旬の写真ですが、地盤沈下の影響か砂浜がなくなっていました。現在では砂浜が少し戻っています。震災前は約100m位の砂浜があった記憶があります。

あのきれいな松林はすべて流され、トイレやシャワーを備えた建物は残っていますが、4月の状態ではがれきにうずもれるような状態で周囲も津波で流されてきたがれきだらけでした。現在ではがれきがきれいに取り除かれています。

わんぱく広場やアスレチック施設から駐車場やコミュニティハウスへ行くのに橋が架けられていました。津波で途中から流されていますが、道路からの高さは10m位あると思われます。橋の向こうに見えるのは以前松林やキャンプ場などがあったところです。4月の状態は、海水が引けずにがれきや松の木が散乱していました。現在ではきれいに整地されがれき等の残骸はありません。

今朝の新聞によるとここに再生エネルギー基地の整備が検討されているそうです。もう市民が海水浴を楽しめる海岸がなくなるのでしょうかね。

橋の上から北泉地区を望んだ写真です。4月には田んぼに海水が残りがれきと汚泥にまみれていましたが、現在では整備が進み田んぼのがれきもきれいに取り除かれています。

津波被災地では、被災した家屋やがれきの撤去が急ピッチで進んでいます。私の出勤途上でも基礎だけが残っていた住宅地が基礎もきれいに取り除かれ整地されてきました。

今年は「復興元年」として「警戒区域」を除く被災地の復興が進んでくると思います。

「警戒区域」内で津波被災した方たちは、別の地域への移転を考えているようで、すでに地元から離れた土地に家を購入した方も多くいます。早く地域の復興をどうするか現実的な構想を示さないと、本当に地域のきずなは失われていきますね。


東ヶ丘公園

2012年02月09日 18時30分00秒 | ディスクゴルフ

今日、会社の帰りに東ヶ丘公園の近くを通ったら、東ヶ丘公園の南芝生広場でバックホーンが大きな穴を掘っていたので見てきました。

南芝生広場は、原発事故の避難から帰還し、6月に地元に残っている仲間でディスクゴルフを再開した場所です。

きれいな芝生広場でしたが、芝生がはがされ大きく深い穴が掘られていました。公園全体の除染をした汚染物質の仮置き場になるようですね。

いよいよ東ヶ丘公園の除染が本格的に実施されるようなので、また我々の活動場所がなくなってしまいます。雲雀が原祭場地も野馬追い前に除染が実施されるようですので、どこで活動をすればいいんでしょうかね。

また探し回らなければなりませんね~。

今度の日曜日はまだ使えそうなので、東ヶ丘公園の最後の日になるかもしれませんが、へらへらしながら楽しみましょう!!


相双神旗ディネード

2012年02月08日 18時30分00秒 | 南相馬の話題

今朝の新聞に「南相馬にご当地ヒーロー 相双神旗ディネード誕生」の記事が載っていた。

東日本大震災と東京電力第一原発事故で被災した、相双地方の子供たちに夢と希望を与えるために誕生させたみたいです。いわき市にもまだ見だごどねぇけど「ジャンガラー」というヒーローがいるので、いわきにまげねーように頑張ってほしいですね。

福島相双ヒーロー製作委員会の9人が、3月の映画上映デビューを目指して市内で撮影を進めているそうです。

「ディネード」は「震災にも放射能にも負けるもん゛でねーど゛」の「でねーど」が「ディネード」になったみたいです。その隣にいるヒロインは、「ミネート」といって「やって゛みねーと゛」の「みねーと」が「ミネート」になったみたいです。

個人的には「ミネート」ちゃんを見ねーとなんねーな!!

