ウィーンわが夢の街

ウィーンに魅せられてはや30年、ウィーンとその周辺のこと、あれこれを気ままに綴ってまいります

スイス・アルプス (2) サン・モリッツ

2010-08-30 17:49:27 | 海外
(2)サン・モリッツ 

第一日目

私たちが最初にサン・モリッツを訪れた1984年はチューリヒからの日帰り旅行でした。
つまり、最初にご紹介するピッツ・ネイル (3030m) は、チューリヒから日帰りが可能なロケーションにあると言うことです。
ただ2004年再訪したときは、周辺をもう少し堪能しよう、歩きまわりたいと思っていたので、宿をとりました。

駅に着き、さてどうするか、って思っていると、客引きのおじさんが声をかけてきました。駅前にホテルの客引きがいるなんて、ヴェニス以来です。
ここは観光客も多いけど、ホテルも多い。ホテル間競争がそれだけ激しいのでしょうね。駅から離れた場所にあるホテルは、こうして客引きにこないといけないのかもしれません。トランクを持って遠いホテルに出かけるのは大変ですが、こういう客引きが連れて行ってくれるホテルは自前の送迎バスを持っています。タクシーに乗ったり、バス乗り場を探したりの面倒、出費はなくなるし、いずれ次にご紹介するコルヴァチ (3303m) も訪れる予定をたてるのであれば、ホテルのロケーション次第でそのときに乗らなくてはならないバスの通り道、バス停に近くなり、駅に出る必要もなくなり、遠いことは必ずしもマイナスにはなりません。

今「地球の歩き方」で見てみると、わたしたちが泊まったのは、ユースホステルに隣接するスポーツホテルだったのかもしれません。今回その資料が手元にないので記憶に頼って書きます。いずれにしても駅から西に湖畔を歩いてイン川を渡ったところでした。
山歩きからホテルに戻って、夕方また町、湖畔に散歩に出るにしても多少駅から離れていたことがかえって都合がよかったように記憶します。スーパーは駅近くにあるお店がちいさいながら地の利がいいので、いつも客でいっぱいでした。しかし、イン川方面を目指して散歩してくる途中にエンガディン博物館も、セガンティーニ博物館もあるわけだし、また、大きなスイス・コープがあります。必要なものはたいていそこで手に入れることが出来ます。
(注 客引きのおじさんから、ホテル・バスの発着時間を教えてもらい、また発着時間でなくても電話すれば来る、とも言われました。でも、トランクを持った初日と移動日の最終日以外は、駅まで戻ってきても湖畔や町を散歩したりしながら帰宅して、結局ホテル・バスのお世話になることはありませんでした。)


サン・モリッツの駅を湖畔側から眺める (2004年8月)
駅にはひんぱんに氷河急行が出入りして、いやがうえにも誘われます


サン・モリツツ湖 (2004年8月)
湖畔はぐるっと一周しても5kmにも満たない小さな湖、散歩道が整備されているので安心です。

ピッツ・ネイル

最初に書きましたように、ピッツ・ネイル (3030m) は駅近くのケーブルカー乗り場から、コルヴィリアまで上がり、たしか、いったん出口を出て、さらに近くから次のロープウェイに乗り継いでいきます。ストレートに乗り継げば、30分 (ガイドブックの説明) ほどで3030mの展望所に連れて行ってもらえるという趣向です。
なにしろ、サン・モリッツの町の中心はすでに1830mの高さにあるのです。


2004年8月

ところが、ピッツ・ネイルをハイキングしようと予定したその日、スーパーでチョコレートを買ったんですがね、2004年のこの時も、スイスらしからぬ猛暑、まさか、3000mもあがった場所にきて、チョコレートがすっかりふにゃふにゃになっていようとは思いもしませんでした。

    
ピッツ・ネイル山頂ロープウェイ乗り場 (1984年撮影)


山頂からの眺望もわたしたちには、大満足。グラウビュンデンの山々 (「地球の歩き方」)の眺めは爽快です。自分たちがいる場所がそもそも3000m以上の高さにあって、なんの苦労もしないでここまでこられたことを思えば、ゆめゆめここからの眺めを迫力に欠けるなんて、書いてはいけませんよ、「地球の歩き方」編集部さまへ


ピッツ・ネイルのシンボル、シュタインボック像 (1984年撮影)
このときは近づけましたが、2004年にはロープが張られていて、近づけないようになっていました

    
2004年8月撮影

しかし、このピッツ・ネイル・ハイキングの最大の売りは、ケーブルカーからロープウェイに乗り継いでくることにあります。ケーブルカーの途中駅、そしてロープウェイに乗り換えるときと、道草をくうことが可能で、その都度標高の変化によって眺めも変わるし、なにしろご覧の写真のように、ここはまさにアルプそのもの、ハイキングする場所として危ないようなところはまったくありません。スニーカーでこられる場所なんです。
ヨハンはあれこれ事前調査するのが苦手、まず走り出していくタイプなので、今回はじめて「地球の歩き方」で教えていただいたことを最後にご紹介しておきます。

帰り道に、ケーブルカーを途中駅のチャンタレラで下車すると、テレビ・ドラマの撮影に使われた「ハイディの小屋」にいく散歩道があるそうです。そこをまわって麓のサン・モリッツまで4kmのハイキングができるようです。


第二日目 (ベルニナ急行でイタリアに日帰り旅行)

氷河急行というとサン・モリッツとツェルマットを結ぶ路線 (前述のインターラーケンから眺めたアイガー、メンヒ、ユングフラウの裏側を走っていく路線) を指すわけですが、今年は7月23日に起こった痛ましい列車脱線転覆事故で記憶を新たにしてしまいました。

