ウィーンわが夢の街

ウィーンに魅せられてはや30年、ウィーンとその周辺のこと、あれこれを気ままに綴ってまいります

ザルツブルク市内ハイキング ― (ホーエンザルツブルク・フォト・ギャラリー)

2012-10-30 18:24:48 | ザルツブルク
2009年7月26日ドイツでの日程を終え、ヨハンは再びオーストリアに戻りました

すでに夕方になっていましたが、まだ外はま昼のように明るくて、ホテル近くのミラベル庭園を抜けて旧市街に向かって散歩いたしました


ミラベル庭園から


    
7月26日撮影                             7月26日撮影


     
     7月29日撮影
29日はバート・イシュルに向けて出発する日でした。ミラベル庭園前のバス停からバス移動する予定なので、朝食後バスの時刻を確かめつつ、庭園で再び写真撮影。さすがに朝早い時間はまだ人がいません


こちらは2011年8月7日に撮影したものです ベスト・ポイントなのでしらずしらず同じ場所でシャッターを押すものらしいです


7月27日 旧市街へ

スイスのローザンヌに滞在中、毎日最低1万5,000歩以上歩くのを日課としていたため、ついにお気に入りだった登山靴も底が抜けてしまいました。
この日はザルツブルクの良い靴屋さんで新しい登山靴を買おうと朝一番でホテルを出発 (昨日シュターツブリッケの手前の靴屋さんに紹介してもらったゲトライデガッセの Denkstein というお店へ)


ザルツァハ川にかかる橋 (Staatsbrücke) のたもとから

7月27日撮影

お店は直ぐ見つかりましたが、なにしろ時間が早くてまだ開店前でした。やむを得ず、お店があくまで時間つぶしの散策



7月27日撮影
これは Festspiele のイベントとして飾られたものだったと思います (Residenzplatz)


こちらは1980年9月1日、私たちが初めてザルツブルクを訪れたときの写真です
写っている背景はまったく変わりがありませんね (当たり前か) でもホーエンザルツブルクは今よりすすけて黒ずんでいました。最近やけに白くなってしまいました。


7月27日撮影   Kapitelplatz この噴水はかつては馬洗い場として使われていました


ゲトライデガッセのお店に戻り、無事新しい登山靴をゲツト!!
Denkstein はウィーンのシュテファンスドームの裏手にもお店があります。ヨハンが気にいってみていた靴をマダムは、「それはあまり細工がしっかりしていない」からと、お薦めの靴を見せてくれました。とても快調です。そして靴にあう靴下も勧めてもらいました。デザインがヨハン好みでなかったので、自分では絶対に選ぶことはなかったと思います。この靴下の方もとても快適で、今でも愛用しています。ちなみにその後ロザーリウムと再びザルツブルクを訪れたときにも、彼女の登山靴をマダムに選んでもらいました。

この日はさっそく新しい靴を履いて夕方今まで一度ものぼったことのないカプツィーナベルクに登ってみることにしました


カプツィーナベルク側から


7月27日撮影 なぜか山の中にモーツァルトの像がありました

時間が遅かったので、登って行く仲間はいませんでしたが、降りてくる人には沢山出あいました。
町のなかとは思えないくらい、ちゃんと山登りしている気分になれるところでした (地図で確認するとれっきとした登山ルートでした)

検索するとここ↓で写真とルートの紹介がされているのを見つけました。
Wanderung auf den Kapuzinerberg in Salzburg | auf-den-berg.de


7月27日撮影 ここが山頂です、Franziski-Schlössl (海抜640m)

下りは上りとは別のルートを歩きましたが、迷うようなことはありません。
のぼりのときにはホーエンザルツブルクは背中側でしたが、下りでは正面にあることになりますから、折にふれてはカメラを向けることになりました



7月27日撮影


7月27日撮影 途中に公園があります。ここからのホーエンザルツブルクは周りの風景と合いますね。お勧めのシャッター・ポイントです。

        
        7月27日撮影



7月27日撮影

       
       7月27日撮影

建物の間をすり抜けるように下っていくと、川べり近くの道路に出ました


7月28日 メンヒスベルクへ

昨夜は雨が降り、この日もまだ朝の空はどんよりとしていました。本当はこの日はウンタースベルクに行ってみたかったのですが、天気が悪いのであきらめました。
ただ、そんなときは汗もあまりかかずにすみますから、昨日とは反対の山、ホーエンザルツブルクがあるメンヒスベルクの方を登ってみることにしました。


      
7月28日撮影

ケーブルカー山頂駅前を城に上がる坂道には進まず、脇の東はしの門をくぐり抜けて城の裏手に出て、先を進んでいくと、今までとは別の顔のホーエンザツブルクに出あいます。
この見晴らし台のような場所 ↓ からはウンタースベルクも、また眼下には映画『サウンド・オブ・ミュージック』でトラップ大佐の館として使われたレオポルツクローン城も手に取るように眺めることができます


        

7月28日撮影

       
       2011年8月5日撮影 背景にウンタースベルク、手前はレオポルツクローン城


とくに標識にたよるほどのこともなく、ここから山上のハイキングコースを歩いていくと、やがて近代美術館の方に出ることができます
近代美術館前のレストラン・テラスはいつも人でいっぱいですが、近くにはのんびり食事のできるこんな場所もありました



2011年8月5日撮影  メンヒスベルクの山頂ハイキングの終点はこの山頂レストランです


Stadtalm Salzburg (写真はホームページから) ここはユースホステルで宿泊もできます

Auch Salzburg besitzt seine Alm, eine kulinarische Wohlfühl-Oase am Mönchsberg. Das junge Gastronomen-Team serviert Wiener Schnitzel, Sachertorte und Kaiserschmarrn. Zu deftiger Hausmannskost schmeckt ein kühles Bier. Die Terrasse der Stadtalm bietet 110 Personen Platz und den Gästen einen der schönsten Ausblicke auf Salzburg.

帰り道はここから少し戻ったところで下に下りていく道が分岐しているので、そちらを歩いていきます。


7月28日撮影

見たとおりの旧市街のほぼ真ん中に出て行きますが、詳しく言うと祝祭劇場の脇にでます。ヨハンが降りて行ったとき、大きな倉庫のような建物の扉が開いていましたので、中をのぞいてみるとオペラに使う大道具がおいてありました。


対岸から

7月28日はずっと天気に恵まれず、遠出も出来ませんでしたので、ザルツブルクを徹底的に歩いてやろうという気持ちに切り替えていたようです。
以下並べる写真の撮影に時系列の上で、どうなっていたのか今となっては本人さえもよく分からないところがありますが、記憶ではっきりしていることは、夕方にかけて、ザルツァハ川の旧市街と反対側の岸 (Ignaz-Rieder-Kai) をずっと歩いたことを覚えています。

散歩している人もたくさんいましたが、基本的にサイクリングロードになっているのか自転車もたくさん走っていました。



7月28日撮影 これは映画『サウンド・オブ・ミュージック』にも出てくるモーツァルト橋 Mozartsteg

      
      こちらの方は2001年7月27日に撮影した画像です



7月28日撮影



7月28日撮影

これは写真の構図から言ってもかなり歩いてきた場所です。
途中に公園やら、別荘らしき建物、また、民宿風のホテルもあり、荷物のことを考えなくてすめば、市街地のホテルに泊まるよりはこうした多少郊外のほうがアト・ホームな雰囲気を味わうことができるでしょうね。
そろそろ帰ろうかとなった頃に向こう岸に渡る橋が再び現れますので、今度は反対岸を歩いて帰りました。

