goo blog サービス終了のお知らせ 

時々眺める富士山

日本の気温水準の推移を見ながら、富士山と庭の植物に見る季節の移ろいなど気候と自然の姿について綴ります。

父とパソコン(10)

2011-08-25 08:42:00 | 日記
DOSからWINDOWS95へと、使用環境が大きく変化したが、父は同じRAを使い続けた。処理速度は遅かったが、急ぐ仕事ではないからいいといっていた。

ただ、使い方はDOS的で、エクセルと一太郎を同時に開いて、データー連携をするといった使い方はあまりしていなかったと思う。一方で、N5200を使う機会はどんどん減っていった。

パソコンを使う最大の目的である年賀状の印刷は、一太郎のはがき印刷機能を自分で学習して使いこなしていた。

やがて、WINDOWS98が発売されるが、95のときほどの大きなニュースにはならなかったし、98にしたいと父は言わなかったように記憶している。ただ、10年を越したRAの動きは次第に怪しくなり、時々調子がおかしくなった。データーは外付けハードディスクにあり、それはこちらのパソコンで復元できた。それでも、システムがおかしくなると、再インストールという作業が必要となる。

今となっては記憶がはっきりしないが、週末に再インストールの作業を時々やっていた。その作業は時間がかかり、寝ながら作業をして、時々起きてはコマンドを入力し、一晩かかっていたように記憶している。

自分のパソコンは98、98SEとバージョンアップしていったが、次に出るOSがよいものであることが分かっていたので、父にはそのままRAを使ってもらい、次のOS(XP)が出たら、新しいパソコンを購入してやろうと考えていた。ところが、そうはうまくいかなかった。あるとき、父からパソコンが動かなくなったと聞かされた。調べてみると、RAの本体に異常があるようだった。仕方なく、98のセカンドエディションのパソコンを、悪いタイミングで購入することになった。2000年のことで、父は85歳になっていた。

====================================

未明に強い雨が降っていたが、朝は小降りとなっている。
湿気が多く、蒸し暑い日が続いている。

しまいこんだものにカビが大発生して困っている。

今日は、午前11時40分ごろから蝉の大合唱が始まった。





父とパソコン(9)

2011-08-24 08:26:00 | 日記
WINDOW95は、その名前からわかるように1995年夏に発売された。日本では、アメリカから3か月ほど遅れて勤労感謝の日の午前0時に発売された。まだ今より若く、東京に住んでいた私は、新宿西口で行列して購入した。

もっとも、私はそれ以前から、50万円もするカラーノート機を初めとして、WINDOWS3.1が動くいわゆるDOS/V機を何台か所有していた。WINDOWS95が発売された当時、95は速いということが宣伝され、そういって買っていく客の姿がTVに映っていた。これは、設定が簡単で早く動かすことができるという意味で、処理スピードが速いという意味ではなかった。AUTOEXEC.BATやCONFIG.SYSに色々なことを書き込まないとCD-ROMやPC-CARDが動かせないという点が改善されていたが、能力の低いPC9801では、WINDOWS3.1の方がよほど速く動いた。

父は当時80歳になっていたが、ニュースで流される新しいWINDOWSには大変興味を持って、強く欲しがった。ソフトを買い替えれば、便利になり、それも速く動くという宣伝効果が効いていた。NECでは、WINDOWS95が快適に動くAfクラスのマシンも用意されていたが、RAで動かそうというのである。私の余った外付けハードディスクをさらに提供して、トロトロした動きではあるが、なんとかWINDOS95が動くようにしてあげることはできた。

WINDOWSにすると、ソフトはすべてWINDOWS版に交換しなければならない。父は、そんなことも分からなかった。また、ソフトはただであるという感覚である。マイクロソフトのワードとエクセル、それに一太郎を用意した。

一方で、N88BASICが動かないと困るとか、UBASICが動かないと困るとかの注文もうるさかった。DOS窓での操作方法を教え、当時は何とかそれを使いこなしていた。

