【2013年11月23日】 京都みなみ会館
いきなり、広島の原爆投下の映像から始まる。そして、天井から見下ろすような角度で、病院の産科のベッドに横たわる手をつなぎ合う2人の母親の姿が映し出される。
次の瞬間には、それぞれのおなかの中にいたはずの赤ちゃんがすっかり二人の娘に成長しており、更に次のシーンでは、仲良しの“悩み多き”ティーンエイジャーになっている。
時代は1960年代。ずっと親友であることを約束した二人の少女は、『ジンジャーとローザ』。軽快な昔懐かしきジャズのメロディー(テイク・ファイブ他)が流れる。1962年の『キューバ危機』やその後迎える『東西冷戦』を背景に、二人の生き方はだんだん違いが見えてくる。
私自身は、この映画の主人公である『ジンジャーとローザ』達よりも、少し後に生まれている。だから『キューバ危機』も『ケネディー暗殺』も小学生から中学生時代を迎えていた自分らには、どんなことが起きたのかあまりよく分かっていなかった。しかし、何か大変なことが起こっているという感覚は伝わってきた。
特にこの東アジアは激動の時代だったのだ。年表をひもといてみると、ざっと以下のようになる。
朝鮮戦争・1950年
ディエンビエンフーの戦い・・1954年5月陥落
南ベトナム政権樹立・・1955年
ケネディ暗殺・・1963年11月
トンキン湾事件・・1964年
北爆開始・・・1965年
ソンミ村の大虐殺・・1968年3月
北爆停止・・・1968年11月
北爆再開・停止・・1972年
サイゴン陥落・・1975年
この後半は良く記憶している。京都にある私学の大学キャンパスに移ってくると、学園は騒然としていた。前年、全国的に吹き荒れた『大学民主化闘争』のあおりを受けて、主立った国公立の大学が『入試中止』の決定をして、おかげで関東から京都くんだりまで流されてしまったのだが、どっこい、大学の雰囲気は高校までの甘っちょろい空気とは全然違っていた。それに、首都圏と違い、京都は反骨心旺盛で『革新』-なかでも共産党-が強かった。
学園には末川博がいたし、清水寺の大西良慶も府知事の蜷川虎三もいた。
その頃は「学園民主化」もあったが、世の中全体が燃えたのは『沖縄』と『ベトナム』だった。「サイモンとガーファンクル」が《ニクソンの北爆再会宣言》をバックに歌う『サイレント・ナイト』の曲がラジオから流れたのもこの頃だ。
この映画の中でもあったが、外国の反戦デモで、必ず見かけるのは、あの『ベ平連』(ベトナムに平和を市民連合)のマークだ。どうして『ベ平連』なのかと思う一方、小田実さんらの地道な運動の成果かと、今改めて思う。
この映画を見て、もう一つ思い浮かべるのは映画『17歳の肖像』である。全然、傾向の違う映画なのだが、どこかで結びついてしまう。17歳という歳のせいか、それとも舞台が「イギリス」であるというせいなのか。
なかなか、感慨深い映画だった。
○ ○ ○
映画のパンフレットを見ても、監督名と撮影や音楽担当はあるのだが、脚本や演出を誰がしたかという担当者名が記載されていない。。製者担当者の名前が二人上がっているが、どのような役割分担になっているのだろうか。日本での製作者といえば、その会社の社長とかの代表者名で、作品にはあまりタッチしていない人物の名前が記載されているが、映画の作り方というか、作品のできるまでの関わり方が違っているのか。自分としては、脚本の良し悪しがその映画の良い悪いを基本的に方向付けると思っているので、誰が脚本を書いたかに興味があるのだが。それと、この映画に《原作本》はあるのかな、という興味もあるが、いずれも不明である。
『17歳の肖像』-マイ・ブログへ
『ジンジャーの朝』-公式サイト