ウィーンわが夢の街

ウィーンに魅せられてはや30年、ウィーンとその周辺のこと、あれこれを気ままに綴ってまいります

オーストリアのお菓子・ケーキ・パン

2010-03-13 11:46:12 | ウィーン
マンナーのワッフル


ここ最近ウィーンから帰国する時のお土産にマンナーのワッフル (われわれからするとウェハースということになるのでしょうが、マンナーではワッフルと呼んでいます) を買うことが多くなりました。おそらく2006年6月にシュヴェヒャート空港にアンテナショップが出来、搭乗前のあき時間、ターミナルを歩いているとどうしてもそのお店が目につくから、そうなったんだと思います
今は、形もさまざま、味もいろいろ、バリエーションは豊富ですが、マンナーと言えば、やはり、写真のこのシュニッテでしょうね。ピンクで目をひきます。
この商品、下にシュテファンスドームの絵があって、横にオリジナル・ネアポリターナーと記されています (写真)。このコンビネーションがずっと疑問でしかたありませんでした。


そこで今回調べてみました。ネアポリターナーというのは、ヌガーの原料に写真に描かれているナポリ産のハーゼルナッツを使っているからだそうです。

創業者はヨーゼフ・マンナー (1865年ウィーン生まれ) という人で、最初シュテファンの近くに小さなお店を開いて、チョコレートを売っていました。でも卸業者から届けられるチョコレートに不満を抱くようになって、自らマルガレーテン地区に生産工場を作ったのです。シュテファンをロゴにしているのは、商いの出発点を忘れないようにということのようです。ネアポリターナーが登場したのは1898年です。これがヒットして、会社は急速に拡大、1914年には従業員3,000人を擁する大会社に発展しました。1914年というと大正3年です。その時代すでに会社専属のお医者さんがいて、工場には食堂があって、従業員には寮が建てられました。従業員は年間最大4週間の有給休暇が与えられていたそうです。

マンナーは山歩きに持っていくのに最高です。疲れてきたときに、小さく一口サイズにして食べることができます。最近の異常気象、温暖化で、以前スイスのサン・モリッツですよ、標高2,000mでさえ、持参したチョコレートがべとべとになって辟易したことがあります。その点マンナーはそういうこともないですから。

アンテナショップはまず最初、2004年7月に、シュテファンの近くに出来ました。ヨーゼフの商いの出発点にまた戻ってきたということです。




モーツァルト・クーゲル


マンナーのことを書きましたので、ザルツブルクの銘菓、モーツァルト・クーゲルのことも調べてみることにします。



情報源はウィキペディアです。

このお菓子の発案者はザルツブルクのケーキ職人パウル・フュルストで、1890年でした。最初はモーツァルト・ボンボンと呼んでいたそうです。プラリーネをまんまるの形にしたのが彼の独創的なところで、1905年パリの品評会で金メダルを受賞しました。記事に興味深い点が2つありましたのでご紹介してみます。

まず、製法。緑色のピスタチオのマルチパンをヌガーで包み、球状に成型して、中心に木串を通し、液体チョコレートにひたしてコーティングします。とりだしたものを冷まし、固くする目的で球を上にして、木串を台に並べます。冷却後台から外し、木串を抜き取り、中心に出来た穴にさらにチョコレートを詰め、銀紙で包装。こうしてすべて手作りによって生産される数は年間140万個、賞味期限は2か月とのことです。

次は、類似商品のことです。
フュルスト・ケーキ店で売られるオリジナル・ザルツブルク・モーツァルト・クーゲルはすべて今日にいたるまで手作りで創業当時の製法でつくっています。しかし、フュルストが法的権利を取得していなかったため、類似製品、工場生産されたものが流通するようになります。
パウル・フュルストの末裔になって、ついに法的に争うことになりました。製法ではなくて、名前を守ろうとしたのです。相手は当初ザルツブルクの類似品でしたが、やがて訴訟対象は外国製品にも及びました。そして次のような合意ができました。

ザルツブルク・ミラベル社の製品はEchte Salzburger-Mozartkugeln、またドイツ、バイエルンのレーバー社製品は、Echte Reber-Mozartkugeln と名乗ることになったのです。

これって、日本語に訳せば、本家ザルツブルク・モーツァルト・クーゲルとか元祖レーバー社製モーツァルト・クーゲル、ということです。やはり、一言多いときには何かわけがある、ってわかります。