ヨハンたちも2004年サン・モリッツからシローザンヌに向かう途中同じ路線を乗車しました。氷河特急は全席予約制なので、このときは予約不要な普通の電車に乗りました。以前にも同じ路線を乗車し、そのときたしかに車窓からの景色に圧倒された記憶が残っています。しかし実際には1982年の新フルカ・トンネルの開通以来、一番の見どころに当たるところをトンネルで通過していると知り、並んで予約券をとる意欲は失せてしまったのです。
そんなことで、2004年はまだ乗ったことのなかった路線、ベルニナ急行に狙いを絞りました。いずれにしても、これも人気の路線だし、パノラマ車両には座席券が必要です。サン・モリッツ到着のその日に席を先ず確保しました。
で、実際この路線を乗車してみて、むしろ氷河急行の名称は今はこちらにこそふさわしいものではないかとさえ思います。
(注 実際、このベルニナ急行は2008年に世界遺産になりました。前回世界遺産のブドウ畑、リュトリと書きましたが、正確には隣接するラヴォーという地区です、こちらの方は2007年に世界遺産に登録されています。)

サン・モリッツから2時間少しの乗車、その間、氷河を間近に眺め、最後はループを描いて一気に高度を下げ、イタリアに入っていくといった趣向で、見どころ満載です。そして到着する終点のイタリア、ティラノ駅、ここはEUですから、スイスと通貨が変わります。今は形式だけの検問を抜け、町に出て、イタリア料理で昼食を楽しみ、支払いをユーロでする、という外国気分が味わえるのです。

白い湖

ポントレジーナを過ぎると、車窓に最初に黒い湖が現れ、次に白い湖が見えてきて、サン・モリッツからおよそ40分ほどで、オスピチオ・ベルニナ駅に到着します。全線走行区間で最も標高の高い場所、2253m地点です。


写真① オスピチオ・ベルニナ駅 (標高2253m)、ラーゴ・ビアンコ (白い湖)、そしてピッツ・カンブレナの氷河 (2004年8月)


写真② こどもたちも大喜び

パリュ氷河

次の停車駅はアルプ・グリュム。ヨハンたちはそのまま乗り続けてしまいましたが、「地球の歩き方」では、ぜひ、途中下車しようとお薦めのスポットです。


パノラマ車両からの大迫力のパリュ氷河の眺め (2004年8月)


ポスキアーヴ湖とパリュ氷河 (2004年8月)

ベルニナ急行といっても、ゆっくり走っていきますから、この氷河、湖の絵に描いたような眺めは、列車のなかから充分楽しむことが出来ます。
そして最後のハイライトはループ橋。これは帰路写真に収めましたので、後ほどご紹介しますが、電車は2時間少々の間に、標高差1828mを駆け下りイタリアに入っていくのです。


終点ティラノで、列車を見ると箱根号 (Hakone) でした。(2004年8月)


ティラノ駅にはこのようなプレートが (2004年8月)

わたしたちが利用した急行の正確なダイヤは手元にメモがありませんが「地球の歩き方‘08~‘09」版によれば、サン・モリッツ9時41分発、ティラノ11時57分着だと思われます。
町に出て、イタリア語の響きを心地よく耳に受けながら、おいしいイタリア料理でランチにするにはちょうどいい時間でした。

今も書きましたが、ものすごい標高差を列車は駆け下りてきます、来るときは反対車線を走る長い編成の列車がへびのように体をくねって駆け上がってくる様に見とれてしまいました。しっかり写真を撮影するためのポイントを頭に入れて、サン・モリッツに向けて、同じ路線を逆走することにします。


ループ橋を駆け抜けるベルニナ急行 (2004年8月)



写真左手下に走り抜けてきた線がみえています。
そして途中、屋根のないパノラマ車両を連結したティラノ行きとすれ違いました。この展望車両は、天気の良い日に最後尾に連結されるそうで、パノラマ列車の予約券さえあれば、誰でも移ることができるそうですよ (「地球の歩き方」)。


2004年8月撮影

帰路わたしたちはずっと乗り続けるのは余りにももったいなくなって、ポントレジーナで途中下車して、森を散歩してみました。少し霧がでて寒いくらいでした。翌日は、サン・モリッツから、コルヴァチに登り、ポントレジーナまで歩いて降りてくるコースを選択です。


第三日目

さて、第三日目は全日ハイキングです。途中ムルテルからロゼックの谷まで700mただひたすら山を降りていきます。しっかりとした登山靴と足を痛めないようにストックを持っていくことを忘れないことが大切です。

コースの起点はスルレイのロープウェイ乗り場。
ここまで、サン・モリッツから出ているバスに乗ります。わたしたちはバス路線の途中に位置するホテルに泊まったので、前の日にバス停と時刻を確認して、バスに乗りました。今ならバスに乗らず、村里の景色を楽しみながらロープウェイ乗り場まで歩いて行くことだろうと思います。そんなに離れてはいません。


スルレイのロープウェイ乗り場 1870m (2004年)

写真からスルレイとサン・モリッツの町はほとんど標高差がないこと、ここまではアップダウンのない道だと分かります。

最初にロープウェイで中間駅を乗りついで、終点のコルヴァチまで行きます。


コルヴァチ山頂駅には日本語で歓迎の言葉 (2004年)


コルヴァチ山頂駅 3303m (2004年)

山頂駅は3303mと記してありますからね、さすがにあたりには融けることのない雪がいっぱい残っています。とにかく寒いな、という印象でした。
ここからピッツ・ベルニナを眺めるようにガイドブックに記されていますが、わたしたちの写真にはそれらしいものが記録されていないので、天候が良くなかったのか、見落としたのか。
この日はロング・コースです。写真の時計が10時半を示しているので、出足の遅いわれわれとしては無駄なくここまできたものと思われます。しかしお昼をスルレイ峠の山小屋でとる予定にしていましたから、早々に下りのロープウェイに乗って、途中のムルテル (2699m) で下車。ここからいよいよハイキングのスタートです。


ムルテルからスルレイ峠を目指し下ってきました (2004年)

最初は上の写真に見るように下りです。晴天に見えていますが、どんどん霧が出てきて、寒い、見通しも悪い、で、途中からスルレイ峠にいたる登り道にはいる分岐点のような場所があって、標識も出ていますが、コースを間違うとお昼にありつくこともできませんから、用心に歩いている人に尋ねて、ついでに標識を間にいれて、ふたりを撮影してもらいましたが、すごい霧の中でした。それはそれでヨハンのお気に入りの写真になり、自宅に飾っております。まわりを山に囲まれた場所なので、ことさらにガスに包まれてしまうのでしょうね。


