第5日目 バート・アウスゼー Bad Aussee
2011年8月9日
わたしたちは前日8日は、夜にバート・イシュルのかつての劇場(現在は映画館)での Kammerabend のチケットをとってありましたので、帰りが遅くなるような遠出はできないため、バスでモントゼーに行くことにしてありました。
ところがバス・ターミナルに行ってダイヤを確かめてみるとその路線はなくなっていました。厳密に言うと廃線になったわけではなく、駅には需要がある場合にしかこない、というバスです。この日はモントゼーはあきらめました。確認のため町のインフォメーションで夕方聞いた時には、「今からバスはないよ。タクシーでいくしかない」という話でした。誰も今から行くって言ってないのに、とんちんかんな返事でした。それで9日もう一度確かめてみようとバスターミナルでどうやればいいのか、尋ねると自分でバス会社に電話しろ、という話でした。本数が数少ない上発車時刻の間際にいまどき公衆電話を探して電話するなんて、そんなバナナ
で、私たちは急きょ、これから発車するバスを調べ、全く予定にはなかったもののバート・アウスゼーに行くことにしたわけです。ヨハンの旅行計画はおおよそこのようなものです。風任せ~、かぜまかせ
今この記事を書くにあたって、バート・イシュル ― バート・アウスゼーを結ぶバスのダイヤを調べてみたら、またまたひっくり返りそうになりました。
出てきたのは、バート・イシュルからバート・ゴイゼルンまでÖBBで行き、バス停まで歩いてバス亭からバート・アウスゼー行きのバスに乗れ! との御託です。
で、はたと思い当りました。
そうか現在線路のメンテ中らしい。でも鉄道がメンテでもバスには関係ないのに。
とにかく入力する日付を12月に変えて再度調べてみたら、やはり直行のバスがヒットしました。やれやれ
バスの路線は952、バート・イシュルのバスターミナルを10時15分に出ると、バート・アウスゼー Postamt (郵便局前) に11時2分に着きます。
バート・アウスゼーはもちろんÖBBの路線上にあり、鉄道一本で行けるのですが、私たちが乗ったこの Postbus、とても楽しいパスなので、みなさんもバート・アウスゼーに行かれるときには是非鉄道ではなくて、バスをご利用されることをお勧めします。
バスは国道145を南下してバート・ゴイぜルンを過ぎ(ですから鉄道でバート・ゴイゼルンに来てもこのバスに乗り換えることは可能です。鉄道の駅を出てバス停は目と鼻の先です)、途中道が分かれて145は東に向かい、山を登って行きます。バスが山道を登って行くに従って乗客側から言えば右手にハルシュタット湖がどんどん姿を現していきます。
そしてペッチェンパス Pötschenpass (標高933m) でオーバーエスタイライヒとの州境を越え、シュタイアーマルクに入ります。鉄道だとこういう場所だったらトンネルでしょうからね、バスの峠越えはとても楽しいです。
↓ これはペッチェンパスをバイクで疾走していく動画です
http://www.gaskrank.tv/tv/paesse/poetschenpass-bad-goisern-nach-10444.htm
もちろん峠を越えれば今度は下りです。シュタイアーマルクののどかな風景に触れているとしばらくして行く手に村が見えてきたころから、バスの進行方向左手に、突然異様な山かげに目をくぎ付けにされます。ローザー Loser (標高1,837m) との初めての出会いです。バスがくねくねと麓のバート・アウスゼーの町をめざして坂をかけおりていく間、ずっとローザーが窓越しに見えています。
バスの終点 Postamt は鉄道で来るのと違って町の中心にありますから、その点でもバス利用がお薦めです(鉄道の駅には結局私たちは行かず仕舞となりましたが、グーグル地図で確かめてみるとどうやら大変離れているように思われます)。みわたすと立派なホテルが立ち並び、たしかに由緒ある湯治場という感じ。インフォメーションはこの郵便局の建物の中にあります。