北極星の破片に宿る妙見菩薩の力で変身、何でも知っているアダマイ博士の力を借り「アクビシン」らゴンケー集団と対決するストーリーだそうです。妙見菩薩なんて太田神社のご神体が生まれ変わって来たみたいですね。でも「アクビシン」はハクビシンが放射能で化け物になったようなイメージですよ。南相馬市で撮影しているようだから、今の南相馬市の色々なところで対決するんでしょうね。なんか見るのが楽しみになってきました。

相双ヒーロー製作委員会は、南相馬市でボランティアを続けてきた音楽専門学校講師の松村さん(東京都)から東京都東村山市から当市に移住した劇団員武藤さんらが、「遊びに不自由している子供たちを楽しませたい」と構想を練り昨年の10月に委員会を発足させたようです。

主役も地元原町区の若い二人が務め、地元高校の放送部員や美術部員も製作に加わっているようです。

これから南相馬市で開催される色々なイベントに登場してくるでしょうから楽しみです。


除染土壌仮置き場

2012年02月07日 18時26分21秒 | 震災・放射能

南相馬市では除染作業によって生じる汚染土壌などの仮置き場を、鹿島区と原町区(小高区は国の指導で除染を実施)で各一か所候補地として決定したが、なかなか地域住民の理解が得られないようです。

原町区は北泉にある「グリーンパークとゴルフ場の跡地」が候補地です。

 

グリーンパークとゴルフ場跡地は東北電力の所有物であったが、数年前に市へ寄贈?され市の所有地となっています。過去に馬事公苑からディスクゴルフコースの撤退話が出た時に移転の候補地となった場所です。ここにディスクゴルフコースができたら素晴らしいでしょうねと思っていましたが、汚染土壌の仮置き場になると、もう望みはなくなるでしょうね。

鹿島区は、津波の被害を受けた「みちのく鹿島野球場」です。

いずれも海岸に近い距離にあり、津波の被害を受けているので候補地として挙げられているんでしょうが、近くには津波の被害を免れ現在も生活している方が多くいます。その人たちにとっては深刻な問題でしょうね。

近隣住民を対象に説明会を開いているようですが、「なぜ線量の高いところから低いところへ運んでこなければならないのか」「農産物が売れなくなる」「近くに学校がある」「運搬時間がかかっても人家の少ないところにつくるべきだ」等色々な意見が出ているようです。

俺が当事者だったらどうだろう?

やっぱり自分が住んでいる近所に放射性物質の仮置き場が作られるのは賛成できないでしょうね。

市では山側の放射線量の高い地域から除染をしていかなければ効果がないと考えているから、海岸線に近い市有地を選んだのでしょうが地域の人の理解を得られるにはかなりの時間が必要になるのではないでしょうか。

でも、地域の皆さんも南相馬市の除染の必要性を認めているはずです。自分たちのところも除染してほしいと思っているはずです。

国が放射性物質の処理問題について明確にしていないから、このように苦しめられる方々が出てくるんでしょうね。3年をめどに仮置きすると言ってますが、本当に?と疑ってしまいます。国がきちんと方向性を明確にすれば地域の皆さんも理解してくれると思いますが?

桜井市長、頑張って地域の皆さんを説得して、南相馬市市民のために早期に除染を開始してください。

よろしくお願いします。


稲むらの火

2012年02月06日 18時48分06秒 | 震災・放射能

大津波が襲い掛かったあの日から間もなく11か月を迎えます。

我々はあの大津波のことをもう昔のことのように思ってはいないだろか?

相馬太田神社から頂いた「神社暦」の巻末に「稲むらの火」という戦前の国定教科書に掲載された物語が載っていました。

安政元年(1854年)に発生した安政南海地震により紀州藩広村を襲った大津波から人々を救った偉人「濱口儀兵衛」の逸話を物語にしたものだそうです。皇后陛下が誕生日の記者会見で「子供のころ教科書に、確か「稲むらの火」と題し津波の際の避難の様子を描いた物語があり、その後長く記憶に残ったことでしたが、津波であれ、洪水であれ、平常の状態が崩れた時の自然の恐ろしさや、対処の可能性が、学校教育の中で具体的に教えられた一つの例として思い出されます。と述べられていたそうです。

知らなかった!!

私らが小学校の時に確か道徳という教科があり、その中で色々な社会常識のようなことを学んだような記憶がありますが、現在の小学校とかではそういう授業は行われているんでしょうかね?

