鴻待日和

44歳。進行流産・化学流産・稽留流産。
愛しい人の子を抱ける日は来るのか・・・?

4つ目の病院へ

2007年06月10日 | 不妊治療
 4つ目の病院へ通院を開始しました。

 こんどの病院は、初診からウソ君と一緒。それだけで、嬉しくて明るい顔になってしまうミソサザイ。病院受診なのに、はしゃぐのはいかがなものかと冷静を装うけれど、声が明るくなってしまう。

 ・・同時に、ちょっとだけ「いかんな」とも思う。

 ウソ君にベッタリ依存しないこと。それがミソの人生の課題のひとつ。ウソ君は、一緒に人生を歩く伴侶であって、ミソの《保護者》じゃない。
 世の中には、夫がいなければ何もできないと言って「アレをやって」「コレをやって」と夫を束縛し、振り回すタイプの妻がいる。ミソの母が、そういうタイプ。その反面教師を目にして育ったミソ、そういう生き方だけは絶対にしたくないと思っている。

 自分の不安は、自分の両手でちゃんと抱える。自分はいま不安を感じているということは表現する、けれど、それに対してどう行動するかはウソ君の自由だ。
 なのにやっぱりそばにいて欲しいと思う。いてくれると嬉しいし安心。
 弱ぇなぁ、自分。

 ひと通り検査を終え、あとは待って結果を聞くだけになると、午後から仕事のウソ君は、もう行っていい?と言った。一瞬、もうちょっと一緒に座ってて欲しい、と思った。
 けれど、考えてみれば、後はウソ君と一緒でなきゃできないことは残っていない。検査結果はミソが聞いて、後でウソ君に伝えればいい。3つ目の病院まで、常にミソがしてきたことのくり返しだ。
 自分の不安を和らげるためだけに座っている時間を延ばしてもらうことは、すなわちウソ君の食事その他の時間を減らすこと。不安よりも、そっちの方が嫌でしょう、ミソ?
 だから、うん、もう行ってもいいと思うよ、と答えた。先生には受付の時に、途中でウソ君は帰りますって断ってあったし。

 そして結果と今後の治療方針をひとりで聞く。

 結果は予想外なものだった。
 まず、3つ目の病院でAIHの実施や早めの体外受精にうつるようにと薦められる根拠のひとつだった、ウソ君の精液検査の結果は・・
「まぁまぁ良好で特に異常なし」だった・・えぇ~?
 「ムダにAIHしてたのかもしれませんよ?」だって。
 
 そして、ミソの方はといえば、まだ生理中なのに片方に20mmを明らかに超えるでっかい卵胞が・・。反対側にはかなり小さい大中小のタマゴちゃんが・・。ふつう、生理中なら育ってもまだこれっくらいなはずなのに、さっきのはいったいナニ・・?
 今回のリセットの時、帯下感や乳房の具合などでイヤな予感がした、まさにそのことが起こっていた。ホルモンバランスが狂って、卵巣と子宮のタイミングがズレてしまってた。
 こんなこと、初めてだよ・・。
 しかも、コントロールが効いていたはずのプロラクチン値も上昇している。
・・・。

 でも、そういう予想外なことやあまり良くない自分の状態を告げられて、希望をもたせるようなことは見事に何ひとつ言われなかったにもかかわらず、何だか今度こそうまくいくような明るい気分になれたのは何故だろう。今月はタイミングを整えるためにリセット周期、と言われて、焦る気持ちが全く湧かなかったのが自分でも意外。コウノトリの影が、ずぅっとずぅっと向こうの森の上空を横切るのを、遠くから眺めているようなハレバレと伸びやかなキモチになった。

 多分、病院全体のもつ明るい雰囲気とか、ドクターの話しぶりとかが信頼できる感じだったからだろう。3つ目の病院のように、聞きたいことを途中で遮られて納得いかないまま方針を決められたり、年齢だけで「データではこうだから」と結論づけられたり、決断を急がされたり、という様子がない。

 そして何より、結果と治療方針を話す前に、開口一番ドクターが言ったことが大きかったと思う。
 「あなたたちはまだ入籍していないそうだけど、生まれてくる子がいろいろ面倒なことになるから、そこのところはきちんとしてね。あなたたちの年齢なら社会的なことは充分わかっているだろうから、まかせるけど」

 これまで、3つの病院とも、入籍より先に子供ができても良いのか?と聞かれたことはあっても、生まれてくる子の立場をまず考えて、あえて意見して下さる先生はいなかった。
 この瞬間、この病院の基本姿勢は《先につながるいのちの幸せ》を考えてるんだな・・と、わかった。信頼できる、と思った。

 4つ目で、良い病院、良い先生に出会えました。
 「4」は、ミソサザイにとってラッキーナンバー。診察券の末尾も「4」だし!(ははは・・)
 今度こそ、この病院で頑張ります。