初めての、しかも何の事前の準備もしてなかった場所なので、とりあえず Koppentraun 川沿いの近くの公園に出かけてみました。
2011年8月9日撮影 大公ヨハンの像
さっそく見つけたこの像に興味を惹かれていると、すぐさまおじさんが近寄ってきて「大公ヨハン!!」と誇らしげです。
私と同じ名前のこの人物、オーストリア・ヨーデルの名曲のタイトルにもなっているシュタイアーマルク・アルプスの山やまを愛した人物です。
《ヨハン大公のヨーデル》 YouTube 画像↓
http://www.youtube.com/watch?v=oMniyZKQjbw&feature=related
以下日本語ウィキペディアでの人物紹介です
『女帝マリア・テレジアの三男であるトスカーナ大公レオポルド(後の皇帝レオポルト2世)とスペイン王女マリア・ルドヴィカの13番目の子としてフィレンツェで生まれた。兄たちのうち皇帝となるフランツ2世よりも、有能な軍人であるカール大公に親近感や憧れを抱いていたという。
皇帝フランツ2世は平凡な人物であり、有能なヨハンを疎んでいた。特に軍人向きではないヨハンを戦場へ送り出し、ヨハンは多くの兵士を死なせたことに深く傷ついたという。また、平民出身の兵士らと接触したことで宮廷や貴族の生活を嫌うようになる。
貴族社会よりも山岳を愛し、スイス出身の芸術家の影響でスイスに傾倒するが、やがて自国のチロル地方にも同様に美しい風景があることに気づく。非常に活動的でまた庶民的な人柄であり、シュタイアーマルク州の農業、鉱工業、林業を繁栄へと導き、その他にも学校や病院の開設を進めた。1809年のチロル動乱のおりには民衆の味方でもあった。1811年には、自然科学の研究と技術教育を目的としたグラーツにヨアネウムを設立した。』
このヨハン大公の像の近くにはまたこんな碑もたっています。
2011年8月9日撮影
オーストリアのへそ バート・アウスゼーは北緯47度36分東経13度47分に位置しオーストリアの地理的中心に位置する。標高は659メートル
温泉町はなんとなく気分もはなやぎます。
2011年8月9日撮影 Der Fisch-Brunnen auf dem Kurhausplatz クアハウス広場前のさかなの噴水公園
クアハウス 資料写真
☆
バート・アウスゼー近郊にはいくつか湖があるようです。
夕方遅くならない時間までにバート・イシュルに戻るためにはどこの湖に行くことが可能か。
案内表示板とにらめっこ。
資料写真 Grundlsee
↑このグルンドルゼーか、はたまたアルトアウスゼーか。(ハムレットのような心境)
結局歩いて往復してもさほど時間がかかりそうもないということで、私たちはアルトアウスゼーに向かうことにしました。
予備知識なしです。
道路標識が「こちら→」と示しているのに従い、歩き始めました。基本的に Altausseer Straße を道なりに歩いていくことになるのでまったく迷うことはありません。
2011年8月9日撮影
歩き始めて直ぐにこの景色のところです。さっきまでバスの窓からずっと釘付けになってみていたあの山。
自然と足は軽快になりました。
しばらく車の行きかうバス通りを歩かなくてはなりませんが、途中からはハイカーのための道を歩くこともできます。
そして目の前のローザーもどんどん近づいてきます。
2011年8月9日撮影
湖に降りていく入り口に到着したところで、地図看板をながめ、バス通りとはばいばいして、湖の方に降りていきます。
この一帯も個人所有のヴィラが立ち並び、他人の敷地を歩いていくようで、湖畔に出るまではなんとなく気分は落着きませんでしたが、標識どおりに歩いてきたわけだし、湖を独り占めしよう、って方が間違ってるわけだし、「失礼しま~す」と心でつぶやきながら湖畔に到着。
2011年8月9日撮影 アルトアウスゼー Altaussee
歩き始めてここまで一時間10分ほどでしたでしょうか。
そろそろお腹もすいてきたし、湖畔のどこかで食事をしようと探しましたが、屋台のようなお店じゃろくなものはないだろうし。どうしようかと迷っていたら、こういうときはロザーリウムの出番ですね。
