ウィーンわが夢の街

ウィーンに魅せられてはや30年、ウィーンとその周辺のこと、あれこれを気ままに綴ってまいります

バート・ガスタインからのハイキング・トレッキング (2)  ケチャハタール

2012-10-04 10:30:44 | バート・ガスタイン
第2日目 ケチャハタール Kötschachtal

半日コース


これもバート・ガスタインからの人気のハイキングコースです。

Stadtzentrum ( 町の中心、旧会議センター前の広場 ) が出発点です。
 (お断り) ヨハンの手元には町の地図がないので、グーグル、ヤフーの地図でいろいろと検索してみるのですが、道路の名前くらいしか手がかりを得られず、苦労しました。あちらこちらと検索しているうちに偶然建物の位置も記された地図を出せるようになりました。バート・ガスタインで現在保護対象に指定されている記念建造物のリストも見つかりましたので、一部9月15日投稿のバート・ガスタイン(3)に補筆を加えましたので、どうぞご覧ください。

出発点となる広場に接する通りの名前は Kaiser-Franz-Josef-Straße です。この通りを滝に向かって歩き、石橋をこえたところが Straubingerplatz。さらに道なりに進んでいくと左に古い教会が見えます。これは1866-1876年にかけて建造された Preimskirche です。教会の右側、のぼりの坂道を入っていくと Bismarckstraße になります。
 注) 対デンマーク戦争でオーストリアとプロイセンは連合軍として一緒に戦い勝利したものの、次には、オーストリアを排除した形の小ドイツでの統一を目指したプロイセンが、協定によりオーストリア管理下におかれたホルシュタインも我がものにしようとの野心から、昨日の友は今日の敵、はやくも2年後の1866年普墺戦争がおこり、プロイセンが勝利。結果、オーストリアはビスマルクの要求に屈する形で、シュレースヴィヒ・ホルシュタインはプロイセン領となったのです。シューレスヴィヒ・ホルシュタインが現在のドイツ連邦の一州を形成しているのは、ここに端を発しているわけですが、オーストリアの通りの名前にそのときのプロイセン側首相ビスマルクの名前をつけたのはだれなんでしょうかね?

教会右の坂道を上がっていくと、 Kaiser-Wilhelm-Promenade と書かれた案内表示が出ています。

今回のハイキングコースはずっとこの道を歩いていくコースです。ゴールは Grüner Baum です。これはホテルの名前ですが、バート・ガスタインからやってくるバスの終点の名前でもあります。ハイキングコースは無粋な車が通らない森の中の散歩道ですが、最後にはそのバス通りに出ていく形です。



上を通るバス通りから町をながめたところ。右に見える教会が Preimskirche。写真の中央左よりのところにホテル de l'Europe、Hotel Weismayr が並んで建っているのが見えます。
2012年8月15日撮影 



ドイツ皇帝ヴィルヘルムⅠ世の記念碑 (1889年建造) 
2012年8月18日撮影
ずいぶん立派です。この散歩道(プロムナーデ)の名前がそもそも彼の名前をつけているし。ヨハンが初めてバート・ガスタインを訪れたときは、なぜここにドイツ皇帝の碑が? と、とても不思議でした。対デンマーク戦争と、それに続く普墺戦争の歴史をひも解くとだんだんわかってきました。19世紀後半のオーストリアの歴史は、戦う戦争にことごとく負け、かつての大帝国は小さくなっていく一方。他方、鉄血宰相ビスマルクがいたプロイセンは登り竜。あげくのはてに「ドイツ民族みんなでなかよくやろうじゃないか ( 大ドイツ主義と言いました )」という邪魔くさいオーストリアは排除して、チーム・プロイセンを中心に北の国々だけ ( 小ドイツ主義と言います )で新しくドイツ帝国がつくられてしまいます
 注) ヴィルヘルムは第7代のプロイセン王でした。ビスマルクと異なり、ヴィルヘルムはオーストリアとの和解を望み、英国女王ヴィクトリアに仲裁を頼みましたが、ビスマルクに押し切られてしまったようです。まあ、その結果として1871年1月18日から彼の肩書は初代ドイツ皇帝ヴィルヘルムⅠ世と格上げになります。めでたし、めでたし。



ヴィルヘルム皇帝の記念碑を過ぎたあたりから散歩道の左手にはガスタイナータールの眺望が開けてきます。
2011年8月10日撮影

森の中の道、小一時間の散歩でしょうか。途中バート・ホーフガスタインからの道と合流し、車も入ってくる広い道になったかと思うとやがて、ゴールのグュリューナー・バウムがもう見えてきます。およそ3kmほどの散歩道です。ゴールの標高は1066メートルですから、ほとんど登りのない道なので、バート・ガスタインに宿泊しているお年寄りにも格好の散歩道として愛されています。