スルレイ峠の山小屋 (2755m) からは、チルヴァ氷河が目の前に迫る迫力ある眺め (2004年)

無事スルレイ峠に到着です。


山小屋でのランチ・タイム (2004年)

西郷どんの母親ではありませんが、男子たるもの食べ物のことで、がたがた言うてはなりません、ということもヨハンは一方で理解できます。でも外国のことを知りたいという知識欲の中には、なにも金に任せて高級レストランで豪遊したいとはゆめゆめ思わないまでも、つまりご馳走でなくても彼らがどんなものを美味しいと感じているのか、知りたいという気持ちは含まれると思います。のんべえの研究者で、甘いもの嫌いを公言する人がいますが、オーストリアでケーキを毛嫌いする研究者は、どんなにオーストリア文化に精通しているように見えても、おまんじゅうやら羊羹を毛嫌いしながら日本文化を論じる外国人学者みたいで、ヨハンにはいかがわしく思えます。
ですから、美味しいものを積極的にご紹介するのも意義少なくないことと思っているわけです。ただ人間慣れというものがあって、慣れてしまうと感動も失われてしまいます。記憶から消えていったものの多くはそういうことだったんだと思っています。その逆に、これはまずい、と思ったものって悲しいかな、記憶に残りますね。そういうものは作った人への礼儀として出来る限り語らないようにします。
それでも、今まで記憶に残っている料理、ひとつだけ書くと、以前ドイツのレーゲンスブルクに語学研修で行っていたときに出された料理。メニューには Spinat mit Spiegelei とあったと記憶します。「目玉焼きつきほうれんそう」ということです。ほうれん草は茹でてやわらかく、おかゆ状になっていて、それに目玉焼きを添えたものでした。朝からずっと歩いて歴史的な場所を訪ね、説明を受けるという日だったので、おなかもすいていたのでしょうね、この料理だけは今でも記憶から離れません。でも、それは普段その地方の人々が口にしているものかもしれません。それが体験できたのだと思えば貴重な経験だったと思うことにしています。
で、このスルレイ峠の山小屋、「地球の歩き方」には、この山小屋の料理がおいしくて、ここでランチするのがおすすめとあり、ひたすらここまで歩いてきたわけです。どうしてこんなことになったんでしょうね? 時間的にもう調理場が休憩にはいったとしか思えません。これも記憶に残った貴重な体験です。

ここでのごちそうは、目の前の絶景です。
このすばらしい氷河の眺めはずっと右手にハイカーを伴走して、麓のロゼックの谷に降りるまでほぼ700m下るのです。途中アルプスの花が目を楽しませてくれます。


氷河に伴走されながらの700mの下り (2004年)


ホテル・ロゼックグレッチャー (2004年)

しかし、まあ、どんなに景色のいい場所でも700mをひたすら下ってくるとさすがに疲れます、そして足が笑っています。それだけに麓が見え始めてくると氷河をそっちのけに、ホテルだ、ホテルだと感激もひとしお。やっと休憩できます、コーヒーでも飲みましょう。

こんなときにオーストリアだとケーキが食べられるんだけどなあ。
2004年はサン・モリッツにやってくる前にマイエンフェルトを訪れました。フランクフルトに仕事が見つかり、おじいちゃんのところにハイディを預けにくるハイディの叔母ちゃん (名前をヨハンは記憶していませんが) がそれまでいたバート・ラガッツという温泉町、わたしたちはそのときこの町も訪ねました。そこで美味しいレストランに出会って、夕食を戴き、いつものようにマスターにお礼を言って、ところで「デザートのMehlspeise」は何ができますか? と聞いたら、そのマスター、びっくりしたように「Mehlspeise? それはオーストリアだろ、スイスじゃMehlspeiseはないんだよ」って言われてしまいました。
世界一美味しいパンを焼けるスイスの職人がデザート・ケーキは焼かないなんて、腕がもったいないだろうに。ところかわれば品変わるだ。

元気が回復したところで、後半はロゼックの谷をまたひたすら、昨日途中下車したポントレジーナを目指してハイキングです。


ロゼックの谷は、山肌のあちこちに滝が見えます (2004年)

森林浴ですね。背後にしばらくロゼック氷河がわたしたちを見送ってくれています。
ホテルからポントレジーナまでは馬車に乗ることも可能です。しかし途中その姿をみかけた馬車も、ハイキングコースとは川をはさんだ対岸を走っていくので、やがて姿を見かけることもなくなりました。
渓谷のハイキングコースなのでさっきの700mの下りがなければ、口笛でも吹きたくなるような快適なハイキングなんでしょうね。しかし、次第次第に疲れがまた足を遅くしていきます。若者たちがどんどん追い越していきます。わたしたちの前に多少は年齢が上かな、って思われるご夫婦。追いついてご挨拶。しかし、こちらが道草して、また追い抜かれ。あのご夫婦にはいくらなんでも最終的に抜かれることはないだろうと思っていましたが、最終的にも完全に姿を見失ってしまうくらいに、引き離されてしまいました。年をとっていても忍者です。彼らは常に一定のリズム、歩調で歩いていきます。けっして急ぎ足になることはないんだけどなあ。
ポントレジーナに着いたときは、さすがに疲労困憊。ここからサン・モリッツへはバスも利用できます。


ヨハン (2010-08-28)