どこかでインフォメーションをすでに仕込んでいたらしく、「Seehotel というところで食事ができるようだから、そこに行こう。」
2011年8月9日撮影 Kath. Pfarrkirche Altaussee
少々迷いながらも、この写真の教会に向かって歩いていくと目的のホテルを見つけました。
2011年8月9日撮影 Hotel am See
ちょうど食事時でもあり、テラスはほぼ満席でしたが、隅っこのテーブルが一つあいていました。
ホテル・レストランなのでクロスをかけてくれる本格的な席でランチ(もちろん一つはお魚料理)をいたしました。
食事をしている最中からヨハンの目の前の建物の屋根越にみえる山の上にどうも雲とは思えない白い影が目に付いて気になっていました。まわりの雲と紛らわしくて、自信がもてませんでしたが、一瞬さ~っと雲が払われたときに、くっきりその姿が目視されました。「絶対に氷河 Gletscher に違いない」
ヨハンはお皿を下げに来たボーイさんにそれを確かめました。
「で、なんと言う名前の山なんですか」
「ダハシュタイン!」
オーストリアの人がこの名前を言うときには、必ず、そっくり返りそうに胸を張りますね。
2011年8月9日撮影 ダハシュタイン
拡大
食事を終えて、レストランを出たころからにわかに雲行きがおかしくなり始め、雨が降り出してきてしまいました。
帰りはさすがにバスに乗ろうと、先ずはバス停を確認しに行くことにしました。
2011年8月9日撮影 アルトアウスゼーのバス停
雨がどんどん降ってくるのでバス停の向かいにある Kuramt に逃げ込むことにしました。
2011年8月9日撮影 Kur und Amtshaus Altaussee 背景にローザー
中はカフェも併設された、インフォメーション・センターのような建物で、しばらく時間つぶしをして、雨が小やみになったころをみはからって、最後にもう一度湖まで散歩してみることにしました。
2011年8月9日撮影
2011年8月9日撮影 花とローザー
☆
ここのバス停は終点ですから、折り返してバート・アウスゼーの Postamt に行きます。
湖のはなのところから別荘地に入って歩き出しましたから、最後のバスの走る区間はみていませんでした。バスに乗ってみてその道をバスが走るのを窓からみていると、多少おもしろそうなお店が並んでいました。
そしてパスですからほどなくして Postamt に到着して、私たちはバート・イシュル行きのバスに乗り換えるためにいったん降りたのですが、ここまでわたしたちをのせてきたバスの運転手、どうも朝バート・イシュルから乗ってきたバスの運転手さんと同じ人のような気がしていました。案の定、バスは終点の Postamt から乗客を降ろしてもまったく去りません。それどころか、降りずに乗り続けている人もいます。そしてバスの行き先表示はいつのまにか 《Bad Ischl》 に変わっているではありませんか。それだったら私たちも最初からキップをバート・イシュルまで買って、乗り続けていたのになあ。
初めての土地はいつも冒険に満ちています。
☆
ちなみに Loser はいくつもリフトがかかっていますが、すべて冬期のみの運行です。どうやら人気のスキー場であり、またマウンテンバイクもここでは人気のようで、ネットでコース案内を見てみると、標高1,600メートルまでのぼるようです。
地図では、バート・イシュルから Rettenbach という渓谷ぞいに Salzkammergut Radweg (ザルツカマーグート・サイクリングロード) が整備されているようで、バート・イシュルから東にそのサイクリングロードを走って行くと、Mautstelle という場所から登り坂に入り、標高1,600メートルの Bergrestaurant がゴールとなっているようです。マウンテンバイクでなくても、ハイキングとしてもその道を歩けるのかもしれませんね。
