Enjoy life

自分の時間をどうやって消費するか、考えて消費する日々。

南無阿弥陀仏

2009年06月29日 15時03分23秒 | Weblog
昨日、おばあちゃんの7回忌だった。
いい機会だから今日はおばあちゃんの話。

おいらの家は、おいらが生まれた時7人家族だった。
じじ、ばば、ちち、はは、兄1、兄2、おいら、しばしば猫。

ちちとはは は共働きだったので、家に帰るといつもいるのが
ばばだった。ばばは昔の人なので、
「女の子なんだから家のことを手伝いなさい」
とか
「女の子なんだからもっと早くかえってきなさい」
とか、何かにつけて”女の子”を強調した。
外が暗くなってから帰ってくる兄は何も言われず不満なおいらは
「男の子でいいもん!!」と思っていたし、実際そう言っていた。

ピアノを習っていたおいらは、学校から帰って遊びに行く前に必ず30分ピアノの練習をしなければならず、ばばは毎日「練習してから遊びに行きなさい」と言った。練習は嫌いだった。でも辞めたいとは思っていなかったので以外にも中学3年まで続いた。

6年前、ばばの娘、おいらのおばさんにあたる人が「くも膜下出血」で倒れた。
医療の力と、おばさんが若かったこともあって見事に回復し、普通の生活が出来るようになった頃、看病疲れが蓄積していたばばが倒れた。
あっという間に寝たきりになってしまったばばは別人だった。
身体は布団に張り付くかのように薄くなってしまったし、
足は自力で歩くことは無理だと分かるぐらい細くなってしまった。
入院して1ヵ月半、ばばは自分の娘、おばさんが見守る中、静かに息を引き取った。

初めて家族がいなくなったということは、想像以上の衝撃だった。
ばばは、おばさんの命と引き換えに亡くなった。と、周りの人が言った。
でも子供が親より先に死ぬほど、親不孝はないと思う。
だから今はそれでよかったのかもしれないと思える。

ばばは天然だった。
ノリタマふりかけの袋をチャックの下で切って輪ゴムでとめていたし、
クリームシチューは牛乳スープだった。
でも、近所の人にも、お友達にも、じじにも、とても愛されていた。
でもおいらは「ありがとう」と感謝の気持ちをちゃんと伝えたことがなかった。

「南無阿弥陀仏」の持つ言葉の力がまだ理解できていないおいらは
仏壇の前でいつも「ありがとう」と言っている。


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3 コメント

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深夜に (T)
2009-07-08 22:52:17
コレ読んで感動して泣いてしまい翌日目が三重
になりました。
オエッってなりましたよ。

大切な人って近すぎて大切な言葉を伝えられずにいるものですよね。
南無阿弥陀仏より『ありがとう』の方が自分らしくていいですね。

いつまでもその気持ち大事にしたいですね。
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Unknown (おいら)
2009-07-03 12:05:23
>淳キチ兄さん
うちのばーさんは強烈でしたからねー(笑)
忘れることは出来ません
きっと家族ってそうなんでしょうねー!
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Unknown (淳吉です♪)
2009-06-29 22:17:53
故人を思う気持ちが一番大切ですよ
形だけより…
気持ちがあって思い出してあげる事が大切だと思ってる淳吉です
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