スイス・アルプス (1) グリンデルヴァルト

2010-08-23 02:23:31 | 海外
スイス・アルプス (1) グリンデルヴァルト

第一日目 

2009年5月末は30日の土曜、31日の日曜、翌6月1日の聖霊降臨祭の月曜日と通っていたローザンヌのフランス語の会話学校も3連休でした。連休前になると先生が沢山宿題を出すので (どこでもいっしょだ)、6月1日は宿題用にとっておくことにして、5月29日金曜日から2泊して、31日に戻ってくる予定で、グリンデルヴァルトに行く予定を立てていました。
わたしがローザンヌ滞在中下宿していたB&Bホテル (朝食のBとベッドのBです) のホストは出がドイツ系の人でドイツ語はペラペラでしたが、とても気のいいスイス人で、初めて訪れた日に「では、明日からあなたとはフランス語でしかしゃべらないことにしよう」と言ってくれ、以後朝食のときにはかならず二言三言フランス語で話しかけてくれました。ただ、こみいった、わたしがフランス語では話せない様な内容になるといつのまにか彼もドイツ語をしゃべっていました。
3日不在にするので朝食のときにそのことを伝えると「どこへ行くのか」との問い。そこでグリンデルヴァルトに行くつもりだと答えると、彼は「そこは若い頃兵役で真冬に訓練をさせられた場所でいまでも良い思い出はなくてね、遊びで訪れたことは一度もないよ」と言いました。フランス語圏のスイス人は、フランスにはよく出かけるが、小さな国ながらドイツ語圏スイスにはほとんどでかけようとしない。そのことを単純に肌が合わないんだろうな、くらいにしか思っていなかったけど、たしかに、われわれ日本からも多くの観光客が訪れるアルプス (これは大体ドイツ語圏スイスにある) も、この宿の主人が言うように、彼らにとっては軍事訓練とイメージが直結する場所なんだってことをあらためてこのとき意識させられました。ちなみにオーストリアのラックスも、また、旧東独時代のブロッケンも若者にとっては冬の苦しい軍事訓練の場所です (でした? )。
さて、金曜日、午前中で会話学校が終わるとわたしはいつもなら散歩しながら下宿まで帰るのですが、この日は飛ぶように帰宅、ハイキングの服装に着替え、出かける前に用意しておいた着替え、歯磨きセットなどをつめた荷物、ストックをもってそうそうにインターラーケンに向けて出発しました。
ローザンヌからベルンまで行き、ベルンでドイツからのICEに乗り換え (ちなみにICEは自由席があり、なおかつスイス圏内特急券不要なので、とても便利です。それに反しTGV、これは全席予約で、気分のまま行動したいヨハンにはまったく使い勝手が悪い)、インターラーケンへ。

インターラーケンの宿

グリンデルヴァルト登山の人々が足場とし、宿泊に利用するインターラーケンはとても賑わいのある町で、駅も町の東西に二つあります。ベルンからやってくると最初に西駅 (繁華街にはこの駅が近いです)、そして次の東駅が終点。わたしはとりあえず終点まで乗り、インターラーケン・オスト (東駅) で降りましたが、確かに西駅からずっと町並みが車窓からも見えるものの、その町並みが途切れてくる場所が東駅です。つまり、駅前に出て、宿を探そうにも、結局西駅に向かって歩いて行かざるを得ない感じ。あまり、駅前にはそれらしきものがないことが分かるのです。
(注、しかし、帰路ベルン方面に向かうICEはもちろん東駅始発となるわけで、ここからは自由席にらくらく座れます。それが次の西駅に着くとホームに人があふれていて、とてもとても席を見つけるのは大変、ってことになりかねませんでした、皆様もご注意あれ)

線路に平行に西駅方面に歩いていけばホテルがあるのは分かっていましたが、それらは電車から見た感じでも、いずれも高級ホテルばかり、そこで町並みからどんどん遠ざかっていくのを感じながらも、わたしはグリンデルヴァルト方面に向かって歩くことにしました。
地区で言うとマッテンというところまで来ると、ちらほら宿が見えてきました。一件目は2泊は無理と断られ (金曜日をすぎると、土、日、月3連休でしたからね)、先のどこそことか言う宿に行ってみなさい、と勧められたのですが、そこはフロントが休憩時間で、呼び鈴を押しても人がやってこない。やれやれ、と思いつつ、更に先のホテル (写真) をさがして歩いて行きました。駅からストレートに歩いてきて30分くらいでしょうか、このホテルが大正解でした。うん、犬も歩けば棒にあたるよ、まったくのはなし。

Hotel Alpina, Hauptstr.44, www.alpina-interlaken.ch



ホテル・アルピーナ (2009年5月)
泊めていただいたのは写真でいうと建物左端の部屋 (2階だったか、3階だったか)。ここからは窓からユングフラウがよく見えます。



ホテルの部屋からユングフラウが真正面に見えました (2009年5月)

手前にとがって見えているのがジルバーホルン、ユングフラウを見つけるにはこの特徴ある形のジルバーホルンを先ず確認します。そして左奥に控えるのがユングフラウ (標高4158m、ベルナーオーバーラントの最高峰です) というわけです。朝、晩の空気が澄んでくる時間帯にくっきりとその姿をあらわしてくれます。

ツブァイリュチネンまでの往復ハイキング

こういう国道沿いのホテルは、多少駅から離れていても、客はマイカーでやってくる家族連れが多く、運よく泊めていただくことが出来ましたが、連休は満室状態だと言っていましたのでトランクなどを持っての旅行では、出来れば事前に予約したほうがよいかと思います。インターラーケンの町の中心から少し離れた分、シュニゲ・プラッテ行きの登山鉄道の始発駅ヴィルダースヴィルまで歩いて行かれる距離になります。
午後ローザンヌを出てきたので、この日はもう登山電車を利用して山に行くような時間はありませんでした。それでも5月末だと、外はまだまだ相当に明るいので、わたしはヴィルダースヴィルの駅を事前調査しがてら、更にグリンデルヴァルト方面に向かう本線に沿って作られたハイキングコースを歩いて、ツヴァイリュチネン駅まで行ってみることにしました。




シュニゲ・プラッテ行きの登山電車 (ヴィルダースヴィル駅、2009年5月)



ツヴァイリュチネン駅 (ここで本線はラウターブルネン方面行とグリンデルヴァルト方面行きに分かれる、2009年5月)