2012/10/30 ヨハン


バート・イシュルからのハイキング (5) ― バート・アウスゼー

2012-10-29 00:25:20 | バート・イシュル
第5日目 バート・アウスゼー  Bad Aussee

2011年8月9日
わたしたちは前日8日は、夜にバート・イシュルのかつての劇場(現在は映画館)での Kammerabend のチケットをとってありましたので、帰りが遅くなるような遠出はできないため、バスでモントゼーに行くことにしてありました。
ところがバス・ターミナルに行ってダイヤを確かめてみるとその路線はなくなっていました。厳密に言うと廃線になったわけではなく、駅には需要がある場合にしかこない、というバスです。この日はモントゼーはあきらめました。確認のため町のインフォメーションで夕方聞いた時には、「今からバスはないよ。タクシーでいくしかない」という話でした。誰も今から行くって言ってないのに、とんちんかんな返事でした。それで9日もう一度確かめてみようとバスターミナルでどうやればいいのか、尋ねると自分でバス会社に電話しろ、という話でした。本数が数少ない上発車時刻の間際にいまどき公衆電話を探して電話するなんて、そんなバナナ 
で、私たちは急きょ、これから発車するバスを調べ、全く予定にはなかったもののバート・アウスゼーに行くことにしたわけです。ヨハンの旅行計画はおおよそこのようなものです。風任せ~、かぜまかせ

今この記事を書くにあたって、バート・イシュル ― バート・アウスゼーを結ぶバスのダイヤを調べてみたら、またまたひっくり返りそうになりました。
出てきたのは、バート・イシュルからバート・ゴイゼルンまでÖBBで行き、バス停まで歩いてバス亭からバート・アウスゼー行きのバスに乗れ! との御託です。  

で、はたと思い当りました。

そうか現在線路のメンテ中らしい。でも鉄道がメンテでもバスには関係ないのに。

とにかく入力する日付を12月に変えて再度調べてみたら、やはり直行のバスがヒットしました。やれやれ

バスの路線は952、バート・イシュルのバスターミナルを10時15分に出ると、バート・アウスゼー Postamt (郵便局前) に11時2分に着きます。

バート・アウスゼーはもちろんÖBBの路線上にあり、鉄道一本で行けるのですが、私たちが乗ったこの Postbus、とても楽しいパスなので、みなさんもバート・アウスゼーに行かれるときには是非鉄道ではなくて、バスをご利用されることをお勧めします。

バスは国道145を南下してバート・ゴイぜルンを過ぎ(ですから鉄道でバート・ゴイゼルンに来てもこのバスに乗り換えることは可能です。鉄道の駅を出てバス停は目と鼻の先です)、途中道が分かれて145は東に向かい、山を登って行きます。バスが山道を登って行くに従って乗客側から言えば右手にハルシュタット湖がどんどん姿を現していきます。

そしてペッチェンパス Pötschenpass (標高933m) でオーバーエスタイライヒとの州境を越え、シュタイアーマルクに入ります。鉄道だとこういう場所だったらトンネルでしょうからね、バスの峠越えはとても楽しいです。

↓ これはペッチェンパスをバイクで疾走していく動画です
http://www.gaskrank.tv/tv/paesse/poetschenpass-bad-goisern-nach-10444.htm


もちろん峠を越えれば今度は下りです。シュタイアーマルクののどかな風景に触れているとしばらくして行く手に村が見えてきたころから、バスの進行方向左手に、突然異様な山かげに目をくぎ付けにされます。ローザー Loser (標高1,837m) との初めての出会いです。バスがくねくねと麓のバート・アウスゼーの町をめざして坂をかけおりていく間、ずっとローザーが窓越しに見えています。

バスの終点 Postamt は鉄道で来るのと違って町の中心にありますから、その点でもバス利用がお薦めです(鉄道の駅には結局私たちは行かず仕舞となりましたが、グーグル地図で確かめてみるとどうやら大変離れているように思われます)。みわたすと立派なホテルが立ち並び、たしかに由緒ある湯治場という感じ。インフォメーションはこの郵便局の建物の中にあります。

初めての、しかも何の事前の準備もしてなかった場所なので、とりあえず Koppentraun 川沿いの近くの公園に出かけてみました。



2011年8月9日撮影 大公ヨハンの像

さっそく見つけたこの像に興味を惹かれていると、すぐさまおじさんが近寄ってきて「大公ヨハン!!」と誇らしげです。
私と同じ名前のこの人物、オーストリア・ヨーデルの名曲のタイトルにもなっているシュタイアーマルク・アルプスの山やまを愛した人物です。

《ヨハン大公のヨーデル》 YouTube 画像↓
http://www.youtube.com/watch?v=oMniyZKQjbw&feature=related

以下日本語ウィキペディアでの人物紹介です
『女帝マリア・テレジアの三男であるトスカーナ大公レオポルド(後の皇帝レオポルト2世)とスペイン王女マリア・ルドヴィカの13番目の子としてフィレンツェで生まれた。兄たちのうち皇帝となるフランツ2世よりも、有能な軍人であるカール大公に親近感や憧れを抱いていたという。

皇帝フランツ2世は平凡な人物であり、有能なヨハンを疎んでいた。特に軍人向きではないヨハンを戦場へ送り出し、ヨハンは多くの兵士を死なせたことに深く傷ついたという。また、平民出身の兵士らと接触したことで宮廷や貴族の生活を嫌うようになる。

貴族社会よりも山岳を愛し、スイス出身の芸術家の影響でスイスに傾倒するが、やがて自国のチロル地方にも同様に美しい風景があることに気づく。非常に活動的でまた庶民的な人柄であり、シュタイアーマルク州の農業、鉱工業、林業を繁栄へと導き、その他にも学校や病院の開設を進めた。1809年のチロル動乱のおりには民衆の味方でもあった。1811年には、自然科学の研究と技術教育を目的としたグラーツにヨアネウムを設立した。』


このヨハン大公の像の近くにはまたこんな碑もたっています。

   
2011年8月9日撮影
オーストリアのへそ バート・アウスゼーは北緯47度36分東経13度47分に位置しオーストリアの地理的中心に位置する。標高は659メートル


温泉町はなんとなく気分もはなやぎます。


2011年8月9日撮影 Der Fisch-Brunnen auf dem Kurhausplatz クアハウス広場前のさかなの噴水公園


クアハウス 資料写真




バート・アウスゼー近郊にはいくつか湖があるようです。
夕方遅くならない時間までにバート・イシュルに戻るためにはどこの湖に行くことが可能か。

案内表示板とにらめっこ。

資料写真 Grundlsee

↑このグルンドルゼーか、はたまたアルトアウスゼーか。(ハムレットのような心境)

結局歩いて往復してもさほど時間がかかりそうもないということで、私たちはアルトアウスゼーに向かうことにしました。
予備知識なしです。

道路標識が「こちら→」と示しているのに従い、歩き始めました。基本的に Altausseer Straße を道なりに歩いていくことになるのでまったく迷うことはありません。