カイザーシュマルン


これは典型的なオーストリアのデザート菓子です。わたしたちが山にハイキングに行って、ヒュテで食事したとき、ロザーリウムはよく食後このカイザーシュマルン (カイザーシュマレンとも言います) を頼みます。いつも量が多いので、食べきれる? とわたしは心配するわけですが、研究熱心 (と言うことにしておきます、決して食いしん坊というわけではありません。一緒か?) で、だいたいひとりでたいらげています。

調べてみると、生地はパラチンケンと同じようです。ただ、片面を焼いたのち、スプーンとかフライパン返しで、小さく切って ―ナイフのような鋭いもので切ることはしません。だから一見手でちぎったような形状をしています― 一つ一つ返して裏を焼きます。出来上がったところで砂糖がまぶされて出される、とてもシンプルなお菓子です。干しブドウや、アーモンドを入れて豪華にすることもあるようです。

名前の由来としては、フランツ・ヨーゼフⅠ世が狩りの折、樵の家でシュマルンをごちそうになりましたが、皇帝に出すということで、とくにミルク、干しブドウ、たまごを混ぜ風味をつけたので、それをカイザーシュマルンと呼ぶようになったと言われています。

しかし、別の説では Mehlspeise (デザートケーキですね) が好きなフランツ・ヨーゼフがパラチンケンを所望したとき、出来具合がうまくいかず、厚すぎたり、どこかちぎれてしまった時に、コックが召使たちに、「カイザーからのごちそう」として食べさせたからだとも言われています。




クロワッサン、キプフェル、ヘルンヒェン


パリの朝食に出されるバゲットは他の国にないおいしさですが、それでもわたしにとっては、締めはやはりクロワッサンに限ります。カフェ・オ・レに浸して食べる美味しさはたまりません。
ウィーンでも、このくせが抜けないヨハンです。どんなに焼きたて、さくさく (knusprig) のゼンメルが美味しいな~、って感動しても、最後はやはり、そこにクロワッサンがある限り、手がでてしまいます。たとえ安ものでもいちごジャムがあれば (アパルトメントでの朝食なら奮発して、ユーリウス・マインルで高級イチゴ・ジャムを買ってきます)、バターとジャムを重ね塗りするわけです。至福のひとときです。ウィーンのクロワッサンはパリのよりも、わたしにはバターが多くて、よりパイに近い気がします。

ところで、クロワッサンとよく似たパンで、ウィーンにはキプフェルがあります。どう違うのか気になります。
キプフェルの語源は杭とか柵です。したがってもともと形はまっすぐで、カーブはしていなかったと想像されます。また、Hefeteig (酵母入りの生地) を使っており、Plunderteig (パイ生地) を使うクロワッサンとは異なる、と説明されています。クロワッサンの語源はもちろん満ちていく月で、三日月の形をしています。

ただ、1894年に出版された飲食業事典ではキプフェル、あるいはキプフェルルは Hefeteig をヘルンヒェン Hörnchen の形に焼いたものとしていますので、形としてはバイキングのかぶり物のように、つの状にカーブしたものを指すわけですから、クロワッサンと似ています。しかし文化史的に両者は別物として扱われているのです。
ヘルンヒェンは、伝統的に修道院でイースターのころ、ヤギのつのをかたどって焼いたもので、その形から Hörnchen と呼んだそうです。記録としては西暦1000年以降からそのようなパンが登場してくるようです。これがキプフェルのご先祖様ということになるわけです。

クロワッサンの起源については、トルコ軍に包囲されたウィーンで、1683年市壁を突破するのに、夜陰に乗じて地下トンネルを掘ろうとのトルコ側の作戦にウィーンのパン屋が気づき、市民に知らされ、作戦の阻止に成功、街が防衛され、その勝利の記念にトルコのシンボルマークの三日月をかたどったパンが焼かれた、というのが最も一般に流布されてきた伝説となっているようです。朝一番はやかったのは、昔からパン屋~♪のおじさん、だったわけです。

しかし、今述べましたように、キプフェルはすでに1683年以前から存在していることが歴史家によって証明されているどころか、トルコの作戦に気がついたというパン屋 Peter Wendler はすでに1680年に亡くなっていることも分かっていますので、あくまで伝説です。

Hörnchen が、ルイ16世に嫁いだマリー・アントワネットによってフランスに持ち込まれ、その形からクロワッサンと呼ばれるようになったと言われています。名前が変わるのに合わせて生地もパイ生地に変わったのですね。

ヨハン


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