せっかくですので戦前の教科書に使われていた物語を全文載せてみたいと思います。

稲むらの火

 「これはただ事ではない」とつぶやきながら、五兵衛は家から出てきた。今の地震は、別に烈しいというほどのものではなかった。しかし、長いゆったりとしたゆれ方と、うなるような地鳴りとは、年老いた五兵衛に、今まで経験したことのない不気味なものであった。

 五兵衛は、自分の家の庭から、心配げに下の村を見下ろした。村では豊年を祝う宵祭りの支度に心を取られて、さっきの地震には一向に気が付かないもののようである。

 村から海へ移した五兵衛の目は、たちまちそこに吸いつけられてしまった。風とは反対に波が沖へ沖へと動いて、みるみる海岸には、広い砂原や黒い岩底が現れてきた。

 「大変だ、津波がやってくるに違いない」と、五兵衛は思った。

 このままにしておいたら、四百の命が、村もろとも一のみにやられてしまう。もう一刻も猶予はできない。

 「よし」と叫んで、家に駆けこんだ五兵衛は、大きな松明を持って飛び出してきた。そこには取り入れるばかりになっているたくさんの稲束が積んであった。

 「もったいないが、これで村中の命が救えるのだ」と、五兵衛は、いきなりその稲むらのひとつに火を移した。風にあおられて、火の手がぱっと上がった。一つ又一つ、五兵衛は夢中で走った。

 こうして、自分の田のすべての稲むらに火をつけてしまうと、松明を捨てた。まるで失神したように、彼はそこに突っ立ったまま、沖の方を眺めていた。日はすでに没して、あたりがだんだん薄暗くなってきた。稲むらの火は天をこがした。

 山寺ではこの火を見て早鐘を突き出した。「火事だ。庄屋さんの家だ」と、村の若い者は、急いで山手へ駈け出した。続いて、老人も、子供も、若者の後を追うように駈け出した。

 高台から見下ろしている五兵衛の目には、それが蟻の歩みのように、もどかしく思われた。やっと二十人程の若者が、駆け上がってきた。彼らは、すぐ火を消しにかかろうとする。五兵衛は大声で言った。

 「うっちゃっておけー。大変だ。村中の人に来てもらうんだ」

 村中の人は、おいおい集まってきた。五兵衛は、後から後から上がってくる老幼男女を一人一人数えた。集まってきた人々は稲むらと五兵衛の顔とを、代わる代わる見比べた。その時、五兵衛は力いっぱいの声で叫んだ。

 「見ろ。やってきたぞ」

 たそがれの薄明かりをすかして、五兵衛の指差す方向を一同は見た。遠く海の端に、細い、暗い、一筋の線が見えた。その線は見る見る太くなった。広くなった。非常な速さで押し寄せてきた。

 「津波だ」と、誰かが叫んだ。海水が、絶壁のように目の前に迫ったかと思うと、山がのしかかって来たような重さと、百雷が一時に落ちたようなとどろきをもって、陸にぶつかった。人々は、我を忘れて後ろへ飛びのいた。雲のように山手へ突進してきた水煙の外は何物も見えなかった。人々は、自分の村の上を荒れ狂って通る白い恐ろしい海を見た。二度三度、村の上を海は進み退いた。高台では、しばらく何の話し声もなかった。一同は波にえぐりとられてあとかたもなくなった村を、ただあきれて見下ろしていた。稲むらの火は、風にあおられて又燃え上がり、夕やみに包まれてあたりを明るくした。

 はじめて我に返った村人は、この火によって救われたのだと気が付くと、無言のまま五兵衛の前にひざまついてしまった。

以上が全文ですが、「稲むらの火」は濱口儀兵衛の史実に基づいて作られた物語で実際とは異なる部分があります。

でも、我々もこの物語にあるような体験をしました。先人の方々で大津波を体験した方は何らかの方法で我々に警告を残してくれています。それを無視してしまったことから大被害をこうむってしまったのではないでしょうか。

私も、津波に襲われた時にはコンクリートの建物の中にいたので助かりましたが、津波の引いていくあの恐ろしい光景はいまだに頭の中に刻まれています。

大きな被害をこうむってしまいましたが、それを教訓としてやはり後世に伝えて行かなければなりません。そして、今の技術で津波が襲い掛かっても安心していられるような対策をしなくてはなりませんね。