2011年8月9日撮影

歩き始めて直ぐにこの景色のところです。さっきまでバスの窓からずっと釘付けになってみていたあの山。
自然と足は軽快になりました。

しばらく車の行きかうバス通りを歩かなくてはなりませんが、途中からはハイカーのための道を歩くこともできます。
そして目の前のローザーもどんどん近づいてきます。


   
2011年8月9日撮影

湖に降りていく入り口に到着したところで、地図看板をながめ、バス通りとはばいばいして、湖の方に降りていきます。

この一帯も個人所有のヴィラが立ち並び、他人の敷地を歩いていくようで、湖畔に出るまではなんとなく気分は落着きませんでしたが、標識どおりに歩いてきたわけだし、湖を独り占めしよう、って方が間違ってるわけだし、「失礼しま~す」と心でつぶやきながら湖畔に到着。


2011年8月9日撮影 アルトアウスゼー Altaussee
歩き始めてここまで一時間10分ほどでしたでしょうか。


そろそろお腹もすいてきたし、湖畔のどこかで食事をしようと探しましたが、屋台のようなお店じゃろくなものはないだろうし。どうしようかと迷っていたら、こういうときはロザーリウムの出番ですね。

どこかでインフォメーションをすでに仕込んでいたらしく、「Seehotel というところで食事ができるようだから、そこに行こう。」



2011年8月9日撮影 Kath. Pfarrkirche Altaussee 

少々迷いながらも、この写真の教会に向かって歩いていくと目的のホテルを見つけました。


2011年8月9日撮影  Hotel am See

ちょうど食事時でもあり、テラスはほぼ満席でしたが、隅っこのテーブルが一つあいていました。
ホテル・レストランなのでクロスをかけてくれる本格的な席でランチ(もちろん一つはお魚料理)をいたしました。

食事をしている最中からヨハンの目の前の建物の屋根越にみえる山の上にどうも雲とは思えない白い影が目に付いて気になっていました。まわりの雲と紛らわしくて、自信がもてませんでしたが、一瞬さ~っと雲が払われたときに、くっきりその姿が目視されました。「絶対に氷河 Gletscher に違いない」
ヨハンはお皿を下げに来たボーイさんにそれを確かめました。
「で、なんと言う名前の山なんですか」
「ダハシュタイン!」

オーストリアの人がこの名前を言うときには、必ず、そっくり返りそうに胸を張りますね。


2011年8月9日撮影 ダハシュタイン


拡大


食事を終えて、レストランを出たころからにわかに雲行きがおかしくなり始め、雨が降り出してきてしまいました。
帰りはさすがにバスに乗ろうと、先ずはバス停を確認しに行くことにしました。



2011年8月9日撮影 アルトアウスゼーのバス停

雨がどんどん降ってくるのでバス停の向かいにある Kuramt に逃げ込むことにしました。


2011年8月9日撮影 Kur und Amtshaus Altaussee 背景にローザー

中はカフェも併設された、インフォメーション・センターのような建物で、しばらく時間つぶしをして、雨が小やみになったころをみはからって、最後にもう一度湖まで散歩してみることにしました。



2011年8月9日撮影



2011年8月9日撮影 花とローザー




ここのバス停は終点ですから、折り返してバート・アウスゼーの Postamt に行きます。
湖のはなのところから別荘地に入って歩き出しましたから、最後のバスの走る区間はみていませんでした。バスに乗ってみてその道をバスが走るのを窓からみていると、多少おもしろそうなお店が並んでいました。

そしてパスですからほどなくして Postamt に到着して、私たちはバート・イシュル行きのバスに乗り換えるためにいったん降りたのですが、ここまでわたしたちをのせてきたバスの運転手、どうも朝バート・イシュルから乗ってきたバスの運転手さんと同じ人のような気がしていました。案の定、バスは終点の Postamt から乗客を降ろしてもまったく去りません。それどころか、降りずに乗り続けている人もいます。そしてバスの行き先表示はいつのまにか 《Bad Ischl》 に変わっているではありませんか。それだったら私たちも最初からキップをバート・イシュルまで買って、乗り続けていたのになあ。

初めての土地はいつも冒険に満ちています。




ちなみに Loser はいくつもリフトがかかっていますが、すべて冬期のみの運行です。どうやら人気のスキー場であり、またマウンテンバイクもここでは人気のようで、ネットでコース案内を見てみると、標高1,600メートルまでのぼるようです。

地図では、バート・イシュルから Rettenbach という渓谷ぞいに Salzkammergut Radweg (ザルツカマーグート・サイクリングロード) が整備されているようで、バート・イシュルから東にそのサイクリングロードを走って行くと、Mautstelle という場所から登り坂に入り、標高1,600メートルの Bergrestaurant がゴールとなっているようです。マウンテンバイクでなくても、ハイキングとしてもその道を歩けるのかもしれませんね。

2012/10/28 ヨハン

ハルシュタット

2012-10-29 00:22:38 | バート・イシュル
ハルシュタット  Hallstatt

私たちがハルシュタットを訪れたのは2001年。今からもう11年も前になります。
それ以来ハルシュタットを訪れたことはないので、町の情報も今では11年前とは変わってしまったことかと思います。
たとえば Five Fingers は当時は出来ていませんでした (2006年10月完成)。それにまだ当時はシリングの時代でした。

何より一番の変化は今は当たり前にパソコンでインターネットから情報を得られますが、当時は宿泊ホテルを見つけるにもガイドブックに記された情報を頼りに、自分で直接ファックスで予約するしかありませんでした。
私たちは2001年はバート・イシュルでオペレッタを観劇し、そのあとハルシュタットを訪れ、最後にゼメリングに寄るという日程を描いていましたが、バート・イシュルのオペレッタの公演日程が分からないまま、ハルシュタットのホテルだけは日本からファックスで予約しました。

ところが出発前に日本から、ハルシュタットのホテル、グリューナー・バウムにファックスで8月2日から6日までの4泊の予約をお願いしてもなかなか返事がこないため、成田を発ったときには予約がとれているのかどうかさえ分かっていませんでした。

帰国して我が家に戻って初めて、ファックス用紙がだらーんとプリンターから垂れているのをみる始末でした。

それにハルシュタット滞在前に訪問予定を立てていたバート・イシュルで実際に劇場のチケット窓口に行ってみると、滞在している7月31日、8月1日は、今はもう詳しい事情を思い出せませんが、公演予定がなかったのか、売り切れだったのか、チケットが取れず、取れたのは8月2日の 《Der Vogelhändler》 と8月3日の 《Madame Pompadour》 でした。

最初から分かっていれば宿泊予定を入れ替えたのですが、当時のことですから、やむをえません。せっかくバート・イシュルに滞在している間は公演が(チケットが?)なくて、ハルシュタットに移動してからオペレッタ観劇を予定に入れなくてはならなくなりました。


2001年8月2日

鉄道でバート・イシュルからハルシュタットに移動。

所要時間は各駅停車 Reginalzug で26分。REXだと22分。鉄道は湖の対岸を走るので、駅に降りてから、対岸への渡し船に乗ります。でもフェリーは鉄道の発着時刻に合わせて出ます。
わたしたちは宿泊するつもりでやってきたわけですが、バート・イシュルから日帰りでハルシュタットを訪れても、ここにご紹介する塩鉱とか氷窟を訪れることは十分可能です。
 ちなみに現在のÖBBのダイヤを検索してみると、朝9時5分にバート・イシュルを出るREXに乗れば、ハルシュタットには9時27分につきますから、日帰りの予定をたてるにも余裕です。



駅を降りたらみなさん渡し船に乗りますから、あとについていきます。

 