ずっと方角としてはユングフラウを正面に眺めながらのハイキングです。スイスののんびりした山村風景に触れ、川沿いに、ときどき横を登山列車が走りぬけていくハイキングコースを歩くのはなかなか長さを感じさせない楽しいコースでした。帰りがあることを忘れてしまえれば!! 帰りは電車、ということも考えられましたが、結局同じ道をまた、戻ることにしました。帰路は背後にユングフラウが見えるわけですが、時間が経つにつれ、空気が澄んできて振り返るたびにその見事な眺めに疲れがいやされるハイキングでした。
まあ、多少ヨハンの強がりが入っていますがね。宿泊を決めたホテル・アルピーナまで戻ってくるとさすがにもう薄暗くなっていました。あてにしていたホテル・レストランはもう本日の料理は終了、と断られてしまい。どんどん暗くなっていくし、この日最初に部屋を尋ねた宿の一階がスイス料理のレストランだったのを思い出し、そこにでかけました。



スイスの料理、レスティ

これはじゃがいもとソーセージを炒めたものにチーズをのせてこんがり焼き目をいれた料理で、素朴と言えば素朴そのもの。でもローザンヌではおいしい食事に出会わず、辟易していたヨハンにとって、思わず「うまい~♪」と叫びたくなるほどのご馳走でした。


第二日目 午前

今日 (2009年5月30日) は全日ハイキングに使うことが出来る日。昨日下見しておいたヴィルダースヴィルには駅前にスイス・コープ (スーパー) がありますから、駅で切符を買って、時間を確認して、スーパーでお昼に出来るようなサンドウィッチと飲み物を調達。レジに並ぶと、目の前に夫婦連れ、ベビーカーに幼い子を載せての買い物です。
向こうの人が使うベビーカーって大体4輪のまさに乳母車って感じの頑丈ででかいもの (ですから折りたたむような形式ではありません) が主流です。オーストリアではそのでかいベビーカーがワンマンの地方路線のバス (前乗り、中央降車口) に降車口から乗り込んできてそのまま降車口脇に陣取り、完全に通路がふさがれ、降りようとしたおばあさんが通るに通れない場面も目撃しました。しかし、少子化の世の中ですからね、運転手も乗客も、そのおばあさん自身、誰一人文句をいいませんでした。わずかにつくってもらった隙間を体を横にしておばあさんはしっくはっく、降りて行きました。
さて、夫婦連れにレジの順番が回ってきました。レジのおばさんが、親しげに会話しつつ、ベビーカーの子供に何かあげています。
ほほえましい光景!
いやあ、とんでもない光景をこの直後ヨハンは目撃してしまったのです。でかいベビーカーの子供を載せた上段には買おうとする商品がいくつか、下段にも物を収納できる場所があり、それにはカバーがついていて、男がそこを開くとびんビールがたくさん入っていました。ちら、と真うしろのわたしに視線をくれながら、レジ台にそのうち数本をとりだして置き、なにくわぬ顔で精算をすまし、店を出ていきました。
万引きです。
旅先のことですからね、わたしは唖然としつつも、一言も発することはできませんでした。第一疑問なことがいっぱいでした。スーパーには専用のカートがありますよね、私物のベビーカーに商品を積んで精算レジを通ることがそもそも黙認されているのかな。つぎにレジのおばさんは、少しは死角になっていたのかもしれないけど、ベビーカーの下の段から男がビールを取り出しているわけだから、ドイツやオーストリア (というかスイスだって他の店) なら、覗き込んで残りがないか確認するだろうけどな。日本のロザーリウムに携帯メールでそのことを報告、その日一日なんとも釈然としないいや~な気分が持続してしまいました。
夫婦連れは一目でわかる外国人労働者、というわけではありませんでした。こういうい言い方は偏見につながるでしょうから、お詫びしますが、言いたいことはよそ者ではなかったということです。
そして夫婦連れの堂々とした態度、レジのおばさんのまったく疑う様子がなかったばかりか、子供になにかあげていたことからして、顔なじみだと、あとから思いいたりました。
共犯!!!!
うん、そうとしか考えようがない出来事ですよ。店長はどこにいたんだかしらないけど、あの様子では、夫婦連れはしょっちゅう万引きしに来ているに違いありません。あのレジのおばさんがいるときに。

シュニゲ・プラッテからの眺望

さて、気分を変えましょう。今回グリンデルヴァルトに来るにあたって、いいハイキングコースはどこにあるか、事前にガイドブックで調べて、午前中まずシュニゲ・プラッテに行ってみようと決めたのです。地球の歩き方「スイス アルプス・ハイキング」ではインターラーケンの説明補足「近郊の見どころ」に記載されている場所です。扱いがマイナーなんですね。わざわざ遠く日本からやってきて一刻も早くグリンデルヴァルトを目指そうという忙しい日本人にはこんなところで回り道をしている余裕なんかないんだろうな。

しかし、ヨハンはこう考えたのです。山は遠くから全体を眺望できるときが最高なんではありませんか?
シュニゲ・プラッテは標高1967m、ヴィルダースヴィルからラックの登山鉄道で52分かけて山頂駅に到着します。



眼下にインターラーケンの町とトゥーン湖 (2009年5月)

標高が上がっていくに従って、まずは左手に遥かインターラーケンの町とトゥーン湖が姿を見せてくれます。

    
登山鉄道車内から (2009年5月)


ところで、ヨーロッパの登山電車では通常あまり席を取るため、われ先に乗りこんだり、車内で撮影のために右手にいったり、左に移ったり、という人は見かけないというか、そういうことをすると誰かから苦情が飛んでくるもんですが、スイスは別でしたね、それとも以前と違い最近はだんだんマナーが悪くなってきたんですかね。
単純に考えるとですよ、単純に考えれば、登りで座った座席の反対側が景色が良くて、まあ、少しは悔しいなあ、って思っても、下りで反対側が見られる席に座ればいいわけじゃないでしょうかね。ったく。こどもを叱れないだろ、そんな大人は。
というわけで、いい大人がこどもさながらにわあわあ、きゃあきゃあ、目に飛び込んでくる風景に大騒ぎしながら、登山電車は最後にトンネルをくぐり抜けながらくるっと山を半周ほどして南側に出ます。そしてそこで一気に目に飛び込んでくるのが、ベルナーオーバーラントの圧倒するような山の連なりです。息をのむ間もなく、感動のなか電車は山頂駅に到着します。
なんだかなあ、よほど腕のいいシナリオライターでも、こんなに感動にあふれたドラマはそうそう書けるもんじゃありませんね。自然は偉大なり!!!