2012/10/28 ヨハン
2011年8月9日
わたしたちは前日8日は、夜にバート・イシュルのかつての劇場(現在は映画館)での Kammerabend のチケットをとってありましたので、帰りが遅くなるような遠出はできないため、バスでモントゼーに行くことにしてありました。
ところがバス・ターミナルに行ってダイヤを確かめてみるとその路線はなくなっていました。厳密に言うと廃線になったわけではなく、駅には需要がある場合にしかこない、というバスです。この日はモントゼーはあきらめました。確認のため町のインフォメーションで夕方聞いた時には、「今からバスはないよ。タクシーでいくしかない」という話でした。誰も今から行くって言ってないのに、とんちんかんな返事でした。それで9日もう一度確かめてみようとバスターミナルでどうやればいいのか、尋ねると自分でバス会社に電話しろ、という話でした。本数が数少ない上発車時刻の間際にいまどき公衆電話を探して電話するなんて、そんなバナナ
で、私たちは急きょ、これから発車するバスを調べ、全く予定にはなかったもののバート・アウスゼーに行くことにしたわけです。ヨハンの旅行計画はおおよそこのようなものです。風任せ~、かぜまかせ
今この記事を書くにあたって、バート・イシュル ― バート・アウスゼーを結ぶバスのダイヤを調べてみたら、またまたひっくり返りそうになりました。
出てきたのは、バート・イシュルからバート・ゴイゼルンまでÖBBで行き、バス停まで歩いてバス亭からバート・アウスゼー行きのバスに乗れ! との御託です。
で、はたと思い当りました。
そうか現在線路のメンテ中らしい。でも鉄道がメンテでもバスには関係ないのに。
とにかく入力する日付を12月に変えて再度調べてみたら、やはり直行のバスがヒットしました。やれやれ
バスの路線は952、バート・イシュルのバスターミナルを10時15分に出ると、バート・アウスゼー Postamt (郵便局前) に11時2分に着きます。
バート・アウスゼーはもちろんÖBBの路線上にあり、鉄道一本で行けるのですが、私たちが乗ったこの Postbus、とても楽しいパスなので、みなさんもバート・アウスゼーに行かれるときには是非鉄道ではなくて、バスをご利用されることをお勧めします。
バスは国道145を南下してバート・ゴイぜルンを過ぎ(ですから鉄道でバート・ゴイゼルンに来てもこのバスに乗り換えることは可能です。鉄道の駅を出てバス停は目と鼻の先です)、途中道が分かれて145は東に向かい、山を登って行きます。バスが山道を登って行くに従って乗客側から言えば右手にハルシュタット湖がどんどん姿を現していきます。
そしてペッチェンパス Pötschenpass (標高933m) でオーバーエスタイライヒとの州境を越え、シュタイアーマルクに入ります。鉄道だとこういう場所だったらトンネルでしょうからね、バスの峠越えはとても楽しいです。
↓ これはペッチェンパスをバイクで疾走していく動画です
http://www.gaskrank.tv/tv/paesse/poetschenpass-bad-goisern-nach-10444.htm
もちろん峠を越えれば今度は下りです。シュタイアーマルクののどかな風景に触れているとしばらくして行く手に村が見えてきたころから、バスの進行方向左手に、突然異様な山かげに目をくぎ付けにされます。ローザー Loser (標高1,837m) との初めての出会いです。バスがくねくねと麓のバート・アウスゼーの町をめざして坂をかけおりていく間、ずっとローザーが窓越しに見えています。
バスの終点 Postamt は鉄道で来るのと違って町の中心にありますから、その点でもバス利用がお薦めです(鉄道の駅には結局私たちは行かず仕舞となりましたが、グーグル地図で確かめてみるとどうやら大変離れているように思われます)。みわたすと立派なホテルが立ち並び、たしかに由緒ある湯治場という感じ。インフォメーションはこの郵便局の建物の中にあります。