    船から見るハルシュタット、まさに秘境の町という感じ。



操舵室の窓越しに近づいてくるハルシュタットの町並み


    
    船着き場。ホテルはここから直ぐのところでした。


私たちはこの日はオペレッタの公演時間に合わせて、またバート・イシュルに逆戻りすることになりました。
あまり時間はないので、荷物を整理した後、とりあえずは町を散策。次の訪問予定地はゼメリングでしたので、初めてヨハンとロザーリウムはこの町で登山用のストックをそれぞれ買いました。(2001年が私たちのオーストリア・アルプス登山元年です)

夕方、バート・イシュルには今度は鉄道を利用するのはやめて、バスで行くことにしました。
ちなみに当時の記録をみると Hallstatt Lahn (バスターミナル) 17時30分発で、Gosaumühle でバスを乗り換え、バート・イシュルに着いたのは18時15分でした。

ただオペレッタが終わってからハルシュタットに戻ってくる時間には鉄道もバスもなく、シュレプファー広場でタクシーを拾いました。当時の記録では465シリングだったようです。(鉄道が40シリング、渡し船が25シリング、バスは56シリングでした)



2001年8月3日

この日も夕方前日と同じようにバート・イシュルに出かけることになりましたので、私たちはホテルからも近い塩鉱を訪れてみることにしました。

Salzwelten Hallstatt,  Salzbergstraße 21, 4830 Hallstatt
Tel.: 0043 (0) 6132 200 24 00
info@salzwelten.at
http://www.salzwelten.at

28.04. – 09.09.2012 9:30 – 16:30* Uhr  (受付最終16:00 Uhr)
10.09. – 30.09.2012 9:30 – 15:30* Uhr  (受付最終15:00 Uhr)
01.10. – 04.11.2012 9:30 – 15:00* Uhr  (受付最終14:30 Uhr)
 
ツアーなのでガイドと一緒に回らなくてはなりません。ツアーが出発する時間の30分前には窓口で番号をもらっておく必要があります。



バス・ターミナルの方に歩いていけば、ケーブルカー乗り場は遠目からでも分かります。


         
         ケーブルカー Salzbergbahn であがるとハルシュタットの町が眼下にひろがります。


      
      ケーブルカーを降りて、少し坂道を上がったこの建物にハルシュタット塩鉱のツアー予約受付窓口があります。番号札をもらって、呼ばれるのを待つ間、用意されている作業服を着ます。



坑道にはこのトロッコで出発!!


    
    こうした塩鉱はハライン Hallein にもあります。私たちはここが初めてでしたが、案内バンプレットではよく目にしていた滑り台。ツアー中、二回ありました。スピードが出て怖いのかなと思いましたが、まあまあでした。



資料写真 Rudolfsturm
 この日のお昼はこの画像のルードルフストゥルムのテラスでいただきました。ロザーリウムは当時、ここからの湖の眺めはとても素晴らしい、とメモを残しています。

この日もバート・イシュルのオペレッタ終演後は同じ場所でタクシーを待ちました。
お客が多く、タクシーの数はすくないので、昨日の運ちゃんに、「また明日も乗るから迎えに来て」と頼んでおいたのですが、演目によって終了時間はことなるし、「昨日のタクシー」と探しているときに、さーと車が私たちのいるところに横付け、どうなるか分からないし、乗れるときに乗ろうと、昨日の運ちゃんには申し訳ないと思いつつ、乗りました。
ところがこの日の運賃は500シリングでした。


2001年8月4日

この日から夕方バート・イシュルに行くという予定はなくなったので、ゴーザウに出かけることにしました。これは前回の記事に書いたとおりです。残念ながら天気には恵まれませんでした。


2001年8月5日

ハルシュタット最終日はクリッペンシュタイン・ロープウェイで、ダハシュタイン氷河と山腹の氷窟見物です。
この日も全日このことに振り向けられたのですが、残念ながらやはり山の上は雲が取れず、ただただものすごく寒いという印象が残ってしまいました。


Dachstein-Krippenstein Seilbahn Obertraun, Winkl 34, 4831 Obertraun
Tel.: +43 (50) 140
Fax: +43 (50) 140-12300
e-Mail: info@dachsteinwelterbe.at
Web: http://www.dachsteinwelterbe.at

Sommeröffnungszeiten (April bis Oktober)
1. Teilstrecke: 28. April bis 28. Oktober 2012
2. Teilstrecke: 5. Mai bis 28. Oktober 2012
3. Teilstrecke: 16. Juni bis 28. Oktober 2012

Die erste Bergfahrt ist jeweils um 8.40 Uhr möglich! (Gondel viertelstündlich)!

ロープウェイ乗り場には Lahn のバスターミナル (道路を渡った反対側の停留所)  から乗ります

ロープウェイは3つの区間に分かれています。
第1を降りたところに氷窟とマンモス洞窟があります。私たちはどちらも見学しましたが、マンモス洞窟は余分でした。
氷窟もガイドとともにツアーする形です。
これはなかなかのものですが、写真は禁じられていたのでしょうね、残っていません。

なかはとても寒いので防寒対策は不可欠です。



資料写真


ここでロープウェイのレストランでセルフのお昼をしたと当時記録されているので、時間の目安にして下さい。



資料写真 five fingers
いろいろ検索していますが、地図も、ロープウェイ会社のホームページも一向に見つかりません。この展望台がどこにあるのかもわかりませんでしたが、「地球の歩き方 '09-'10」によれば、クリッペンシュタイン山上駅から30分ほど下ったところにあるようです。


私たちは当時、第2ロープウェイでクリッペンシュタインまで行って、第3ロープウェイには乗らなかったように記録されています。
多分理由は余りにも外が真夏とは思えないほど、寒く、また荒涼とした風景に身がすくんでしまったのかも知れません。

もし良い天気に恵まれていたら、大はしゃぎしたんだろうなと、悔やまれます。



          

ダハシュタインと氷河


        
     こちらは眼下にハルシュタット湖(左の写真)とクリッペンシュタイン山頂からロープウェイの駅を眺めたところ(右の写真)です


余りにも寒いと逃げ出したくなりますからね、多分早々に麓に降りたのではないかと思います。

マルクト広場に戻ってきたら、お祭りでしょうか、仮設舞台の上でフォルクローレ


   



2001年8月6日

この日ハルシュタットにお別れし、私たちは再び渡し船で対岸のÖBB駅に出て、今度は来た時とは反対方向シュタイナハ・イルドニングに出て、さらにレオーベン、ミュルツツーシュラークと都合3回列車を乗り換えてゼメリングに行きました。



ヨハン 2012/10/26

バート・イシュルからのハイキング (4) ― ゴーザウ

2012-10-29 00:19:20 | バート・イシュル
第4日目 ゴーザウ  Gosau

〇 前編  ゴーザウカムバーン Gosaukammbahn で山頂ハイキング
   



ゴーザウにでかけるにはハルシュタットの方が近く、私たちも初めてゴーザウを訪れた2001年はハルシュタットに宿泊していました。
2009年はバート・イシュルからゴーザウを再訪しました。

ハルシュタットからバスに乗っても、バート・イシュルからバスに乗っても、一度二つのバスはハルシュタット湖畔のバス停ゴーザウミューレ (上のパノラマ地図で、ハルシュタット湖左岸の中ほどから左に車の道が分かれているところ) で同じ時刻に到着して、お客はそれぞれの目的地にあわせてバスに乗り換えます。

