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時々眺める富士山

日本の気温水準の推移を見ながら、富士山と庭の植物に見る季節の移ろいなど気候と自然の姿について綴ります。

最初は自分で食べようとしたが・・・

2014-06-20 22:24:00 | 日記
今日の母は、水枕をしていた。
保冷剤の枕ではなかった。

今日は何をしたの?と尋ねると、「わかんない」

ただ、背中をさすったら「ありがとう」といった。
しばらくさすっていたら、「もういいよ」といわれた。

今日、晩御飯が運ばれて来たので食べさせようとして、おかゆのお椀を取ると、

右手でサイドテーブルを下向きに指さして、ここに置けと指示した。

そして、お椀を左手でとり、右手でスプーンに掬い取り、口に運んだ。
そして、すぐにとろみをつけたお茶のコップを右手で手にして、飲んだ。

あれれ、と思って見ていたら、お茶の大半を寝巻の上にこぼしてしまっていた。

それをふき取って、続きを食べさせようとしたら、もうスプーンを自分で取ることはなかった。

ただ、今日はスプーンを口元に持っていくと、すぐに食べた。スープも少しずつだが飲んだ。

一方で、食べている間も、ほとんど目を閉じている。
次にどれを食べると聞くと、目を開けて、「これ」と指差す。

ほとんど口をきかない中で、がま口のありかをまた気にしていた。

今日も、薬を飲みこむのには手こずっていた。



富士山がかすかに見えた

2014-06-20 16:48:00 | 富士山
梅雨入りして以来、すっきりと晴れている日は少ない。
頭の上は晴れていても、富士山の周りには白い雲がかかっていることが多かった。

今日も晴れてはいたが、西の空はかすんでいた。
ただ、目を凝らすと富士山がうっすらと見えていることがわかった。



ファインダー越しには富士山はよく見えないので、手探りでシャッターを押すことになる。



何とか富士山をとらえていた。


始めは一人で食べていたのだが・・

2014-06-19 21:16:00 | 日記
今日は、到着が少し遅れてしまい、病室に着いたときは、母はすでに夕食を食べ始めていた。
自分でスプーンを持ち、おかゆを食べていた。
ただ、胸の上にかなりこぼしていて、看護師さんがエプロンを取りに行って不在だったのだ。

さっそく持参したエプロンをつけて、食べさせようとすると、もはや自分ではスプーンをうまく握れない。

スプーンの上におかゆを載せて持たせてあげても、それをお椀の上に空けて、再びスプーンですくおうとしてうまくできない。

また、何も乗っていないスプーンを口に持っていこうとしたりする。

結局、こちらがスプーンに食べ物を載せて、口に運ぶのが手っ取り早い。
幼児の甘えのような行為と思われた。

スプーンで食べさせてあげると、かなり食べた。
ただ、薬の飲み込みは悪く、とろみをつけたお茶を、看護師さんが何度も飲ませて、飲み込ませることになってしまう。少し苦しそうな表情を見せる。

今日は、お茶をよく飲んだ。
とろみをつけるとお茶がまずくなるという患者さんが多いのだそうだが、母は、それを入れるとおいしくなる、といっていた。

母は、盛んに右足を気にしていた。手でもんだりしている。
足が痛いのか尋ねると、
「今日は歩いて須賀まで行ったからね。」とのことだった。

「須賀で誰に会ったの?」というと答えはなく、
「須賀で何をしたの?」と聞くと「買い物」と答えた。
「何を買ったの?」と聞くと「こまごまとしたもの」との答えだった。

今日の母も無口だった。

このほかには「(食事は)もういい。」
「もっと飲む」

ぐらいだった。

熱はずっとあるようで、顔がほてっており、保冷枕をしている。
薬を飲むときに、かなりむせていたので、若干の誤嚥をしている可能性がある。
尿は血尿が続いているようだ。






トンボが飛んでいる

2014-06-18 20:55:00 | 昆虫
ウメエダシャクは、引き続き飛んでいる。
次第に数が減っている感じだ。

アオバハゴロモの白い幼虫が次第に増えてきている。

今朝は、(オオ)シオカラトンボのメスが飛んでいるのを見た。
昨日はオスが飛んでいるのを見た。

ただ、スイレン鉢の横で番をしているオスは見かけない。

ヒキガエルは、夜になって来ると、そこここでじっとしている。

時折、日中池にいるのを見ることもある。



母は今日も自分からはスプーンを持たなかった

2014-06-18 20:16:00 | 日記
今日も、母はベッドの上でもぞもぞと盛んに体を動かしていたが、口数は少なく、薄目を開けるているだけのことが多かった。

今日も熱があるのだろう。顔が火照っていて、冷却枕をしている。

そこで、「熱があるの?」と尋ねると、
「あんた?」

「リハビリはしなかったの?」 の問いにはうなずくだけ。

「今日は誰が来た?」と聞くと、「ここに?」

窓際のベッドにいるので、「今日雨が降っていたのは見えた?」と尋ねると、うなずいた。

台風7号が温帯低気圧に変わって、それが近づいて雨が降った、と少し難しい説明をすると、
「あ、そう」。

食事の時に、自分でスプーンを持つように促したが、「あんたやってよ」といわれ、自分からスプーンを持つ意志はないように見えた。

これまでの食事量から考えて、食べさせた量はそれほど少なくない。
ただ、出された量の1/3程度しか食べない。

父と母は、お茶がないと食事ができなかった。
私は、お茶は食事がすんでから飲むもので、食事中に飲むものではなく、以前一緒に食事をしているときは、そのことで意見が合わなかった。

ところが、今の母は、食事の際にお茶を飲みたいとは言わない。
スープのような水分のあるものも、ほとんど飲まない。

嚥下訓練食はおかゆ、パテ、プリン、ゼリーなどだから、水分量が多いものだ。
だから、それでもよいのだろう。

食事中に「トイレ」といいだした。おかしいなとは思ったが、看護師に伝えると、トイレに行っている事実はなく、その必要はないとのこと。

今日の会話の中で一番真面目な顔をして言った発言だったが、だまされてしまった。

看護師が帰ると、もう食べないとのことで、食事は終了した。

その後、薬を服用するのだが、これがいつも手こずる作業となる。
なかなか呑み込めず、看護師さんが水を追加して、飲み下させようとすると、むせこむ。
薬を上手に飲めないことで、寿命を縮めることになることがよくわかる。

「薬をうまく飲めるようになるといいね」というと、
「そんな細かいことまでできないよ」とのこと。

「今6月だということはわかる?」  「分かる」
「7月になると祥子が帰ってくる」  「・・・」
「祥子は今どこにいるかわかる?」  「インドネシア」
「アブダビだよ」          「はー? 何がどうした?」
「帰ってくる。わかった?」     「そんな事くらい分かる」

晩年の父の話し方とよく似てきた。

突然「お布団敷いてもらえるんだろ?」といった。
母は、父がこの病院に入院していたとき、隣にベッドを用意してもらい、父とベッドを並べて寝ていた。その時のことを思い出しのだろうか?

「あそこのおばさんがいなくなってうるさくなくなった。」
昨日から、4人部屋の一人が退院していなくなっていた。
「そんなにうるさかったの?」と尋ねると、「あー。」

そして、倒したベッドで眠りについた。