
【 赤尾展望所からの『国賀海岸』-通天橋と摩天涯(右上端の直角の断崖) 】
【 2025年5月18日~20日 】

【 第1日目 】 伊丹空港から隠岐空港へ
ゆっくり目の出発で、朝9:38のバスで出発-北大路駅-(地下鉄)-京都駅(八条口)-10:50発の空港バス-11:35 伊丹空港着
- 12:00 昼食時に事件発覚-14:00 伊丹離陸 - 15:00隠岐空港着 ー 15:20玉若酢神社・八百杉・億岐家見学 - 水若酢神社・
隠岐郷土資料館- 17:10福浦港へ-17:45ローソク岩遊覧船出航 ー(ローソク岩周辺遊覧) ― 18:55帰港 ― 19:30
ホテル着-19:45 夕食 -風呂 - 23:30就寝
【 第2日目 】 島後より中の島へ
8:00 ホテル出発 - 8:15 西郷港出航 - 9:35 菱浦港着 - 9:55 後鳥羽院火葬塚・隠岐神社 - 10:40 海女町資料館(見学)
ー 11:25 昼食(イカ漬け丼・岩ガキ)- 12:20 菱浦港より小型船で国賀海岸遊覧観光 -( 摩天涯・通天橋を海から眺める) -
来た海路を戻り - 14:00 浦郷港入港(中の島上陸)-14:35- 赤尾展望台 -15:00 摩天涯展望台 - 17:00別府港出航
- (大型フェリー)-18:20西郷港入港 -19:00 夕食
今日の朝食、バイキングでない《配膳された》豪華な料理。

【 豪華な朝食 ― バイキングでないのが嬉しい 】
このホテル、なかなか凝っていてロビー横の部屋にはいろいろなものが飾ってある。

【 食堂からの西郷の風景 】 【 ホテルロビーの展示 】
朝食後、バスで5分ほどの西郷港に移動して、松江からやってきたという大型フリーに乗り込む。

【 中之島に渡る大型フェリー 】
【 フェリーに乗船 】
今日の主な観光舞台は島前の「中の島」(中の島町)と「西の島」(海女町)である。航行時間は1時間半くらいだったか。船内の部屋に案内されたが、開放的なデッキに出て船の後方の移動して風に当たりながら景色を楽しむ。

【 島後を後に 海路を進む 】

【 隠岐観光マップ 島後と島前を結ぶ航路 】
1時間半の船旅を楽しんだ後、中之島に上陸し早速バスに乗換えて、10分ほどで「後鳥羽上皇行在所跡」に到着。ここには「後鳥羽上皇火葬塚」と「隠岐神社」そして「資料館」がある。なんで《後鳥羽上皇》なのかと考える。そういえば中学の歴史か何かで、《承久の乱》とかがあって《後鳥羽上皇》か誰かがどこかの《島に流された》とかいう話があったのをかすかに思い出す。「そうか、この島だったのか!」と納得する。(そんなことも知らないで、《よくこの島に来たもんだ》と言われそう!)そんな話を分かりやすく丁寧にガイドが説明してくれた!(三日目の訪れた西郷港の『隠岐自然館』では更に、『どうして隠岐でなければならなかったのか』についても詳しく説明があった。)

【 現地のツアーガイド 旅行中、一番わかりやすいガイドだった 】

【 後鳥羽上皇行在所跡 】


【 隠岐神社 】

【 神輿 】

【 後鳥羽院 碑 】
【 ここにも土俵が 】

【 後鳥羽院資料館に展示の刀 】
バスで再び菱浦港に戻って、少し早い昼食タイム。

【 昼食のイカどんぶり ― どんぶりの飯は未だ配膳されていない 】
昼食の後は、今日のハイライト『国賀海岸遊覧』の船旅である。2時間くらいかかるそうだから《トイレに行っておけ》との訓示。