ちなみに現在(10月)の時点で Postbus の運行プランをネット検索してみると

Hallstatt Lahn (バスターミナル) を9時31分に出る Gosaumühle 行きのバスは Gosaumühle に9時44分に到着。ここでバート・イシュルからのバスに乗り換えます。
Bad Ischl (バスターミナル) 発のバスは9時10分にバート・イシュルを出て、Gosaumühle に9時43分に到着し、ハルシュタットからの乗り換え客をのせて出発、10時10分に Gosausee に到着します。

Gosausee からの最終バスは16時35分。Gosaumühle でハルシュタットに戻る人を降ろし、バスはバート・イシュルに 17時38分に着きます。


(注意)
麓の村に宿泊しているのでなくて、その日にまたバスで戻る予定で日帰りで出かける場合は、最終バスの時刻に合わせて行動するしかありません。
どうしてこんなに最終バスが早く出てしまうのだろう、と本当に残念ですが、やむをえません。

対策としては、今回のゴーザウはいくつかにプランを分けて、何度も訪れるしかないようです。
しかも、山ですから、綿密なプランを立ててでかけても、その日に天気が悪くなれば、抱く印象はまったく変わります。
一度ですべては語れない!! これが教訓でしょうか。 


パノラマ地図 
http://www.dachstein.at/uploads/media/Gosau_Panorama_01.pdf


     
2009年8月2日撮影 ゴーザウ・ロープウェイ谷側駅     山頂駅

ロープウェイの乗り場はバスを降りると直ぐ先、右手にあります。
谷側駅の標高が937m、山頂駅は標高1,522mのところにあります。

2012年の情報では
5月12日~10月28日の営業で、始発は8時15分。最終は月によりますが16時50分または17時20分。



2009年8月2日撮影 山頂駅からゲートを通り抜ける。
この日は天気も良く、ハイカーも軽装ですが、初めて訪れた2001年は山頂に着いた瞬間からもう冬というくらい空気が冷たく感じられました。夏でも防寒アノラックは欠かせません。




2001年8月4日撮影 手前左に見えるのがアルム小屋 Breininghütte、右奥側は Gablonzer Hütte


資料写真 Breininghütte (ここはアルム小屋ですから、新鮮なミルクが飲めます)


資料写真 Gablonzer Hütte (1,550m)


ブライニングヒュテの脇を通り、整備された道に従って目の前に見えているテルレク Törleck (1,618m) の電波塔を目印に人々の後にくっついて上って行きます。




2009年8月2日撮影



2009年8月2日撮影 なんとかロッククライミングしている人の姿を画像の上でも分かるようにしたいと拡大を試みましたが、岩肌が白いのと人の姿が小さくて無理だとあきらめました。でも気合いでこの写真を見れば、人がよじ登っているのが見えませんか?



2001年初めて訪れたときはひとまず登り道に区切りがついたと思われる場所まで来て、その先下り道が続くのを眺めながら、若者たちがどんどん進んでいく後ろ姿を見送りながら、「どこに行くんだろう」。ついていきたいけどまだ湖もろくに見ていないし、帰りのバスの時間を気にして、今度またここに来よう、と思いつつ、もと来た道を引き返しました。
ところがそのうちにどんどん視界はガスで遮られ、本当に雲のなかを歩くような気分で逃げ込むようにガプロンツァーヒュテに入りました。もちろんテラスに人はいません。小屋の中でお昼をしました。Wirtin に「あのハイカーたちはどこに行ったんでしょう」と尋ねると「ダハシュタイン」。ヨハンの頭にダハシュタインという名前がしっかり刻まれました。冒頭のパノラマ地図を見て分かるように、ゴーザウはダハシュタインまでトレッキングする人たちの人気のルート上にあるようです。
ちなみにおかみにお名前を尋ねると Adelheid さん。「ハイジさんか!」 おかみは「そうよ」と頬を桜色に染めました。


2001年8月4日 左端がハイジさん





2009年8月2日は快晴でした。
やる気満々で単身ゴーザウを再訪したヨハン。(何のやる気やねん!!)

この日は本当にハイカーの姿も多く、前回引き返した峠をクリアー、どんどん先を進んでいきました。
やがて行く手の左側にはずっと下の光景が展開します。



2009年8月2日撮影 谷をはさんで手前の山は Kopfberg、背後に見える山波は Tennengebirge 


ところが大勢ヨハンの前を歩いていた人たちが途中の分かれ道でいっきに二手に分かれてしまいます。

熟年層は楽しそうに下り道を降りて行きました。この画像に見える向こうの山の麓を目指したんでしょうか?
それにしてもここからはまだ相当な距離があることは一目瞭然です。現在地図で確認すると アナベルク Annaberg という村が麓にあります。でもまたロープウェイ乗り場まで戻ることを考えれば、みなさん楽しそうに歩いて行ったので大変気を惹かれつつも、ヨハンは若者のあとをついていく方を選択しました。
 (注) このアナベルクはオーストリアの人が必ずいいところだよという、ORFの山天気情報にも出てくるニーダーエステライヒの山とは別物です。ネット検索すると、ドイツにもアナベルクがあります。




2009年8月2日撮影 他方さんざん迷ってヨハンは若者たちが進んでいった登りの道を選択。

しかし、登りは自然の岩を階段にしたような、ほぼ真上に上がって行く厳しい道でした。あと少し、あと少し行けばみんなが目指している行き先に何が待っているのか、どこに行きつくのか分かるだろうと、相当高所恐怖症を克服しながら頑張りましたが、いけどもいけども登りが続きます。

ところがそのとき上から二人降りてくる人影。
「この先あとどれくらいののぼりですか?」と声をかけましたが、「われわれもあまりに大変なので途中から引き返してきた」という返事。



2009年8月2日撮影

ヨハンが日本人だと分かり、カイザーさん (ご主人の名前です) のほうから、いろいろ話しかけてきました。
グラーツ大学の研究所で働いていて、日本人のお世話もよくしているそうです。
「どこに住んでいるんだい?」 「今は研究休暇でウィーンにいますよ」
「そうか、じゃあ是非グラーツにきたら訪ねてください」 住所を交換しました。
ヨハンはユーレイルパスの有効がまだ二日分ほど残っていたので、「確実にグラーツには行く予定なので、そのときには連絡しますよ」と返事をして、結局、彼らにならってここでリタイアしてロープウェイ駅方面に戻りつつ、小屋で昼食をすることにしました。
写真に記録された時間を調べるとロープウェイ山頂駅を出発したのが9時26分。アルム小屋脇を通過し、登り始めたのが9時37分、そしてカイザーさんご夫婦に出会ったのが10時52分であることが分かります。
ここまで1時間半。気合いをいれて歩いてきた割りには情けない。でも、またここから戻って行っても、お昼は12時すぎますから、やむをえませんね。


この記事を up したあとで、ようやく確信がもてる地図(↓)を発見しました。


地図左上隅にガブロンツァー・ヒュテが見えています。
そこから下にルートが伸びて、途中で分岐しています。
片方は628、631のルート(破線)で Großer Donnerkogel (2,054m) を経て Stuhlalm、さらに Körner Hütte (1,466m) にいたります。
他方のルート(実線)の方も、どうやら最終目的地は Körner Hütte とわかりました (やはりこちらのルートはガブロンツァー・ヒュテからみて84メートル下っています)。

