「結実じゃの」
悪童丸の師。薊撫の呟きである。
無論、これも鬼である。
悪童丸に法を教えて早五年。
弟子の飲み込みの速さと
その速さを支える必死さを愛した。
最後に教えた縁者の印は、己の身を護るためのまさかの時のものである。
伽羅から童だった悪童丸に法を伝えよと頼まれた時。
薊撫は笑って断る気でいた。
ところが如月童子の孫に当るといわれた。
つまり、光来童子の子であるといわれた。
二人の鬼の血筋がどういう者であるか薊撫はよく承知している。
鬼ではある。
鬼ではあるが、如月の宿縁が光来童子に人の血を流し込み、
さらに光来童子に受け継がれた宿縁が
悪童丸の血をいっそう人の濃さにしていた。
悪童丸は半妖より、むしろ、いっそう人に近い。
なのに鬼の姿形を受け継いで生きねばならぬ。
鬼だけでないものを抱え込みながら鬼として生きねばならない。
人に近寄らずにおけなかった光来童子のように、
悪童丸もいつか人恋しさに狂う。
だが、姿形は鬼でしかない。
鬼でしかないものが鬼として生きるためには
あまりに鬼としての血がうすすぎる。
鬼と人の狭間で揺れ動いたとき、ほたえはどちらをもとめさせる?
鬼か?
人か?
後者であろう。
そして、哀れにほたえにくるうた鬼の死体がぶら下がる。
伽羅が恐れた悪童丸の血が持つ運命を変えてやる事は難しい。
だから、法をおさめさせたい。
命さえすくわれれば、人へのほたえさえのりきれれば、
生き行く術はあろう。
己の子でもない悪童丸への伽羅の情愛も深い。
伽羅の情にほだされるわけではなかったが
さらに薊撫の耳に打ち明けられた事実があった。
光来童子の子は悪童丸だけでない。
長浜が姫。勢もそうである。
悪童丸を己の血の宿縁から護るためだけにここに預けたいのでない。
同じ運命の姉を護りたい。
悪童丸の救いは己だけでは成り立たない。
姉。弟。この二人がそれぞれのかたちのままにいきる。
光来童子とかなえの二の舞を繰り返さぬ事が、
親孝行だと言い切った十歳の悪童丸のまことの成就である。
深すぎる深淵が運命をどう操るか。
到底わかりえることではなかったが、
薊撫は悪童丸をひきうけた。
それから、何年たったときだったろう?
夜半。悪童丸の密かな溜息と微細なる妙な蠢きが薊撫につたわる。
ほたえを迎え始めた悪童丸がいる。
とうとうその時を迎え始めた男をいさめることなぞできはしない。
ほたえはいきとしいけるものの、自然の摂理である。
けして、汚い事だなぞという観念をもたせてはいけない。
ましてや、うとむものでもない。
問題はほたえを操るか、
ほたえに操られるかである。
どちらを主従にするかによって己の生き様がかわる。
哀れなのは邪鬼丸がそうであろう。
己の命をついえるまで、ほたえに狂うことを許した。
比べ、光来童子はほたえを自分の意志で操った。
結果は今も悲しいおとこであろう。
が、それでも、けして、哀れではない。
ほたえが悪いのではない。
己の持つ因縁や、立場がむつかしい。
ほたえを操れたとて、相手と添う事が出来ないのは
ほたえのせいではない。
これを忘れて、ほたえをもつことをいましめることではない。
ほたえはいきとしいけるものの命の謳歌である。
賛美されるべき筋合いに近しい。
ほたえをしってこそ、また本当の大人になる。
欲というものにふられる事もない子供では、つかみ取れない真実がある。
薊撫は子供の域を脱出してゆく鬼を知った。
もうすこし。
もう、少し、教えれば今度は自分の足で宿命をあるく。
それからが、本道。
己に湧かされる因縁を、血から沸かされる想いを知らされる。
立場。鬼という立場。ほかに類のない半妖という立場。
何を思わされ、何を決める。
ほたえを知らなかった子供は親の手の中で遊ぶ子供でしかない。
今度からは自分が何もかもを定める。
結果も自分が引き受ける。
わたる綱を落ちた所で救うものはない。
ほたえという綱をわたる事になって初めて、苦しみをしる。
悪童丸の切ない声が抑えきれずに小さくもれた。
『苦しかろう?だが・・それでも、てばなせないものがほたえなのだ』
薊撫はきずかぬふりをして、ねがえりをうった。
あとは闇の中に身を沈みこませるだけだった。
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