八木沢峠トンネル化実現へ

2012年02月05日 09時18分00秒 | 南相馬の話題

今日の新聞の折り込みに地元県議会議員太田光秋氏の県政かわら版が入っていました。

その中で原町川俣線八木沢峠のトンネル化実現に向けて4億3500万円の予算を獲得したことが載ってました。

まだ調査・設計段階ですが着実に実現に向けて進んでいるようです。

南相馬市にとっては、現在首都圏へ行くのにどうしても通らなければならない難所が八木沢峠です。この時期積雪があると峠を越えられないことがあります。これまで南相馬市から首都圏へ行くのに国道6号線・常磐自動車道・JR常磐線を利用していましたが、原発事故による「警戒区域」が設定されてからそれがすべて絶たれている状態です。現在では、原町川俣線を通り二本松ICから東北自動車道を利用するか、三春ICから磐越道を利用するか、福島駅まで行きJR東北本線を利用するしか方法はありません。原町川俣線は原発事故以降は南相馬市と主要都市を結ぶ最重要道路になったわけです。

八木沢峠のトンネル化が実現すれば、冬場の安全な通行と首都圏へのスピードアップや事故防止になるでしょう!!

南相馬市にとって立ち入り禁止の「警戒区域」は大きな壁となっています。

それがいつまで続くのか想像もできません。

「警戒区域」内の常磐道を開通させると言ってますが早期実現は無理でしょう!!

相馬市は中通りと結ぶ高速道路の整備が進んでいます。

南相馬市だけが取り残されないように交通網の整備を早期に進めていただきたいものです。

そして、太田議員は地元南相馬市や飯舘村の皆さんのためにもっともっと精力的に頑張ってください。


母校が再開

2012年02月04日 10時03分32秒 | 震災・放射能

私の母校である原町第三中学校は、東日本大震災と東電第一原発事故の影響で南相馬市鹿島区の鹿島中学校を間借りし学んできました。

市の広報では3月5日からの再開と出ていましたが、今朝の新聞では今月27日に早まったようです。

原町三中は、地震の影響で上下水道に被害を受けその修繕に時間を要していたみたいです。私も震災直後に校庭の前を通った時に、何か巨大な容器が転がっているので何かなと思っていましたが、液状化か何かで噴出した体育館の浄化槽でした。校舎の方も被害が大きかったようですが、その復旧工事が20日に終了するということで、27日の再開が実現しました。

昨年中には、PTAや同窓会、地域の皆さんの応援により除染が終了しているので、安心して勉強や部活動ができると思います。

今は震災前の60%位の生徒数しかいませんが、再開とともに復帰してくる生徒も多くなることを期待したいです。

3年生も母校での卒業式が実現するのでうれしいでしょうね。

また毎朝自転車通学する元気な中学生が見れるようになり地域も活性化しますね。

中学校が再開されると、中学校の学区で活動してきた「太田・大甕スポーツクラブ」も再開されると思われます。

これまでスポーツをする環境が制限されていてスポーツから遠ざかる人が多くなっているようでしたが、スポーツクラブが再開されると手軽にスポーツができる環境になります。これまで家に閉じこもり気味だった地域の皆さんも少しずつ体がほぐれてきて明るさが戻るかもしれません。

私が育ててきた「スカイシャトルバドミントンクラブ」(私は体の都合で活動をやめてしまいましたが)も再開できますね。

これまで会員数が最高で50名を超えた時期がありましたが、津波の被害を受けた方や原発事故で避難や転勤を余儀なくされた方がいて、バラバラになってしまいました。クラブを再開することで地域に戻るきっかけができるかもしれませんので、早い再開を期待したいと思います。

地元で頑張っている皆さんよろしくお願いしますよ!!

再開に向けた決起集会でも飲みながらやりますか


立春

2012年02月03日 09時37分21秒 | 日記

明日は立春、朝の天気予報では明日の気圧配置は春の高気圧が日本を覆い暖かな天候になると言ってました。

厳しい寒さが続いてますが、いよいよ春という言葉が出てきて気持ちも穏やかに緩んでくるんでしょうかね。

暇なので!! 「立春」というのを漠然としか考えてなかった頭に知識を入れようと調べてみました。

立春

立春は、冬至と春分間のの2月4日に当たります。また、この日から雨水(2月19日)までの期間を立春と呼ぶこともあります。立春は冬と春の分かれる節目である「節分」の翌日で「寒さがあけて春に入る日」いわば春の初日です。

