何も使わないパソコンのメンテナンスをし続けるのはむなしいものである。毎週のウイルスパターンファイルの更新、毎月のウインドウズアップデートは、インターネットに接続して使用しているパソコンでは、自動更新される。一方、スイッチを入れないパソコンでは、作業が完了するまで結構時間がかかる。
私は2010年3月で定年退職し、暇はできたものの、何も使わないパソコンのアップデートに時間を割かれるのは、時間の使い方として惜しい気がした。自分のパソコンはXPをVISTAに更新した遅いマシンであった。最大メモリが768MBのマシンで、本来VISTAの推奨環境ではなかったが、1GBなくてもVISTAがインストールできることを知って、VISTAとしたものだ。父がどうせパソコンを使わないのならと、6月ごろ、ディスプレイを残して、父のパソコンを自分の部屋に黙って移動した。そして、1GBのメモリを2GBに増設し、ウインドウズ7にシステムを更新した。
これで私のパソコン環境はだいぶ快適になった。古いパソコンは、しばらくの間、使い続けていたが、あまりにも遅いので年末までに使うのを中止した。10月ごろになって、父は年賀状の名簿の整理をしたいと言い出した。自分でやるといっていたが、パソコンが半年前からなくなっているのに気が付いていなかった。大型ディスプレイが置いてあったので、パソコンがそこにあるものと思っていたらしい。その頃父は、すでにディスプレイの文字はよく見えなくなっていたし、マウスが全然使えなくなっていたので、エクセルの作業を行うのは実質的に難しくなっていた。ただ、依然できていたので、記憶でできると思っていただけである。
私は、プリンターを持っていなかったので、父のプリンターも自分の部屋に移動していた。2011年の父の年賀状は自分の部屋で印刷した。
私自身は、父の年賀状作成作業を見ていて嫌になり、数年前から年賀状はやめていた。頂いた年賀状は、ずっと保管しておくわけにはいかず、個人情報保護の考え方が厳しくなってからは、安易に捨てることはできず、裁断して捨てなければならないだろう。頂いたものを裁断するのは忍びないだろう。特に、子供や孫の写真入りの年賀状などを切り裂くのは忍びない。そのようなものはもらわない方がよいのだろう。ということは、年賀状を出さない方がよいのだろうという結論になった。
自分の個人情報が保護されることを期待するのなら、差出人の名前は書いても住所や電話番号を記載しない方がよいだろう。そんなことを考えたら、年賀状など出さない方がよいのだ。無縁社会を促進するような考え方だが、内容のない年賀状のやり取りは、単に」まだ生きています」ということを言っているだけで、大きな意味もなさそうだ。
とにかく、2011年の正月の父の年賀状を作成し、投函し、こちらは夫婦で海外旅行に出かけた。
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屋上の百日紅の新芽は大きくなり、木全体が元気を取り戻したように見える。

父も天国で元気になったのだろう。
母は、父が読むのを楽しみにしているといって取り続けていた新聞を先月で解約した。倹約生活に入るためだ。家の中もだいぶ片付いてきて、母の生活にも次第に落ち着きが戻ってきている。
私は2010年3月で定年退職し、暇はできたものの、何も使わないパソコンのアップデートに時間を割かれるのは、時間の使い方として惜しい気がした。自分のパソコンはXPをVISTAに更新した遅いマシンであった。最大メモリが768MBのマシンで、本来VISTAの推奨環境ではなかったが、1GBなくてもVISTAがインストールできることを知って、VISTAとしたものだ。父がどうせパソコンを使わないのならと、6月ごろ、ディスプレイを残して、父のパソコンを自分の部屋に黙って移動した。そして、1GBのメモリを2GBに増設し、ウインドウズ7にシステムを更新した。
これで私のパソコン環境はだいぶ快適になった。古いパソコンは、しばらくの間、使い続けていたが、あまりにも遅いので年末までに使うのを中止した。10月ごろになって、父は年賀状の名簿の整理をしたいと言い出した。自分でやるといっていたが、パソコンが半年前からなくなっているのに気が付いていなかった。大型ディスプレイが置いてあったので、パソコンがそこにあるものと思っていたらしい。その頃父は、すでにディスプレイの文字はよく見えなくなっていたし、マウスが全然使えなくなっていたので、エクセルの作業を行うのは実質的に難しくなっていた。ただ、依然できていたので、記憶でできると思っていただけである。
私は、プリンターを持っていなかったので、父のプリンターも自分の部屋に移動していた。2011年の父の年賀状は自分の部屋で印刷した。
私自身は、父の年賀状作成作業を見ていて嫌になり、数年前から年賀状はやめていた。頂いた年賀状は、ずっと保管しておくわけにはいかず、個人情報保護の考え方が厳しくなってからは、安易に捨てることはできず、裁断して捨てなければならないだろう。頂いたものを裁断するのは忍びないだろう。特に、子供や孫の写真入りの年賀状などを切り裂くのは忍びない。そのようなものはもらわない方がよいのだろう。ということは、年賀状を出さない方がよいのだろうという結論になった。
自分の個人情報が保護されることを期待するのなら、差出人の名前は書いても住所や電話番号を記載しない方がよいだろう。そんなことを考えたら、年賀状など出さない方がよいのだ。無縁社会を促進するような考え方だが、内容のない年賀状のやり取りは、単に」まだ生きています」ということを言っているだけで、大きな意味もなさそうだ。
とにかく、2011年の正月の父の年賀状を作成し、投函し、こちらは夫婦で海外旅行に出かけた。
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屋上の百日紅の新芽は大きくなり、木全体が元気を取り戻したように見える。

父も天国で元気になったのだろう。
母は、父が読むのを楽しみにしているといって取り続けていた新聞を先月で解約した。倹約生活に入るためだ。家の中もだいぶ片付いてきて、母の生活にも次第に落ち着きが戻ってきている。
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