ちなみに Donnerkogel 山頂にオーバーエスタライヒ州とザルツブルク州の州境が通っています。人気の登山ルートだと分かりました。


Donnerkogel 資料写真 (北から眺めた姿)





2009年8月2日撮影
ハイジに会うため、お昼はガブロンツァー・ヒュテですることにしました。
ハイジは見かけませんでしたが、ひさしぶりにルーラーデ Roulade (肉巻き) をいただきました (ドイツでは大変好まれる料理ですが、たいてい味付けが濃いので、ヨハンはあまり最近はたのみません。ここのはまあまあでした)
小屋の様子がなんとなく以前とは違っているかなとこのときにも感じましたが、この記事を書くにあたってホームページを見ると、やはり Pächter (小屋主)は2009年の5月から新しい人に代わっていました。 Petra u. Roland Attwenger




2009年8月2日撮影 ロープウェイ山頂駅から見たダハシュタインの氷河



2009年8月2日撮影



2009年8月2日撮影 ロープウェイ山頂駅から見た前ゴーザウ湖



〇 後編パート1  前ゴーザウ湖周回ハイキング Vorderer Gosausee 

   


2009年8月2日撮影 
前ゴーザウ湖から見たダハシュタインの氷河 (下の写真は2001年8月のもので、天気が悪いとこのような景色です。2009年にゴーザウを再訪し、初めて湖畔からの眺望の素晴らしさに触れ、ヨハンは感動しました)


ずっと右手にゴーザウカムの姿を見ながらの湖畔のハイキングはもちろん左岸を進んで行くことになります。



2009年8月2日撮影 湖とゴーザウカム



2009年8月18日撮影 湖に写るゴーザウカム (湖左岸を歩いていくと湖面にゴーザウカムの姿が鏡絵のように写っています)



2009年8月2日撮影 湖とダハシュタイン氷河 (前ゴーザウ湖 Vorderer Gosausee の湖尻付近まで来るとダハシュタインは心持迫ってきたように感じられます。でもこれは天気に恵まれたからでしょうね)



拡大

8月2日は多少時間にもゆとりがあったので、前回歩いていなかった湖の反対側(右岸)を歩いて帰りました。写真に記録された時間を調べると、湖畔を出発したのが13時47分。途中奥ゴーザウ方面に歩いて、Lacke まで行ったところで引き返して湖尻まで戻り、そこから湖の反対側に回ってバス停のあるスタート地点に戻ってきたのが15時32分と記されています。十分バスの最終には間に合いました。前ゴーザウだけの周回と言うことを考えれば、一時間ほどでしょうか。


湖尻付近には水場もありますし、また湖右岸の道はゴーザウカムの真下を歩くことになり、あちらこちらの岩肌から山の水が湧き出ています。


2009年8月2日撮影 水の音を聞く人



2009年8月2日撮影 前ゴーザウ湖から見たダハシュタインの氷河 (これは湖を周回して右岸を歩いてきて、スタート地点に近づいた頃の画像です)



〇 後編パート2 奥ゴーザウ湖へ Hinterer Gosausee


2001年8月4日撮影
2001年ヨハンとロザーリウムは前ゴーザウ湖を半周し、天気が良くないので山の景色はあきらめ、時間とにらめっこしながら、奥ゴーザウ湖方面に向かう道を可能なところまで歩いて見ることにしました。
牛にひかれてゴーザウまいり

このときはもちろん途中でタイム・アップ。記憶では帰りのバスの最終も危うくなりかねないと、帰り路も来た時と同じ道を通り (ここから湖の反対側に回って予期せぬ時間ロスでバスに間に合わなくなる恐れを避け、既に歩いてきた道を戻る安全策をとりました) ほとんど途中から二人とも駆け足と言ってもよいくらい早足でバス停を目指すことになりました。

2009年8月2日はヨハン単独でゴーザウを再訪しましたが、ロープウェイ山頂で少々登山のまねごともした後なので、やはりこれから奥ゴーザウ往復は無理だと判断しました。
ただこのときは天気に恵まれましたし、朝早く到着した甲斐があって、途中までではありましたが、今度は十分景色を堪能しました。前ゴーザウから奥ゴーザウを結ぶ道の途中に沼 Lacke があって、切り立つゴーザウカムの山並みとその静かな沼の風情とが織りなす絵模様は軽井沢と上高地を足して10倍したくらいの感動に見舞われます。あははは、10倍は言い過ぎか。

2009年8月18日にロザーリウムと二人で再びゴーザウを訪れたときは、ロープウェイは最初からあきらめ、奥ゴーザウまでなんとしても往復する予定で、前回2001年、ヨハンにとってはさらに8月2日のリベンジに燃えました。

このときの写真データ記録によれば、奥ゴーザウから戻り始めたのが13時11分。前ゴーザウ湖畔(バス停付近)に到着したのが15時19分になっているので、片道2時間少々。奥ゴーザウでお昼をしましたから、その時間を考えるとバス停から奥ゴーザウ湖までの往復に5時間は見ておく必要があると思います。
やはりバスで程よい時間にゴーザウにやってきてもロープウェイと奥ゴーザウ湖往復を合体させることは無理とは言わないまでも、途中道草もせずひたすらメニュー消化を目的に歩くようで、ヨハンには逆にもったいないと思えます。


2009年8月2日撮影 Lacke



2009年8月18日撮影


途中で確か滝があった記憶ですが、写真は残っていませんでした。

このコースは最後にぐんと勾配がきつくなる場所が出てきます。全体では前ゴーザウ湖の湖尻から一時間半歩く間に200メートルほどの勾配をのぼっていくことになります ( 地図で距離を見ればおよそ3kmで200mの登りです )。

↑ アップしたこの記事を読みなおしてみて、いま気が付きました (間抜けなヨハン!!)。
奥ゴーザウ湖が姿を見せる場所がハイキングコースのピークで、それからまた下って行くので、前ゴーザウの標高との差は、ピークとの差で考えなくてはなりませんでした。おおよそ300メートルほどはあるでしょうか。距離もピークまでで考えると2kmくらいでこの300メートルの登りということでしょうか。単純に計算して10メートルで1.5メートルの登りは、結構しんどいのぼりです。しかも実際にのぼりになるのは最後のほうですから、勾配のきつさはこの数字以上です。



2009年8月18日撮影 ようやく姿を見せた奥ゴーザウ湖

奥ゴーザウ湖は最後の最後にならないと姿をみせません。きついのは歩いていく間のその心理的な「まだか、まだか」という状態でしょうか。でも、それだけにこの写真のように行く手に目標が姿を見せたときの喜びはひとしおです。

    
          
    2009年8月18日撮影

こんどは一気に湖畔に向かって下って行きます。行く手にアルム小屋 (Hintere Seealm) も見えています。もちろんそこはダハシュタインの麓です。気分が高揚しないはずはないじゃないですか。



2009年8月18日撮影 Holzmeisteralm ( またはここは Hintere Seealm とも呼ばれます)、標高1,161m

上の写真ではもうみなさん食事も終えて出発されてしまったあとで人が写っていませんが、私たちが到着したときはテーブルはどれも満席状態、合い席させていただきました。


2009年8月18日撮影 キティのストラップをもらって嬉しそう

リンツからきているご家族と話すうちに、このお嬢ちゃんのピンクの帽子がキティだったことからロザーリウムが持っていたキティのストラップを携帯から外してプレゼントしました。「これならクラスの他の子はもってないぞ」、というととても嬉しそうに写真撮影に応じてくれました。