シュニゲ・プラッテ山頂駅 (2009年5月)

ここにはガイドブックの説明では1929年開園のアルペンガルテンがあると書いてあり、それにも興味をひかれていたのですが、5月のせいか、あちこちまだ残雪が見られる一方で、どこも自然に山を彩る高山植物ですでに満開状態。わざわざアルペンガルテンに行くのはやめました。
オーストリア・アルプスではあちらこちらで自生するシクラメン見かけますが、ここではクロッカスが自生していて本当に感動します。



満開の花とベルナーオーバーラントの山並み (2009年5月)

さて、朝は山はくっきり全容を見せてくれていましたが、山頂駅に着いたころからにわかに雲行きが怪しくなってきました。黒い雲におおわれる前に、必死で写真撮影。




右からユングフラウ、メンヒ(4099m)、そして左端がアイガー(3970m) (2009年5月)

この写真のユングフラウとメンヒとの間に位置する鞍部にユングフラウ・ヨッホがあって、そこが展望所になっています。グリンデルヴァルトを出る登山電車は途中から、左端のアイガー、更にメンヒをくり抜いたトンネルの中を登ってユングフラウ・ヨッホまで連れて行ってくれるわけです。肉眼ではこのシュニゲ・プラッテから展望台がはっきり確認できておもしろいです。上の写真にもそれらしいものが写っているのですが、ズームした次の写真でよりくっきり確認できると思います。この展望所から氷河を眺めるわけです。


ユングフラウ・ヨッホの展望所と氷河 (アイガーグレッチャー) (2009年5月)

今回ヨハンは結局ユングフラウ登山電車には乗りませんでしたので、以前撮影した写真をご覧ください


1984年3月撮影 途中の乗り換え駅、クライネ・シャイデックを電車から振り返る


1984年3月撮影 登山電車はずっと山の中をくり抜いたトンネルの中を登り続けていくわけですが、途中一か所、トンネルの切れ間があって、そこではアイガーの北壁が目の前に姿をみせてくれます



1984年3月撮影
ユングフラウ・ヨッホ駅の気象掲示板で確認すると、このときマイナス16.6度でした



1984年3月撮影 ユングフラウヨッホの展望所と足元に広がるアイガーグレッチャー



さて、撮影しながら、途中残雪に足を取られそうになりながら、いつしか駅からどんどん西に向かって歩いてきて、そろそろ麓の村に通じていそうな山道近くにたどり着いたところで、昼食タイム。デザートのりんごを食べていると、ひとりの男が上がってきました。どちらからともなく話しかけると、ドイツ人、ライプチヒから来たというのです。家族で来ているが、奥さん子供は山登りに興味がないのか、下に置き去り、自分ひとり上がってきたと言います。
「どこから上がってきたんですか?」
「ツヴァイリュチネン」
そうか、昨日歩いて往復したところだ。やはり向こうの連中は忍者だ。
「あとすこしでてっぺんですよ」
と不必要なエールを送って別れました。

しばらくしてもと来た道を駅まで戻る頃には、向こう側に見えていたベルナーオーバーラントの山並みはすっかり雲に覆われ (これだとユングフラウ登山鉄道で登った人たちはガスの中だな)、シュラゲ・プラッテ駅にもぽつり、ぽつり雨が降ってきました。
午前の部はこれで、大成功とは言わないまでも、まあまあ七分の出来かな。
下りの登山鉄道でヴィルダースヴィルに戻り、いよいよ、午後の部、グリンデルヴァルトに出かけてみることにしました。


第二日目午後

グリンデルヴァルト、ヨハンにとっては26年ぶりです。

27年前初めてスイスを訪れた時の印象はドイツ、オーストリアに比べて物価が高い、登山電車に乗るたびに往復でそのつど一万円札が飛んでいく感じ、そのかわりたしかにどこを訪れてもきれいだし、グリンデルヴァルトは当時すでに車内放送で日本語が流れていたように記憶します。日本人観光客にとってフレンドリーな国だというのは昔からでした。
でも、きれいなアルプスも登山電車で往復して、はい、次、って移っていく旅行は、やはりね、飽きるし、記憶に残りません。
いつか歩いてみたいという願望はあったのですが、その山歩きの願望を満たしてくれるのがヨハンにとってはオーストリア・アルプスになったわけです。スイスの山は余りにも高い (今度は物価じゃなくて、標高の方です)、訓練と装備なくしては歩けない様な本格的な登山は軟弱体質のヨハンには不向きなんです。
しかし、オーストリアで山歩きの楽しさに目覚め、また、5月の初めからフランス語学校に通っていたローザンヌでは、学校があった町と下宿があったエパランジュではすでに標高差300m、片道は出来る限り歩くことにし、さらに休日などはレマン湖まで、標高差400m以上を下宿から歩いて往復したりしていたので、毎日が登山気分。これならメジャーな山だって場所を選べばハイキングの対象となるのではないかと考えることが出来るようになったのです。
グリンデルヴァルトはユングフラウ登山電車の乗り換え駅ですが、乗り換える電車は来た方角に折り返す、つまりいったん戻る形で出ていきます。通過駅ではない終着駅なので、その独特の雰囲気があります。




グリンデルヴァルト駅 (2009年5月)