手前に見えているのは Gasthaus Reiterbauer、奥に見えるのが Hotel Grüner Baum です。写真の右手に ( ここには写っていませんが ) バスの折り返し停留所があります。
2011年8月10日撮影

今年訪れたときには晴天が続いたせいもあるでしょうか、レストランは大賑わいで、合い席させてもらって座ることができましたが、去年はすいていました。ウィーン在住のご夫婦と話しがはずみ、隣のグリューナー・バウムは一見の価値がある超高級ホテルで、なかの様子を見物しがてらフロントでパンフレットをもらってきた。君たちも是非いってもらってきなさい。と強くすすめられました。ご夫婦はキャンピングカーで来ているという話でした。バート・ホーフガスタインを基地にしているとのことで、そちらもパート・ガスタインとはまた一味もふた味も違うのんびりした本当にいいところだよ、とこれまたとても強く勧められました。足が弱っているので、ここには毎日車で来て、少しずつのんびりと散歩を楽しんでいるのだそうです。




Gasthaus Reiterbauer
2012年8月18日撮影

ここからは Ankogel の山々がよく見えます。なかでも雪をかぶったように頭が白い山が目をひきます。ウェイトレスのお姉さんに、あの山はなんていう名前ですか、と尋ねると、「ちょっと待って、中で聞いてくる」
えええ、毎日ここで働いていて知らないのか、とちょっと不思議な気がしましたが、戻ってきた彼女によれば「Tischlerkarkees」だそうです。なんか、その言葉の響きが妙に心に残り、「ティシュラーカールケース」は忘れられない名前になりました。


2011年8月10日撮影 カメラを向けると、にっこりしてくれました



このとき注文したのは、今この写真から判断すれば、レスティだったように思われます。もう一つのお皿はクネーデルですが、たぶんソースは Eierschwammerl だったと思われます。
2011年8月10日撮影



食事に満足できたとき、こちらもにっこり嬉しそうにしてるんでしょうね、お皿を片づけにきたお姉さんに、「デザート Nachspeise を食べるか?」と聞かれて、「いりません」とは言えないじゃないですか。それゆえに、Apfelstrudel をいただくことになりました。
2011年8月10日撮影



このお姉さん、今年もいました。当たり前か。でも、ヨハンはシーズンだけ働いているアルバイトの娘さんだと思っていたので、今年も会えるとは思いもよらなかったのです。で、また撮影。今度はおすまし顔になりました。
2012年8月18日撮影




全日コース
バート・ガスタインからプロッサウへのハイキング

2011年は2泊の予定でバート・ガスタインを訪れ、二日目に前回ご紹介しましたトレッキングの予定を立てていましたから、到着した当日の午後は、夕方近くにホテルを出て、皇帝ヴィルヘルム・プロムナードを今回は先の方まで行ってみることにしようとでかけ、グリューナー・バウムまでやってきました。そのときにはすでにバスの最終も出ていくところでした。そんなことで帰りも同じ道を歩くつもりにして、ここで夕食をすましたのです。
ところが、目の前をグリューナー・バウム方面からハイキングを終えて戻ってくる人々がこの時間でもまだ結構います。これはきっとまだこの先からハイキングコースとしてはメインになるに違いないと、やがて再びザルツブルクに戻った時に山の本や地図を扱っている本屋さんで、さっそくバート・ガスタイン周辺の地図を買って日本に帰りました。

そんなことで今回は地図でこの先まだ5kmほどずっとケチャハタールのハイキングコースが続くことを確認し、予定に組み込みました。ゴールは谷が終わるところ、Prossau プロッサウという山小屋です。そこは標高1,278メートルです。グリューナー・バゥムからですと5kmでおよそ210メートルほどの上りなので気軽なハイキングコースだと勘違いしてしまいました。
5kmのうち、最初の3kmほどはほとんど渓流沿いにのんびり森の中を歩いていきます。最後の2kmほどになったところから急に上り坂が始まり、200メートルのアップはほとんど最後の2kmほどでこなさなくてはなりません。単純に計算しても10メートル進むごとに1メートル上がっていくのは、登山気分のかなりきつい坂道です。しかも最後はまたつんのめりそうなくらいの急坂がまっていました。( 実はこの日はすでに午前中にひとつ山を登ってきて、その続きとしてこちらにハイキングにやってきていたので、疲労はすでに相当なものになっていました )
このコース、バート・ガスタインから往復全部こなすと16km以上になりますから、ある程度時間的なゆとりと体力を覚悟して取り組む必要があります。