【 国賀海岸遊覧の小型船 - 1番に乗り込んで、最前席を確保する 】 【 これから向かう『国賀海岸遊覧船』の航路 】
小型船は菱浦港を出港して、島前の中央火口丘である『焼火山』をぐるっと回るように、カルデラ湖にあたる《内海》を進む。
『中の島』は島前(どうぜん)【島後(どうご)と比べ、本土の島根・松江に近い方だから島前と呼ぶらしい】の3つの島のうち最大の島だが、島のほぼ中央のくびれた部分が『船引運河』で堀割られて、内海と外海が繫がっていてショートカットになっている。
【 焼火山 と 左中腹に『焼火神社』の建物の影が 】 【 入江に架かる国道の橋の下をくぐって「船引運河」へ 】
【 島の中央部のくびれた部分をショートカットする船引運河 】
運河を出れば、もうそこは外海。

【 鬼が城を過ぎ、国賀海岸に差し掛かる 】

【 国賀海岸 亀岩 】

【 通天橋 】
【 観音像 】

【 洞窟の中にも船は入る 】

【 海上遠くから見る「摩天涯」 】
元来た海路を、往路より沖合を進み、船引運河を抜けて、浦郷港に入港する。そこから陸に上がり、今度は山道を辿り『赤尾展望所』に向かう。高度を上げていくと草原が開け牛や馬が放牧されている。ここは車より家畜優先である。

【 気持ちのいい草原を行く ここは家畜優先の道路 】
先ほど船で行った『国賀海岸』が下方に見渡せる。『赤尾展望所』から一旦『由良比女神社」近くの海岸まで戻り、今度は『摩天涯の丘」を目指す。

【 丘(赤尾展望所)からの「国賀海岸」 】
摩天涯の上からの眺望を楽しみ、馬や牛が放牧された丘を駐車場まで戻り、山を下っていく道で突然バスが停止する。それまで、現地ガイドにしても玄人らしからぬ-一語一語言葉を選ぶように、というよりはぎこちなく話していた年配の老人が、さらにゆっくりと話し始めた。
『ここにあるのは、ロシアで亡くなった山本幡夫の記念碑です。・・山本さんは・・』
つづいて、山本がこの隠岐・中の島の出身であること。戦後、ロシアの《シベリア抑留》で日本への帰国が果たされなかったことなどを、淡々と話された。そして、「遺言」が無事帰国を果たした戦友によって親族や故郷の人々に口伝で受け渡された事などー最近公開された映画でも紹介されている、と話された。
『ラーゲリより愛をこめて』の山本幡夫の事かーあの二宮和也が演じていた! なんという偶然なんだろうと! その映画は、この5月の初めにネットでたまたま見た映画だったから、驚いた。全く予期も期待もしていなかった旅行先でその地を訪れていたとは!

【 摩天涯からの帰路に「ラーゲリより愛をこめて」の『山本幡生の碑』が 】

余韻を残して山を下り、浦郷港を通過し、国道485号線を辿り湾にかかる橋を渡り、別府港に到着する。(この国道485線は隠岐の島から松江市まで通じているというが、海上の国道というのはどんな扱いなんだろうか? 以前、敦賀の竜飛崎で車の通れない《階段国道》というのがあったが!)
**********************************************************
旅行から戻って、改めて山本幡生の記念碑の事を調べてみた。記念碑があったのは摩天涯の駐車場を出てすぐのところだったが、
生家は別府港から南に行ったところだった。さらに、別府港の近くには『西の島ふるさと館』というのがあって、そこに山本幡
生にまつわる展示があると知って、訪問できなかったことが悔やまれた。島後の西郷港に帰るフェリーの時間待ちで、100m
も離れていない場所に居ながら、そこには行かず土産物屋で時間をつぶしていたことが残念でならなかった。
下、ネットからの写真

【 生誕の地を示す写真 】 【『西の島ふるさと館』の山本幡生の展示品 】
この左の写真を見ていたら、この人が当日の現地ガイドをしていた人に思えてならなかった。(別人であろうが?)
**********************************************************
今日一日の観光も終わりに近づいて、あとは昨夜と同じホテルに戻るだけ。別府港まで移動して、今朝乗ってきた同じ大型船で《島後》の西郷港に戻る。
【 西郷港に帰る 】
西郷港からほどない距離のホテルに、昨日より早い6時半到着。
昨日同様、豪華な夕食が待っていた。
< 
【 夕食メニュー 】
【 2日目 終わり 】
【 2025年5月 隠岐旅行(第3日目)の『モーモードーム』の牛突きと『白島海岸』へ】のマイブログへジャンプ
【 2025年5月18日~20日 】

