鴻待日和

44歳。進行流産・化学流産・稽留流産。
愛しい人の子を抱ける日は来るのか・・・?

気が早い

2007年07月16日 | 不妊治療
 卵のいのちを信じるために、名前で呼ぶことにしました。
 卵だから、たーちゃん ・・単純

 まだ着床するかどうかも分からないうちから名前をつけるなんて、こんな気が早いことするのはミソサザイだけかな、と思っていたら、ネットで見た他の不妊治療中のプレママたちも、卵割した卵ちゃんに名前をつけて呼びかけている人が少なからずいらっしゃった。
 誰しもが、未来のベビーによせる想いは同じなのね・・

 そして、たーちゃんの無事を祈る気持ちはウソ君も同じ

 近所にとても有名な神社があるんだけど、その敷地内に安産の神さまを祀った摂社があって、そこが年に一度だけ、例大祭のため開くという。
「お参りに行こうよ」とウソ君の方から提案。
「・・でも、あそこは《子授け祈願》じゃなく《安産祈願》の神社だよ。気が早すぎない?」と渋るミソ。
「でもさ、開くのは年に一度だし」
・・まぁ確かにそうだ。
 お参りし、可愛らしい安産お守りゲット

 つい渋ってしまうのは、やっぱミソの中に「うまくいかないのでは」という不安があるから。年齢も年齢だし、体外受精で出産にまでこぎつける確率の低さが脳裏をよぎる。

 でも、たーちゃんは生きているんだ。
 たーちゃんに与えられた寿命がどこまでと定められているのかミソサザイには分からない、けれど、沢山の医療従事者のご助力を得て、確かに生命は宿ったんだ。その生命を認めてあげようと決めたじゃない! 

 ・・でもさすがに「腹帯」までは手がのびなかったよ・・