W.C.カラスの駄々漏れ日記

駄々漏れに日記をつけています

240601②

2024-06-05 22:46:41 | 日常
それで下北沢へ

RDスタジオ1stへキャンセル代を払いに行ってから2ndへ

おかやんと稽古す。
二人なので個人練習で取れる。
安いよ安い。
長尺の一席の稽古は疲れる。

それからルーデンスへ行った。おかやんは昨夜はGDのデブさんが退院したので割と仲間と飲んだそうで疲れているらしかった。だが一緒に行くといふ。
たのしく飲んでいた。
そしたらこないだのライブにも来てくれたひとが来て、やあやあ、といったが、え!おかやん!
あれ!
みたな旧知のひとであった。


私は明日は必ず浪曲に行きたい。
まさかあえるとはと二人は盛り上がっていたが、私は必ず帰りたい。頃合いを見て終電に間に合うよう帰る。
無事帰宅。

日暮泰文さんがなくなったと聞いた。
私は一度だけ会った。
渋谷でブルース&ソウル・レコーズの創刊周年ライヴに出してもらった時にだ。私はまた確か要らぬことを口走ったのを覚えている。日本人がブルースとかいってやるの嫌いなんすよねえ。といったのだが、なんとお応えになったか忘れてしまった。著書やコラムなぞたくさん読ませてもらった。それにブルース・インターアクションズ、Pヴァインには本当に世話になった。ブルースショー、レコードにおいてだ。
ずっと世話になったとこっちが勝手に思っているだけだが、
このひとがいなかったら日本の真のブルースシーン(あのギターソロばかり弾きたがる似非ブルースではない)はここまで生き延びていなかったのかもしれない。
そしてそのうちまさかそのレーベルから私のアルバムが出るようになろうとは。
こんだは浪曲的なものもここから出す腹づもりで相談してある。
記念すべきPヴァインからの一枚目カルヴィンリィヴィ、カミンズプリズンファームのライナーが素晴らしかった。

看守さん看守さん真人間になりますからここから出してくだせえ
そしたら看守はこう言った
ふうむ、ここには真人間なんていくらでもいるんだぜ。 

冥福を祈ります。

240601

2024-06-05 14:58:01 | 日常
目ぇはだいぶ良くなった。
回復が早い?
昨夜は傷を修復するために体液がたくさん滲出してきて目ヤニとなりそれが幕になって対向車のライトが当たるとマクマクだ。とても見えにくかった。

だが白内障のシリツの時にもらった目薬二種があるから大丈夫だ。

目の周りはボクシングの試合のあとみたになっているし眼球は赤いしで気色悪いだろうから薄い色の色眼鏡をかけて出かけた。

おかやんと雷門前で待ち合わせ木馬亭へ。
H本さんおり挨拶す。

いつもの左端に席をとり君塚食堂へ。
おでんと冷酒を誂えた。
しらすおろしも。

いやあ、いいなあいいなあやはりここはいいなあ気取らなくて気持ちいいなあなぞいいながらおかやんと呑む。こないだからタイミングが悪くて入れなかったから。
隣に座った白人男性が体につける香料が強くてまいったが。だが何でかあまり外人は入って来ぬ店ではある。地場感が強いからか。

豊子さんが道世さんに手を引かれ入ってきた。

私は300ml一本で済んだ。おかやんは緑茶割りを二杯

時間となり木馬亭へ戻る。


玉川奈みほ
三味豊子
阿漕ヶ浦

東家三可子
三味ちぐさ
甚五郎 龍を見た

東家孝太郎
三味まみ
野狐三次 三次と両国

玉川奈々福
三味豊子
慶安太平記 善達三島宿

澤雪絵
三味鈴
滝の白糸

神田京子
蝶々夫人 誇り高き蝶々母親としての決断

玉川福助
三味みね子
阿武松

天中軒雲月
三味ちぐさ
若き日の小村寿太郎

細かい感想は止しておくが
私は今日はスイマーに襲われること必至であった。昨夜は思いがけず3時近くの着になってしまったしコーヒーをがぶ飲みしてきたからかなんなのかよく眠れなくてしかもジジイだからやはり6時に目が覚めてしまう。それで二度寝もできない。浪曲でワクワクしているからだ。