ただ、バート・ガスタインからグリューナー・バウムまでの間は一時間に1本バスが出ています ( ÖBB駅前から8時始発の毎時00分ごとにグリューナー・バウム行きが出て、帰りはグリューナー・バウムから毎時40分にバスが出て、17時40分の次が最終バスで、これは18時15分に出ます )。行きか帰りかにバスを利用すれば、それほど大変ではなくなります。

また、この公共バスに接続する形で、プライベートなバス ( ホテルの運営 ) がグリューナー・バウムとプロッサウの間を結んでいます。こちらはガスタイナー・カードは使えませんが、帰りにでも利用して、グリューナー・バウムで最終バスに乗り換えれば、ハイキングは片道だけで済ますことも可能です。プロッサウからの最終は17時発で、グリューナー・バウム発の公共最終バスに接続します。

今回、日本で計画しているときにネット検索でロザーリウムが Malerwinkel という言葉を見つけ、どうやらグリューナー・バウムから先しばらくの間が特にハイカーに人気のスポットだと分かりました。 Malerwinkel は直訳すれば「絵描きが題材にとりあげるような奥深い、鄙びた場所」ということでしょうか、ドイツにもあるようなので、Malerwinkel in Bad Gastein で検索するとケチャハタールがヒットします。

半日コースでやってくるときも、ホテル Grüner Baum を過ぎてしばらく行ったところから左手に橋を渡って、地元推奨のこの Malerwinkel だけは是非散歩の予定に加えることをお勧めします。



ホテル・グリューナー・バウム、町の喧騒を嫌ってこの地を訪れるお金持ちがのんびり、ゆったり過ごしそうな超高級ホテル。内庭がまるで Malerwinkel そのもの。一部は泊まり客でなくても入れますが、プールもあり、泊まり客のお客さんに迷惑にならないように肝心なところから先は入れなくなっていました。レストランも夏場はテラスにも設定されていました。さすがにね、隣のライターバウアーは座る席さえないほど混雑していましたが、ここでは優雅にお食事を楽しんでいらっしゃいます。
写真は2011年8月10日に撮影のものです



これも昨年撮影したものですが、バスの終点から先は、ホテルのプライベートバスか、この馬車がお客を運びます。ヨハンたちがグラウコーゲル・ロープウェイからバスに乗った時に車内にいらっしゃったご婦人が、御者に料金を確かめていらっしゃいました。ヨハンの耳にも聞こえたのですが、予想の範囲を超える金額だったので耳を素通りしていきました。定額は定額ですが、馬車一台の料金ではなくて、銘々一人の料金のように聞こえました。

次の写真からはケチャハタール、地元推奨の Malerwinkel のいくつか ( いずれも今回2012年8月18日に撮影したものです ) です



正面がティシュラーカールケース



上の写真の左下に見えているキリスト像。ここから Ankogel の山を背景にタールを撮影するのがベスト・ポイントのようです。



アルムに放牧されている牛はよく見かけますが、飼育されている豚は珍しい被写体です。
たて札があって「こぶた売ります」
よく見ると本当に生まれたばかりの子豚が何頭か母親の周りをうろうろしています。
誰かに買われて、飼育されるんでしょうか? 子豚は Spanferkel  として、都会のホテルでは大みそかに丸焼きされて出てきます。そうなる運命でないことを祈りました。
偽善者!!!!
脱線ついでに、インスブルックでは、さっき山でみかけた鹿 ( 種類が同じということですよ ) が、その日の夜のレストランのメニューとして出てきたので、「ごめんなさい」とお詫びして、結局いただきました。
やれ、やれ

グリューナー・バウムを出発して30分ほどでしょうか。事前の調査では知ることのなかった山小屋が見えてきました。地図で確認すると、Himmelwand、グリューナー・バウムから1.8kmほど、標高1,079mなので、ここまでほとんど上りのないのんびりしたハイキングコースです。まわりは広々としたタール。
去年の失敗に懲りたヨハンたちは、今回はしっかりと飲み物、食べ物を用意してきましたから、疲れていてもレストランに逃げ込むことなく、道端のベンチに腰をかけて休憩。午前一つ山登りをこなしてきた割りにはまだまだ余裕の世界でした。

ここから徐々に周りの山が迫ってきて、その分道も上り気味になっていき、森の中のハイキングとなります。

ゴールまで5kmというのがずっと頭にあったので、一時間ほど歩くと、さすがに一向に向かう先にゴールらしき気配もなく、くねくねと続く山道も、ますます急坂になっていくばかりで、焦ってきました。
向こうから戻ってくる人に「あとプロッサウまでどれくらいですか?」と聞くと、にっこり笑って「そうだなあ、たっぷり一時間はあるよ」 ― この gut eine Stunde という表現、疲れた体を直撃します。でも、ここで引き返しはできないし。