乗ってきたお客さんはユングフラウ登山電車に乗りかえたか、いったん駅前に出てきたとしても、大半はそのままバス乗り場に行ってしまいます。一緒に町を歩く仲間もなく、なんだか取り残された感じ。しかしガイドブックにはここには「日本語観光案内所」がある、と書いてあったので、ひとまずそれを探してみることにしました。
それは、ホテル、土産物屋が軒を連ねるメインストリートを少し歩いただけで、少し気恥ずかしいほど真正面にすぐ目に飛び込んできました。なんと親切なことでしょう。しかし時間をつぶすのはもったいないのでやり過ごして先へと歩いていると、今度はやたら日本語が耳に飛び込んできます。5月末、ゴールデンウィークはひと月も前に終わっているはずなのに、とにかくここは日本人観光客には人気のツアー・スポットなんですね。
気恥ずかしさから逃れるように、坂道をどんどん先へと歩いて行くと、自然と気をひかれる案内表示が目に入ってきます。Unterer Gletscher と Oberer Gletscher です。麓まで下ってきた氷河と山の上にとどまっている氷河、ってなことかと勝手に解釈。Unterer の方が近いんだろうな、と思いつつ、せっかくしかしたくさん歩きに来たんだから、遠い方に行ってみよう、と即断。



途中歩いていても氷河は顔を見せています (2009年5月)



やはり、こういう風景も写真に収めておかないとスイスらしくないだろうな、と撮影 (2009年5月)

決断したらあとは Oberer Gletscher を示す案内表示を探しながら、町からどんどん遠ざかって、人も少なくなっていく村里をひたすらハイキング。
もうあさってからは6月ですからね、アルプスの山もきれいだけど、里は花盛り、この時期ならではでした。



花盛りの村里風景 (2009年5月)

で、今回2回目の事件報告です。
ここに写真は up しませんでしたが、お花畑に来る前に鹿が放牧されている場所を通ってきたのです。逃げないように鉄線で囲われています。写真を撮りたかったのですが、角度の関係でアルプスと鹿が一つの画面に入りません。鉄線の間から体をのりだして角度をとろうと思って、腕を突き出したその瞬間、ビビビビー、ものすごい電流に弾き飛ばされそうになりました。瞬間鉄条網だったかしら、と思ったのですが、火花が飛ぶときのような音がたしかに聞こえた気がします。で、よくよく見ると、「電流、命の危険」と看板がぶら下がっていました。危ないとこでした。
こういうとき誰か同行者がいると盛り上がるんだけどなあ。

さて、そこから先は森と沢を通り抜け、少しのぼりになってまた、民家というか農家がちらほらある場所に出ましたが、今度はそこの犬ですよ。放し飼い。こちらの姿を見つけると、はやくも唸っています。やつはそれが仕事でご主人からご飯を貰ってるわけだし、仕方ないとは思うものの、こっちも一本道だし、引き返すわけにはいかないし。そうとうに吠えられるなかをこわごわ通過しました。

で、少し途中は省略して、ようやく、Oberer Gletscher の観光ポイントに到着。もちろんバス停もあり、歩いてこなければならない場所ではありませんでした。しかし、さっきも書いたでしょう? こうやって歩いてくるとそれだけでも記憶に残る事件の一つや二つに遭遇するわけですよ。あははは、負け惜しみか!!

ここまでたどり着くとなにかと整備され、訪れている人もたくさんいて、あとは横着に人の流れについて歩いていけば、目的の場所にたどり着けるという寸法です。

次の写真がその目的地です。



Oberer Gletscher (2009年5月)

でも、一見してこの氷河、温暖化の影響で後退してしまったんだろうな、って分かります。
で、どうしても迫力ある姿を見たい人のためには、岩場に次の写真のように梯子がとりつけてあるのです。わたしが到着したときにはまだ、上に何人も人がいました。もちろん一方通行というか、上りと下りがはちあわせないように、踊り場があります。



Oberer Gletscher の岩梯子 (2009年5月)

地球の歩き方によれば、890段あるそうです。ヨハンは帰りの時間のこともあるし、パスしました。また、今度ね~♪

今回3回目の事件報告です。
帰り道について、あのわんわんのことがちらっと頭をかすめたのかな。違うルートがあるはずだ、出来れば来る時と違うルートを歩きたいと思ったんです。ここは道が整備されていて案内表示もしっかりあるし、グリンデルヴァルトと書いてある方角に歩きだしたわけです。しかし、どんどん歩いても歩いてものぼり。30分は歩いたでしょうか、さすがに心細くなってきました。そんなときにむこうから歩いてくる人に出会ったのです。で、尋ねました。この道で駅の方にいけますか? かれは、たしか、腕時計にGPS機能がついているように言ったと思うんだけど、はっきり聞き取れたのは、「自分にも位置がわからない!」
で、さっさと降りて行ってしまいました。ウ~ン、ここから引き返すのは相当に悔しいことでしたが、やむを得ませんな。まあバス停のところまで戻れば絶対に来た道を戻れます。
案の定犬も待っていてくれました。ばかも~ん、犬は鎖でつないでおけ!!

町が見えてきたときには正直やれやれという気持ち、余裕も回復。少し来た道とは別な道を歩いたりしていると、写真の少年に出会いました。
めずらしく彼の方から話しかけてきました。
昔、スイスで、やはり道が分からなくて、こどもに聞けば、子供ならわかりやすいだろう、って思って (なにしろおとなが本気でスイスの言葉をしゃべると一言もわかりません)、道を尋ねたことがありましたが、ちんぷんかんぷん、こどもは一生懸命説明してくれたのですが、まったく分かりませんでした。しかたなく「Danke ありがとうね」って答えたら、「Bitte どういたしまして」。それだけははっきり聞き取れました。ドイツ語しゃべってくれていたことは間違いありませんでした。とほほほ
でも、写真の少年とはなんとか会話成立。内容は忘れてしまいましたが、たしか「なぜひとりなんだ? 奥さんはいないのか?」って聞かれたように記憶します。




こうして駅に着いた頃はすっかりいい時間になってしまいました。これからホテルまで戻って夕飯というとまた選択肢が窮屈になりそうなので、駅のレストランで夕食をとって帰宅。
そういえば、インターラーケンの町、まだ見てませんでした。夜暗い中、町に向かって歩いて行くと、ずいぶんにぎやか。そうだ、今日は土曜だし、これから3連休だった。