私は激眠打破をすでに飲んでいた。
最初は大丈夫であったが段々だめになってしまった。
それとは関係なく最初からといふかいつも私は話の筋にまず頭が行かなくてお、綺麗なお着物だな高そうだなあ、百万円くらいするのかなあ、誰か買ってくれる男のひとでもいるのかなあとか三味の音締めがよいのは高価いからかなだとか、お!のってるなとかこのリックがかっこいいだとか喉が今日は調子良さそうだとか声の良さにジーンとしたりすぐそういふ方面に意識が向いて、それでそれに付随して前のことを思い返したり お!この客はこの姐さんが好きなんだなとか今日は顔が良いなとか お!この話は誰それのやつとちょっと違うなあとか、それならまだ良い方で
あっちの節の方が好みだなとか思ったら最後、その音が頭に鳴ってしまって心ここにあらずとなり、独り心の中だけで盛り上がって話は全く聞いていないなぞざらにあってやはりまだまだ子どもの脳みそのままだなと思い知らされたりしているのである。
ただそれならまだ眠くならない。独り心の中にざっぱあんと大波が起きているからギンギンである。昔からそうだ。目がギンギンになっているから授業中なぞも先生に当てられる。しかしひとつも聞いていなくて驚かれる。しまいには私はおかしな子だと先生もわかってくれて助かるみたなのが多かった。が、中坊ともなると気がたるんどるからだと叱られ、私もぶち切れて先生と喧嘩になるなぞそんなことにもなってきた。まあ、私が悪かろう。

 まあ、そんなことはどうでもよくて
そうしてギンギンにいられたら楽しい。はっきり言って私の脳の中が幸せならそれでよいしそうさしてくれるのはライブで唸る目の前の浪曲のおかげであり木馬亭のせいである。ところがスイマーといふやつはやはりギンギンが覚めたらあっといふ間に襲って来る。
誰の頃からかは云わぬが
こんなに楽しみにしていたのに堪らなく目が開かなくなった。

私は眠みが起こるひと起こらないひとといふのはちょっとはあってあれ、このひとは頭にビシッと話が入ってくるとかこのひとは悪くないがひとつも胸に来ないとかはある。それは確実に眠みに関係している。

浪曲ファンのひとに怒られるかも知れないがそんなことをちょっとだけ書いてみたい。

私は奈々福さんで眠たくなったことがない。
だが実は私は奈々福さんの浪曲は嫌いではないがそうは好きでもない。私は奈々福さんの著書によって木馬亭に連れてこられたようなところがあるから至福なるここに引きずり込んでくれた恩人である。
奈々福さんは誠実で頭の良い人だろう、多分、それは恐らくは確かだと思う。それだからこそだろう。奈々福さんはポップになる道を選んだのだろう。奈々福さんの浪曲は重心は割と前にある。それは重心が後ろにあるトラディショナルスタイルが好きな私には好みではないが奈々福さんは意識的にやっているのではないかと思う。たくさん聴き込んで自分はこうすると決めたのだろう。或いは自分に合っていて無理がなかったのかもしれない。浪曲といふよりシンガーのノリなのだ。翻れば浪曲を聞いたことがない、日本音楽にも全く馴染みがないといふひとにはわかりやすいだろう。そういふことはそれは大切なことだ。細かいことのようだがかなり重要な部分だ。自分のサウンドやリズムをどうしていくか、訓練によって矯正していくか、気にせず自然体でやるか。私もリズムについては悩んだことがある。訓練もした。だがアホらしくてやめた。ジョン・リー・フッカーやライトニン・ホプキンスみたいになりたいなら彼らのリズムを真似するのか?違うだろとおもった。黒人のリズムを真似する?ジョン・リーが誰かを真似て訓練するわけがないだろう。私も私の身体から出るリズムでやればよいだけだ。グルーヴ?あほけ。バックビート?あほけ。バチーンとやるだけですわ。とほらほら、またそんな余のことを考えて独り白熱し話は全く聞いていなかった。雑念雲の如くに湧いてくる。
 
だから眠くなるならないはなんといふか文体なんであろうか。例えば三島由紀夫は文体が美しくて好きなんだが話が入ってこなくて実に疲れる。村上春樹はあまり好きではないが話が実に読みやすい。町田康はすぐにぐっと引き込まれてグイグイ読んでしまう。織田作之助や坂口安吾なんかも肌に合うから読みやすい。ああ、西村賢太は凄く読みやすい。

そんなことで眠くなりながらも浪曲或いは心の中での自分との対話を存分に楽しんだ。
今日はやっぱり雲月師に感銘を受けた。
 
すぐに帰宅し

SMで買ってきた海鮮丼80円引きを喰らい少し寝る。

長くなるから一旦切る
②に続く