初めての、しかも何の事前の準備もしてなかった場所なので、とりあえず Koppentraun 川沿いの近くの公園に出かけてみました。
2011年8月9日撮影 大公ヨハンの像
さっそく見つけたこの像に興味を惹かれていると、すぐさまおじさんが近寄ってきて「大公ヨハン!!」と誇らしげです。
私と同じ名前のこの人物、オーストリア・ヨーデルの名曲のタイトルにもなっているシュタイアーマルク・アルプスの山やまを愛した人物です。
《ヨハン大公のヨーデル》 YouTube 画像↓
http://www.youtube.com/watch?v=oMniyZKQjbw&feature=related
以下日本語ウィキペディアでの人物紹介です
『女帝マリア・テレジアの三男であるトスカーナ大公レオポルド(後の皇帝レオポルト2世)とスペイン王女マリア・ルドヴィカの13番目の子としてフィレンツェで生まれた。兄たちのうち皇帝となるフランツ2世よりも、有能な軍人であるカール大公に親近感や憧れを抱いていたという。
皇帝フランツ2世は平凡な人物であり、有能なヨハンを疎んでいた。特に軍人向きではないヨハンを戦場へ送り出し、ヨハンは多くの兵士を死なせたことに深く傷ついたという。また、平民出身の兵士らと接触したことで宮廷や貴族の生活を嫌うようになる。
貴族社会よりも山岳を愛し、スイス出身の芸術家の影響でスイスに傾倒するが、やがて自国のチロル地方にも同様に美しい風景があることに気づく。非常に活動的でまた庶民的な人柄であり、シュタイアーマルク州の農業、鉱工業、林業を繁栄へと導き、その他にも学校や病院の開設を進めた。1809年のチロル動乱のおりには民衆の味方でもあった。1811年には、自然科学の研究と技術教育を目的としたグラーツにヨアネウムを設立した。』
このヨハン大公の像の近くにはまたこんな碑もたっています。
2011年8月9日撮影
オーストリアのへそ バート・アウスゼーは北緯47度36分東経13度47分に位置しオーストリアの地理的中心に位置する。標高は659メートル
温泉町はなんとなく気分もはなやぎます。
2011年8月9日撮影 Der Fisch-Brunnen auf dem Kurhausplatz クアハウス広場前のさかなの噴水公園
クアハウス 資料写真
☆
バート・アウスゼー近郊にはいくつか湖があるようです。
夕方遅くならない時間までにバート・イシュルに戻るためにはどこの湖に行くことが可能か。
案内表示板とにらめっこ。
資料写真 Grundlsee
↑このグルンドルゼーか、はたまたアルトアウスゼーか。(ハムレットのような心境)
結局歩いて往復してもさほど時間がかかりそうもないということで、私たちはアルトアウスゼーに向かうことにしました。
予備知識なしです。
道路標識が「こちら→」と示しているのに従い、歩き始めました。基本的に Altausseer Straße を道なりに歩いていくことになるのでまったく迷うことはありません。
2011年8月9日撮影
歩き始めて直ぐにこの景色のところです。さっきまでバスの窓からずっと釘付けになってみていたあの山。
自然と足は軽快になりました。
しばらく車の行きかうバス通りを歩かなくてはなりませんが、途中からはハイカーのための道を歩くこともできます。
そして目の前のローザーもどんどん近づいてきます。
2011年8月9日撮影
湖に降りていく入り口に到着したところで、地図看板をながめ、バス通りとはばいばいして、湖の方に降りていきます。
この一帯も個人所有のヴィラが立ち並び、他人の敷地を歩いていくようで、湖畔に出るまではなんとなく気分は落着きませんでしたが、標識どおりに歩いてきたわけだし、湖を独り占めしよう、って方が間違ってるわけだし、「失礼しま~す」と心でつぶやきながら湖畔に到着。
2011年8月9日撮影 アルトアウスゼー Altaussee
歩き始めてここまで一時間10分ほどでしたでしょうか。
そろそろお腹もすいてきたし、湖畔のどこかで食事をしようと探しましたが、屋台のようなお店じゃろくなものはないだろうし。どうしようかと迷っていたら、こういうときはロザーリウムの出番ですね。