動きは遅かったが、時間はあるから遅くてもいいと、その点の妥協だけはしっかりとしていた。

父が一番よく使ったソフトは一太郎であった。暦をきれいに印刷するということにこだわっており、一太郎は行をそろえて印刷する機能は、WORDより優れていた。WORDは勝手に文字間隔を調整してしまうので、印刷するとずれが生じてしまうのでだめだった。

EXCELもマニュアルを見ながら、少しずつ使い方を覚えていった。年賀状用の住所録の大きな表を作り出していた。

ただ、RAも、私が提供した周辺機器も10年選手となると、次第に動作が不安定な部分が現れてきた。

======================================

今日は、ずいぶん蒸し暑くなっている。
昨日病院に行って、昼寝をしなかったということで、今朝、母は寝坊をしていた。

午前7時半から蝉がにぎやかに鳴いていたが、9時前におとなしくなった。

昼過ぎから再び鳴きだした蝉は、暗くなる前まで鳴いていた。

暗くなると、あたりは秋の虫の声に包まれた。



父とパソコン(8)

2011-08-23 08:13:00 | 日記
フロッピーディスク軌道からハードディスクから起動に変わったパソコンを、父は使いこなしていた。N88BASIC、MULTIPLAN、一太郎、UBASICをもぱら使っていたと思われる。

その頃、DOSのバージョンアップも頻繁で、DOSシェルというファイルエクスプローラが使えるようになった。使いこなせれば便利なものだが、使い方を教えたら、父は使いこなしていたようである。

その頃の父は、まだパソコンの発展に興味があり、何のソフトが使いやすいなどの情報も、知り合いから聞いていたようだ。日本語ワープロソフトのシェア争いで、一太郎が松をすでに下していた頃、父は突然「ワープロソフトは松がよいそうだ」と言い出した。「何々先生がそう言っているから間違いない」というようなことを言う。

自分職場で様々なワープロソフトが使われ、その弊害をよく知っていたし、ファイルの互換性、使い方の相違などを考えると、ワープロソフトの乗り換えは決して勧められるものではないことを知っていたが、父が折れないので、松を購入することになった。当時、松は9万8千から一太郎と同じ5万8千円に価格は下がっていたとはいえ、相当な出費である。父はソフトはただと思っているから、そんなことには無頓着である。

ワープロソフトは、その機能をフルに使いこなせれば差も生じるが、入口部分ぐらいしか使用しないのであれば大した差はない。一太郎だって、マニュアルをすべて読んでいるわけではなく、細かい使い方はできていなかった。とりあえず、松をハードディスクにインストールし、使い方の入り口を説明した。メニュー画面が一太郎と全く違うことに驚いていいたようだった。

詳しいことはマニュアルを読んでゆっくり学ぶということだった。以前からそうだったが、こちらが使い方を手っ取り早く説明しようとすると、「今は忙しいから後にする」というセリフが出てくる。

結局父は、松を大して使うことなく、一太郎を使い続けたようだった。そして、父はこのころ身に着けたDOS版の一太郎を使うことが、パソコンを使うこととほとんどイコールとなった。

ソフトを立ち上げると日本語入力が自動的にONとなり、そのON、OFFをPC9801のXFERキーで行うという記憶が抜けきらず、その後のDOS/V機の操作にはなかなか慣れず、逆に歳をとるとともに昔の記憶が強くなり、キー操作に混乱するようになる。

====================================

深夜に一時強い雨が降っていた。その雨も明け方までに上がり、今朝は7時半から蝉が鳴き始めた。ただ、それも8時過ぎまでで、9時前から再び強い雨が降り出した。

今日から気温が再び上がるとの予報だが、今のところ気温の上昇は鈍い。

母は体調に気になるところにあり、昨日病院に行くはずだったが、午後からの初診はないことが分かり、今日の午前中に出掛けることになっている。

母は、診察の結果、異状はなかったとのことである。父がこの間入院した病院で、父の主治医に診察してもらったそうだ。

今日は昼前から強い日差しとなり、気温も上昇しだした。それに合わせて蝉の鳴き声も昼前から午後3時過ぎまではにぎやかだった。