第三日目

最終日はチェックアウトしてまた荷物を持っての移動になるので、いろいろ考えた結果、とりあえず駅 (オスト) に出てコインロッカーに荷物を入れることにしました。
インターラーケンの町からはユングフラウと反対側の小高い山に、写真の建物がとんがり帽子の目をひく姿でたっています。昨日夜町にでたときにもライトアップされていました。何だろうな、と気になった建物です。ガイドブックを読むと、ハルダー1322m、「ユングフラウ地方で最も手軽に行ける展望台」と書いてあります。
駅から川を渡ってすぐのところにあるケーブルカーで10分。朝一に近い状態でやってきたわけですが、ケーブルカーもすでにいっぱいのお客さん。そしてこのホテルの展望レストランもお客さんでいっぱいです。今日は日曜だからなのかな。ホテルの泊まり客ならともかく、私がそうであるように他のホテルに泊まっている人はそこで朝が出るわけだから、地元の人かもしれません。



ハルダーの展望所 (2009年5月)



ユングフラウの眺め (2009年5月)

たしかに手軽にこられましたが、展望所と言っても、ほとんどがホテルのレストランで占領されていますから、遠慮しながらはしっこに行って写真撮影。
手前に見えているのが昨日登山電車で登ったシュニゲ・プラッテ1987mです。その下に広がるのはマッテン地区、わたしが宿泊していた所です。真正面にユングフラウ。特徴的なジルバーホルンを前に全容を見せてくれています。左にメンヒ、アイガーと連なっているはずなんですがね、こんなに天気がいい日で、5月末でもこれです。真冬か、早朝、もしくは夕方にでもならないとくっきりというのはなかなか望めません。これでも、この日一番よく山並みが見られたときに撮影したもので、このあとはずっと雲に覆われてしまいました。考えてみれば、全部4000m前後の山々ですもの。富士山よりずっと高いんだから雲に隠れるわな。



ブリエンツ湖 (2009年5月)

今回恥ずかしながらインターラーケンを再訪して初めて、この地名が「(2つの) 湖に挟まれた町」からきていることを知りました。昨日はトゥーン湖の写真でした。今日のはブリエンツ湖です。
さて、お昼はこの展望所に戻って食べることにして、それまでハルダーの山を登ってみることにしました。山を登るなんて、自慢するくらいの人なら、そもそもここまでだってケーブルカーなんか利用はしないわな、って? ごもっともてす。面目ない。ゆるしてくだされ。
たしかに展望所のはしっこにくると、登山道があって、下からのぼってくる人、結構いるもんです。そしてここからさらに、てっぺんを目指して何人もの人が森の中へと歩いていきます。ハイキングコースと所要時間、簡易コース、ロングコースと丁寧に説明されているので、まったく迷うこともないし、時間と体力で選ぶことができます。



ヴァニヒヌーベル山頂1585m (2009年5月)

というわけで、最初は結構家族連れも歩いていましたが、途中から歩いている人がほとんどいなくなり、標識 (写真) のてっぺんにたどり着いた時はヨハンひとり。ひとり腰をかけるのがやっとというような狭い岩場です。登る時ってさほど怖くはないものですが、腰をかけ、下が見えた瞬間、足が震えました。でもなあ、せっかくリンゴをもってきているし、ここで食べなくちゃ、自分へのごほうびだもの。ユングフラウとは反対側に腰をかけたので、くるりと半回転しようと思ったのですが、これがまた、怖い。
で、そうこうしているうちに、次のお客さんの登場です。
「もう一杯ですよ~」と心の中の叫び。
しかし、そのお客さん、夫婦でしかも、男の方はこどもを背負っています。忍者だ。
彼らからすれば、席にまだ余裕あり、と判断したんでしょうね。どんどん近付いてきます。こんなところに大人3人も座ったら、降りるに降りられなくなるじゃないか。わたしは、ちょっと待ってて、と合図して場所を譲りました。
来た道をまた戻り、展望所が見えてきたころはお昼を戴くのにちょうどよい時間でした。



レスティ (2009年5月)

迷わず選んだのはレスティ。ドイツ語圏スイスの定番料理なんでしょうね。ここのは目玉焼きがのっかっています。ホテル・レストランだし、多少きどったレスティなんでしょうね。

さて、第三日目の午前もまあまあの満足。
ずっとアルプスの山を追っかけて歩いてきましたから、午後は麓のブリエンツ湖畔でも散歩して見ることにしました。



ブリエンツ湖 (2009年5月)

これが、しかし、たどり着くまでなかなか時間がかかりました。湖畔といっても、一部は私有地のようなところもあり、行く手を阻まれ、逆戻り。遊覧船が目の前を通り過ぎ、だんだん遠ざかっていく姿やら、向こうの山側をブリエンツに向かって走りぬけていく列車などを眺め、帰路につくためにインターラーケン東駅に戻りました。

帰りは来た時と同じコースを逆戻り。ベルンで列車を乗り換え、ローザンヌへ。来る時には背中を向けて走るので気がつきませんでしたが、リュトリ辺りで列車はレマン湖に出ます。それまでずっと山を眺めながら走っている視界が、ぱあ、っと開けてレマン湖が姿を見せた時の感動は息をのむ美しさです。このあたり、一面ぶどう畑ですが、そのぶどう畑はただものではなくて、ユネスコの世界遺産に登録されているのです。
わたしとロザーリウムがウィーンからローザンヌにやってきたのが5月1日。5月初旬のリュトリのブドウ畑は、夏に備えて、まだ枝をすっかり払われ、ただの茶色い棒といった状態でした。家内は5月10日にいったん帰国。それからわたしはなんどもリュトリ地区をエバランジュから歩いてたずねましたが、ローザンヌでの会話学校を終了する6月下旬までの間、ぶどう畑は少しずつ緑の葉を増やしていきました。

   
リュトリのぶどう畑  (左は2009年5月に、右は6月に撮影したものです)


ヨハン (この記事は 2010-08-21 と 2010-08-23 をまとめたものです)