どこかでインフォメーションをすでに仕込んでいたらしく、「Seehotel というところで食事ができるようだから、そこに行こう。」
2011年8月9日撮影 Kath. Pfarrkirche Altaussee
少々迷いながらも、この写真の教会に向かって歩いていくと目的のホテルを見つけました。
2011年8月9日撮影 Hotel am See
ちょうど食事時でもあり、テラスはほぼ満席でしたが、隅っこのテーブルが一つあいていました。
ホテル・レストランなのでクロスをかけてくれる本格的な席でランチ(もちろん一つはお魚料理)をいたしました。
食事をしている最中からヨハンの目の前の建物の屋根越にみえる山の上にどうも雲とは思えない白い影が目に付いて気になっていました。まわりの雲と紛らわしくて、自信がもてませんでしたが、一瞬さ~っと雲が払われたときに、くっきりその姿が目視されました。「絶対に氷河 Gletscher に違いない」
ヨハンはお皿を下げに来たボーイさんにそれを確かめました。
「で、なんと言う名前の山なんですか」
「ダハシュタイン!」
オーストリアの人がこの名前を言うときには、必ず、そっくり返りそうに胸を張りますね。
2011年8月9日撮影 ダハシュタイン
拡大
食事を終えて、レストランを出たころからにわかに雲行きがおかしくなり始め、雨が降り出してきてしまいました。
帰りはさすがにバスに乗ろうと、先ずはバス停を確認しに行くことにしました。
2011年8月9日撮影 アルトアウスゼーのバス停
雨がどんどん降ってくるのでバス停の向かいにある Kuramt に逃げ込むことにしました。
2011年8月9日撮影 Kur und Amtshaus Altaussee 背景にローザー
中はカフェも併設された、インフォメーション・センターのような建物で、しばらく時間つぶしをして、雨が小やみになったころをみはからって、最後にもう一度湖まで散歩してみることにしました。
2011年8月9日撮影
2011年8月9日撮影 花とローザー
☆
ここのバス停は終点ですから、折り返してバート・アウスゼーの Postamt に行きます。
湖のはなのところから別荘地に入って歩き出しましたから、最後のバスの走る区間はみていませんでした。バスに乗ってみてその道をバスが走るのを窓からみていると、多少おもしろそうなお店が並んでいました。
そしてパスですからほどなくして Postamt に到着して、私たちはバート・イシュル行きのバスに乗り換えるためにいったん降りたのですが、ここまでわたしたちをのせてきたバスの運転手、どうも朝バート・イシュルから乗ってきたバスの運転手さんと同じ人のような気がしていました。案の定、バスは終点の Postamt から乗客を降ろしてもまったく去りません。それどころか、降りずに乗り続けている人もいます。そしてバスの行き先表示はいつのまにか 《Bad Ischl》 に変わっているではありませんか。それだったら私たちも最初からキップをバート・イシュルまで買って、乗り続けていたのになあ。
初めての土地はいつも冒険に満ちています。
☆
ちなみに Loser はいくつもリフトがかかっていますが、すべて冬期のみの運行です。どうやら人気のスキー場であり、またマウンテンバイクもここでは人気のようで、ネットでコース案内を見てみると、標高1,600メートルまでのぼるようです。
地図では、バート・イシュルから Rettenbach という渓谷ぞいに Salzkammergut Radweg (ザルツカマーグート・サイクリングロード) が整備されているようで、バート・イシュルから東にそのサイクリングロードを走って行くと、Mautstelle という場所から登り坂に入り、標高1,600メートルの Bergrestaurant がゴールとなっているようです。マウンテンバイクでなくても、ハイキングとしてもその道を歩けるのかもしれませんね。
2012/10/28 ヨハン