ところで私たちが奥ゴーザウ湖にようやく到着して、目的達成~♪ なんてうきうきした気分でいる一方、まだここからどうやら目の前の切り立つ崖に至る道を登っていこうとしている若者たちの姿を何人も見かけました。
そのことも気になっていたので、今回調べてみると、彼らの目指した目的地が分かりました。

Adamekhütte (2,196m) です。地図のルート614をのぼっていくわけです。


Adamekhütte (2,196m)

山小屋の名前を入力するとルートの情報なども詳しく知ることが出来ます。
ここに宿泊し翌朝早く、日の出前に起きて、氷河に向かって歩き出すこと。日の出が描き出す光の芸術にきっと早起きが報われるでしょう、と書かれています。
奥ゴーザウから間近にダハシュタイン氷河に触れるには、どうしても2日の日程が必要のようです。また前ゴーザウ湖から1,200メートル以上ののぼりを引き受ける覚悟と体力も不可欠です。
帰りはハルシュタットにでるルートもあるようなので、ハルシュタットに宿をとっておくのがよいかもしれませんね。

軟弱なヨハンは、奥ゴーザウまでのハイキングで本当に心が満たされました。


ヨハン 2012/10/24 (25日訂正補筆)

バート・イシュルからのハイキング (3) ― ツヴェルファーホルン

2012-10-29 00:16:25 | バート・イシュル
第3日目  ツヴェルファーホルン Zwölferhorn

    



2009年8月1日撮影


今回はザンクト・ギルゲンのバス停に隣接するロープウェイでツヴェルファーホルン Zwölferhorn に登ります。
バート・イシュルからは前回のザンクト・ヴォルフガング (Markt) にも、ザンクト・ギルゲンにも現在直通のバスが出ていて、シュトローブルで乗り換えなくてもよくなりました。(時間帯によってはザンクト・ヴォルフガングに行くためにはシュトローブルで乗り換える必要があるようです)
ちなみに現在の Postbus のダイヤを調べてみると
バート・イシュル、バスターミナル (ÖBBの駅に隣接するバス乗り場です) 9時24分、10時24分などがあり、ザンクト・ギルゲンにはそれぞれ10時、11時に着きます。
ザンクト・ヴォルフガング (Markt) 行きは9時13分に出て、9時45分に到着します。

ツヴェルファーホルン・ロープウェイは1957年6月30日に完成し、2007年に50周年を祝いました。

資料写真 50周年を祝うツヴェルファーホルン・ロープウェイ


谷側駅は標高568m、山頂駅は1,476mで全長2,740メートル、標高差908メートルを上がります。

ロープウェイの営業時間
5月~9月は始発が9時、最終は5月と9月は17時で、6月~8月の間は18時となるほか、冬も動いていますが、時間が変わるので詳しくは Zwölferhorn Seilbahn のホームページでご確認ください



1997年8月13日撮影 ロープウェイと背景にシャーフベルク、空にはパラグライダー (小さくて見えないかも)



2009年8月1日撮影 こちらの方なら見えますね^^
ロープウェイの山頂駅付近はパラグライダーの人気の飛び出し基地のようです。天気が良い日は次から次へと飛び立っていきます




2009年8月1日撮影
ロープウェイ山頂駅から眺めたザンクト・ギルゲンの町とヴォルフガング湖

パラグライダーからの眺めはこんな感じなんでしょうかね。
山の中腹に小屋が見えています (車だと登るも降りるも自在ですが、ロープウェイを利用してあがってくる人にとっては歩いていくしかありません)。
でも、まあここはハイキングに絶好の場所です。ロープウェイは最終が出れば止まってしまいますが、夏は9時過ぎ、8時過ぎまで明るいので、18時にロープウェイの最終がでるのはヨハンは本当にもったいないと思います (それでも他の山に比べるとここは最終が出るのは遅い方です)。もっと山を楽しみたいと思ったら帰りは歩くことを選択するしかありません。コースはたくさんあり思いの方角、目的地に下りていくことができます。ただそれでも時間を心配しないで済むようにするためにはザンクト・ギルゲンにホテルをとるか、そうでなければやはり帰りのバスの最終は十分頭に入れておかなくてはなりません。

〇 パラグライダー豆知識
パラグライダーの原型はNASAが開発した、宇宙船回収用のパラフォイル(柔軟翼)である。スポーツとしてのパラグライダーは、1978年頃、フランスのスカイダイバーが山の斜面からスクエアーパラシュート(四角いパラシュート)で下りたのが始まりとされる。(ウィキペディア)

ここでご紹介するのは、バート・イシュルから日帰りの予定でやってきた場合を想定していますから、往復ロープウェイを利用します。
山頂からの眺めだけで本当に気分が解放され、満足します。


麓からロープウェイの山頂駅も見えているはずですから、下で雨が降っていなくても、もし山頂駅がガスで見えていなければやめておいた方がいいです。ヨハンたちが初めてこのロープウェイを利用した1997年はあがってみたらガスで眺望がきかなくなり、おまけにとても寒くなるしで山頂駅付近で過ごして早々に下りました。


ロープウェイの山頂駅を出ると直ぐ階段があって、それを登って行くと大パノラマが待っています。



2009年8月1日撮影 シャーフベルク山頂のホテルもくっきり見えます



2009年8月1日撮影
歩いて10分もかからないところに湖がよく見える展望所があるので案内板にしたがって先ずはそちらを訪れてみます。



2009年8月1日撮影 眼下にヴォルフガング湖


ロープウェイ山頂駅方面に戻ってくると、踊り場のようにダハシュタインを眺望できる展望所が設置されているのが目につきますから、そこに上がって、今度は湖とは反対方向になる西の山々を眺望します。
手すりのところに、見えている山のパノラマ絵とそれぞれの名前が書いてあります。



2009年8月1日撮影 展望所からの眺め ダハシュタインとゴーザウカム

ここからはドイツのヴァツマンも見えています。いた人にどれがそうですかと聞いたら教えてくれました。ただ写真はありません (めんぼくない)。




2009年8月1日撮影
展望所からすでにこの十字が見えていますから、今度は少し登り坂をツヴェルファーホルン山頂 (1,522m) を目指します。
ベンチに腰掛けている人たちはパラグライダーを見ています。
この日は天気も良く、画像の右では飛び出す準備をしている人たちの姿が見えています。飛んでは麓に下り、またロープウェイで登ってくるようですよ。「どこに着地するのですか」と聞いたら、下の空き地を指して「あそこ」と教えてくれました。
風の調子がよければ長時間空を舞い、シャーフベルクの方まで飛んでいきます。




2009年8月1日撮影 ツヴェルファーホルン山頂
画像手前の休憩しているおにいさんの脇に自転車が見えますね。下から平気で自転車でここまで登ってくるようです。


ここから先はパノラマ周回コースが出来ています。これは Arnoweg の一部区間とも重なるコースで、ここではとても整備された安全なコースで、もとに戻ってくることが出来ます。

〇 Arnoweg 豆知識
ザルツブルク州を周回する道で、ザルツブルクの大司教アルノ Erzbischof Arno von Salzburg (✝821年) に捧げられてこの名がつけられています。全長1,000kmに及ぶ周回道で標高の一番低い地点はオーベルンドルフの標高400m、一番高いところはホーアー・ゾンブリックの標高3,105mの地点です。トレッキング・ファンにとってはザルツブルク州は尽きせぬ魅力を持っているようですよ。