途中大きな地図看板があり、そこで確認してもやはり、まだ道のりの半分近くを残しているのかなと納得。
ここまでのルートは511で、すぐ近くに レートゼー Reedsee という山の上の湖に登っていくルート526の分岐が現れます。
あたりはもう川の水もしぶきをあげるほどになっています。

ここからまだ2km以上はあります。
はあはあ息をきらしながらあがっていくと向こうからさきほどの、バスで一緒だったご婦人の姿。「もうプロッサウまで行かれたんですか?」 と尋ねると、ここから先の坂道がとても大変なので途中であきらめて引き返してきたとのことでした。グリューナー・バウムから先は車両通行止めになっているのに、歩いているとときどき行きに帰りにホテルのプライベートバスが砂煙をあげながら走り抜けていきます。ご婦人の情報ではこのプライベートバス、一般客も乗せてくれるそうです。

でも、まだどう考えても30分は上りが続くと思われてきたころ、ヨハンは心のうちであきらめ予定を変えることに決めていました。予定ではプロッサウまで行って、帰りは同じ道を歩き、今回もまた去年と同じようにライターバウアーで夕飯するつもりでした。どうせ頑張ってももうグリューナー・バウムからの最終バスに間に合わないし、朝から山をずっと歩き続けてきた最後にこの急坂です。あきらめてプロッサウで夕食にすれば、休憩で疲れはとれるし、また帰りの8km、あとはバート・ガスタインのホテルに戻ればいいだけなので、なんとか歩けるだろう。そんな気持ちに切り替え、ゆったり、ゆったり山道をあがっていきました。

通常のぼりとなるとヨハンに輪をかけたようにペースを落として、なんだかんだ理由を見つけては道草をするロザーリウムなんですが、なんかの勘が働いたのでしょうか、もくもくと先をどんどん急ぎ足に登っていきます。
そして向こうから大声を張り上げています。
「バスの最終~~!」
どうやらいち早くゴールに到着したようです。
山歩きに出かけてくると、日本に戻って写真を整理しているときに、元気なうちはいいのですが、あるポイントから急にぱたりと撮影した写真の枚数が減っていることに気が付きます。本人の疲れが心から余裕を奪ってしまっているわけですね。( プロの山カメラマンはペースを落とすことなく歩きながら、なおかつプロとしてよく何百枚、何千枚とぱちぱち写真を撮り続けていかれるもんですね、そう考えるとテレビ番組なんかは、もっと重い機材を背負って、あるときははるかかなたから登っているキャスターを写したりしているのが、本当に超人技にしか思えません、まだまだ甘いぞヨハン!!! )

せっかくケチャハタールのどん詰まりまで歩いてきたのにまだ写真を撮っていませんでした。
あわてて、カメラを取り出し、Prossau の山小屋を撮影。



2012年8月18日撮影

手前にホテルバス、その横に馬車が見えています。
このとき17時。もう最終バスは出発寸前でした。ロザーリウムが必死に止めています。
最終バスでお客が満員でなかったから運ちゃんも待っていてくれました。
そして、ヨハンはまだこのとき多少未練がありましたが、山小屋の方もこの最終バスが出ると営業終了~♪となることを知り、つくづくときどき発揮されるロザーリウムの生き抜く勘のしぶとさに感動します。

発車したバスは、しかし、少し走っただけでストップ。乗客の一人が、小屋にストックを忘れた、とりに行くからここで待っててくれ、とバスを駆け下り、坂道を必死に駆けあがっていきます。おかげであとから来た馬車がバスを追い越していきます。でも、ストックを持ってお客が戻るとバスは出発。猛スピードで砂煙をあげて山を駆け下りていきます。

バスが山道を駆け下り、Himmelwand を過ぎた頃でしょうか、本日三度目、あのバスで一緒だったご婦人が歩いている傍らをホテルバスは通り抜けていきます。

かくして、余裕でグリューナー・バウムに到着。
ライターバウアーでの夕食という当初の予定通りとなり、バート・ガスタインに戻る最終バスを背中に感じながら、美味しい夕食を堪能いたしました。

最終バスの出た後の帰り路、またホテルまでヴィルヘルム・プロムナードを歩くことになりましたが、暮れなずんでいくケチャハタールのこの散歩道、疲れはもう増すこともなく、あたりの静寂にただただ癒されていきました。

2012/09/19 ヨハン


最新の画像もっと見る

コメントを投稿