研究生活の覚書

研究していて、論文にするには届かないながらも放置するには惜しい話を書いていきます。

doux commerceという物語(2)

2007-01-18 03:39:19 | Weblog
もちろんフランスが、この条約を自国の利益にかなうものと見ていたのは間違いない。ただその一方で、それに対する理想主義的な思い入れも、主観的には本気だったことは、自国の外務省内部への報告文書からも読み取れる。それは、「ジョン・ロック氏」の『統治論』に根拠があった。世界の富は労働によって増え続ける。だとすると、「商業」こそが、この労働の成果を適切に世界中に広め、かつ労働を刺激するもののように思われた。世界が豊かになればもう戦争は起こらないはずだった。ジョン・ロックが『統治論』第二論文を執筆した際にモデルにしたのは、北アメリカ大陸だったわけで、そのアメリカがイギリスの「専制権力」に立ち向かうというのである。フランスの知識人たちの熱狂と想像はどこまでも膨らむ。「アメリカの人々は、マキャベリ的重商主義に戦いを挑んでいるのだ!」とまで思い込む。

大雑把なことをいうと、かつてスペインやポルトガルが世界の海に覇をとなえていた時代は、要するに海外の地域を略奪し、金銀をごっそりもって帰るという富の集め方をしていた。それに対して、オランダ、イギリスが乗り出した時代は、現地で市場を育成し富を生み出す方法がとられた。ただし、これが「重商主義」である所以は、あくまで本国の利益になるように、海軍と航海法が帝国の枠組みを守っていたことである。例えば、イギリスがオランダに代わって世界の海を支配できたのでは、クロムウェルがオランダを叩き潰して彼らの市場をごっそり奪い取ったからである。ただここで思うのは、現在の世界経済だって基本的には変わらないのではないかということで、我々の目の前に広がる世界は、依然として富のブン取り合いなわけで、この時期のフランス知識人が夢見ていたdoux commerceというものは、依然としてどこにも存在していなかった(ユートピア)ということだろうか。私は、「市場における自由競争」がもたらす利益は、あくまで国家の枠があってこそ国民に幸福をもたらすもので、市場それ自体は常にどこかの国が主導権を握るもので、普遍的なものではないと考えている。例えばもし日本以外のアジアのどこかが市場で主導権をとりそうな事態になった場合は、あらゆる謀略をもってこれを阻止するのが国家の役割であり、断じて商人に自由にさせて自然の成り行きに任せてはいけないと考えている。

北米植民地にかんしては、この枠組みが「有益なる怠慢」によって約100年の間いいかげんに放置されてきた。それゆえ、北米植民地は独自の経済圏として成長した。七年戦争の勝利によって、イギリスがにわかに重商主義政策らしきことをやり始めたのである。ディケンズの『二都物語』を読むと、「あれはイギリスがバカだった。ジョージ・ワシントンは最後には勝つだろう」という台詞がみられる。バークは議会演説で、「アメリカをイギリス連邦に留めたいならば、これまでの関係のままに放置することである」と述べている。すでにイギリスは財政軍事国家として近代国家になりかけていたのである。

アメリカの思惑ははっきりしている。西インド諸島の利権は自分たちのものである。まずは同地域からイギリスを追い出して、フランス人プランターに管理させればよい。ボストンの商人はアメリカ艦隊の実力を背景にこれをフランスから巻き上げる。やや毛色は違うが、doux commerceなどはなから頭に無かった。つまり、米仏同盟条約の理想主義的側面は両者に共有されたものではなかった。ただ、フランクリンはフランスがそう思っていることだけは理解していて、「商人」である彼は上手に話を合わせた。もちろん、商人である彼はdoux commerceが寝言だということは十分に理解していた。

アメリカ側の唯一の悩みは、イギリス正規軍の強さが尋常ではなかったことで、ジョージ・ワシントンが8年がかりでようやくイギリスを諦めさせると、パリでさっさと米英単独講和を結んでしまった。ひどい話である。パリ講和会議に参集した関係国は、イギリス、アメリカ連合のほかに、オランダ、スペイン、フランス、プロシア、スイス、スゥエーデンまでいた。イギリス以外はみんなアメリカ側なのにである。ご丁寧に米英間では、講和後の漁業協定まで結んでしまった。

その後フランスは混乱する。西インド諸島の砂糖農園で働いていた黒人奴隷たちに奴隷解放を宣言するが、これは結局現地にいるフランス人プランターの梯子をはずしたようなもので、奴隷出身の英雄トゥサン・ルベルテュールはフランスからの独立を宣言し、サン・ドマングの港をイギリスとアメリカに解放するとか言い出す。もっともそのころには、米仏同盟条約交渉で活躍した理想主義的官僚や知識人たちは、すでにギロチンによってあらかた死んでいた。ナポレオンが力技でトゥサン・ルベルテュールを葬り去ると、あとはもう大混乱である。西インド諸島の法的所在はさらに揺れ動くが、同地域の利益はボストンの商人が吸い取った。イギリス艦隊もフランス艦隊もいないのだから。

ずっと昔の話である。しかし、重商主義は依然として国家経済の真理だと私は思う。倫理学者アダム・スミスの教説はあくまでも『諸国民の富』である。市場における自由競争は間違いなく富を増大させ、適正な分配を可能にするが、その市場それ自体は、必ずどこかの国が握ることになるし、だとしたら当然、国家はそれを守らなければならない。