明日も全国的に気温が上がると言ってますので、春の初日としてふさわしいかもしれませんね。これから春分にかけて「寒い」と「暖かい」を繰り返していくんでしょうね。

旧暦では、一年の始まりは立春からと考えられているそうです。立春を基準に色々な決まりや節目が存在してます。

春・・・立春から立夏の前日までをいい、冬至と春分の中間に当たり、暖かい地方では梅の花が咲き始めます。

節分・・・立春の前日のことで、立春が正月なのに対し大晦日の役割を持ち、一年の厄払いに豆まきをします。

八十八夜・・・立春から数えて88日のことで、この日に摘んだお茶の葉は霜をかぶらないため高級な茶と言われています。

二百十日・・・立春から数えて210日のことで、台風が来襲する可能性が高く、農家にとっては厄日とされています。

古来は、自然の景色の変化から季節の移り変わりを把握する「自然暦」を使用していましたが、飛鳥時代に中国から二十四節季が伝えられると、冬至が年の分割の起点と考えられるようになり、立春を一年の初めとして暦が作成されるようになりました。

明治時代に改暦が行われるまでは、立春は正月とほぼ同じ頃に重なっていたため、現代でも正月に「早春」や「新春」というそうです。

気象庁では早くも、今年第1回目の桜開花予想が発表されました。

春の訪れは遅く桜(ソメイヨシノ)の開花は遅め?

桜の開花は、秋から冬に気温の低い時期があった後、春先にかけて気温が高くなるほど開花が早くなるといわれています。
この冬の気温は、12月から1月にかけて全国的に平年より低いか平年並みになりました。この先2月から4月にかけての気温も平年より低いか平年並みの見込みです。
このため、2012年の桜(ソメイヨシノ)の開花は、平年より遅いか平年並みになるでしょう。桜の開花は3月下旬に九州・四国地方から北上を開始するでしょう。

南相馬市は4月10日~20日あたりでしょうか!!

 

馬事公苑ディスクゴルフ常設18番ホールにある桜並木です。

昨年はこの桜を見ることができなかったけど、今年は花見なんかやりたいですね


米の作付は?

2012年02月03日 08時20分10秒 | 農業

2月1日発行のみなみそうま市議会だよりが昨日届いていたので、見たら気になる内容が載っていた。

12月の定例会の一般質問で、地元の農業問題を真剣に考えている奥村議員の質問の内容です。

農地の除染の考え方について

本市での米の試験作付の調査結果公表について。また結果を24年度作付や除染に活用する考えを伺う。

氏名公表はするが、現在データー分析中であり、完了次第公表する。調査結果は次年度以降の作付、農地除染の参考にする。

本市の除染計画において、食料米の作付は行わないとあるが、来年度の作付はどうなるのか伺う。

市除染計画では比較的濃度の低い農地についても、一定期間主食用米の作付を行わない方針である。来年度については、国の作付方針や土壌の調査結果を踏まえ、地域農業再生協議会で協議し方針を示す。

田中議員の質問では、

主食用米作付についてはどういった方向で考えて行くのか伺う。

除染計画で農地除染するということで、当分の間食料用米の作付はしないと考える。

24年産米の作付について質問した答えは、南相馬市では今年農地の除染計画があり食料用米の作付は行わないということではないだろうか?福島県内の食料用米の作付について、放射性物質含有100ベクレル以下の農地での作付が実施されるようですが、昨年作付されなかった農地については言及が避けられていた。この質問に対する答えでは、最初から24年産米の作付は考えていなかったことにある。もう作付の準備に取り掛からなければならない農家のことを思っているのであれば、もう少し早く「旧緊急時避難準備区域」の米の作付方針を発表してもいいのではないだろうか。

とにかく「旧緊急時避難準備区域」は、制限を受けていなかった区域と「警戒区域」や「計画的避難区域」の中間地点にあり、何事もあいまいに処理されてしまう。

国や県ももっとそこで生活している人の身になって考えてくれないでしょうかね。

でも田んぼも畑も荒れ果ててろくな収穫が見込めないだろうから、なんでもいいべ!!