パノラマ周回コースの入り口では牛がたくさんハイカーを見守っていました。


2009年8月1日撮影


アニカヒュテ Anikahütte の傍らを通り過ぎ、ピルシュタインヘーヘ Pillsteinhöhe (標高1,478m) をぐるっと回る形でもとのロープウェイ山頂駅方面に戻って行きます。

ヨハンたちはなんとかもう少しヴァツマンがはっきり見える場所はないものかとコースを外れてさらに先を歩いてみましたが、当時は地図も持っていませんでしたから、あまり無謀も出来ず、途中で引き返してきました。


下に下りる前にこの山の上で、ランチをするのであれば、ロープウェイ山頂駅から少し歩いた先に見えているフランツル小屋 Franzl's Hütte がお薦めです↓  


2009年8月1日撮影 Franzl's Hütte (標高1,480m) 月曜日は休み (天気の良い日は5月12日~12月初旬まで営業しています)
ここは宿泊も可能です。


          
     2009年8月1日撮影 このときはヨハン単独だったようです。ロザーリウムに叱られる心配もないので、またまた食後にデザートなんか頼んでいます。でも、ここの Wirt (主人) の Franzl さん、このあと再び8月17日に今度はロザーリウムと二人で訪れると「お前さん、この前来た客だな」て、覚えていました。こんな山の上にくる日本人はそうは多くないだろうから当たり前か。



1997年8月13日撮影 ここには1997年にも立ち寄りました。ロザーリウムがはしゃいでいます。






ザンクト・ギルゲン Sankt Gilgen

ザンクト・ギルゲンは落ち着いた町だし、どこに行くにもアクセスがいいし、いつかじっくり宿をとって過ごしてみたいと思っています。今まではどうしてもオペレッタを見ることがメインの目的になっているので、バート・イシュルに泊まって、ザンクト・ギルゲンは日帰りコースです。



2009年7月31日撮影 ラートハウスとモーツァルト像



2001年7月31日撮影 ラートハウス前広場とモーツァルト像



モーツァルトハウス 資料写真 これはしばらくリフォームで覆いがしてあったので写真は撮ってありません。

〇 モーツァルトハウス豆知識
かつてこの建物には2002年までザンクト・ギルゲン地区の裁判所が入っていました。この建物はモーツァルトの母方の祖父 Wolfgang Nikolaus Pertl の Pfleghaus (辞書にない単語なので詳しくは分かりませんが、意味からすると養育院でしょうか) として建てられたものです。モーツァルトの姉ナンネルルは晩年ここにすみました。2009年にリフォームされ、博物館となりました。





2009年8月1日撮影 ヴォルフガング湖 (背景にシャーフベルク)



2009年8月1日撮影 湖畔



2009年8月1日撮影 湖畔


  
 
2009年7月31日撮影 湖畔のレストランで
ザルツブルクからバート・イシュルに向かうとき私たちは時間に余裕がある限り、バスをいったんザンクト・ギルゲンで降りて、湖畔まで歩いて、湖を眺めながら湖畔のレストランのテラスで食事をします。(この写真はザンクト・ヴォルフガングから歩いて山越えしてここまでやってきておなかぺこぺこ状態で食べたステーキトースト、名前からは期待できなさそうですが、どっこい大変満足できました^^)


さて、バート・イシュルに戻るには再び坂をあがってバス停まで行って、バスを使うもよし、なんなら直ぐ近くの船着き場からシュトローブルまで船で行くことも考えられます。


1997年8月12日撮影
船がザンクト・ヴォルフガングに近づくとやはり気分が少し高揚します。




St・ヴォルフガングからSt・ギルゲンへ

最後にバート・イシュルからザンクト・ギルゲンに行くコースとして、
バスでザンクト・ヴォルフガングに行き、そこから船ではなくて、歩いて山を越えるルートをご紹介します。(もちろん昔の巡礼たちのようにコースを逆に取り St ギルゲンから St ヴォルフガングまでこの山越えをして、そのあと Markt からバスでバート・イシュルに戻ることもできます)

1893年に全線が開通したザルツカンマーグート・ローカル鉄道 (略称SKGLB) はイシュルから、シュトローブル、St ヴォルフガング、St ギルゲン、モントゼーを経てザルツブルクに至る路線でした。

しかし、以前書きましたように、この鉄道はヴォルフガング湖の東岸を通っていました。ですから当時鉄道のザンクト・ヴォルフガング駅は町とは対岸にあったので、列車でザンクト・ヴォルフガングを訪れてきた人たちは、ここで渡し船に乗り変えました。

なぜ湖の西岸に鉄道を通せられなかったか、理由は簡単です。シュトローブルからザンクト・ヴォルフガングまではアップダウンはきつくても自転車でも走ってこられます。問題はここから先、ザンクト・ギルゲンへ行くまでの間が断崖絶壁で鉄道を通すことはもとより、自転車で登ることも不可能です (かついで登るのであれば別ですが)。

ザンクト・ヴォルフガングとザンクト・ギルゲンの間、この断崖絶壁のヴォルフガング湖西岸こそはその昔ザンクト・ヴォルフガング巡礼教会への参拝のために巡礼者たちが山越えした場所でした。

ヨハンは2009年、山を歩く目的でしたから、山越え大歓迎、って気分でStヴォルフガングからStギルゲンを目指して歩いてみました。途中から、じっとしていたらすべって落ちていきそうなくらい、笑ってしまうしかないくらい勾配のきつい山道です。おどかしているわけではありません。目の前を向こうから歩いてきた女性3人連れの一人が、余りの勾配のきつさに足をすべらせて転倒してしまったほどなのです。
とは言うものの人気のコースらしく、ハイカーの姿が途切れることはありませんでした。
Stギルゲン側から歩いてくる人々 (昔の順礼者たちはみなそうでした) はこの険しい山道を抜けてStヴォルフガングの巡礼教会に参拝したのです。


順礼の山道からヴォルフガング湖を眺める (2009年撮影)

この山道にはファルケンシュタイン順礼教会がちょうど中間地点ほどのところにあります。
モーツァルトのお母さんがザンクト・ギルゲンの出だと言うことを知っている人は多いと思いますが、この巡礼教会に次のような案内ボードが設置されていますので、ご紹介しておきます。



ファルケンシュタイン巡礼教会の説明 (2009年撮影)

「ここはファルケンシャタインの岩壁に自然に出来た穴と一部人の手によって掘られ、数多くの巡礼者たちの手によって磨かれた二つの洞穴からなる教会です。

この場所の下の部分に18世紀後半まで Waldbrüder 森の同胞と呼ばれる人々が順礼者を迎え、自分たちのお手本である偉人ヴォルフガングを偲ぶよすがとした庵がありました。ちなみに最後にここで隠遁生活を送った人々はヴォルフガング・アマデーウス・モーツァルトの親戚筋の人たちでした。彼の母方はザンクト・ギルゲンの出身だったのです。以前はよく人々に知られていましたが今は忘れ去られたやまびこの話があります。「聖ヴォルフガング様、おわしますか? 返事を下され」と叫ぶと、はっきりと、「おるぞや」と返事が返ってきたということです。」

ヨハン (この記事は2010-09-16で書いたものを補足の形で足しました) 2012/10/21