【 第1日目 】 伊丹空港から隠岐空港へ
ゆっくり目の出発で、朝9:38のバスで出発-北大路駅-(地下鉄)-京都駅(八条口)-10:50発の空港バス-11:35 伊丹空港着
- 12:00 昼食時に事件発覚-14:00 伊丹離陸 - 15:00隠岐空港着 ー 15:20玉若酢神社・八百杉・億岐家見学 - 水若酢神社・
隠岐郷土資料館- 17:10福浦港へ-17:45ローソク岩遊覧船出航 ー(ローソク岩周辺遊覧) ― 18:55帰港 ― 19:30
ホテル着-19:45 夕食 -風呂 - 23:30就寝
【 第2日目 】 島後より中の島へ
8:00 ホテル出発 - 8:15 西郷港出航 - 9:35 菱浦港着 - 9:55 後鳥羽院火葬塚・隠岐神社 - 10:40 海女町資料館(見学)
ー 11:25 昼食(イカ漬け丼・岩ガキ)- 12:20 菱浦港より小型船で国賀海岸遊覧観光 -( 摩天涯・通天橋を海から眺める) -
来た海路を戻り - 14:00 浦郷港入港(中の島上陸)-14:35- 赤尾展望台 -15:00 摩天涯展望台 - 17:00別府港出航
- (大型フェリー)-18:20西郷港入港 -19:00 夕食
今日の朝食、バイキングでない《配膳された》豪華な料理。

【 豪華な朝食 ― バイキングでないのが嬉しい 】
このホテル、なかなか凝っていてロビー横の部屋にはいろいろなものが飾ってある。


【 食堂からの西郷の風景 】 【 ホテルロビーの展示 】
朝食後、バスで5分ほどの西郷港に移動して、松江からやってきたという大型フリーに乗り込む。

【 中之島に渡る大型フェリー 】


【 フェリーに乗船 】
今日の主な観光舞台は島前の「中の島」(中の島町)と「西の島」(海女町)である。航行時間は1時間半くらいだったか。船内の部屋に案内されたが、開放的なデッキに出て船の後方の移動して風に当たりながら景色を楽しむ。


【 島後を後に 海路を進む 】

【 隠岐観光マップ 島後と島前を結ぶ航路 】
1時間半の船旅を楽しんだ後、中之島に上陸し早速バスに乗換えて、10分ほどで「後鳥羽上皇行在所跡」に到着。ここには「後鳥羽上皇火葬塚」と「隠岐神社」そして「資料館」がある。なんで《後鳥羽上皇》なのかと考える。そういえば中学の歴史か何かで、《承久の乱》とかがあって《後鳥羽上皇》か誰かがどこかの《島に流された》とかいう話があったのをかすかに思い出す。「そうか、この島だったのか!」と納得する。(そんなことも知らないで、《よくこの島に来たもんだ》と言われそう!)そんな話を分かりやすく丁寧にガイドが説明してくれた!(三日目の訪れた西郷港の『隠岐自然館』では更に、『どうして隠岐でなければならなかったのか』についても詳しく説明があった。)

【 現地のツアーガイド 旅行中、一番わかりやすいガイドだった 】


【 後鳥羽上皇行在所跡 】




【 隠岐神社 】

【 神輿 】


【 後鳥羽院 碑 】

【 ここにも土俵が 】


【 後鳥羽院資料館に展示の刀 】
バスで再び菱浦港に戻って、少し早い昼食タイム。

【 昼食のイカどんぶり ― どんぶりの飯は未だ配膳されていない 】
昼食の後は、今日のハイライト『国賀海岸遊覧』の船旅である。2時間くらいかかるそうだから《トイレに行っておけ》との訓示。


【 国賀海岸遊覧の小型船 - 1番に乗り込んで、最前席を確保する 】 【 これから向かう『国賀海岸遊覧船』の航路 】
小型船は菱浦港を出港して、島前の中央火口丘である『焼火山』をぐるっと回るように、カルデラ湖にあたる《内海》を進む。
『中の島』は島前(どうぜん)【島後(どうご)と比べ、本土の島根・松江に近い方だから島前と呼ぶらしい】の3つの島のうち最大の島だが、島のほぼ中央のくびれた部分が『船引運河』で堀割られて、内海と外海が繫がっていてショートカットになっている。


【 焼火山 と 左中腹に『焼火神社』の建物の影が 】 【 入江に架かる国道の橋の下をくぐって「船引運河」へ 】

【 島の中央部のくびれた部分をショートカットする船引運河 】
運河を出れば、もうそこは外海。

【 鬼が城を過ぎ、国賀海岸に差し掛かる 】


【 国賀海岸 亀岩 】

【 通天橋 】


【 観音像 】

【 洞窟の中にも船は入る 】

【 海上遠くから見る「摩天涯」 】
元来た海路を、往路より沖合を進み、船引運河を抜けて、浦郷港に入港する。そこから陸に上がり、今度は山道を辿り『赤尾展望所』に向かう。高度を上げていくと草原が開け牛や馬が放牧されている。ここは車より家畜優先である。


【 気持ちのいい草原を行く ここは家畜優先の道路 】
先ほど船で行った『国賀海岸』が下方に見渡せる。『赤尾展望所』から一旦『由良比女神社」近くの海岸まで戻り、今度は『摩天涯の丘」を目指す。

【 丘(赤尾展望所)からの「国賀海岸」 】
摩天涯の上からの眺望を楽しみ、馬や牛が放牧された丘を駐車場まで戻り、山を下っていく道で突然バスが停止する。それまで、現地ガイドにしても玄人らしからぬ-一語一語言葉を選ぶように、というよりはぎこちなく話していた年配の老人が、さらにゆっくりと話し始めた。
『ここにあるのは、ロシアで亡くなった山本幡夫の記念碑です。・・山本さんは・・』
つづいて、山本がこの隠岐・中の島の出身であること。戦後、ロシアの《シベリア抑留》で日本への帰国が果たされなかったことなどを、淡々と話された。そして、「遺言」が無事帰国を果たした戦友によって親族や故郷の人々に口伝で受け渡された事などー最近公開された映画でも紹介されている、と話された。
『ラーゲリより愛をこめて』の山本幡夫の事かーあの二宮和也が演じていた! なんという偶然なんだろうと! その映画は、この5月の初めにネットでたまたま見た映画だったから、驚いた。全く予期も期待もしていなかった旅行先でその地を訪れていたとは!


【 摩天涯からの帰路に「ラーゲリより愛をこめて」の『山本幡生の碑』が 】


余韻を残して山を下り、浦郷港を通過し、国道485号線を辿り湾にかかる橋を渡り、別府港に到着する。(この国道485線は隠岐の島から松江市まで通じているというが、海上の国道というのはどんな扱いなんだろうか? 以前、敦賀の竜飛崎で車の通れない《階段国道》というのがあったが!)
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旅行から戻って、改めて山本幡生の記念碑の事を調べてみた。記念碑があったのは摩天涯の駐車場を出てすぐのところだったが、
生家は別府港から南に行ったところだった。さらに、別府港の近くには『西の島ふるさと館』というのがあって、そこに山本幡
生にまつわる展示があると知って、訪問できなかったことが悔やまれた。島後の西郷港に帰るフェリーの時間待ちで、100m
も離れていない場所に居ながら、そこには行かず土産物屋で時間をつぶしていたことが残念でならなかった。
下、ネットからの写真


【 生誕の地を示す写真 】 【『西の島ふるさと館』の山本幡生の展示品 】
この左の写真を見ていたら、この人が当日の現地ガイドをしていた人に思えてならなかった。(別人であろうが?)
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今日一日の観光も終わりに近づいて、あとは昨夜と同じホテルに戻るだけ。別府港まで移動して、今朝乗ってきた同じ大型船で《島後》の西郷港に戻る。



【 西郷港に帰る 】
西郷港からほどない距離のホテルに、昨日より早い6時半到着。
昨日同様、豪華な夕食が待っていた。




【 夕食メニュー 】
【 2日目 終わり 】
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